日曜日, 10月 10, 2010

ラカン Lacan の動画


 映像冒頭  邦訳『テレヴィジオン』22頁(第2章)から25頁

語る存在(エートル・パルラン)にしか無意識はありません。その他の存在には〜〜それらは、現実界(ル・シエル)によって自らを認めさせているにもかかわらず、名づけられる(ノメ)ことによってのみ存在たり得ているのですが〜〜本能(アンスタン)、すなわち、それらの生存(スユルヴィ)に含まれる知(サヴォワール)があります。といってもまだ、それはわたしたちの思惟(パンセ)にとってそうであるに過ぎません。わたしたちの思惟は、ここでは不適当(イナデクワット)なものなのです。

人間という病 mal d'homme にかかった動物たちが残っています。それゆえ、それらは「人畜 d'hommestiques 」と呼ばれ、このために、きわめて短いものですが、無意識の地震(セイスム)に貫かれるのです。

(以下略)

8:55   25頁 治療


第2章
       25頁
 医学はいつも言葉(モ)によって的を射てきたということです。
無意識が発見される以前は、どうだったのでしょうか。

1:20   27頁


第2章
32頁

フロイトがわたしたちに教えているように、<<わたしは彼を愛さない(ジュ・ヌ・レム・パ)>>は、反射逆転(ス・レペルキュテ)しながら、その系列(セリー)のなかでかけ離れたものになるのです。

5章
8:50   74頁





第5章
9:00  84頁

この<他者>を、それ自身の享楽の様式(モード)にまかせておくということは、わたしたちの様式を<他者>に押しつけたり、<他者>の様式を低開発(スウ・デヴロッペ)と見做したりしないことで、初めて可能になるのでしょう。



第3章
2:40 邦訳40頁

マルクス Marx は 、この理想的な労働者が、主人のディスクールのあとを引き継ぐところを見たいと願い、この労働者を資本主義経済の華(フルール)であるとしたのです。




3章
1:00 43頁

4章
5:20   49頁
6:50   55頁
7:14   56頁(以下テクスト)

そこで「無意識はひとつのランガージュとして構造化されている」というわたしの考えによる方が、情動はそこからもっと優れた秩序(アランジュマン)が生じてくるひとつの喧噪(ルミユールナージュ)であると表現される考えよりも、もっと確実に情動を実証する(ヴェリフィエ)することができるのではないか吟味される必要があります。なぜなら、人が私に対置しているのは、それ(サ)だからです。

7:20   56頁 構造化
       57頁 1915抑圧論文




第4章
59頁
1:30 スピノザ
たとえば悲しみ(トリステス)を、人は抑鬱(デプレッシオン)と呼び、媒体(スユポール)として、それに魂を与えたり、哲学者ピエール・ジャネ Pierre Janet のいう心理学的緊張(タンシオン・プシコロジック)を与えたりします。しかし、これはひとつの心理状態(エタ・ダーム)ではなく、ダンテ Dante やスピノザ Spinoza が表明したように、単純にひとつの道徳的な過ち(フォット・モラル)なのです。すなわちひとつの罪(ペシエ)、つまりひとつの道徳的な怯え(ラシユテ)なのであり、この罪は最終的に思考によってしか、つまり善辯(ビヤン・ディール)の当為(ドウヴワール)、あるいは、無意識のなか、構造のなかで自らの位置を知ることの当為によってしか位置づけられないのです。

『テレヴィジオン』60頁より

Jacques Lacan - T�l�vision (7/10)
http://www.youtube.com/watch?v=deOU_R2h0ZQ
より抜粋





第6章
4:00  95頁

『テレヴィジオン』(青土社)93頁~
1:00

たとえば、<男>が<女>を欲するとき、<男>は倒錯の領野に陥ることによってしか<女>に到達し得ない、といえるでしょうか。これは精神分析のディスクールによって制定された経験から定式化されることです。これが実証されるならば、これは万人に教え得ること(アンセニャーブル)、つまり科学的なことでしょうか。というのも、科学はこの公準から出発することで自分の道を切り開いてきたからです。

 わたしは、それ(サ)が万人に教え得ることであるといいましょう。そして、ルナン Renan が『科学の未来 l'avenir de la science』のためにそう願ったのと同じく、それは影響を及ぼさないものであるだけに~~というのも、<女>は外-在しないわけですから~~なおさらそういえるのです。しかしながら、<女>は外-在しない、ということは、人が<女>を欲望の対象とする、ということを除外するものではありません。むしろまったく逆で、そこから結果が生じてくるのです。

 このおかげで、<男>は間違って、ひとりの(ユンヌ)女に出遇い、このひとりの(ユンヌ)女とともに一切が起きるのです。すなわち、通常、この失敗のなかに、性行為の成功というものがあるのです。演劇で知られるように、役者たちはこのことについて、もっとも高度な事実を表現することができます。
 
 高尚劇(ノーブル)、悲劇(トラジック)、喜劇(コミック)、滑稽劇(ブウフォン)(ガウス曲線で描けるような具合に)、要するに、舞台が生み出すものの多様性(エヴァンタイユ)、そしてその舞台からそれ(サ)が姿を表すのです~~この舞台は、あらゆる社会的絆から、さまざまな恋愛ざたを切り出してきます~~こうして多様性が実現されます、~~そうしてさまざまな幻想(ファンタスム)を生み出し、この幻想によって、言葉を持つ動物たち(レ・ゼートル・ドゥ・パロール)は、自らが『生(ラ・ヴィ)』と名づけているもののなかで暮らしています(スユプジスト)。彼らがどうしてそう名づけているのかはよく分かりません。(以下略)




第6章
105頁

第7章
5:00  111頁





ミレール:「それではボワローが『よく理解されたことは明瞭に表現される』と詩文にしている心理について、どう思いますか?あなたの文体のことなどともあわせて。」

ラカン:「即座に答えしましょう。十年も立てば私の言説は万人に明晰(クレール)なものになります。私の学位論文(テーズ)でそれがわかりました。その論文ではまだ私の文体は結晶的(クリスタラン)ではありませんでした。つまりこれは経験的事実(フエ・デクスペリアンス)です。しかし私は無期延期であなた方を待たせたりはしません。
わたしは『よく表現されたことは明瞭に理解される』と校訂(レタプリ)します。明晰ということはそれが自ら道を開くという意味です。一つの倫理の厳格さゆえに、このような成功の約束、少なくとも売れ行き成功の約束は絶望的ですらあります。
(続く)
  



第7章
3:00  113頁
それは私たちに神経症の値打ちを実感させてくれるでしょう。フロイトが私たちに想起させてくれること、つまり『罪悪性を生み出すのは悪(マル)ではなく善(ビヤン)である』ということは、この神経症によって支えられているのです。

こういったことのなかで、自ら道を見いだすことは、去勢(カストラシオン)が意味することについて、少なくとも推測してみることなしには不可能です。そしてこのことはボワローがそのことについて、人がそれを間違えるように、つまり人がそれを信じ込むように『明晰に』広まるがままにしておいた噂話(脚注:『女嫌いのボワローは性的不能でありその理由は幼年期に雄の鵞鳥に性器をかじられていたからである』という噂が広まっていた)について、はっきりと理解させてくれます。

彼の有名な黄土(ocre)のなかに陣取っている(アンスタレ)中傷(me'dit)、すなわち『中庸から最悪に段階なし(IL N'EST PAS DE DEGRE DU MEDIOCRE AU PIRE )』、この中傷が、この詩文の作者の手になるものとは信じがたいことです。この詩文はこんなにも見事に、この語を茶化しているのです。

これらはすべて容易なことです。しかし、それ、つまり、わたしが活字の足において修正しているものを耳にすることの方が、『それであるもの』として現れてくるものに、より相応しいのです。『それであるもの』というのは、すなわち、誰一人として気づくことのない機知のことです。

機知が計算された言葉の誤り、無意識を手なずけた言葉の誤りであることを、私たちは知ってはいないないでしょうか。(上記youtubeではここまで)それは機知に関するフロイトの論文で読むことが出来ます。…」

(中略) 「…裏返された手袋を前にして、手は自分のしていることを知っていたと想起することは、その手袋をラ・フォンテーヌやラシーヌが耐え忍んでいたであろうなにものかに返却することにはならないでしょうか。解釈は貸借を満たすために快速でなければなりません。
純粋欠損によって永続するものから、最悪の父によってしか賭けることのないものに向けて。a/-φ」
 『テレヴィジオン』(青土社、藤田博史/片山文保訳、p111-114)より






90分にわたる無字幕のヴァージョンは以下で見ることが出来ます。
http://ubu.wfmu.org/sound/lacan_jacques/Lacan-Jacques_Television_1973.mov
http://www.hydra.umn.edu/lacan/vid/index.html
時間指定は絵と音が(約2分)ずれてしまったので参考程度。

以下、個人メモ



第2章
p22   1:00
p24   7:00
p25   11:00
p27   14:15
p28   17:10
p28   18:00
p29   19:20
p30   20:00   
p33   23:50
p34   24:45

第5章
p71   25:30

第3章
p40   44:34マルクス
p41   46:00
p42   47:50

p45   56:40

第4章
p56   59:30
p57   1:00:30 フリース
p58           対象
p59     1:02  プラトン
p60   1:03:33スピノザ

(p63   1:04:50)
(p63    1:05:40シネマ)
2分ずれ

p63   1:07:50シネマ
      1:09:30資本のディスクール


第6章
p90?   1:10:40(カント)
p93   1:12:00
p93   1:12:50
p94   1:14:00 科学の未来
p102   1:20
p104   1:21:20 あかんべえ
p105   1:22:22
p106   1:23:20
p107   1:25:30
p108はカット

第7章
p111   1:26:30