木曜日, 11月 03, 2011

スピノザ『神学政治論』『国家論』:メモ及び目次

(→エチカ諸感情の定義インデックスリンク::::::

スピノザ『神学・政治論』『国家論』とでは国家の位置づけが違う。
前者では自然権に近かったが、後者では制度となっている(国家の目的設定は自由から安全平和へ移行する)。
国家の二重性とも言える(平和と自由の二律背反、この克服が『神学政治論』のテーマであり副題☆である)。『エチカ』での前半と後半の態度変更に近い。→リンク虹論文スピノザの顔アインシュタインとスピノザGoethe [Studie nach Spinoza]

 B | A
___|_______ 平等 (神学政治論)
   | スピノザに
 C | とっての国家
   |  (エチカ)
  自 由 
 (神学政治論中政治論
  及び国家論)


民主国家は目指すべき希有なものとされる。以下図解及び目次(以前書いたものに加筆)。
(翻訳者の畠中尚志に関しては以下→注)

注☆
副題は、
「思考の自由を許容することは敬虔の念と国家の平和を損うことにならないばかりでなく、反ってこの自由を奪うことは国家の平和と敬虔の念を危うくする所以であることを示す若干の論文が含まれる」
と記されている。これを受けて「緒言」でもスピノザは、
「我々は、判断の自由と神を自らの意向に従って礼拝する自由とが何人にも完全に許されている国家に(中略)生を享くるという稀なる幸福に恵まれているのであるから、この自由は敬虔と国家の平和とを損うことなしに許され得るということ、のみならずこの自由が侵害されれば国家の平和と敬虔も同時に侵害されざるを得ないということを」示すとしても、それは忘恩的ないし無益な企てではないと信じたと言う。これこそスピノザが『神学政治論』の中で証明しようとした主題であった。
「宗教に携わる多くの人々は、厚かましき専横さを以て、この権利の大部分を自己の手に奪取しようと努め、まだ異教的迷信に捉われている大衆の心を、宗教の口実の下に、国家の最高権力から離れさせようと努力している。これは一切を再び隷属状態に陥らしめるものである。」というカルヴァン派批判がこれに続く。http://www.tuins.ac.jp/library/pdf/2007kokusai-PDF/0703fukushima.pdf カルヴァン派ついては以下→参考サイト

 スピノザ『神学・政治論』:図解

        ________自然6
       |   宗教の目的: |
       |    /服従13、|
       |   /  \ 神学|
       |  / (1~15)|
       | /      \ |
       |/ ______ \|    
       | |奇蹟6   | |
    マイモニデス7     | |\
    (超自然的力→比喩)  | | \
    /  | |_預言者__| |  \
   /   | 法4=|=契約12、17 \
  /    |  表象能力2   |    \
 /_____|__________|_____\
       |__国家の___哲学15、政治(16~20)
          目的:自由 理性15、19
             20

 スピノザ『神学・政治論』(Tractatus Thoelogico-Politicus de Spinoza):目次
緒 言
第1章 預言について
第2章 預言者について
第3章 ヘブライ人たちの召命について。又預言の賜物はヘブライ人たちにのみ特有であったかどうかについて。
第4章 神の法について
第5章 諸々の祭式が制定された理由について。又史的物語への信憑について、換言すればそうした信憑が何故に、又如何なる人々のために必要であるかについて
第6章 奇蹟について
第7章 聖書の解釈について__以上岩波文庫上巻

第8章 本章にはモーゼ五書並びにヨシュア、士師、ルツ、サムエル、列王の諸巻が之らの人々自身に依って書かれたのではないことが示される。その後で、之らの諸巻の著者が数人であったか、それとも一人であったか、一人であるとすれば一体誰であったかについて探究される
第9章 之らの諸巻に関する他の諸研究、即ちエズラは之らの諸巻に最後の仕上げをしたかどうか、ヘブライ写本の中にある欄外註は異なれる読み方を示したものかどうか
第10章 旧約聖書に於ける爾余の諸巻が上記の諸巻と同様の方法で吟味される
第11章 使徒たちは彼らの書簡を使徒として又預言者として書いたのか、それとも教師として書いたのかが探究される。次いで使徒たちの職分の何たるかが示される
第12章 神の律法の真の契約書について。又如何なる意味に於て聖書が聖書と呼ばれ、又如何なる意味に於てそれが神の言葉と呼ばれるか。そして最後に聖書は、神の言葉を含む限りに於ては損われざる形に於て我々に伝わったことが示される
第13章 聖書の教えは極めて単純なものであること、又聖書は服従以外の何物をも目的としていないこと、更に又聖書は神の本性については人間が一定の生活方法に依って模し得られること以外の何ものをも教えていないことが示される
第14章 信仰とは何であり、信仰者とは如何なる人々であるか。更に信仰の諸基礎が規定され、そして終りに信仰が哲学から分離される
第15章 神学は理性に隷属せず、理性も神学に隷属しないことが示され、併せて我々が聖書の権威を信ずる理由が説かれる

第16章 国家の諸基礎について、各人の自然権及び国民権について、また最高権力の権利について
第17章 何びとも一切を最高権力に委譲することが出来ないし、又その必要もないことが示される*。更にヘブライ人の国家がモーゼの在世時代にはどんな風であったかについて、又モーゼの死後、諸王が選ばれる前には、どんな風であったかについて、又その国家の優越性について、最後に又神の国家が亡んだり、騒擾なしには殆ど存続し得なかったりした理由について語られる
第18章 ヘブライ人たちの国家組織と歴史とから若干の政治的教義を帰結する
第19章 宗教上の事柄に関する権利は全然最高権力のもとにあること、又我々が神に正しく服従しようと欲すれば宗教への外的崇敬は国家の平和を顧慮してなされねばならぬことが示される
第20章 自由なる国家に於ては各人はその欲することを考え、その考えることを言うことが許される、ということが示される__以上岩波文庫下巻



「思うに何びとも自分の力を、従って自分の権利を自分が最早や人間としての立場を失う程にまで他者に委譲し切ることは出来ないであろうし、又何事をも自分の思い通りに果たし得るような最高権力というものは存在しないであろう。何となれば、最高権力といえども、臣民に向かって、恩恵を受けた者を憎むように命じたり、損害を与えた者を愛するように命じたり、侮辱を受けても憤慨しないように命じたり、恐れから解放されることを希望しないように命じたり、その他人間の本性の諸法則から必然的に生ずるこの種の多くの事どもに反するように命じたりすることは出来ないであろうからである。」
(『神学政治論』第17章、岩波文庫下189-190頁、柄谷行人『探究2』文庫版196頁参照)

【参考】
「神学・政治論」執筆の動機

スピノザ書簡30
スピノザからオルデンブルクへ
「私は目下聖書に関する私の解釈について一つの論文を草しています。私にこれを草させるに至った動機は、第一には、神学者たちの諸偏見です。この偏見は私の見るところによれば、人々の心を哲学へ向わせるのに最大の障害となっています。ですから私はそれらの偏見を摘発して、それをより賢明な人々の精神から取り除くように努力しているのです。第二には、民衆が私について抱いている意見です。民衆は私に絶えず無神論者という非難を浴びせているのです。私はこの意見をも出来るだけ排撃せねばなりません。第三には、哲学することの自由並びに思考することを言う自由です。この自由を私はあらゆる手段で擁護したいと思います。当地では説教僧たちの過度の勢力と厚かましさのために、この自由がいろいろな風に抑圧されているのです(以下省略)。」
フォールブルフ、1665年9月(または10月)
「スピノザ往復書簡集」(畠中尚志訳、「岩波文庫」岩波書店、1958年)


参照サイト:http://www.furugosho.com/precurseurs/spinoza/tp.htm

参考書籍:スピノザーナ7


以下断片。
http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/43305862.html
http://blog.goo.ne.jp/eliesbook/e/b562e7bfb70c67a5f4dbcff3d8dd41e7

 副題

「思考の自由を許容することは敬虔の念と国家の平和を損うことにならないばかりでなく、反ってこの自由を奪うことは国家の平和と敬虔の念を危うくする所以であることを示す若干の論文が含まれる」

 緒 言

若し人間が自己の一切事を一定の計画通りに処理することが出来るのであったら、或は若し運命が常に人間にとって有利に展開するのであったら、人間は決して迷信に捉はれることがないであらう。然るに人間は、全く途方にくれるやうな諸種の困難に屡々陥るものであり、又多くの場合、世間的幸福への飽くなき追求のゆえに、希望と恐怖の間に痛ましくもたゆたふものであるから、人間の心はややもすれば手当たり次第のものを信ずるやうに傾きがちである  緒言冒頭上39頁

実に迷信を生み、保ち、且つ育くむ原因は恐怖なのである  同41頁

迷信は希望、憎しみ、怒り、欺瞞などに依ってのみ保持され得るといふことである。迷信は理性の中にではなく感情の中にのみ、しかも最も強力な感情の中にのみ根ざすのである    同43頁

民衆は何時も変らず不幸なものであるから、そのゆえに民衆は、どんな迷信にも決して長く安住してはいない。むしろ新しい迷信、まだ駄目なことの分らない迷信のみが彼等に最も気に入るのである 同43頁

若し、人間を誤謬の中に留め置き、恐怖心を宗教の美名で彩って人間を抑制するに利用し、かくて人々をして隷属のために戦ふこと恰も福祉のために戦ふ如くならしめ、且つ一人の人間の名誉心の為に血と命とを捨てることを恥としてでなく却って最大の誉と思はしめるといったやうな、さうした事どもが若し君主政治の最高の秘訣であり、君主政治の最大の関心事であるとしたら、反対に、自由なる国家に於ては、これ以上に不幸なことが考へられることも出来ないし、試みられることも出来ないのである          同44頁

「我々は、判断の自由と神を自らの意向に従って礼拝する自由とが何人にも完全に許されている国家に(中略)生を享くるという稀なる幸福に恵まれているのであるから、この自由は敬虔と国家の平和とを損うことなしに許され得るということ、のみならずこの自由が侵害されれば国家の平和と敬虔も同時に侵害されざるを得ない…」同45頁

「宗教に携わる多くの人々は、厚かましき専横さを以て、この権利の大部分を自己の手に奪取しようと努め、まだ異教的迷信に捉われている大衆の心を、宗教の口実の下に、国家の最高権力から離れさせようと努力している。これは一切を再び隷属状態に陥らしめるものである。」同46頁

 第3章 ヘブライ人たちの召命について。又預言の賜物はヘブライ人たちにのみ特有であったかどうかについて。

人間の真の幸福・真の福祉は智慧そのもの、真理の認識そのものの中に存するのであって、自分が他の人々より一層智慧があるとか、他の人々は真の認識を缺いているとかいふことの中には絶対に存しない 第3章120頁

「安全に生活し且つ身体を維持するのに役立つ手段は主として外的事物の中に存する。それは運命の賜物と呼ばれる。従ってこの点で幸福であったり不幸であっ たりするのは愚者と賢者とで殆ど異なるところがない。」第3章上126頁

 第4章 神の法について

知性は我々のよりよき部分であるから、我々は真に我々の利益を求めようと欲すれば何にもまして知性の可及的完成に努力せねばならぬ。何故なら知性の完全性、認識の完全性の中にこそ我々の最高善は存せねばならぬからである  第4章152頁 

自然的知識は、我々に事物の認識を得させ・知識の卓越性を味はせた上で倫理学と真の徳とを教へる  第4章169頁

例えば、我々が三角形の本性についてただ次のことをのみ、〜三角形の本性は神の本性の中に永遠このかた永遠の真理として含まれているということをのみ眼中に置く時、その時に我々は、神が三角形の観念を有する、或は神が三角形の本性を認識すると言うのである。然し我々がその後で次のことを、〜三角形の本性が斯くの如く神の本性の中に含まれているのは専ら神の本性の必然性に依るのであって三角形の本質と本性との必然性に依るのではないことを、のみならず更に三角形の本質と諸特性との必然性はそれが永遠の真理として考えられる限り専ら神の本性と神の知性との必然性に依存するのであって三角形の本性に依存するのではないことを眼中に置く時、その時に我々は、先に神の知性と名付けたところのものを神の意志又は決定と呼ぶのである。だから我々は三角形の内角の和が二直角に等しいことを永遠この方決定し意欲したと言っても、或は又神はそのことを認識したと言っても、それは神に関する限りは同じことなのである。   第四章上159頁 柄谷探究二240頁

 第5章 諸々の祭式が制定された理由について。又史的物語への信憑について、換言すればそうした信憑が何故に、又如何なる人々のために必要であるかについて

「キリスト教が禁止されている国に住んでいる者はそうした祭式を差し控えなければならぬのであるが、それにも拘らずその人間は幸福に生活し得るであろう。こうした例は日本国においてみられる。」第五章187ー8頁

物語への信憑はそれ自体では人間を幸福ならしめ得ない 第5章193頁

 第6章 奇蹟について

「神の存在は、それ自体では知られないから*、必然的に諸概念から、―その真理たることが確乎不動でこれを変え得る如何なる力も存在し得ず又考えられ得ないような諸概念(公理)から結論されねばならぬ。」(神学政治論)第6章205頁

「我々は、神そのものに関して明瞭且つ判然たる観念をでなく単に混乱せる観念をのみ有する間は、神の存在を、従って又一切物を疑う。何故なら、三角形の本性を正しく認識しない者が三角形の内角の和が二直角に等しいことを知らぬように、丁度そのように、神の本性を混乱して概念する者は存在が神の本性に属することを覚らないからである。だが、神の本性が明瞭且つ判然と我々から概念され得る為には、我々は共通概念〔普遍概念〕と呼ばれる極めて単純な若干概念に注意し、それらの概念と神の本性に属する諸概念とを連結することが必要なのである。かくして始めて神の必然的存在と偏在性とが我々に明白になり、又かくして同時に、我々の概念する一切物は神の本性を自らの内に含み且つ神の本性を通して概念されることが明らかになり、最後に又、我々が十全的に概念する一切物は真理であることが明らかになる。」
 第6章前記部分*の作者註287頁

創世記九章十三節には、神がノアに向かって、「我わが虹を雲の中に起さん」と言っているが、神のこの行いも亦確かに太陽の光線が雨滴に中で蒙る屈折と反射以外の何ものでもない。  第6章216頁  →参考:虹論文

聖書の中に実際の出来事として語られているすべてのことは、(略)必然的に自然の法則に従って生起したのである  同220頁

 第7章 聖書の解釈について

最高の権利は各人のもとにあるのであり、又何人もこの権利を放棄し得るとは考へられないのであるから、これからして宗教に関して自由に判断し、従って又宗教を自己に対して説明し解釈する最高の権利・最高の権能も各人のもとに在ることになる   第7章273頁


補記:

「自然的光明(Lumen Naturale)」(上59頁他)という言葉が頻出するのはデカルトの影響もあるのだろう。当時、どの程度一般的な言葉だったのだろうか?これ以降、使用例が少なくなっていく気がする(『エチカ』では使われていない)。

また、スピノザの「自然権」概念の特徴を明らかにするには、ホッブズのそれとの比較が一つの手がかりを与えてくれるように思われる。というのも、スピノザ自身が1674年6月2日付のイエレス宛書簡で次のように述べているからである。

「国家論に関して私とホッブズとの間にどんな相違があるかとお尋ねでしたが、その相違は次の点にあります。即ち私は自然権を常にそっくりそのまま保持させています( semper sartumtectum conservo )。従って私は、どんな都市の政府も力において市民にまさっている度合に相当するだけの権利しか市民に対して有しないものと考えています。自然状態においてはこれが常道なのですから。」*

*書簡50(1674年6月2日付のイエレス宛書簡)、『スピノザ往復書簡集』、畠中尚志訳、岩波文庫、237-238頁。スピノザは『神学政治論』第16章の傍注(ⅩⅩⅩⅢ)でもホッブズの名を挙げて、ホッブズの説との対比で自説の特色を述べている(岩波文庫上301−2頁)。

なお柄谷行人によればスピノザの先行者にクセノファネスがいる(参考:『哲学の起源』と『世界史の構造』の構造:メモ )。


 スピノザ『国家論』:図解

         目的:平和安全1:6、5:2
   悪\                /善4:1
   恐怖\     民主国家11   /希望3:3
      \____________/
   越権行為\   貴族国家8〜10(8:27くじ引き、8:30元老院400人?)  
   4:3、4\________/
         \ 君主国家6〜7(6:15顧問官)
      4:1最高権力  権利(法)2:19、3:5、理性3:6、7
___________\__/_______________
   自然状態、自然権 \/ 
   3:2      本性,本能1:7、6:1



 スピノザ『国家論』(Tractatus Politicus):目次

1序論 (エチカ参照箇所、3p1,3p32n,4f13,3p31n,3p31n,4p58n,4p15,5p4n,5p42n)
2自然権について (神学政治論,エチカの要約、4p37n2,4p66n,4p67,3p29n)
3国家の権利について
4最高権力の所管事項について
5国家の目的について

6、7
 君主国家について (7、3p29,4p58)
8、9、10
 貴族国家について
11
 民主国家について(未完、以下を欠く)

※本文より抜粋
-----------------------------------------

 1序論 (エチカ参照箇所、3p1,3p32n,4f13,3p31n,3p31n,4p58n,4p15,5p4n,5p42n)

人間は必然的に諸感情に従属する。また人間の性情は、不幸な者を憐れみ、幸福な者をねたむようにできており、同情よりは復讐に傾くようになっている 1:5,p.14

国家の安全にとっては、いかなる精神にとって人間が正しい政治へ導かれるかということはたいして問題ではない。要はただ正しい政治が行なわれさえすればよいのである。なぜなら、精神の自由あるいは強さは個人としての徳であるが、国家の徳はこれに反して安全の中にのみ存するからである 1:6,p.16

 3国家の権利について

実に人間は、自然状態においても国家状態においても、自己の本性の諸法則によって行動しかつ自己の利益を計るものである。人間は――あえて言うが――そのどちらの状態にあっても、希望あるいは恐怖によってこれあるいはあれをなしまたはなさないように導かれる 3:3p.37

理性に基づき理性に指導される国家は最も力があり、最も自己の権利のもとにありうるのである。なぜなら国家の権利は、あたかも一つの精神からのように導かれる多数者の力によって決定されるのであるが、精神のこの一致はまさに、健全な理性がすべての人間に有益であると教えるものを国家が最も多く追求する場合でなくては決して考えられえないからである 3:7 p.40

臣民は、国家の力または威嚇を恐れる限りにおいて、あるいは国家状態を愛する限りにおいて、自己の権利のもとにはなく、国家の権利のもとにあるということである。この帰結として、報酬あるいは威嚇によって何びともそれへ動かされえないような一切のことは国家の権利に属さないということが生ずる  3:8,p.40-41

 4最高権力の所管事項について

国家が自己の権利のもとにあるためには恐怖と尊敬との原因を保持するように拘束される。そうでなければ国家はもはや国家ではない。思うに、統治権を握る人あるいは人々にとっては、酔って、裸で、遊女とともに町を歩き回ったり、俳優のまねをしたり、自らの定めた法律をあからさまに破ったり軽蔑したりして、それでいて威厳を保持することは不可能である(中略)臣民を虐殺したり、掠奪したり、処女を誘惑したり、その他これと同様のことどもは、恐怖を憤慨に変え、したがって国家状態を敵対状態に変える   4:4,p.53-54

 5国家の目的について

自由な民衆は恐怖よりも希望によって多く導かれるのに対し、征服された民衆は希望よりも恐怖によって多く導かれる(中略)実に前者は生活をはぐくむことに努めるのに反し、後者はただ死を避けることにのみ努力する5:6,p.60

 6〜7
  君主国家について (7、3p29,4p58)

国家は常に敵のゆえによりも国民のゆえに危険であるということが確実である。事実、善良な国民は稀だからである 6:6,p.67

王の意志は王が国家の剣を握っている間に限って法的効力を持つのである。統治の権利はもっぱら力によってのみ規定されるのであるから。ゆえに王は退位することはできるが統治権を他人に譲渡することは民衆あるいは民衆の大多数の同意なくしてはできないのである 7:25,p.107←→ホッブズ

本性はすべての人々において同一である。すべての人々は支配する時に傲慢になり、恐れを持たぬ時に恐ろしい(「彼らは恐れを持たざる時に恐ろし」p109。元ネタは、タキトゥス『年代記』1:29より)。またどこにあっても真理は、圧迫された者あるいは隷属的立場にある者たちによって多く歪曲される 7:27,p.110

王の力がもっぱら民衆自身の力によって決定され、民衆自身の守護によって保持されるようにさえすれば、民衆は王のもとにおいて十分の自由を保持しうる、と。そしてこれこそ私が君主国家の諸基礎を建てるに際して従ってきた唯一の規則である 7:31,p.116

参照サイト:http://blog.goo.ne.jp/eliesbook/e/6e0669ee9898a7f0995a47fd66d8bd11

 8、9、10
  貴族国家について

 諸事のとり決めならびに官吏の選任にあたってすべての貴族が同じ力を持つためには、そしてすべての事務の決裁が迅速であるためには、ヴェニス国の人たちの守った手続きが最も推薦に値する。彼らは官吏を任命するにあたり会議体から若干名を抽籤で選び、この人々が順次に選ぶぺき官吏を指名し、続いておのおのの貴族は指名された官吏の選任に対し賛成あるいは反対の意見を投票用小石によって表明する。あとになって誰が賛成あるいは反対の意見であったかがわからないように。こうすればすべての貴族が決議にあたって同じ酪威を持ちかつ事務が迅速に決裁されるばかりでなく、その上おのおのの者は(これは会議にあって何より必要なことであるが)誰からも敵意を持たれる心配なしに自分の意見を表示する絶対的自由を有することになる。8:27, p136
<スピノザ『国家論』 第八章第二七節、畠中尚志訳、岩波文庫p.139> 

参考:http://yojiseki.exblog.jp/4997449/#note


注:図はあくまで「発見的 heuristic な仮説」(必ず正しい答えが導けるわけではないが、ある程度のレベルで正解に近い解を得ることが出来る方法)である。


補足:
スピノザ各書籍の図解を並べるとスピノザの思考の全体像がわかりやすいだろう。

スピノザ『神学・政治論』
        ________自然6
       |   宗教の目的: |
       |    /服従13、|
       |   /  \ 神学|
       |  / (1~15)|
       | /      \ |
       |/ ______ \|    
       | |奇蹟6   | |
    マイモニデス7     | |\
    (超自然的力→比喩)  | | \
    /  | |_預言者__| |  \
   /   | 法4=|=契約12、17 \
  /    |  表象能力2   |    \
 /_____|__________|_____\
       |__国家の___哲学15、政治(16~20)
          目的:自由 理性15、19
             20

スピノザ『エチカ』
            1実体
            /\
           /無限\
          /_無限定_\
 ________/_2a属性__\________
 \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
  \   悪/___2b様態\___\善   /  
   \  /\悲しみ_/\_喜び /\  /  
    \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
    /\対象/物体_\/_観念\認識/\
   /所産的自然_身体欲望精神__\/  \  
  /  延長\ 受動3感情/能動 /思惟  \能産的
神/______\___\/_第三種認識____\自然
         \ 4理性  /   
          \    /
           \_徳_/
            \/
              5自由


スピノザ『国家論』
         目的:平和安全1:6、5:2
   悪\                /善4:1
   恐怖\     民主国家11   /希望3:3
      \____________/
   越権行為\   貴族国家8〜10(8:27くじ引き、8:30元老院400人?)  
   4:3、4\________/
         \ 君主国家6〜7(6:15顧問官)
      4:1最高権力  権利(法)2:19、3:5、理性3:6、7
___________\__/_______________
   自然状態、自然権 \/ 
   3:2      本性,本能1:7、6:1



追記:

以前同様の事を両界曼荼羅について書いたが(参照:他ブログ)、カントとマルクスはスピノザにとっての思惟と延長と考えられる。
両者は同じ構造なのだ。 :改訂版

カントは、

  分 析
 量 | 質 
規__|__反
定  |  省
 関係|様相
  総 合

http://nam-students.blogspot.com/2011/10/blog-post_27.html


マルクスは、

  絶対的
 時間|法則
拡__|__単
大  |  純
 効率|総合
  相対的

http://nam-students.blogspot.com/2011/10/blog-post_29.html




両者を合わせると、

   
          スピノザ
           /\
         思惟  延長
      カント      マルクス

ということになる。





(写真は『トランスクリティーク』韓国語版(2005)の見開きより)


「真の観念はその対象(観念されたもの)と一致しなければならぬ。」(スピノザ「エチカ」第一部公理6



この対称性を『トランスクリティーク』と言うこともできる。


追記:
媒介にヘーゲルを使うことも出来る(参考)。
また以前書いた事のある『神学・政治論』『国家論』:図解も参考になるだろう。

改訂版(左右逆にした):
   
                       スピノザ
                        /\
                      延長  思惟 
                   マルクス    カント

 マルクス『資本論』 絶対的5〜9、   商品と                           
 __________相対的10〜13__貨幣〜3  ______純_粋_理_性_批_判______判断
|資本の変態|(資本の |剰余|資本|拡大|単純| (緒言)  |     |     |  手引き=表
|  と循環| 循環過程)価値|へ4|価値形態論1 |     |     |  緒言 |概念分析 |&
| 1〜6 |1、2、3| 〜16 一般的|貨幣| | 空間  |  時間 |     |演繹   範疇
|_二資本の流通過程__|_一資本の生産過程__| |  (感 性 論)  |__(論 理 学)__|表
|     |     |時間|  | 資本の | |     |     |  /分 析 論   |
|資本の回転|社会的  |_労 賃_|蓄積過程 | |     |     |   図式| 付録: |
| 7〜17|総資本  |17〜20|21〜25| |     |     |原則分析 |反省概念 |
|_____|18〜21|出来高__|_____| |_原  理  論___|体系_根拠|___(無)
|     |     |     |労働|  | |  (感性論と論理学)|     |     |
|  利潤 |     |生産過程 三位一体48| | 概 念 |  霊魂 | 緒言  |  訓練 |
| 1〜20|     | 49  |資本|土地| |     |     |     |     |
|____三資本主義的生産の総過程への転化|__| |(論 理 学)推 理_|___方 法 論___|
|     絶対・|差額|競争の  労働者|  | |/弁 証 論  存在論|     |  (図式)
|  利子 |_地代_・|外観50 |_諸階級52 量 世界 質|  神  | 規準  | 建築術_|
|21〜36|37〜47| 分配と 資本家|地主| 関係  様相|宇宙 神学|     (体系)  |
|複利24_資本主義的・|_生産51|__|__| |二律背反_|_論___|_____|__|歴史|

                      事後   事前
                 C状反時計回り   Z状


サティシュ・クマールは世界の構造を以下のように考えた。
Soil, Soul, Society。三つのS。対応する思想家。

       /社会・マルクス
      /__\
     /\魂(人間)・カント
    /__\/__\
   /\  土   /\・スピノザ
  /__\(生命)/__\
 /\  /\  /\  /\
/__\/__\/__\/__\

パーソンズ的4分割だと、
                       プルードン
              |        |アソシエ|
              |        |ーション|ネーション
              |  デュルケム |___社 会____
              |  /ウェーバー|マルクス|
テリック(究極)・システム |        |キャピタ|ステート 
   L スピノザ     |_I実践理性_人 間__ル|_____
              |  批判  カント
              |   モース  |フロイト
              |        | 
              |        |
_____________生 命_______|__________
              |
              |
              |
              |
 A純粋理性批判  カント |   G判断力批判 カント
              |
              |
              

両界曼荼羅と繋げると、、、

 マルクス『資本論』 絶対的5〜9、   商品と                           
 __________相対的10〜13__貨幣〜3  ______純_粋_理_性_批_判______判断
|資本の変態|(資本の |剰余|資本|拡大|単純| (緒言)  |     |     |  手引き=表
|  と循環| 循環過程)価値|へ4|価値形態論1 |     |     |  緒言 |概念分析 |&
| 1〜6 |1、2、3| 〜16 一般的|貨幣| | 空間  |  時間 |     |演繹   範疇
|_二資本の流通過程__|_一資本の生産過程__| |  (感 性 論)  |__(論 理 学)__|表
|     |     |時間|  | 資本の | |     |     |  /分 析 論   |
|資本の回転|社会的  |_労 賃_|蓄積過程 | |     |     |   図式| 付録: |
| 7〜17|総資本  |17〜20|21〜25| |     |     |原則分析 |反省概念 |
|_____|18〜21|出来高__|_____| |_原  理  論___|体系_根拠|___(無)
|     |     |     |労働|  | |  (感性論と論理学)|     |     |
|  利潤 |     |生産過程 三位一体48| | 概 念 |  霊魂 | 緒言  |  訓練 |
| 1〜20|     | 49  |資本|土地| |     |     |     |     |
|____三資本主義的生産の総過程への転化|__| |(論 理 学)推 理_|___方 法 論___|
|     絶対・|差額|競争の  労働者|  | |/弁 証 論  存在論|     |  (図式)
|  利子 |_地代_・|外観50 |_諸階級52 量 世界 質|  神  | 規準  | 建築術_|
|21〜36|37〜47| 分配と 資本家|地主| 関係  様相|宇宙 神学|     (体系)  |
|複利24_資本主義的・|_生産51|__|__| |二律背反_|_論___|_____|__|歴史|

 _金剛界曼荼羅____西___________   _胎蔵界曼荼羅____東___________最
| ____________________文様帯 | __________ __________ 外
||      |       |      || ||  |______文殊菩薩_文殊院_|  |院
||      |   大日  |      || ||  |_釈迦院__釈迦如来_____|  ||
||      |   如来  |      || ||  |  |   遍智院   |  |  ||
||四印会___一印会_____|理趣会___|| ||  |  |____△____|  |  ||
||      |  阿弥陀  |      || ||地 |  |弥勒  宝幢 普賢|  |除 ||
||      |       |      || ||蔵 |蓮華|         |金剛|蓋 ||
南|      |宝生 大 不空|      |北 北 院 |部院| 天鼓 大 開敷 |手院|障  南
||      |   日 成就|      || ||  |  | 雷音 日 華王 |  |院 ||
||      |       |      || ||  |  中 台 八 葉 院 |  |  ||
||供養会___成身会_阿閦__|降三世会__|| ||  |  |観音_無量寿_文殊|  |  ||
||      |       |      || ||  |  |  持 明 院  |  |  ||
||      |       |      || ||  |__|_________|__|  ||
||      |       |降三世   || ||  |______虚空蔵院_____|  ||
||微細会___三昧耶会____|三昧耶会__|| ||__|______蘇悉地院_____|__||
|_______________________| |___________ ___________|
            東                         西


 ___________東___________最
| __________ __________ 外
||  |______文殊菩薩_文殊院_|  |院
||  |_釈迦院__釈迦如来_____|  ||
||  |  |   遍智院   |  |  ||
||  |  |____△____|  |  ||
||地 |  |弥勒  宝幢 普賢|  |除 ||
||蔵 |蓮華|         |金剛|蓋 ||
北 院 |部院| 天鼓 大 開敷 |手院|障  南 
||  |  | 雷音 日 華王 |  |院 ||
||  |  中 台 八 葉 院 |  |  ||
||  |  |観音_無量寿_文殊|  |  ||
||  |  |         |  |  ||
||  |__|____持明院__|__|  ||
||  |______虚空蔵院_____|  ||
||__|______蘇悉地院_____|__||
|___________ ___________|
            西

 ___________西___________
| ____________________文様帯
||      |       |      ||
||      |   大日  |      ||
||      |   如来  |      ||
||四印会___|一印会____|理趣会___||
||      |  阿弥陀  |      ||
||      |       |      ||
南|      |宝生 大 不空|      |北
||      |   日 成就|      ||
||      |       |      ||
||供養会___成身会_阿閦__|降三世会__||
||      |       |      ||
||      |       |      ||
||      |       |降三世   ||
||微細会___|三昧耶会___|三昧耶会__||
|_______________________|
            東

参考

        大 日 如 来
           |
    ____六大=宇宙の実体_____
   |                 |
   |  地・水・火・風・空 ・識   |
   |  ア・バ・ラ・カ・キャ・ウン  |
   |  __________ __  |
   |   |         |   |
   |  物質         精神  |
   | 胎蔵界         金剛界 |
   |___理_________智___|
            |
           ←|→
三蜜=宇宙の働き        四曼荼羅=宇宙の現れ
   用大                相大
                大曼荼羅   色彩 宇宙の具体像の現れ
身蜜 身体    印      三昧耶曼荼羅 象徴 宇宙の個別の象徴像の現れ
口蜜 言語/波動 真言     法曼荼羅   梵語 宇宙の波動像の現れ
意蜜 精神的   観想     羯磨曼荼羅  立体 全宇宙の姿そのもの
                

(『空海曼荼羅』49頁参照)

「悟る主体を智と呼び、悟られる対象を理と呼ぶ」(同64頁)

「真の観念はその対象(観念されたもの)と一致しなければならぬ。」(スピノザ「エチカ」第一部公理6)*


参考:エチカ第五部
 定理一〇 我々は、我々の本性と相反する感情に捉えられない間は、知性と一致した秩序に従って身体の変状〔刺激状態〕を秩序づけ・連結する力を有する。
 定理一四 精神は身体のすべての変状あるいは物の表象像を神の観念に関係させることができる。
 定理二二 しかし神の中にはこのまたはかの人間身体の本質を永遠の相のもとに表現する観念が必然的に存する。
 定理三〇 我々の精神はそれ自らおよび身体を永遠の相のもとに認識する限り、必然的に神の認識を有し、また自らが神の中に在り神によって考えられることを知る。
(ドゥルーズ「スピノザと3つの『エチカ』」『批評と臨床』参照)

「エチカの『基本構成』」(工藤喜作『スピノザ』清水書院より)

 _____能産的自然________
|神=自己原因=実体=無限に多くの属性|__思惟の属性___延長の属性
|__________________|
 _____所産的自然_____
|        |直接無限様態|            |運動と静止
|様 |無限様態_|      |_____無限知性___|
|態 |     |関接無限様態|            |全宇宙の形貌 
|の_|            |     認識
|世 |            |      ‖                  
|界 |有限様態        |_____有限観念____有限物体
|_______________|      |        |    
                      想像知     最単純物体     
                      理 性     複合物体=個体 
                      直観知      : 
                              無限に大きな個体
                               ‖      
                              全自然




spinoza ethics



リンク

http://nam-students.blogspot.com/2011/10/blog-post_29.html
マルクス

http://nam-students.blogspot.com/2011/10/blog-post_27.html
カント

http://nam-students.blogspot.com/2011/10/blog-post_18.html
柄谷



   スピノザ

マルクス  カント

    柄谷


付録:
http://www.jewishencyclopedia.com/articles/13964-spinoza-baruch-benedict-de-spinoza









ジャン=クレ・マルタンによればフェルメールの「天文学者」のモデルは、スピノザだという。スピノザの自画像とも似ているとされる。



73 Comments:

Blogger yoji said...

「これ(神)は私に依存していないというだけではない。反対に彼のみが彼について私の主張することの主体なのである。従って他の事物なら、たとえ実際に存 在していなくてもそれについて何らかの主張が出来るのであるが、これは存在しなければそれについて全然何事をも主張することが出来ないであろう。実に彼こ そ他のすべての事物の主体でなければならぬ。」(短論文)


「神の観念を形成する」ということは「神は自然の中に在るものではなく、我々の知性の中にのみ在る。それは知性の作った作品である。」という意味ならば正 しくないと思います。真の信念(理性・推論知)の役割は「我々を明瞭な認識(直観知)へ導き、それに依って神を愛するに至らしめ、かくしてわれわれに我々 の内に在る事物―我々の外に在るをではなく―を知性的に認識させるにある。」(短論文)

「明瞭な認識(理由に基づく確信には存せずして物自身との直接的合 一に存するところの)・・・/真の認識といえども、それに顕現する客体〔対象〕の如何に依って異なる。即ちこの認識は、その合一する客体がよりよきもので あるに従ってそれだけよきものなのである。故に最完全なる実有であるところの神と合一してこれを享受する者が最完全な人間であることになる。」(同上)

12:35 午後  
Blogger yoji said...

空┈┈┈┈_┈┈┈┈┈頭上┈青
風┈┈_( )_┈┈┈眉間┈黒
火┈(     )┈┈┈胸┈赤
水┈_\ z /_┈┈┈臍┈白
地(__\_/__)┈尿道┈黄
「真言者、円壇をまず自体に置け」
(真言の行者よ、自分自身をマンダラとせよ)http://goo.gl/jKBmf

「五輪成身観」(『密教のすべて』花山勝友75頁参照)
4:29 午前

11:17 午後  
Blogger yoji said...

リンク

     スピノザ
プルードン    ヘーゲル
 マルクス 空海 カント
 坂本龍馬    フロイト
      柄谷

7:57 午前  
Blogger yoji said...

シュタイナーによれば、ニーチェはデューリングから永劫回帰のアイデアを得たと言う(シュタイナー『ニーチェ』)。
ニーチェの蔵書のなかにあるデューリングの著書にはニーチェの書き込みが残っているのだ。

ニーチェはデューリングの『厳密な科学的世界観と生命形成論としての哲学教程』(1875年)に対する否定的記述から永劫
回帰の説をあみだしたというのだ(邦訳シュタイナー『ニーチェ』p197)。

まとめるなら、シュタイナーの解釈によればニーチェは、<進化論からは「超人」思想を、そしてエネルギー総和の一定説か
らは「永劫回帰」の思想を生みださざるをえなかった「同時代との闘争者」なのである。>(『ニーチェ』p217解説より)
ということらしい。
ただし、「霊人」ではなく「超人」であるところにニーチェの限界がある(同書p197)。


『道徳の系譜』や『権力への意志』でデューリングは批判されている(『権力への意志』ちくま文庫下巻No.792、307頁、
No.1066、539頁)。


ちなみに、エンゲルスは主にこの本に抗するようにして『空想から科学へ』の前身となる『反デューリング論』(1877年、序論
と社会主義論である第三部が後にまとめられた)を書いた。



http://yojiseki.exblog.jp/9404664/

http://blog.goo.ne.jp/iruma-kai/e/57cc0aa1c280df47554e5736fdbf0719.
若い頃のシュタイナーがゲーテにこだわったのは、シュタイナーがニーチェに共感して、「キリスト教的な倫理感」に違和感を覚えていたからだと思う。実際、若きシュタイナーは、ニーチェの『反キリスト者』という本について、「この本のなかに、私は自分自身の感性を見出すことができた」と述べている。

7:32 午後  
Blogger yoji said...

シュタイナーによれば、ニーチェはデューリングから永劫回帰のアイデアを得たと言う(シュタイナー『ニーチェ』)。
ニーチェの蔵書のなかにあるデューリングの著書にはニーチェの書き込みが残っているのだ。

ニーチェはデューリングの『厳密な科学的世界観と生命形成論としての哲学教程』(1875年)に対する否定的記述から永劫
回帰の説をあみだしたという(邦訳シュタイナー『ニーチェ』p197)。

まとめるなら、シュタイナーの解釈によればニーチェは、<進化論からは「超人」思想を、そしてエネルギー総和の一定説か
らは「永劫回帰」の思想を生みださざるをえなかった「同時代との闘争者」なのである。>(『ニーチェ』p217解説より)
ということらしい。
ただし、「霊人」ではなく「超人」であるところにニーチェの限界があるそうだ(同書p197)。


実際、『道徳の系譜』( II:11)や『権力への意志』(ちくま文庫下巻No.792、307頁、No.1066、539頁)でデューリ
ングは批判されている。


ちなみに、エンゲルスは主にこの本に抗するようにして『空想から科学へ』の前身となる『反デューリング論』(1877年、序論
と社会主義論である第三部が後にまとめられた)を書いた。


ただし、若きシュタイナーは、ニーチェの『反キリスト者』という本について、「この本のなかに、私は自分自身の感性を見出
すことができた」と述べている。

http://blog.goo.ne.jp/iruma-kai/e/57cc0aa1c280df47554e5736fdbf0719

7:41 午後  
Blogger yoji said...

三期生の関本です。

先日(2011/11/23)、Bさんが主催した寄り合い=スカイプ会合で紹介出来なかったので、自分のカリキュラムのイメージをあらためて書かせて頂きます。
カリキュラムと言った場合、自分の提供出来るカリキュラム、自分が習いたいカリキュラム、SBSで示してほしいカリキュラムと3種考えられ、この場では第二を求められているとは思いますが、以下は第三のSBSで示してほしいカリキュラムを書きます。

(先日のスカイプ会合でも話題になったような)興味が広がりすぎて困っている人向けに、事務局はジャンル分けをしてあげるべきだと考えているのです。
大きく言えばスロービジネスの学問体系はいかにあるべきかということでもありますが、単に来るべきポータルサイトのデザインの参考になるかもしれないくらいに受け取っていただけると幸いです。 


さて、インドの思想家サティシュ・クマールの3つのSにならって学問の体系を土soil、魂soul、社会socialの三つにわけ、以下のように全体を考えます。



       /社会
      /__\
     /\ 魂/\
    /__\/__\
   /\      /\
  /__\  土 /__\
 /\  /\  /\  /\
/__\/__\/__\/__\


以下のように考えることもできるでしょうが、

   魂
  /\
 /__\
土    社会

この配置はとりません。

社会の上位に魂を、魂の上位に土を位置づけることで、特殊な価値観を選択していることになります(一長一短あります)。
生命システムの生産物が人間で、人間の生産物が社会という階層を取り入れたということです。
具体的には以下の教科を内部に配置し得ます。


       /社会 (会計、通販技術etc.)
      /__\
     /\ 魂(ダンス、ヨガetc.)
    /__\/__\
   /\      /\
  /__\  土(放射能、農業etc.)
 /\  /\  /\  /\
/__\/__\/__\/__\


個人的に興味のある地域通貨は社会(さらにそのなかの経済の一角)に属します。
また、個人的に履修してみたいヨガは「魂」に、放射能関連知識は「土」に属します。
先日の寄り合いで紹介されたスロー建築などはすべてのジャンルにまたがりますが、とりあえずの工法は「土」に属するでしょう。
もう少し詳細なデザインは今後書かせていただきます。

7:33 午後  
Blogger yoji said...

http://sns.slowbusiness.org/communityTopic/346

http://www.takamin.com/oekakichat/user/oekakichat3.php?userid=192277

7:35 午後  
Blogger yoji said...

http://yojiseki.exblog.jp/i23/

7:41 午後  
Blogger yoji said...

342 :考える名無しさん :sage :2011/12/14(水) 20:32:14.46 0
スピノザ研究者ベスト3は誰でしょうか 私的1位は江川隆男

343 :考える名無しさん :sage :2011/12/14(水) 23:42:40.75 P
柴田寿子
河井徳治
ドゥルーズ

上野修はホッブス研究者だし、國分はまだスピノザの全体を読んでいない。
ドゥルーズ以外にも実証面で重要な研究者は多々いるがドゥルーズ以前と
以後とでは状況がまったく違う。
エチカを全く読んでない人には柄谷の探究2を薦める。

344 :343,追記; :sage :2011/12/14(水) 23:45:27.71 P









福居純などは生真面目にデカルトの体系をなぞっているだけだし、
ドゥルーズ経由の若い研究者はデカルトを知らない
ここに欠落がある

6:47 午前  
Blogger yoji said...

yojiseki.exblog.jp/7291394/参考:ニーチェのスピノザ評ネグリのスピノザ論*は(それまでのスピノザ研究を考慮したという点で)精緻ではあるが、スピノザを評価しながらも後にその感情面の欠如を批判したニーチェに似ているかも知れない。まず、ニーチェはスピノザに最大限の賛辞を贈っている。「僕はすっかりびっくりして、うっとりしているんだ。僕には先駆者がいたんだ、なんという先駆者だろう。僕はほとんどスピノザを知らなかった、僕がいまスピノザを(読んで)認めるまで。………彼の説の五つの主要な点に僕は僕の姿を見た。この最も異質な最も孤独な思想家は、まさに僕にもっとも近いのだ。………つまりだね、高い高い山に登った時のように、ときどき僕の息を苦しくさせたり、僕の血を流させたりした僕の孤独が、すくなくとも(スピノザを読んだ)いまは、二人連れの孤独になったんだ――不思議だね!」(ニーチェ。1881年、オーヴァーベック宛て書簡)』その後、ニーチェはスピノザの神への知的な愛が気に入らなくなってくる(悦ばしき知識333など)。ニーチェは、後にスピノザの神への知的な愛を感情面の肯定である運命への愛へ、コナトゥスを力への意志へと読み替えるのだ。とはいえ、スピノザ=パルメニデスだとしたら、ニーチェ=ヘラクレイトスである(イルミヤフ・ヨベルの説)。両者はニーチェの近親憎悪とお馴染みの通過儀礼によって引き裂かれるにしても思考構造は似ている(このことは対カントという問題意識を想定すると分かりやすいかも知れない)。*先の日記に書名を出さなかった英語版タイトルは以下↓。なおこの英語版は『マルチチュード』の共著者であるマイケル・ハートが翻訳している。ただし、英語版にはドゥルーズの序文は掲載されていない。邦訳には是非収録してほしい。The Savage Anomaly: The Power of Spinoza's Metaphysics and Politics - Antonio Negri追記:スピノザを感情を重視する立場から読み替えたニーチェよりも、老子を契約論的に読み替えた韓非子の態度が参考になるかも知れない。老子は、記述の方向は真逆だが、直観知を重視した点でスピノザとつながるものがある。

9:05 午後  
Blogger yoji said...

http://yojiseki.exblog.jp/7291394/
http://yojiseki.exblog.jp/i19/
参考:ニーチェのスピノザ評

ネグリのスピノザ論*は(それまでのスピノザ研究を考慮したという点で)精緻ではあるが、スピノザを評価しながらも後にその感情面の欠如を批判したニーチェに似ているかも知れない。
まず、ニーチェはスピノザに最大限の賛辞を贈っている。

「僕はすっかりびっくりして、うっとりしているんだ。僕には先駆者がいたんだ、なんという先駆者だろう。
僕はほとんどスピノザを知らなかった、僕がいまスピノザを(読んで)認めるまで。………彼の説の五つの主要な点に僕は僕の姿を見た。この最も異質な最も孤独な思想家は、まさに僕にもっとも近いのだ。
………つまりだね、高い高い山に登った時のように、ときどき僕の息を苦しくさせたり、僕の血を流させたりした僕の孤独が、すくなくとも(スピノザを読んだ)いまは、二人連れの孤独になったんだ――不思議だね!」
(ニーチェ。1881年、オーヴァーベック宛て書簡)』

その後、ニーチェはスピノザの神への知的な愛が気に入らなくなってくる(悦ばしき知識333など)。
ニーチェは、後にスピノザの神への知的な愛を感情面の肯定である運命への愛へ、コナトゥスを力への意志へと読み替えるのだ。
とはいえ、スピノザ=パルメニデスだとしたら、ニーチェ=ヘラクレイトスである(イルミヤフ・ヨベルの説)。
両者はニーチェの近親憎悪とお馴染みの通過儀礼によって引き裂かれるにしても思考構造は似ている(このことは対カントという問題意識を想定すると分かりやすいかも知れない)。


先の日記に書名を出さなかった英語版タイトルは以下↓。なおこの英語版は『マルチチュード』の共著者であるマイケル・ハートが翻訳している。
ただし、英語版にはドゥルーズの序文は掲載されていない。邦訳には是非収録してほしい。
The Savage Anomaly: The Power of Spinoza's Metaphysics and Politics - Antonio Negri

追記:
スピノザを感情を重視する立場から読み替えたニーチェよりも、老子を契約論的に読み替えた韓非子の態度が参考になるかも知れない。
老子は、記述の方向は真逆だが、直観知を重視した点でスピノザとつながるものがある。

9:07 午後  
Blogger yoji said...

「僕はすっかりびっくりして、うっとりしているんだ。僕には先駆者がいたんだ、なんという先駆者だろう。
僕はほとんどスピノザを知らなかった、僕がいまスピノザを(読んで)認めるまで。………彼の説の五つの主要な点に僕は僕の姿を見た。この最も異質な最も孤独な思想家は、まさに僕にもっとも近いのだ。
………つまりだね、高い高い山に登った時のように、ときどき僕の息を苦しくさせたり、僕の血を流させたりした僕の孤独が、すくなくとも(スピノザを読んだ)いまは、二人連れの孤独になったんだ――不思議だね!」
(ニーチェ。1881年、オーヴァーベック宛て書簡)』
(ちくま文庫ニーチェ全集別巻1上500頁より)

9:10 午後  
Blogger yoji said...

ニーチェのスピノザ評:


「僕はすっかりびっくりして、うっとりしているんだ! 僕には先駆者がいるのだ、なんという先駆者だろう! 僕はほとんどスピノザを知らなかった、僕がいまスピノザをもとめたというのは、ひとつの「本能的な行為」であったのだ。彼の傾向がすべて、――認識をもっとも力づよい情熱とする――僕の傾向にそっくりというだけではない。彼の説の五つの主要な点に僕は僕の姿をみたのだ。この最も異質な最も孤独な思想家は、まさに僕にもっとも近い、――彼は意志の自由を否定する、目的を、道徳的世界秩序を、非利己的なものを、そして悪を否定する。………つまりだね、高い高い山に登った時のように、ときどき僕の息を詰まらせたり、僕の血を流させたりした僕の孤独が、少なくともいまは、二人連れの孤独なのだ――ふしぎだね!」
(ニーチェ。1881年、オーヴァーベック宛て書簡。ちくま文庫ニーチェ全集別巻1上500頁より)

ヨベル『異端の系譜』によれば、のちにニーチェの力への意志がスピノザのコナトゥスに、運命愛が知的愛に対抗して提出される。

9:30 午後  
Blogger yoji said...


    スピノザ
プルードン    ヘーゲル
 マルクス 空海 カント
 坂本龍馬    ハイデガー
     柄谷 フロイト
ドゥルーズ    老子
 アドルノ    パーソンズ
 カレツキ ゲゼル
    ライプニッツ
 スポーツ    文学
     ガンジー
     ラカン
     ニーチェ

2:54 午後  
Blogger yoji said...

オントロジー。
この最高のリアリティ(b)は、自己の原因、注意が今指示されるかもしれませんために彼の"倫理"の冒頭で、スピノザによって呼び出され、どちらか一方ですべてのものは存続する(a)物質であり、( "死因隋" )、これは別のもの、または、最後に、(c)の神で、その存在のために依存しないこと。 想像の世界を構成する物事や人の多様性を持つ他のいずれにも、存在しないため、この人間、または原則として、厳格に一つであり、あるいはむしろユニークを接続するためにスピノザの哲学の問題である。 これは彼がOneのさまざまな側面を提示しているの中間の状態を措定しています。 神は、自己に起因する、従って、無限大、無限の側面、または属性を持っている必要があります。 これらの2つだけは、人間的に知られているように、世界をまとめる男、拡張子や思想に知られています。 これらのスピノザの奇妙な心理学では必ずしも意識して、確かにない自己意識はありませんが、これらの属性は、いわば、それらに接続された拡張子やスペースの他、すべての部分は、対応するアイデアや思考、に完全に平行な一つです。 しかし、無限にあるこれらの属性は、それらの物質のように、スピノザのモードによって呼び出され、これらの属性の変更によるものである有限な人間を、構成することはできません。 これらのモードのいくつかの拡張機能の属性の "動き"として、即時無限、永遠であり、思考の属性に "無限知性"。 その他、再度、まだ無限と永遠かかわらず、仲介、これらの拡張機能の分野で宇宙の物質( "相totiusの大学")を構成し、神の無限のアイデアを考えての属性である。 最後に、それが見える - でもなるスピノザの思想は、現実に彼らの主張の存在のための紛争や闘争、システムの一部である、これらのモードの神のこの時点で、その修正に明確かつ一貫性のあることを意味しな​​いことにより、この紛争のです。自己保存( "意欲·セセconservandi")への傾向があるそれぞれの個々の物事や人、を生じさせる。 さらに、神の無限の属性を持つ物質とみなされ、物事の本質をもたらすは、存在のモードへの彼の関係の中で神のに対し、 "ナチュラnaturansを、"と呼ばれる "ナチュラnaturata"と呼ばれます こうしてスピノザによってスケッチ物事の全体のスキームは、おそらく添付図に示されている可能性があります。

個々のもののうち、モード、哲学者に興味のあるチーフ1の変更で構成されたものが心の中で、彼の体、および思考のモードとして、拡張子のモードとしての彼の二重の性質の男です。 それぞれのすべての変更が他の並列の変化で表されますが、これらはいずれも直接には、他に影響を与えることができます。 人間の心をこのような観点から、身体のアイデアとしてスピノザによって現代心理学では一般的であるという概念を考えたが、これは非常にスピノザの時代に衝撃を与えています。 スピノザは身体のアイデアのアイデアとして、自己を説明するために、中途半端な試みをしても個々の魂の結束は、このように、生物の結束に依存して変更されています。 スピノザは、彼らの "魂側は"心で対応する変更を行いながら、外部のものは、これまでのところ、彼らは、身体に接触して来ると、後者の際、文字に感銘を与えると仮定して知識の彼の理論との心のこのビューを兼ね備えています。 しかし、これらの効果により、外部のオブジェクトによって生成されるメカニズムのような無知に、心の変化は外部機関自身に起因している、したがって、これまでのところ彼らは自己保存の傾向に影響を与えるように想像力の誤差を生じる順番に、人間の本性の後にした努力をそらすことの情熱や感情を生じさせる。

スピノザの形而上学システムを示す図。
感情。
スピノザの自然の景色や感情の分類は科学的な簡略化の顕著なインスタンスである。 意欲や、自己保存の傾向を受け、人間の活動へのキーとして、彼は活力を低下させ、すべての痛み、tendingtoが意欲を高めるすべてのもののように喜びを定義します。 喜びを与えるものを得るために、痛みを与える事を撃退する欲望( "cupiditas")、したがって、があります。 しかし、男は一人で喜びや痛みによって動作するように駆り立てていません。 喜びや痛みが関連付けられている考え方は、行動する意欲を生成します。 したがって、スピノザは、それらを生じさせるアイデアによると感情のさまざまなクラスを定義するために有効になっています。例えば、彼は単純に喜び、外部の原因のアイデアを伴う、との考え方によっても伴う痛みと憎しみと愛定義します。外部の原因です。 同情は、慈悲は別の人々同情のために良いを行うためのアイデアですが、再度、別の不幸で痛みを感じている、など約50の感情のリストを上に、すべてのいくつかのアイデアを介して痛みや喜びに関連付けられています。 スピノザは、このように、このアクションを決定する欲求自体はそれを生じさせるアイデアによって決定されるため、完全にすべての自由意志を脇に置くが有効になっている、その横に、並列処理の方式では、心の意志は、単に魂の側です。運動と休息の法則から派生した身体の特定の決定( "倫理"、III 2、奨学金を参照してください)​​。 スピノザは、この厳格な決定論のために多数の利点は、物事の本質と自分の親密な労働組合を実現を通じて幸福の達成を主張し、そうでない自分の力で自分の力や物事の物事の間の区別、すべての不穏な情熱の回避、およびパフォーマンス共通の利益のために合理的な欲求から社会的義務である。


http://www.jewishencyclopedia.com/articles/13964-spinoza-baruch-benedict-de-spinoza

5:18 午前  
Blogger yoji said...

スピノザ書簡38にも賭けについての考察がある。

11:21 午後  
Blogger yoji said...



   |
  \|/
 ー実 体ー
  /|\
延長 | 思惟   属性
(無限の属性) 
 能産的自然  直接的      
   神   
          様態
 所産的自然  間接的
宇宙   観念
\\\|///
 \\|//
  \|/
   個体

11:35 午後  
Blogger yoji said...


   |
  \|/
 ー実 体ー 
  /|\ (無限の属性) 
延長 | 思惟   属性

 能産的自然  直接的      
   神   
          様態
 所産的自然  間接的
宇宙   観念
\\\|///
 \\|//
  \|/
   個体

11:39 午後  
Blogger yoji said...

ネグリ『スピノザとわたしたち』
「力能と存在論ーハイデッガーかスピノザか」邦訳では102頁

Under the same ontological conditions, love愛 takes the place of "care配慮."

Spinoza systematically inverts Heidegger:
to Angst不安 (anxiety) he opposes Amor愛,
to Umsicht配視 (circumspection) he opposes Mens精神,
to Entschlossenheit決意性 (resolution) he opposes Cupiditas欲望
to Anwesenheit現前 (being-present) he opposes the Conatusコナトゥス,
to Besorgen配慮 (concern) he opposes Appetitus衝動,
to Möglichkeit可能性 (possibility) he opposes Potentia力能.

In this opposition, an anti-purposive presence and possibility unite that which different
orientations of ontology divide.
http://brahane-matemia.blogspot.com/2009/02/reflection-is-wrong-with-us_8044.html

7:53 午後  
Blogger yoji said...

       神
肉欲      貞淑 

民衆      社会
     無邪気

iPadから送信

On 2012/06/11,

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%89%E4%BE%AF%E7%88%B5%E5%A4%AB%E4%BA%BA#cite_note-1
サド侯爵夫人・ルネは「貞淑」。厳格な母親モントルイユ夫人は「法・社会・道徳」。敬虔なクリスチャンのシミアーヌ男爵夫人は「神」。性的に奔放なサン・フォン伯爵夫人は「肉欲」。ルネの妹・アンヌは「無邪気、無節操」。家政婦・シャルロットは「民衆」を代表するものとして描かれ、これらが惑星の運行のように交錯しつつ廻転してゆく[2]。

6:04 午後  
Blogger yoji said...

http://yojiseki.exblog.jp/9135357/
道徳経(老子とスピノザ:追記) : 関本洋司のブログ

 

メモ:

老子           スピノザ

      生活態度
受動性を推奨 ←→   能動性を推奨
(43,47,63他)    (第3部定理3他)

       善悪
違いなし   ←→   自由なら存在しない
(20)        (第4部定理68)

       知識
減少を推奨  ←→   正しい知、認識を推奨
(20,48,71)      (第5部定理15,第5部定理24他)

       認識
嬰児たれ   ←→   第三種認識を推奨
(10他)        (第5部定理25他)

       治世(以下を参照)
        ?

老子『道徳経』65章
 古の善く道を為(おさ)むる者は、以て民を明らかにするに非ず。将に以て之を愚にせんとするなり。
http://ryufuu.cocolog-nifty.com/hibinokaze/2007/11/65_084a.html

スピノザ『エチカ』第4部定理17備考
これでもって私は、なぜ人間が真の理性によってよりもむしろ意見(オビニオ)によって動かされるか、またなぜ善および惑の真の認識が心情の動揺を惹き起こしかつしばしばあらゆる種類の官能欲に征服されるかの原因を示したと信ずる。かの詩人の言葉はここから来ている、「我はより善ぎものを見てこれを可とす、されど我はより悪しきものに従う」。伝道者〔ソロモン〕が「知識を増す者は憂患を増す」と言っているのも同じことを念頭に置いたものと思われる。
 しかし私がこうしたことを言うのは、それから無知が知にまさるとか、感情の制御において愚者と智者の間に差別がないとかいうようなことを結論しようと思ってではない。むしろ、理性が感情の制御において何をなしえ、また何をなしえざるかを決定しうるには、我々の本性の能力とともにその無能力をも知ることが必要だからである。
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note4p17

老子『道徳経』74章
民(たみ)死を畏(おそ)れざれば、
奈何(いかん)ぞ死を以て之(こ)れを懼(おそ)れしめんや。
http://home.att.ne.jp/wave/ayumi/Lao/074.htm

スピノザ『エチカ』第4部定理54備考
民衆は恐れを知らない時に恐るぺきものである。
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note4p54n

8:28 午前  
Blogger yoji said...

The face of Benedictus Spinoza
前表紙
Simon L. Millner

7:38 午後  
Blogger yoji said...

スピノザ書簡44に先物取引するタレス
マシュー

10:41 午前  
Blogger yoji said...

Afbeeldingen van Spinozalocaties: Rijnsburg en Den Haag | KB Website
http://www.kb.nl/denker-op-het-scherm/benedictus-de-spinoza/afbeeldingen-van-spinozalocaties-rijnsburg-en-den-haag


Enkele portretten van Spinoza | KB Website
http://www.kb.nl/denker-op-het-scherm/benedictus-de-spinoza/enkele-portretten-van-spinoza

http://www.pastellists.com/Articles/VaillantW.pdf#search='spinoza+vaillant'
VAILLANT, Wallerant
Lille 1623 – Amsterdam 1677

http://spinoza.blogse.nl/log/afbeelding-wolfenbuttel-spinoza-aan-te-schaffen.html
Afbeelding Wolfenbüttel-Spinoza aan te schaffen
Op dit weblog heb ik er jaren geleden wel eens over geklaagd dat er op internet geen 'normale' afbeelding van Spinoza kan worden aangeschaft, behalve dan ingelijste plaatjes van vijandige grafieken of van deze rechter figuur die zeker niet Spinoza voorstelt.
Maar sinds kort is daar verandering in gekomen. BijKunstkopie.nl is onderstaande afbeelding  van Spinoza uit de Herzog August Bibliothek Wolfenbüttel aan te schaffen, op canvas of ander materiaal afgedrukt en voorzien van een zelfgekozen lijst. Kunstkopie.nl heeft de afbeelding van Bridgeman Berlin. U betaalt copy-rechten

Het lijkt me nuttig dat u, bezoeker van dit weblog, daarvan op de hoogte bent.


http://caute.ru/spinoza/galc.htm
portrait
van Hoogstraten, 1670
A drawing on embossed scarper-board
Harold F. Hallett
http://www.worldcat.org/title/face-of-benedictus-spinoza/oclc/609166830?referer=di&ht=edition
The face of Benedictus Spinoza
著者: Simon L Millner
出版: [New York, Machmadim art editions, Inc., 1946]

6:18 午前  
Blogger yoji said...

http://caute.ru/spinoza/gala.htm

prime
gallery
texts
links
project
page
I
II
III

portrait of 1660
Reading Spinoza - Portraits. Gallery I

6:20 午前  
Blogger yoji said...

スピノザ図解のダビデの星は

インドのシュリーアントラに似ている

『非ヨーロッパ起源の数学』319頁以下参照

kulaichev 1984 indian journal of history of science 19

5:42 午後  
Blogger yoji said...

Kulaichev, A. P. 1984. Sriyantra and its Mathematical Properties. Indian Journal of History of Science 19: 279-292.

5:43 午後  
Blogger yoji said...

 <スピノザの哲学は (「人間」的なものの籠絡からの)静かなデタッチメントの哲学だ。すなわち、われわれの身体が物質宇宙の一部分であるように、われわれの思考も無限な思考宇宙 の一部分である。われわれに思考があるのにわれわれがその部分である自然に思考がないとするのは不自然である。われわれの中で事物自身が事物自身について肯定したり否定したりするようになったとき、われわれの精神は「自動機械」となって、自分のいる場所(自然)がずっと「神」であったとわかる。カメラが引いていくと、帰還した地球の故郷が実は惑星ソラリスの変様部分であるのが判明するあのタルコ フスキー監督の「惑星ソラリス」のラストシーンを思い出す。>
(講談社『本』2005年5月号「スピノザから見える不思議な光景」より)
http://www17.plala.or.jp/orion-n/ESSAY2/8.html

9:49 午前  
Blogger yoji said...

http://nam-students.blogspot.jp/2011/04/goethe-studie-nach-spinoza.html


Goethe [Studie nach Spinoza]
「スピノザは神を証明しない。存在が神なのだ。」ゲーテ 1785年6月9日ヤコービ宛の手紙より

「存在と完全の概念は一つであり、まさに同一のものなのだ」ゲーテ 1785年 スピノザ研究(以下原文)冒頭より 
http://www.sciacchitano.it/Psicanalisti/Freud/Goethe%20Studie%20nach%20Spinoza.pdf
(google翻訳)

追記:
ゲーテは1784〜5年の冬にかけて、シュタイン夫人とともにスピノザの『エチカ』を購読(それ以前に『神学政治論』の影響は受けていたらしい)、この時期『スピノザ研究』[Studie nach Spinoza]を夫人に口述筆記させている(『ゲーテとスピノザ主義』大槻裕子著より)。まだヘルダーの影響が強かったという。後年の『詩と真実』第三部第14章などにもスピノザに関しての記述がある。


補記:
邦訳は「哲学的習作」というタイトルで1940年刊行の改造社版ゲーテ全集第25巻にある(全5頁ほど)。その後の刊行は見当たらない。
後のゲーテの論考の中に汎神論の主題は内在化されたというのがこの掌編の邦訳があまり見られない理由だろうか。

(以下、改造社版の松山武夫訳を現代仮名遣いに直した。)



  
  ゲーテ「哲学的習作」1784-5(注:通称「スピノザ研究」)

 存在と完全性の概念は全く同一である。我々がこの概念を極力追求してゆく場合、無限という思想が生じて来ると言える。
 しかし無限者といい、あるいは完全存在というものは我々には考えられない。
 我々が思惟し得るのは、局限されている事物か、さもなくば我々の精神の方で局限する事物 

12:11 午前  
Blogger yoji said...

 しかし無限者といい、あるいは完全存在というものは我々には考えられない。
 我々が思惟し得るのは、局限されている事物か、さもなくば我々の精神の方で局限する事物ばかりである。従って完全存在というものはあっても、我々の限られた精神の力では把握できないと考え得る範囲内に於いて、我々は無限者の概念を持つのである。
 無限者が有限な部分をもつとは言い得ぬ。
 有限存在はすべて無限者の裡に存在するも、それは決して無限者の部分なのではなく、寧ろ無限性に参与するのである。
 何か有限な存在が自力で生存して行くなどとは考えられそうもないが、それにもかかわらず、万物は各々自力で生存しているのだ。生存の事情は鎖の如く彼我連繁し、一は他より発展しなければならぬので、一つの事物は他の事物から生産された如く見えるが、実はそんな物はない。一生物が他のものに生存の動機を与え、一定の状態に於いて存在するということを強いるのである。
 されば生きとし生けるもの総て自体の内部にその存在をもち、かくてまたその存在の規準たるべき調和をもつ。
 ある事物を測定するなどとは大それた行為にも程がある。こんな行為は生命体に対し極く不完全な応用しかできない。
 溌剌たる生命体は外部の何物に依っても測定されるものではない、どうしても測りたいならその標尺を自分で作らねばなるまい。しかしこの標尺たるや頗る精神的なもので、感覚に依っては見出されない。円に於いてすら直径の標尺はそのまま円周には転用されぬではないか。だから人間を機械的に測定せんとし、書家が頭部を標尺の単位にもってこいの部分と見なしたとしても、それは非常に微細な名伏し難い分数を使わなければ人体の残余の部分に適応されない。
 どんな生命体に於いても我々が部分と称しているものは、全体の裡に於いて全体と同時にでなければ考えられぬ程全体と不可分の関係にあり、部分が全体の標尺にも、全体が部分の標尺にも用いられ得ない。されば上に述べた如く、限られた生命体は無限性に参与しているか、さもなければ、寧ろその内部に何か無限なものを所有していると言える。我々は存在の概念及び仮に最も局限された生物でも有している完全性の概念を全的に理解することは出来ないから、一切の存在を裡に包括する巨大な全体と同様に無限であるとしか言えない、と言いたくないならば。
 我々の目につく事物の数は夥しく、我々の精神が把握できるその様態は極度に多様である。内部に伸張の底力をもつ精神は、認識を容易ならしめんがために整頓を始め、享受するために組み合わせたり結合したりし始める。
 したがって我々は、一切の存在とか完全性とかいうものを自分流に考えたり感じたり出来る位、我々の精神内に局限して初めてある事柄を理解するとか享受するとかという口もきけるのだ。
 我々がある様態をいわば萌芽の状態に於いて認知するとして、もしその調和が完全に発展しきっていたらとても全部を一挙に見渡したり感得したりされないだろうと思われるとき、この印象を崇高と名づける。そして之は凡そ人間精神に与えられ得る最も素晴らしい印象である。
 我々の精神の標尺を以てして完全な展開に於いて十分に見渡したり把握できる様態を眺める時、この印象を偉大と呼ぶ。
 生きとし生けるものが自己の様態を内部に有することは上に述べたが、そういうものが個々別々にでも、他のものと結合してでも我々の上に与える印象がその完全な存在からつくられるものでさえあれば、この印象を真実と名付けるのである。そしてこの存在が幾分局限されて我々に把握され易くなっており、また我々も喜んで把握したいと思う様に好みに合っているなら、その対象を美しいと呼ぶ。
 同様なことは、人々がその能力に従い、どんなに豊かなものでも貧しいものでも構わぬが、一個の全体を事物の相互関係から形成し円を完成した様な場合にも起こるのである。彼等は一つの楽しみを見出し得るのに最も好都合と考える所を一番確実なものと思うし、そればかりか、斯様な人たちは他人がなかなか安んじようとせずさらに神秘及び人間的事物の関係を探求し認識せんと努力精進する有様を、満足そうな同情をもって見守り、機会ある毎に、自分達が真実なものの中に見出せる確心こそ一切の証明にも悟性にもまして高いものだという事を控え目にして同時に傲然と覚らせてやるのを、大概の人は目にするであろう。彼等は自分達の内心の羨ましい程の落ち着きと怡悦(いえつ)をいくら誇りに思っていても足りない位で、この幸福こそ究極の目標であることを会う人毎にほのめかすのである。しかし自分達がそもそも如何なる道を通ってこの確心に到ったかも、またその確心の根本は元来何であるかも明快に見定めることは出来ず、ただ確心を確心として物語るばかりであるから、教授に与ろうと躍起になっている者だって、いつも決まって、心情は次第に純一にならねばならぬ、単に一点にのみ心を向け、多様錯綜せる状態から免れよ、かくしてのみ愈々(いよいよ)確実にある状態の中に幸福を見出し得るが、これこそ神が自ら進んで下し給える特別のプレゼントである、などということばかり耳に蛸の出来るほど聞かされていたのでは慰められよう筈がない。
 さて我々流の考え方をすれば、いくら何でもないものをプレゼントと思うわけには行かぬから、この局限を賜り物呼ばわりなどせず、人間は大概どうせ不完全な理解しか出来ないので、自然が人間にその狭所に於いて斯かる満足をもたせてくれたのは全く自然のお情けなのだと考えたいものである。

12:12 午前  
Blogger yoji said...

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E9%81%8D%E5%8F%B2#.E8.81.96.E6.9B.B8.E7.A0.94.E7.A9.B6
普遍史 - Wikipedia


特に「モーセ五書」については、その記述のぶれや執筆時期のばらつきを思わせる表現などから複数の執筆者が手掛けた可能性を指摘され、トマス・ホッブス(『リヴァイアサン』第3部33章)やバールーフ・デ・スピノザ(『神学・政治論』下巻)らが批判を展開した。これらに対しカトリック側から反論を試みたのが、司祭リシャール・シモン(1638年 - 1712年)(en)の『旧約聖書の批判的歴史』だった。彼は預言者とは書記であるという独自の論を主張した。ここで言う書記とは、ユダヤ人の歴史を記録し、編集や保管を担った複数の人々を指した。「モーセ五書」で指摘された問題は、この書記による歴史記述として聖書を見れば不自然ではないと、徹底的な論証を沿えて主張した。そして、他民族の歴史が断片的にしか記載されていないことへの疑問も、基本的にユダヤ史に関連する出来事中心に残されるため、それらが体系的に記述されないのは当然という態度を示した。これらを根拠に、シモンは教会の教義や伝承を重視すべきという主張を行った[6]。

8:47 午前  
Blogger yoji said...


音楽建築原発政治中国歴史分類図像学

文学東洋思想プラトンアリストテレスリンク:::::

8:48 午前  
Blogger yoji said...


The face of Benedictus Spinoza

The face of Benedictus Spinoza


Simon L. Millner
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Machmadim art editions, inc., 1946 - 51 ページ
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スピノザ、カント、仏教等も基準として考察のなかに組み込むべきだろう。

実体ーーーー属性ーーーー様態  スピノザ
イデアーーー人間ーーーイドラ  プラトン
モナドーーー個体化ーーー世界  ライプニッツ
神ーーーーーキリストーー人間  キリスト教
意志ーーーーイデアーーー表象  ショーペンハウアー
ブラフマンー祭祀ーアートマン  バラモン(ヴェーダンタ/サーンキヤ)
無ーーーーー空・悟りーー五蘊  仏教
物自体ーーー範疇ーーーー現象  カント

ショーペンハウアーの書誌研究も大事だが、大胆な仮説も必要だ。

12:18 午前  
 yoji said...
トーマスマン『ブッデッッブローク家の人びと』下
208−9頁新潮文庫
に 
続41章を読む描写がある

5:54 午前  
 yoji said...
スピノザは意志と欲望を2:28備考では分け感情の定義1では同一視する
岩波文庫第三部の註6に詳しいが、その註に反し後者がスタンダードに思える
そのかわり神の欲望と人間の欲望は一致しない

12:45 午前  
 yoji said...
岩波解説で、
スピノザの最初の構想で第四分の公理が複数あったのではないか
というのが興味深い
最新の研究が待たれる

12:46 午前  
 yoji said...
エチカは3:27ラスト
4:37備考1など解釈が分かれるものがある

12:58 午前  
 yoji said...
http://www1.odn.ne.jp/gakuju/kyokai/spinoza.html
ニュース:『エチカ』のマニュスクリプト発見さる

Brill社刊The Vatican Manuscript of Spinoza’s Ethicaの 解説によると、Leen Spruitおよび Pina Totaroにより、バチカンの図書館にて『エチカ』の草稿の初期の写本が発見されたとのことです。草稿はカトリックに改宗したスピノザの元友人、ニールス・ステンセン(ニコラウス・ステノ)の手でローマの検邪聖省(the Roman Holy Office)に1677年9月に手渡されたもので、これはスピノザの『遺稿集』が世に出た1678年よりも前の日付だということです。詳細はこちら。


The Vatican Manuscript of Spinoza’s Ethica
Leen Spruit and Pina Totaro
Brill authors Leen Spruit and Pina Totaro discovered the original manuscript of Spinoza's "Ethica" in the Vatican library. This spectacular discovery attracted a lot of media attention.

NRC Handelsblad,, 26th May 2011
Radio 1, News, 27th May 2011
NOS news, 27th May 2011

The Vatican codex, which contains the complete text of Spinoza’s Ethics, is the only surviving manuscript of this work and constitutes a document of great importance. On 23 September 1677, it was handed over to the Roman Holy Office by Spinoza’s former friend Niels Stensen who had converted to … read more

http://www.brill.com/vatican-manuscript-spinoza-s-ethica

1:01 午前  
 yoji said...
The Vatican Manuscript of Spinoza’s Ethica
著者: Leen Spruit,Pina Totaro


The Vatican Manuscript of Spinoza’s Ethica

1:15 午前  
 yoji said...
The Vatican Manuscript of Spinoza’s Ethica
前表紙
Leen Spruit, Pina Totaro

http://books.google.co.jp/books?id=7swPH5qLrMIC

第4部の公理は現行と同じく1つだった

The face of Benedictus Spinoza

The face of Benedictus Spinoza


Simon L. Millner
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Machmadim art editions, inc., 1946 - 51 ページ
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1:15 午前  
 yoji said...
The Vatican Manuscript of Spinoza’s Ethica
前表紙
Leen Spruit, Pina Totaro

http://books.google.co.jp/books?id=7swPH5qLrMIC

第4部の公理は現行と同じく1つだった

Sriyantra

Sriyantraは下向き(男性的、知恵的)5つ、上向き(女性的、性力)
4つの三角形を組み合わせた瞑想を補助する図形

内から外が創造的
外から中が破壊的
二種の瞑想がある

多数の三角形の中に神の名が書かれる場合もある

11:10 午後  
Blogger yoji said...


http://books.google.co.jp/books?id=eH8sAAAAYAAJ
Spinoza: His Life and Philosophy - Sir Frederick Pollock, Johannes Colerus - Google ブックス

10:00 午後  
Blogger yoji said...

のか。

音楽建築原発政治中国歴史分類図像学

文学東洋思想プラトンアリストテレスリンク:::::

10:01 午後  
Blogger yoji said...


短論文岩波文庫版75頁の「我々に認識されている属性が思惟と延長の二つだけである
ということ」という記述が重要だと思います。
エチカだと、1D6、1P15備考、2P1を読んでも「無限に多くの属性の一つ」というイ
メージが掴みにくいかもしれません。

10:39 午前  
Blogger yoji said...

往復書簡9、岩波文庫51頁、も興味深い。短論文とエチカをつなぐ記述。

「私が或る実有に属性を帰することが多ければ多いだけ私はますます多くそれに存在を帰せ
ざるを得なくなる、換言すれば私はますます多くそれを真実なものと考える」

10:50 午前  
Blogger yoji said...

スピノザの無限2
スピノザは、『エチカ』では無限について、また少し別の説明をしている。
『エチカ』に出てくる最初の図(第1部定理15備考より)では、2本の線が無限に延びるとしたら、BとCのあいだと、既存の線と2種類の無限が外在的に存在してしまい、おかしいと説く。


次の図(第2部定理8備考より)は任意の線であるDとEの矩形*は無限に存在し得ると説く。こちらでは内在的無限の合理性を説明している。
これらは、「神はすべてのものの内在的原因であって、超越的原因ではない」(1:18)という神の説明に関係しており、従来のキリスト教における神の説明との違いは明白である。
二つの図が対になっていることは、記号が順列されていることからも容易にわかる。

*ユークリッド(3:35)が基礎づけとしてある。
http://mis.edu.yamaguchi-u.ac.jp/kyoukan/watanabe/elements/book3/proposition/proposition3-35.htm
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5:14 午前  
Blogger yoji said...


http://euc-elements.matrix.jp/03/E-Elements0335.html
ユークリッド原論をどう読むか(7)
頁末    前    次    目次

ユークリッド原論

第3巻

命題3ー35(いわゆる方べきの定理1)
もし
 円において
 2つの弦が
 互いに交わるならば、
一方の弦の
 2つの部分にかこまれた矩形は
 他方の弦の
 2つの部分にかこまれた矩形に
 等しい。

5:16 午前  
Blogger yoji said...


http://yojiseki.exblog.jp/i19/5/

スピノザの無限


上はスピノザ自身による無限の説明。『書簡12』(書簡50には無限の説明があるが図はない)、『デカルトの哲学原理』に採用されている。
円と円の比率が無限に存在するということは、実体に対して様相が無限に存在するということでもある。
これは、契約における実定法と自然権、歴史における真理と教義、主体における意識と無意識(またはその代理表象)、証明における思惟と延長といった、即時的(同時的)かつダブルバインド的な二項にそれぞれ相当するだろう。
「二つの円」と「二つの円の比率」の関係は、「実体」と「人間に認識できる二つの属性(思惟と延長)」の関係ということもできる。
(参照:『精神の眼は論証そのもの』上野修)
赤線、青線はドゥルーズ、マシュレーによる任意の教義の恣意性の説明に相応する(参照:『ヘーゲルかスピノザか』マシュレー)。

下は『論理学史』(山下正男)p208より。

5:20 午前  
Blogger yoji said...


http://www.rimath.saitama-u.ac.jp/lab.jp/fsakai/he.html

命題[Ⅲ-35,方べきの定理]

円 O 内の1点 P を通る直線と円との交点を Q,R とすれば,積 PQ・PR は直線によらず一定である.


相似三角形を用いる証明ではなく,ピタゴラスの定理を用いて,等式

PQ・PR = 半径2 - PO2

を証明している.

11:24 午後  
Blogger yoji said...

[474]2/5(火)21:42 P↓
マルクスもスピノザの決定論のひとつに過ぎない
そしてスピノザに代表されるユダヤ思想は、
シオニズムとしてではなく市民社会の中で実現、展開されねばならない
ゲットーに矛盾を隠蔽してはならない
今日の中東問題は西欧がスピノザを理解しないことに原因があると言っても過言ではない

4:44 午前  
Blogger yoji said...


http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%9B%AE%E7%9A%84%E8%AB%96+%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%8E%E3%82%B6&ei=UTF-8&fr=applpd
客観的合目的性
もちろんスピノザにおいては、カントにおけるように目的論は単なる統制的原理ではない 。スピノザの能産的自然は、その機能という点からはカントの超越論的統覚=超越論的 客体に相当するが、たんなる現象ではなくて無限実体つまり物自体なのである。
www.systemicsarchive.com/ja/b/teleologische_urteilskraft.html

3:20 午前  
Blogger yoji said...

ハインリヒ・ハイネ『ドイツ古典哲学の本質 』第二巻 ドイツ哲学革命の先駆者。スピノザとレッシング
http://web1.nazca.co.jp/hp/nzkchicagob/DME/ZurGeschichte2.html
 スピノザの生涯が彼の遠縁にあたる神の子イエス・キリストの生涯とおなじようにまったく非難するところなく、きよらかで、けがれないものであったというのはたしかなことである。またスピノザはキリストとおなじように自説をまもるためにくるしみ、キリストとおなじようにいばらの冠をかぶった。偉大な人物が自己の思想を述べるところにはかならず*ゴルガタがあるのである。

9:03 午前  
Blogger yoji said...


http://www33.ocn.ne.jp/~hegellesen/page009.html


SPINOZA  ETHICA

スピノザ エチカ
工藤喜作・斎藤 博 訳
PARS Ⅳ
第4部

De Servitute Humana,
seu de Affectuum Viribus
人間の隷属
あるいは感情の力について

PROPOSITIO XX
定理20

Quo magis unusquisque suum utile quaerere, hoc est, suum esse conservare conatur, & potest, ea magis virtute praeditus est; & contra quatenus unusguisque suum utile, hoc est, suum esse conservare negligit, eatenus est impotens.
 各個人が各自の利益を追求すればするだけ、言いかえれば、各自の存在を保持しようと努力し、しかもそれが可能であればあるだけ、彼は大きな徳に恵まれている。また反対に、各個人が各自の利益を、言いかえれば自己の存在を保持することをおこたるならば、それだけ彼は無力なものである。

DEMONSTRATIO
証明

Virtus est ipsa humana potentia, quae sola hominis essentia definitur (per Defin. 8 hujus), hoc est (per Prop. 7 p. 3), quae solo conatu, quo homo in suo esse perseverare conatur, definitur. Quo ergo unusquisque magis suum esse conservare conatur, & potest, eo magis virtute praeditus est, & consequenter (per Prop. 4 & 6 p. 3), quatenus aliquis suum esse conservare negligit, eatenus est impotens. Q.E.D.
 徳とは、〔この部の定義八により〕人間の本質だけから規定されるような人間の能力そのものである。言いかえれば、〔第三部定理七により〕人間が自分の存在に固執しようとする努力のみによって規定されるような人間の能力そのものである。ゆえに各個人が各自の存在を保持しようと努力し、しかもそれが可能であるならば、彼はそれだけ大きな徳にめぐまれ、またしたがって、〔第三部定理四と六により〕自分の存在を保持するのをおこたるならば、彼は無力者であることをまぬかれない。かくてこの定理は証明された。

Scholium
注解

Nemo igitur, nisi a causis externis, & suae naturae contrariis victus, suum utile appetere, sive suum esse conservare negligit. Nemo, inquam, ex necessitate suae naturae, sed a causis externis coactus alimenta aversatur, vel se ipsum interficit, quod multis modis fieri potest; nempe interficit aliquis se ipsum coactus ab alio, qui ejus dexteram, qua ensem casu prehenderat, contorquet, & cogit versus cor ipsum gladium dirigere; vel quod ex mandato Tyranni, ut Seneca, cogatur venas aperire suas, hoc est, majus malum minore vitare cupiat; vel denique ex eo, quod causae latentes externae ejus imaginationem ita disponunt, & Corpus ita afficiunt, ut id aliam naturam priori contrariam induat, & cujus idea in Mente dari nequit (per Prop. 10 p. 3). At quod homo ex necessitate suae naturae conetur non existere, vel in aliam formam mutari, tam est impossibile, quam quod ex nihilo aliquid fiat, ut unusquisque mediocri meditatione videre potest.
 したがって、外的な原因か、自分の本性に対立する原因によってうちまかされるのでなければ、自分の利益を追求すること、あるいは自分の存在を保持することをあきらめるものはいない。くりかえして言おう。すなわち自分の本性の必然性に従わず、外的な原因にしいられて、食物を拒否したり、あるいは自分自身を滅ぼすようなことをするのである。この自滅行為には、さまざまな仕方がありうる。
 たとえばある者は、たまたま刀をもっていた自分の右の手を他人に押えられ、その刀を自分自身の胸へつきさすようにしいられて自殺する。あるいはセネカのように、暴君の命令で自分の手で自分の血管を切り開くようにしいられて、言いかえればより大きな禍をより小さい禍によってさけようとして、自殺するのである。あるいはまた最後に、隠れた外的な原因がある人の想像力を混乱させ、また身体を刺激して、彼の身体がそれまでの本性に異なる別の本性をもつにいたり、〔第三部定理10により〕そのような身体の観念を精神のどこにも見いだすことができないようになって、ついに自殺するのである。しかし、人間が自分の本性の必然性に従って存在しないように努力したり、あるいは別の形相に変わろうとつとめたりすることは、ちょうど無からは何ものも生じないのと同じように、ありえないことである。これはちょっと反省さえしてみれば、だれにもわかることである。

8:58 午前  
Blogger yoji said...

会報34河村要旨
http://www1.odn.ne.jp/gakuju/kyokai/b34kmura.html
 そして、スピノザのコナトゥスの存在論に対するこの激烈な糾弾の直前の箇所で、レヴィナスはタルムードのある箇所を解釈しながら、自己の存在に固執するという動物的エネルギー、つまりコナトゥスが社会、闘争、敗北と勝利の秘密を握っており、「論理学それ自体の厳密さも、推論する能力や『正しい方向を向いた諸観念』全てが持つ力」もこの動物的エネルギーとしてのコナトゥスに由来しているということを確認しつつも、「このコナトゥスはどんな正当化にも、どんな糾弾 (=告発 accusation) にも無関心」で、「問いを欠いている sans question 」と批判している (『聖句の彼方』 77)。つまり、コナトゥスの存在論においては、自己の存在を保存すること、自己の存在に固執することが至上の命題として、何の疑念もなく無条件に受け入れられ肯定されているということである。

 レイ (Jean-Francois Rey) は、『聖句の彼方』のこのコナトゥス批判を『神学政治論』第16章の自然権としての「自己保存のコナトゥス」について述べられている「各々のものは、それ自身においてある限り、自己の状態に固執しようと努力する (conetur) こと、しかも、それは他のものを顧慮することなくただ自己をのみ顧慮して (注2) そうであるということが自然の最高の法則である」(TTP/XVI/189) という箇所を引きあいに出すことによってスピノザ政治哲学への批判として読み、その根本にあるコナトゥスの「問いを欠いた」性格、他者に対し無関心で、他者からの糾弾=告発訴を受け付けない傲慢な性格を問題にしている (Rey, "Levinas et Spinoza", p.232)。

3:00 午前  
Blogger yoji said...

http://yojiseki.exblog.jp/8953039/
ネグリのスピノザ理解:書評メモ

情況別冊 2009年7月号
68年のスピノザ
http://www.mosakusha.com/newitems/2009/07/20097.html

上記書に所収された、ネグリによるスピノザの一元化を批判した上野修の論考は当たっているが、一方でネグリは『エチカ』を精密に読んでいるのでそうした精密な読みのレベルを無効と宣言している印象を与える危険もある。
『国家論』、『神学政治論』、『エチカ』は上野の言うように還元不可能な三分野を扱っているのでネグリの一元化は危険なのは確かだが、エチカは三者を横断する原理を扱っているからネグリと違う回路を通れば一元化(汎神論)も可能なのだ。
ここでアガンベンが考察したヘブライ語文法要綱も加えて図示したい。

________________
|       |      /|
|デカルトの  |神学   / |
|哲学原理   |政治論 /  |
| (ステート)|(ネーション)|
|国家論    |  /文法論 |
|       | /     |
|_______|/______|
|       |       |
|知性改善論  |       |
|(キャピタル)|       |
|エチカ1   | エチカ2  |
|       |       |
|_______|_______|


エチカの決定論という主題の展開にマルクスの『資本論』があるが、これはエチカ2におけるアソシエーションに繋がるものでは必ずしもない。

「ハイデガーの無にスピノザの充溢が応答する」(p.80)とネグリは詩的かつ政治学的に述べるが、『エチカ』で重要な箇所は柄谷行人が『探求2』で指摘した無限の数学的理解だ。これによって個々の双務的契約に無限の可能性が与えられるのであり(ネグリの表現に倣えば「スピンザの充溢」)、アソシエーションに繋がりえるのである。
1:25 午前
Blogger yoji said...

ハイデガーのスピノザ無視についてデリダがインタビューで語っていたはず
1:27 午前
Blogger yoji said...

http://books.google.co.jp/books?id=mraCffnS9VsC&pg=PA145&dq=spinoza+heidegger+derrida&hl=ja&sa=X&ei=hZV3UfWeLebziwKR6YEY&ved=0CDMQ6AEwADgo#v=onepage&q=spinoza&f=false

paper macine
これか?
1:28 午前
Blogger yoji said...

スピノザに近づいてみる ——「倫理」と「思考」のための60冊+α(再掲 ...
國分功一郎選 スピノザ『エチカ』岩波文庫 言わずと知れたスピノザの主著。はっきり 言って、冒頭から読み始めたために脱落するひとが多い! ...... ジャック・デリダは「 ハイデッガーにおけるスピノザの排除(forclusion)」と言っていました。
ameblo.jp/philosophysells/entry-10965449454.html - キャッシュ
1:40 午前
Blogger yoji said...

Points . .: Interviews, 1974-1994 - 265 ページ

books.google.co.jp/books?isbn=0804724881
Jacques, Derrida, Elisabeth, Weber - 1995 - プレビュー - 他の版
Interviews, 1974-1994 Jacques, Derrida Elisabeth, Weber ... To whatever degree I can subscribe to the Heideggerian discourse on the

去勢
1:50 午前
Blogger yoji said...

Points . .: Interviews, 1974-1994 - Jacques, Derrida - Google ブックス
http://books.google.co.jp/books?id=ydnInqiO_UcC&pg=PA265&dq=foreclosure+derrida+spinoza+heidegger&hl=ja&sa=X&ei=j5x3UZXlG4r9iQLT4YD4Bg&ved=0CDcQ6AEwAA#v=onepage&q=foreclosure%20derrida%20spinoza%20heidegger&f=false
1:51 午前
Blogger yoji said...

ジャック・デリダ 1989 (=1996 鵜飼 哲 訳 「「正しく食べなくてはならない」あるいは主体の計算――ジャン=リュック・ナンシーとの対話」(Nancy, Jean=Luc ed. 1989 Cahires Confrontation 20: Apres Le Sujet Qui Vient, Aubier(=1996 港道 隆 他 訳 『主体の後に誰が来るのか?』,現代企画室)),146-184)
2:00 午前
Blogger yoji said...

forclusion仏
foreclosure英
質流れ

5:06 午前  
Blogger yoji said...

3:34 午前
Blogger yoji said...

Points . .: Interviews, 1974-1994 - 265 ページ

books.google.co.jp/books?isbn=0804724881
Jacques, Derrida, Elisabeth, Weber - 1995 - プレビュー - 他の版
Interviews, 1974-1994 Jacques, Derrida Elisabeth, Weber ... To whatever degree I can subscribe to the Heideggerian discourse on the subject, I have always been a little troubled by ... The foreclosure of Spinoza seems to me to be significant.
3:41 午前
Blogger yoji said...

Points . .: Interviews, 1974-1994 - 265 ページ

books.google.co.jp/books?isbn=0804724881
Jacques, Derrida, Elisabeth, Weber - 1995 - プレビュー - 他の版
The foreclosure of Spinoza seems to me to be significant. Here is a great rationalism that does not rest on the principle of reason (inasmuch as in Leibniz this principle privileges both the final cause and representation). Spinoza's substantialist ...
3:44 午前
Blogger yoji said...

ネグリ『スピノザとわたしたち』
「力能と存在論ーハイデッガーかスピノザか」邦訳では102頁

「スピノザはハイデガーを全面的に転倒させる。」

Under the same ontological conditions, love愛 takes the place of "care配慮."

Spinoza systematically inverts Heidegger:
to Angst不安 (anxiety) he opposes Amor愛,
to Umsicht配視 (circumspection) he opposes Mens精神,
to Entschlossenheit決意性 (resolution) he opposes Cupiditas欲望
to Anwesenheit現前 (being-present) he opposes the Conatusコナトゥス,
to Besorgen配慮 (concern) he opposes Appetitus衝動,
to Möglichkeit可能性 (possibility) he opposes Potentia力能.

In this opposition, an anti-purposive presence and possibility unite that which different
orientations of ontology divide.
http://brahane-matemia.blogspot.com/2009/02/reflection-is-wrong-with-us_8044.html
4:01 午前
Blogger yoji said...

〜に〜を対置するのである。
4:03 午前
Blogger yoji said...



ネグリ『スピノザとわたしたち』
「力能と存在論ーハイデッガーかスピノザか」邦訳では102頁

「スピノザはハイデガーを全面的に転倒させる。
 
  …に…を対置するのである。」

Under the same ontological conditions, love愛 takes the place of "care配慮."

Spinoza systematically inverts Heidegger:
to Angst不安 (anxiety) he opposes Amor愛,
to Umsicht配視 (circumspection) he opposes Mens精神,
to Entschlossenheit決意性 (resolution) he opposes Cupiditas欲望
to Anwesenheit現前 (being-present) he opposes the Conatusコナトゥス,
to Besorgen配慮 (concern) he opposes Appetitus衝動,
to Möglichkeit可能性 (possibility) he opposes Potentia力能.

In this opposition, an anti-purposive presence and possibility unite that which different
orientations of ontology divide.
http://brahane-matemia.blogspot.com/2009/02/reflection-is-wrong-with-us_8044.html

4:04 午前
Blogger yoji said...





ネグリ『スピノザとわたしたち』
「力能と存在論ーハイデッガーかスピノザか」邦訳では102頁

「スピノザはハイデガーを全面的に転倒させる。」
 
愛は配慮の場を占める。

Under the same ontological conditions, love愛 takes the place of "care配慮."

  「…に…を対置するのである。」


Spinoza systematically inverts Heidegger:
to Angst不安 (anxiety) he opposes Amor愛,
to Umsicht配視 (circumspection) he opposes Mens精神,
to Entschlossenheit決意性 (resolution) he opposes Cupiditas欲望
to Anwesenheit現前 (being-present) he opposes the Conatusコナトゥス,
to Besorgen配慮 (concern) he opposes Appetitus衝動,
to Möglichkeit可能性 (possibility) he opposes Potentia力能.

In this opposition, an anti-purposive presence and possibility unite that which different
orientations of ontology divide.
http://brahane-matemia.blogspot.com/2009/02/reflection-is-wrong-with-us_8044.html
4:07 午前
Blogger yoji said...

同様の記述が講演録
「スピノザの反近代」
邦訳『68年のスピノザ』78頁

にある。
4:14 午前
Blogger yoji said...



同様の記述が講演録
「スピノザの反近代」
邦訳『68年のスピノザ』78頁

にある。

「スピノザはハイデガーを全面的に転倒させる。」
 
愛は配慮の場を占める。


  「…に…を対置するのである。」
4:24 午前

5:06 午前  
Blogger yoji said...

スピノザ『エチカ』より:

第一部定義六 
「神とは、絶対に無限なる実有、言いかえればおのおのが永遠・無限
の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体、と解する。」
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note1d6

第一部定理25備考
「一言で言えば、神が自己原因と言われるその意味において、神はまたすペての
ものの原因であると言われなければならぬ。」
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note1p25n

第四部序言(中段)
「…神あるいは自然…」
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note4pr

2:01 午前  
Blogger yoji said...


大黒、ヘーゲル的にはこちら、



              1実体
               /\
              /無限\
             /_無限定_\
    ________/_2a属性__\________
    \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
     \   悪/___2b様態\_____\善   /  
      \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
       \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
       /\対象/ /_\/_\ \認識/\
     所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
     /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
   神/______\___\/_第三種認識____\自然
            \ 4理性  /   
             \    /
              \_徳_/
               \/
              5自由

             平和安全平等
               神学
   資本          国民           国家
            アソシエーション
               自由

     身体                   精神

こちらもあり得る、


             平和安全平等
               神学
   国家          資本           国民
            アソシエーション
               自由


7:00 午後  
Blogger yoji said...

「スピノザはハイデガーを全面的に転倒させる。」
(「力能と存在論ーハイデッガーかスピノザか」『スピノザとわたしたち』ネグリ、
邦訳では102頁)

以下、ネグリの指摘をリストにしてみる。

 A        B
ハイデガー    スピノザ
 不安       愛
 配視       精神
 決意性      欲望
 現前       コナトゥス
 配慮       衝動
 可能性      力能


要はハイデガーのAにスピノザはBを対置するというのである。
「愛は配慮の場を占める」という指摘もあるようなので必ずしも左右は一対一対応
ではないらしい。
同様の記述が講演録「スピノザの反近代」(邦訳『68年のスピノザ』78頁)
にもある。
これらはハイデガーを先に読んでいた現代の読者がスピノザから受ける衝撃を上手く
説明するものかも知れない。

5:00 午前  
Blogger yoji said...


ハイデガー自身はスピノザにほとんど言及しなかったことが指摘されている。

それをデリダは「ハイデッガーにおけるスピノザの排除(forclusion)」と言っ ていた。
(「正しく食べなくてはならない」あるいは主体の計算――ジャン=リュック・ナンシーとの対話」
『主体の後に誰が来るのか?』参照)

5:07 午前  
Blogger yoji said...



電子書籍 iTunes :
ワイド版世界の大思想 第1期〈5〉カント 1/2
カント & 高峯一愚 ¥3,400
「純粋理性批判」全
https://itunes.apple.com/jp/book/waido-ban-shi-jieno-da-si/id862363667?mt=11

2/2
カント, 樫山欽四郎 & 坂田徳男 ¥3,400
「実践理性批判」全、「判断力批判」全、「永久平和論」
https://itunes.apple.com/jp/book/waido-ban-shi-jieno-da-si/id862415218?mt=11





哲学, ブック, ノンフィクション
2004年9月1日
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「純粋理性批判」は理性自身による理性能力の批判を試みて認識問題を根拠づけた歴史的著者であり、人間をして自然の立法者たらしめた最初のもの。これに「実践理性批判」「判断力批判」をあわせて、いわゆるカントの三批判書を完全収録し「永久平和論」を加えた。
〈収録タイトル〉
純粋理性批判 ※この電子書籍は、オンデマンド本「ワイド版世界の大思想」を底本としております。
どのメールリストにも登録されていません。
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ザックは華麗なパスサッカーで世界を驚かせたいのだろうが
ジーコと同じで高さの必要性を考えていないのはおかしい
栗原か豊田は必要だった
コーナーキックを守るイメージがどうしてもわかない
近年、コーナーキックは戦術的に重要になっている
バイエルンを破ったアトレティコは囮を一瞬速くニアでジャンプさせている
守備側としてはニアに背の高い選手を置きたい
吉田はエースをマークさせるから人数が足りない
FW3人を相手自陣に戻らせないのがクライフの先方だが
これはキーパーが優秀でないと成り立たない

スピノザ各書籍の図解を並べるとスピノザの思考の全体像がわかりやすいだろう。

スピノザ『神学・政治論』
        ________自然6
       |   宗教の目的: |
       |    /服従13、|
       |   /  \ 神学|
       |  / (1~15)|
       | /      \ |
       |/ ______ \|    
       | |奇蹟6   | |
    マイモニデス7     | |\
    (超自然的力→比喩)  | | \
    /  | |_預言者__| |  \
   /   | 法4=|=契約12、17 \
  /    |  表象能力2   |    \
 /_____|__________|_____\
       |__国家の___哲学15、政治(16~20)
          目的:自由 理性15、19
             20

スピノザ『エチカ』
            1実体
            /\
           /無限\
          /_無限定_\
 ________/_2a属性__\________
 \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
  \   悪/___2b様態\___\善   /  
   \  /\悲しみ_/\_喜び /\  /  
    \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
    /\対象/物体_\/_観念\認識/\
   /所産的自然_身体欲望精神__\/  \  
  /  延長\ 受動3感情/能動 /思惟  \能産的
神/______\___\/_第三種認識____\自然
         \ 4理性  /   
          \    /
           \_徳_/
       |____\/____|
            5自由


スピノザ『国家論』
         目的:平和安全1:6、5:2
   悪\                /善4:1
   恐怖\     民主国家11   /希望3:3
      \____________/
   越権行為\   貴族国家8〜10(8:27くじ引き8:30元老院4百人)
   4:3、4\________/
         \ 君主国家6〜7(6:15顧問官)
      4:1最高権力  権利(法)2:19、3:5、理性3:6、7
___________\__/_______________
   自然状態、自然権 \/ 
   3:2      本性,本能1:7、6:1

3:57 午前  
Blogger yoji said...


スピノザ各書籍の図解を並べるとスピノザの思考の全体像がわかりやすいだろう。

スピノザ『神学・政治論』
        ________自然6
       |   宗教の目的: |
       |    /服従13、|
       |   /  \ 神学|
       |  / (1~15)|
       | /      \ |
       |/ ______ \|    
       | |奇蹟6   | |
    マイモニデス7     | |\
    (超自然的力→比喩)  | | \
    /  | |_預言者__| |  \
   /   | 法4=|=契約12、17 \
  /    |  表象能力2   |    \
 /_____|__________|_____\
       |__国家の___哲学15、政治(16~20)
          目的:自由 理性15、19
             20

スピノザ『エチカ』
            1実体
            /\
           /無限\
          /_無限定_\
 ________/_2a属性__\________
 \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
  \   悪/___2b様態\___\善   /  
   \  /\悲しみ_/\_喜び /\  /  
    \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
    /\対象/物体_\/_観念\認識/\
   /所産的自然_身体欲望精神__\/  \  
  /  延長\ 受動3感情/能動 /思惟  \能産的
神/______\___\/_第三種認識____\自然
         \ 4理性  /   
          \    /
           \_徳_/
       |____\/____|
            5自由


スピノザ『国家論』
         目的:平和安全1:6、5:2
   悪\                /善4:1
   恐怖\     民主国家11   /希望3:3
      \____________/
   越権行為\   貴族国家8〜10(8:27くじ引き8:30元老院4百人)
   4:3、4\________/
         \ 君主国家6〜7(6:15顧問官)
      4:1最高権力  権利(法)2:19、3:5、理性3:6、7
___________\__/_______________
   自然状態、自然権 \/ 
   3:2      本性,本能1:7、6:1

3:58 午前  
Blogger yoji said...


スピノザ各書籍の図解を並べるとスピノザの思考の全体像がわかりやすいだろう。

スピノザ『神学・政治論』
        ________自然6
       |   宗教の目的: |
       |    /服従13、|
       |   /  \ 神学|
       |  / (1~15)|
       | /      \ |
       |/ ______ \|    
       | |奇蹟6   | |
    マイモニデス7     | |\
    (超自然的力→比喩)  | | \
    /  | |_預言者__| |  \
   /   | 法4=|=契約12、17 \
  /    |  表象能力2   |    \
 /_____|__________|_____\
       |__国家の___哲学15、政治(16~20)
          目的:自由 理性15、19
             20

スピノザ『エチカ』
            1実体
            /\
           /無限\
          /_無限定_\
 ________/_2a属性__\________
 \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
  \   悪/___2b様態\___\善   /  
   \  /\悲しみ_/\_喜び /\  /  
    \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
    /\対象/物体_\/_観念\認識/\
   /所産的自然_身体欲望精神__\/  \  
  /  延長\ 受動3感情/能動 /思惟  \能産的
神/______\___\/_第三種認識____\自然
         \ 4理性  /   
          \    /
           \_徳_/
       |____\/____|
            5自由


スピノザ『国家論』
         目的:平和安全1:6、5:2
   悪\                /善4:1
   恐怖\     民主国家11   /希望3:3
      \____________/
   越権行為\   貴族国家8〜10(8:27くじ引き、8:30元老院4百人)
   4:3、4\________/
         \ 君主国家6〜7(6:15顧問官)
      4:1最高権力  権利(法)2:19、3:5、理性3:6、7
___________\__/_______________
   自然状態、自然権 \/ 
   3:2      本性,本能1:7、6:1

3:58 午前  
Blogger yoji said...

スピノザ各書籍の図解を並べるとスピノザの思考の全体像がわかりやすいだろう。

スピノザ『神学・政治論』
        ________自然6
       |   宗教の目的: |
       |    /服従13、|
       |   /  \ 神学|
       |  / (1~15)|
       | /      \ |
       |/ ______ \|    
       | |奇蹟6   | |
    マイモニデス7     | |\
    (超自然的力→比喩)  | | \
    /  | |_預言者__| |  \
   /   | 法4=|=契約12、17 \
  /    |  表象能力2   |    \
 /_____|__________|_____\
       |__国家の___哲学15、政治(16~20)
          目的:自由 理性15、19
             20

スピノザ『エチカ』
            1実体
            /\
           /無限\
          /_無限定_\
 ________/_2a属性__\________
 \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
  \   悪/___2b様態\___\善   /  
   \  /\悲しみ_/\_喜び /\  /  
    \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
    /\対象/物体_\/_観念\認識/\
   /所産的自然_身体欲望精神__\/  \  
  /  延長\ 受動3感情/能動 /思惟  \能産的
神/______\___\/_第三種認識____\自然
         \ 4理性  /   
          \    /
           \_徳_/
       |____\/____|
            5自由


スピノザ『国家論』
         目的:平和安全1:6、5:2
   悪\                /善4:1
   恐怖\     民主国家11   /希望3:3
      \____________/
   越権行為\   貴族国家8〜10(8:27くじ引き、8:30元老院4百人)
   4:3、4\________/
         \ 君主国家6〜7(6:15顧問官)
      4:1最高権力  権利(法)2:19、3:5、理性3:6、7
___________\__/_______________
   自然状態、自然権 \/ 
延長 3:2      本性,本能1:7、  思惟
                 6:1

4:01 午前  
Blogger yoji said...

 以下、神学政治論岩波文庫上より

第5章 諸々の祭式が制定された理由について。又史的物語への信憑について、
換言すればそうした信憑が何故に、又如何なる人々のために必要であるかについて


「キリスト教が禁止されている国に住んでいる者はそうした祭式を差し控えなければな
らぬのであるが、それにも拘らずその人間は幸福に生活し得るであろう。こうした例は
日本国においてみられる。」第五章187ー8頁

10:36 午後  
Blogger yoji said...

第五章

…キリスト教が禁じられている国に暮らす人は、こうした儀礼を行わないよう義務付けられる。それでも彼らは幸福に生きられるのだ。この例は日本という王国に見出せる(18)。この国ではキリスト教が禁じられているから、この地に暮らすオランダ人たちは東インド会社の命により、あらゆる外的な礼拝を行わないよう義務付けられているのである。


神学・政治論(上) (光文社古典新訳文庫) 電子書籍: スピノザ, 吉田 量彦

Kindle:
http://www.amazon.co.jp/dp/B00PRK11PG
iBooks :
https://itunes.apple.com/jp/book/shen-xue-zheng-zhi-lun-shang/id942883345?mt=11

3:13 午前  
Blogger yoji said...

神学・政治論 下 光文社文庫

20:09
ひとが国に対する誠意をもっているかどうかは、神に対する信仰をもっているかどうかと同じく、当人の[単なる意見ではなく]行いを見てみないと分からない。つまりその人が、隣人に愛情深く接しているかどうかを見てみないと分からない。もしこのことにも注意を払うなら、哲学する自由を誰にでも認めている国家体制こそ最善の国家体制であることは、誰がどう見ても明らかとなるだろう。この自由は、わたしたちが示してきた、信仰が誰にでも認めているはずの自由と同じものなのである。

[十]正直に言っておくと、たしかに、こうした自由から不都合が生じる時もある。しかし、不都合が何一つ生じる時もある。しかし、不都合が何一つ生じえないほど賢く組み上げられた制度など、かつて一度でも存在したことがあったろうか。
20:10
すべてを法律によって定めようとする人は、悪癖を正すよりもむしろ呼び起こしてしまうだろう。禁じるのが不可能なことは、たとえそこから往々にして害悪が生じるとしても、やはり認めるしかないのである。たとえば見栄やねたみや貪欲や泥酔や、その他似たようなことからどれほどの災いが生じることだろうか。にもかかわらず、こうしたことは大目に見られている。これらは本当に悪癖だけれども、法律上の命令で禁じるのが不可能だからである。だとすると判断の自由は、なおのこと認められなければならない。こちらは間違いなく美徳であり、しかも抑圧することができないからである。

8:10 午前  
Blogger yoji said...

鷲田小彌太
スピノザの方へ
163参照

上記後半はマルクスが抜書した部分

8:12 午前  
Blogger yoji said...

神学・政治論 下 光文社文庫

20:10
すべてを法律によって定めようとする人は、悪癖を正すよりもむしろ呼び起こして
しまうだろう。禁じるのが不可能なことは、たとえそこから往々にして害悪が生じ
るとしても、やはり認めるしかないのである。たとえば見栄やねたみや貪欲や泥酔
や、その他似たようなことからどれほどの災いが生じることだろうか。にもかかわ
らず、こうしたことは大目に見られている。これらは本当に悪癖だけれども、法律
上の命令で禁じるのが不可能だからである。だとすると判断の自由は、なおのこと
認められなければならない。こちらは間違いなく美徳であり、しかも抑圧すること
ができないからである。

10:58 午前  
Blogger yoji said...


すべてを法律によって定めようとする人は、悪癖を正すよりもむしろ呼び起こして
しまうだろう。禁じるのが不可能なことは、たとえそこから往々にして害悪が生じ
るとしても、やはり認めるしかないのである。たとえば見栄やねたみや貪欲や泥酔
や、その他似たようなことからどれほどの災いが生じることだろうか。にもかかわ
らず、こうしたことは大目に見られている。これらは本当に悪癖だけれども、法律
上の命令で禁じるのが不可能だからである。だとすると判断の自由は、なおのこと
認められなければならない。こちらは間違いなく美徳であり、しかも抑圧すること
ができないからである。

神学・政治論 下 光文社文庫 20:10

10:59 午前  
Blogger yoji said...

このコメントは投稿者によって削除されました。

11:01 午前  
Blogger yoji said...

正直に言っておくと、たしかに、こうした自由から不都合が生じる時もある。しかし、
不都合が何一つ生じえないほど賢く組み上げられた制度など、かつて一度でも存在し
たことがあったろうか。

11:43 午前  
Blogger yoji said...


正直に言っておくと、たしかに、こうした自由から不都合が生じる時もある。しかし、
不都合が何一つ生じえないほど賢く組み上げられた制度など、かつて一度でも存在し
たことがあったろうか。
すべてを法律によって定めようとする人は、悪癖を正すよりもむしろ呼び起こして
しまうだろう。禁じるのが不可能なことは、たとえそこから往々にして害悪が生じ
るとしても、やはり認めるしかないのである。たとえば見栄やねたみや貪欲や泥酔
や、その他似たようなことからどれほどの災いが生じることだろうか。にもかかわ
らず、こうしたことは大目に見られている。これらは本当に悪癖だけれども、法律
上の命令で禁じるのが不可能だからである。だとすると判断の自由は、なおのこと
認められなければならない。こちらは間違いなく美徳であり、しかも抑圧すること
ができないからである。

神学・政治論 下 光文社文庫 20:10

10:50 午前  
Blogger yoji said...

「国家論に関して私とホッブズとの間にどんな相違があるかとお尋ねでしたが、その相違は次の点にあり
ます。即ち私は自然権を常にそっくりそのまま保持させています( semper sartumtectum conservo )。
従って私は、どんな都市の政府も力において市民にまさっている度合に相当するだけの権利しか市民に対
して有しないものと考えています。自然状態においてはこれが常道なのですから。」*

*書簡50(1674年6月2日付のイエレス宛書簡)、『スピノザ往復書簡集』、畠中尚志訳、岩波文庫、
237-238頁。スピノザは『神学政治論』第16章の傍注(ⅩⅩⅩⅢ)でもホッブズの名を挙げて、ホッブズの
説との対比で自説の特色を述べている(岩波文庫上301−2頁)。

11:00 午前  
Blogger yoji said...

「国家論に関して私とホッブズとの間にどんな相違があるかとお尋ねでしたが、その相違は次の点にあり
ます。即ち私は自然権を常にそっくりそのまま保持させています( semper sartumtectum conservo )。
従って私は、どんな都市の政府も力において市民にまさっている度合に相当するだけの権利しか市民に対
して有しないものと考えています。自然状態においてはこれが常道なのですから。」*

*書簡50(1674年6月2日付のイエレス宛書簡)、『スピノザ往復書簡集』、畠中尚志訳、岩波文庫、
237-238頁。スピノザは『神学政治論』第16章の傍注(ⅩⅩⅩⅢ)でもホッブズの名を挙げて、ホッブズの
説との対比で自説の特色を述べている(岩波文庫上301−2頁)。
下?

11:03 午前  
Blogger yoji said...



「スピノザはハイデガーを全面的に転倒させる。」
(「力能と存在論ーハイデッガーかスピノザか」『スピノザとわたしたち』ネグリ、
邦訳では102頁)

以下、ネグリの指摘をリストにしてみる。

 A        B
ハイデガー    スピノザ
 不安       愛
 配視       精神
 決意性      欲望
 現前       コナトゥス
 配慮       衝動
 可能性      力能


要はハイデガーのAにスピノザはBを対置するというのである。
「愛は配慮の場を占める」という指摘もあるようなので必ずしも左右は一対一対応
ではないらしい。
同様の記述が講演録「スピノザの反近代」(邦訳『68年のスピノザ』78頁)
にもある。
これらはハイデガーを先に読んでいた現代の読者がスピノザから受ける衝撃を上手く
説明するものかも知れない。
5:00 午前
Blogger yoji said...


ハイデガー自身はスピノザにほとんど言及しなかったことが指摘されている。

それをデリダは「ハイデッガーにおけるスピノザの排除(forclusion)」と言っ ていた。
(「正しく食べなくてはならない」あるいは主体の計算――ジャン=リュック・ナンシーとの対話」
『主体の後に誰が来るのか?』157頁参照)

7:21 午後  
Blogger yoji said...



「スピノザはハイデガーを全面的に転倒させる。」
(「力能と存在論ーハイデッガーかスピノザか」『スピノザとわたしたち』ネグリ、
邦訳では102頁)

以下、ネグリの指摘をリストにしてみる。

 A        B
ハイデガー    スピノザ
 不安       愛
 配視       精神
 決意性      欲望
 現前       コナトゥス
 配慮       衝動
 可能性      力能


要はハイデガーのAにスピノザはBを対置するというのである。
「愛は配慮の場を占める」という指摘もあるようなので必ずしも左右は一対一対応
ではないらしい。
同様の記述が講演録「スピノザの反近代」(邦訳『68年のスピノザ』78頁)
にもある。
これらはハイデガーを先に読んでいた現代の読者がスピノザから受ける衝撃を上手く
説明するものかも知れない。


ハイデガー自身はスピノザにほとんど言及しなかったことが指摘されている。

それをデリダは「ハイデッガーにおけるスピノザの排除(forclusion)」と言っ ていた。
(「正しく食べなくてはならない」あるいは主体の計算――ジャン=リュック・ナンシーとの対話」
『主体の後に誰が来るのか?』157頁参照)

7:23 午後  
Blogger yoji said...

スピノザとデリダ(:メモ)
http://yojiseki.exblog.jp/8762350

デリダはハイデガーを批判的に受け継いでいると言われるが、ハイデガーと同じくスピノザへの言及は少ない。
スピノザと同じユダヤ人異教徒=マラーノでも戦略が逆なのだ。

批判哲学を受け継ぐハイデガー=デリダのラインは、時間軸を大切にする。
一挙に(幾何学的に)真理を把握するスピノザのような実在論は危険なのだ。スピノザの哲学を導入すればハイデガー、デリダの哲学は一瞬で終わってしまう。極端に言えば、ハイデガーはスピノザを無視することで膨大な講義が可能となり、デリダもスピノザを無視することで物書きとして延々と書き続けられたのだ。

しかし、原理的に外部のないデリダのエクリチュールが体現するのは、後述するように、スピノザ的心身並行論以外の何ものでもない。

歴史的にはニーチェはスピノザに親近感を覚え、ヘーゲルはスピノザの心身並行論を一挙に解消しようとし、ラカンはスピノザの決定論と平行論を精神分析の基礎に据えるなど、スピノザはカント的批判哲学の外部からは常に宵の明星のような座標であった。

こんな重要な存在をどうして無視して来たかと言えば、スピノザを安易に援用するとそこで差異が解消し、発生論的な矛盾が解消されてしまうからであるからだが、両者が真逆であるがゆえに、ここにある種の歴史の皮肉が見出せる。

つまり、フッサールにおける発生論の取り扱いを論ずるデリダは自らの生の条件を負の条件から逆に照射しているが、逆にテクストに外部がないというデリダのテクストは(ドゥルーズとは違って)外部と連結するスピノザのテクストとは正反対であるがゆえに、スピノザ哲学はデリダを明確に浮き彫りにするのだ。

「いかなる物も、外部の原因によってでなくては滅ぼされることができない。」(『エチカ』3:4)

テクスト内部においてそこに内在する権力をひっくり返そうとするデリダの脱構築はハイデッガーの存在論史の読み直し(=解体、『存在と時間』より)を受け継いだものであるが、これはスピノザの言う物質が持続して存在しつづけようとする性質(=努力、コナトゥス)を浮かび上がらせる。
むしろディコンストラクションとは、行為としては終わることのないコナトゥス(努力)そのもののことだと言ってもいい。スピノザの終わることのない心身並行論は、デリダのテクストにこそそのサンプルを見出す。

ハーバーマスとさえ共闘したデリダは「理性に導かれる人間」として「共同の決定にしたがって生活する国家」(『エチカ』4:73)を統整的に求めたし、そのために戦ったことにおいてはスピノザと同じだと言えるし、その存在は異なるポジションにおいてお互いを照射し合う。

デリダの死は、デリダをそのテクストから引きはがし、デリダを生物学的にユダヤ人としてスピノザと同じ引き出しに入れるだろうが、デリダのテクストは、スピノザのテクストの逆を表現するものとして隣同士に並べてもいいかも知れない。


追記:
本文と関係ありませんが、デリダの遺言の画像を紹介しす。


http://churchandpomo.typepad.com/conversation/2006/12/derridas_last_w.html

自動翻訳
「ジャックは、儀式と演説を望みませんでした。彼は、経験から、この仕事を引き受ける友人にとってつらいだろうということがわかっています。彼は、私にあなたに来たことに対して礼を言って、あなたを祝福するよう頼みます。あなたが彼に彼と分担する機会を与えた多くの幸せな瞬間だけについて考えるために、彼はあなたに悲しまないように嘆願します。

私のために微笑んでください、私が終わりまであなたのために微笑みます、と彼が言います。

いつも生を謳歌し、絶えず生き残りを主張してください...

私はあなたを愛しています、そして、私のいる場所から微笑みます。」
http://pds.exblog.jp/pds/1/200910/02/41/a0024841_2121330.jpg

http://yojiseki.exblog.jp/8762350

7:27 午後  
Blogger yoji said...

forclusion とは、取っておくとか、入れないでおくという意味のフランス語の名詞で、当の取っておかれたもの自体は forclos といいます。 つまり schizophrenia の根底には forclusion という構造的な原因が潜んでいる、というのがラカンの主張です。2012/08/04
seminaire201208 of ユーロクリニーク文化部公式サイト
euroclinique-dc.com/seminaire201208f.html

7:29 午後  
Blogger yoji said...

 以下、スピノザ『神学・政治論』 (光文社古典新訳文庫) より
Kindle: http://www.amazon.co.jp/dp/B00PRK11PG
iBooks : https://itunes.apple.com/jp/book/shen-xue-zheng-zhi-lun-shang/id942883345?mt=11

《…キリスト教が禁じられている国に暮らす人は、こうした儀礼を行わないよう義務付
けられる。それでも彼らは幸福に生きられるのだ。この例は日本という王国に見出せる*。》
(上巻第五章)

*極東におけるオランダの交易相手として、スピノザは日本という非キリスト教国の存在
だけでなく、日本でのオランダ商人たちの暮らしぶりについてもある程度のことを知って
いたらしい。宗教儀礼にこだわらないことで開かれる異教徒・異教国との交流可能性を
説明する好例として、スピノザは本書後半でもう一度日本のことを引き合いに出している。

《もし、至高の支配権を手にしているのが異教徒たちだったら、次の二通りの考えがあり
うる。…たとえばキリスト教国を支配している人たちは、自国の安全を高めるためなら、
トルコ人などの異教徒たちと同盟を結ぶことをためらわない。また現地滞在に赴く自国民
たちには命令を出し、人事であれ神事であれ、両国間ではっきり取り決めているか、現地
政府がはっきり認めている以上の自由を求めないよう促しているのである。これは前に
述べておいた、オランダ人と日本人の取り結んだ協定からはっきり分かる。》
(下巻第十六章二十二節)

ちなみに17章以下は憲法9条をめぐる問題と関連し得る。

7:58 午前  
Blogger yoji said...

スピノザの「神学・政治論」は本当におすすめ。
スピノザはオランダ人で、つまり、江戸時代の日本と貿易のあった国の人なんです。
それで、そこにはキリスト教を知らない日本人が礼儀正しくしているので、
必ずしもキリスト教を知らなくても礼儀や道徳は学べるとしています。
たぶん、蘭学の一冊なんですよ。ヨーロッパでは発禁本になった本ですし、
アインシュタインが「スピノザの神なら信じてもいい」といってる神学なので、
文系理系ともに必読です。

ただし、「プラグマティズム」という思想があり、それは科学を肯定し、かつ神を肯定する思想ですが、
スピノザの神学はその原型といえるものであり、現在の欧米のキリスト教徒は「プラグマティズム」という思想が
主流になっているので、要注意する必要があります。
「プラグマティズム」と無神論はちがいます。スピノザは「プラグマティズム」です。

現代日本では東浩紀がプラグマティストとして有名ですね。

7:46 午前  

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