日曜日, 9月 11, 2011

Kojin KARATANI 20110911@shinjuku






「私はこの四月から反原発のデモに参加しています。このアルタ前にも、6・11デモで参加しました。
私がデモに行くようになってからいろんな質問を受けます。それは大概否定的な質問です。
その一つはデモで何が変わるのか?デモで社会を変えられるのか?というものです。
私はこう答えます。もちろんデモで社会を変えることはできる。確実に変えられます。
なぜならデモをすることでデモをする社会をつくれるからです。(歓声)

考えてほしい。今年の3月以前に、日本には沖縄をのぞいてデモはほとんどなかった。
それが今、日本全国、今日でも多分100箇所以上でデモがおこなわれています。その意味で日本の社会が少しは変わった。これは明らかです。
例えば福島原発の事故のようなことがドイツやイタリアでおこればどうなるか?あるいは韓国でおこったらどうなるか? 巨大なデモが国中で起こるでしょう。
しかしそれに比べれば日本でのデモは異様に小さい。それでもデモが起こったことはすごい。デモが起こったことは救いであると私は思います。
デモは主権者である国民にとっての権利です。デモが出来ないなら国民は主権者ではない。例えば韓国では20年前までデモが出来なかった。軍事政権があったからです。しかしそれを倒して、国民主権を実現した。
デモをデモによって倒したのです。そのような人達がデモを手放す筈がありません。
ではなぜ日本ではなぜデモが少ないのか? それは変なことだと思われているのか?
それは国民主権を自分達の手で闘争によって獲得したものではないからです。日本人は戦後国民主権を得ました。しかしそれは敗戦よるものであり、事実上占領軍によるものです、つまり、自分で得たのではなく与えられたのです、
それでは自分自身のものにするにはどうしたらいいか? 
それはデモをすることです。

私が受けるもうひとつの質問は、デモ以外にも手段があるのではないのかというものです。
確かにデモ以外にも手段があります。そもそも選挙がある。その他様々な手段があります。しかしデモが根本的です。
デモがある限りその他の方法も有効になりますが、デモがなければそれらは機能しません。今までと同じことになります。
さらに私が受ける質問はこのままデモは下火になっていくのではないかというものです。
戦後日本にはいくども国民、全国的規模のデモがありました、しかしそれらは長続きしなかった。今回のデモもそうなるのではないかというものです。
確かにその恐れはあります。
マスメディアではすでに福島の事故は片付いた。経済復興に取りかかるべきだという意見が強まっています。
むろんそんなことはない。福島では何も片付いていないのです。
しかし当局やメディアは片付いたかのようにいっている。最初からそうです。
かれらは最初から事実を隠し、たいしたことがなかったかのようによそおってきたのです。有る意味でそれは成功しています。多くの人達が信じている。信じたいからです。
そうしたら反原発のデモは下火になっていくようにみえます。
しかし違います。福島原発事故は片付かない。むしろ今後に被曝者の病状がはっきり出てきます。また福島の住民は永遠に郷里を離れることになります。
つまり我々が忘れようとしてもまた実際に忘れても原発の方が執拗に残る。それはいつまでも続きます。原発が恐ろしいのはこのことです。
それでも人々はおとなしく政府や企業の言うことを聞いているでしょうか? そうであれば日本人は物理的に終わりです。

だから私はこう信じています。
第一に反原発運動は長く続くということです。
第二にそれは原発に留まらず日本の社会を根本的に変える力となるだろう、ということです。
みなさん粘り強く闘いましょう。
以上です。」