金曜日, 2月 22, 2013

文学:インデックス

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ハインリヒ・ハイネ - (Christian Johann Heinrich Heine, 1797 - 1856)
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TS Eliot :: Ash Wednesday

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百人一首歌織物説



Lawrence Ferlinghetti - ローレンス ファーレンゲティ(ファリンゲッティ)
プルースト:メモ(下書き)
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NAMs出版プロジェクト: 変身物語関連
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"Je est un autre." ― Arthur Rimbaud (13 mai 1871) 「私は他者である。」ランボー
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ゲーテ Epigrammatisch エピグラム風に 警句的 より
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ロラン・バルト:メモ
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小松左京ショートショート
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諸星大二郎「遠い国から」
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文豪相関図
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円朝
夜明け前 島崎藤村
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宮沢賢治 農民芸術概論綱要
武田泰淳
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グールド朗読『草枕』The-Three-Cornered-World_1981.
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Does Consciousness Exist? (Essays in Radical Empiricism) 

『日本批評大全 』2017 渡部直己[編著] 目次
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折口信夫の文学史「日本文学系図」
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『古文解釈のための国文法入門』(松尾總、研究社学生文庫、昭和27)序説より
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NAMs出版プロジェクト: スピノザと日本古典文法
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源氏物語関連:「源氏物語絵合・胡蝶図屏風」

NAMs出版プロジェクト: 芭蕉.com/奥の細道全国マップ
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A Japanese Thoreau of the Twelfth Century / Minakata Kumagusu and F. Victor Dickins/NOTES FROM A JO-SQUARE HUT.
『方丈記』英訳 南方熊楠 ビクター・ディキンズ (1905年)
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『森の生活』と東洋思想:メモ(転載)
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カテゴリ:文学 ( 9 )
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百人一首の分類:改訂版
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徒然草絵抄より
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トルストイ
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サルトル(1905-1980)とドゥルーズ(1925-1995):メモ
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ハムレット To be, or not to be
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NAMs出版プロジェクト: 蘇東坡
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「変容する様式:ラディカルに向って」(柄谷行人、石原慎太郎との対談、『すばる』1989年9月号)より
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 小林秀雄について:メモ
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中島敦「和歌ではない歌(うたではないうた)」(wikiへのリンク付き)
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bob dylan,"as you like it"(ボブ・ディランによるシェークスピア「お気に召すまま」部分朗読)
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NAMs出版プロジェクト: ダンテ『神曲』とイスラム文化:メモ再掲
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NAMs出版プロジェクト: What's the difference?:再々投稿
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オーデンの詩論
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Eric Hoffer pt. 1 of 5
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ドストエフスキー関連
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NAMs出版プロジェクト: 手塚治虫『ブッダ』
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NAMs出版プロジェクト: 米澤嘉博 「コミケ」を支えた男
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NAMs出版プロジェクト: 「お金がわいて出た話」
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白土三平 2017

NAMs出版プロジェクト: シャーロック・ホームズ
https://nam-students.blogspot.jp/2017/07/blog-post_4.html
江戸川乱歩



黒澤明
KUROSAWA Akira NHK 1981 0101
『戦争と平和』『白痴』を語る。
https://youtu.be/xqcglKFBMog

ひるまえほっと20151021

125 Comments:

Blogger yoji said...

言語学:
チョムスキーとカント(『たんなる理性の限界内における宗教』)
 http://nam-students.blogspot.jp/2012/10/blog-post_3416.html

8:50 午後  
Blogger yoji said...


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130428-00000528-san-ent
「シェークスピアの本性は守銭奴」英国研究者ら衝撃リポート
産経新聞 4月28日(日)14時46分配信
 さて、今回は珍しく文学のお話です。もはや説明は要らないと思いますが、「ハムレット」や「リア王」といった歴史的な傑作で知られ、英国ルネサンス後期にあたる16世紀末から17世紀に活躍した英の劇作家ウィリアム・シェークスピア。「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」「輝くものすべて金にあらず」といった多くの名言でも知られる彼ですが、実は飢饉(ききん)に乗じて自分の不正蓄財に走ったうえ、脱税の疑いなどで起訴され、刑務所行き寸前だったことが英研究者らの調査で明らかになったのです。

 ■カネ、カネ、カネ…本当に“食えない野郎”

 貧しい人々の立場に立ち、彼らの権利を擁護するため数々の名作を世に送り出したといわれる彼ですが、今回、明かされたもうひとつの顔は、代表作「ベニスの商人」に登場する非情な金貸しシャイロック顔負けの笑えない金の亡者ぶりだったのでした…。

 3月31日付英紙デーリー・メール(電子版)やAP通信など欧米メディアが一斉に報じていますが、今回の研究結果を発表したのは英西部ウェールズにあるアベリストウィス大学で中世・ルネサンス文学を教えるジェーン・アーチャー教授と、同僚のリチャード・マルクグラフ・ターリー教授、ハワード・トーマス教授の3人です。

 中世・ルネサンス文学の専門家である3人は、裁判所や税務署に残されていた当時の記録を詳しく調べ、これまで知られていなかった“悪徳商人”としてのシェークスピアの横顔を浮かび上がらせる作業を続けたと言います。

 3人は「われわれは、見過ごされがちな彼のビジネスマンとしての手腕を学ばない限り、彼の作品を完全に理解することはできない」と説明します。確かに。作家の人となりを理解することで、作品の真の意図や細部の解釈もさらに深まるというものです。

 そんな思いから導き出された今回の研究成果ですが、それによると、シェークスピアが作品群を発表した16世紀末から17世紀の欧州は、異常な寒波のなか激しい雨が降り続く“小氷河期”で、穀物はまともに育たず食糧不足が顕在化する飢饉状態が長く続いたそうです。

 そんな時代に彼は、故郷の街ストラトフォード・アポン・エイヴォンを含むイングランド中部ウォリックシャーで最も有力な地主であるという自身の立場を利用し、麦芽や大麦、トウモロコシといった穀物を買い占め、15年以上にわたって近隣住民や商人に法外な値段で転売したというのです。人の弱みに徹底的につけ込みまくるとんでもない悪徳地主ですね。

 彼が穀物の値段をつり上げたため、多くの人が長年、困ったことは言うまでもありません。ところが彼は、こうした悪徳商法で得た利益で今度は土地をどんどん購入。大儲けしているくせに税金はビタ1文払わず不正蓄財に奔走。揚げ句の果てに、余剰資金で貸金業まで行い始めたといいます。何なのでしょうね。このお金への異常な執着ぶりは。

 ■娘ともトラブル…「贖罪」が生んだ名作

 そのため彼は1598年2月、穀物の不正蓄財と脱税の疑いで当局から起訴され、刑務所行き寸前のところまで追い詰められましたが、罰金刑で何とか逃れたといいます。刑務所にぶち込まれていれば、脱税なんかにまつわる別の名作が生まれていたかもしれませんね…。

 そしてアーチャー教授らは、今回の研究成果について、1608年ごろに執筆されたシェークスピア悲劇末期の作品で、貴族の無神経な振る舞いに不満を募らせていたローマ市民たちが、食糧不足を機に暴動を起こす「コリオレイナス」をはじめとする彼の作品群の解釈に新たな光を照らすものであると説明します。

 とりわけ「コリオレイナス」はこれまで、彼の生存中の1607年に英国中部で実際に起こった食料危機への抗議活動との関連性が指摘されてきましたが、アーチャー教授は「(穀物の買い占め・転売といった)自分の行いへの罪の意識を反映させた作品」との新解釈を唱えています。

 また、今回の研究では、悪徳商売で大儲けしたお金に関し、相続問題で実の娘と大もめにもめたことも明らかになっており、こうした体験が、娘に追い出された父王の孤独を描く「リア王」に反映されていると分析しています。

 歴史的な傑作群を生み出したシェークスピアですが、お金への異常な執着心と、まさに金のためなら手段を選ばないといった感じの悪徳商売の手口をここまで明かされると、何だかがっかりしますよね。

 今回の研究結果を知って、そういう人々が増えることを懸念したのか、アーチャー教授は「ロマンチックで繊細な芸術家という従来のシェークスピアのイメージにそぐわないからといって、彼を厳しく非難すべきではない」と弁明。さらに「穀物の買い占めは、収穫に失敗した際、自身の家族や近隣住民を飢えから救う手段でもある」と説明しています。

2:07 午前  
Blogger yoji said...

http://www13.atpages.jp/shimapucchi/newpage23.html

☆旧字体 一覧表☆

旧字体の定義ははっきりしておらず、辞書によっても結構差が見られるのですが、

当用漢字が整備されていく前に"正字"として使われていたもの(現在では新字体が正字だと考えてもよさそうですが)といえるのでしょうか??

Unicodeに含まれる旧字体(多くは「常用漢字表」などに示されているもの)は、比較的文字化けしにくい数値文字参照(10進数)という方法で記述しています。

Unicodeに含まれない旧字体は画像で示してあります。(一部CJK互換漢字(外国の規格の漢字も含む)に旧字体っぽいもの(たまたま字体が一致?)があるので、それは一応示しておきます。)
☆旧字体クイズ☆もあるよ(●^o^●)

※Javascriptが有効な環境では意外と複雑な検索(絞り込みや並び換え)ができます。

いろいろ入力して遊んでみてください∧v∧/

6:28 午前  
Blogger yoji said...



2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50 [PR]FLASHゲームコミュニティー「モゲラ」[PR]
【文芸】病弱でなかった宮沢賢治、小学校時代の成績は10教科オール「甲」
1 : ◆GinGaOoo.. @銀河φ ★:2013/05/18(土) 14:10:27.18 ID:???0
病弱でなかった宮沢賢治、10教科オール「甲」

 「銀河鉄道の夜」などの作品で知られる宮沢賢治(1896~1933年)の小学校時代の成績や、
身長、体重が記載された学籍簿が、出身地の岩手県花巻市の母校で見つかった。

 5、6年時は皆勤賞で過ごし、10教科すべてが最高評価の「甲」。
成績自体はこれまでも指摘例があったが、後年は病床につくことが多かった賢治が、
幼少期では快活、元気で文武共に優秀だったことが学校資料で改めて裏付けられた。

 学籍簿は今の「指導要録」で、学習状況などが記録され、学校が保管し指導などに役立てるための原簿。
A4判よりやや小さく、表紙に「明治四十一年四月花城(かじょう)尋常高等小学校尋常科男児学籍簿」と記載されている。
3~6年時の成績や、4~6年時の出欠状況、身体特徴などが記入されている。

 5、6年時の教科は「修身(道徳に相当)」「国語」「美術」「日本歴史」「地理」「理科」
「図画」「唱歌」「体操」「操行(行儀、態度)」の10教科。すべてが最高の「甲」だった。

 身長は当時の小学生の平均並み。身長と体重は4年生で「一二二」センチ、「二三・〇五」キロだったが、
6年生では「一三三・九」センチ、「二九・〇」キロに成長。体格は「中」から「強」となった。
この後、進学校の旧制盛岡中学校(現・盛岡一高)に入学した。

 学籍簿の存在は知られていたが、不明になっていた。
賢治が在籍していた市立花巻小学校(当時の花城尋常高等小学校)に今年4月、
赴任した今野充雅校長が校長室の金庫の中から発見した。
紙箱に入った1909~18年の卒業児童学籍簿の中からみつかった。

花巻小学校の校長室の金庫から見つかった宮沢賢治の学籍簿。
「第六学年」の欄には「甲」が並んでいる(岩手県花巻市提供)
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20130518-336649-1-L.jpg

YOMIURI ONLINE (2013年5月18日13時25分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20130518-OYT1T00485.htm

12:00 午前  
Blogger yoji said...


http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/48223_32261.html
大礼服の例外的効果

宮沢賢治

こつこつと扉を叩いたのでさっきから大礼服を着て二階の式場で学生たちの入ったり
整列したりする音を聞きながらストウヴの近くできうくつに待ってゐた校長は 低く
 よし と答へた。
 旗手が新らしい白い手袋をはめてそのあとから剣をつけた鉄砲を持って三人の級長
がはいって来た。校長は雪から来る強い反射を透して鋭くまっさきの旗手の顔を見た。
それは数週前いきなり掲示場にはりつけられた〔〕われらはわれらの信ぜざることを
なさず といった風の宣言めいたものの〔〕十幾人かの聯名のその最后に記された富
沢であった。

12:00 午前  
Blogger yoji said...

【ナイジェリア】 「現代アフリカ文学の父」チヌア・アチェベ氏死去[13/03/23]
1 :納豆サイコーφ ★:2013/03/23(土) 16:23:17.84 ID:???
【3月23日 AFP】
「現代アフリカ文学の父」として知られるナイジェリアの作家、チヌア・アチェベ(Chinua Achebe)氏が、
22日までに死去した。82歳だった。家族が22日、発表した。アチェベ氏は最近、病気を患っていたという。

同氏は1958年に発表した代表作「崩れゆく絆(Things Fall Apart)」で、
出生地であるナイジェリア南東部の伝統的なイボ(Igbo)文化と英国の植民地支配との衝突を描いた。
同小説は世界で1000万部以上売れ、50か国語に翻訳されている。

アチェベ氏はまた、ナイジェリア当局の腐敗を断固批判してきた。
同氏は1967年にナイジェリアからの独立を宣言したビアフラ(Biafra)地域の出身で、
ビアフラを強く支持していた。独立宣言から1970年まで続いた内戦では、100万人が死亡している。

アチェベ氏は近年、大学教授として米国に住み、最近ではロードアイランド州(Rhode Island)の
ブラウン大学(Brown University)で教鞭をとっていた。
また1990年の交通事故で車椅子生活となって以降、渡航が制限されていた。

南アフリカのマンデラ財団(Mandela Foundation)が発表した声明では、アチェベ氏は21日に
死去したとされている。声明によると、ネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)氏は、
アチェベ氏は「一緒にいると刑務所の壁が崩れ落ちる」ような作家だったと話していたという。
(c)AFP/ M.J. Smith, Ben Simon
http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2935324/10482156

1:59 午前  
Blogger yoji said...

484: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/05/05(日) 11:53:33.21 ID:u1XUDaB50
ロリコンとペドは明確に違う。ナボコフと、国内なら谷潤の「痴人の愛」でも読んで勉強しとけ。
幼児性愛はペドだ。子供に純粋と服従を期待する糞いまいましい征服欲がペドだ。成熟し権力を持った
男性が年端もいかない少女の知性と精神に尊敬をもって屈服するのがロリコンだ。

12:07 午前  
Blogger yoji said...

avantcesoir09さん

http://kansaimallarme.hp.infoseek.co.jp/kansai_mallarme/engekihoron... より
"...正統であることの難しさ...『ル・シッド』は、やはりフランス古典劇のシンボルと言えよう。......
粗筋 ドン・ロドリーグとシメーヌは相愛の仲であるが、それぞれの父親が結婚を承認した後、二人の間に諍いが生じ、シメーヌの父はロドリーグの父、ドン・ディエーグに平手打ちを食わせ、ディエーグは老年故に侮辱を雪ぐことが出来ない。彼は息子に敵討ちを命じ、ロドリーグは愛を取るか、名誉を取るかの選択を迫られ、せめて名誉を救う道を選ぶ。彼は復讐を遂げた後、シメーヌに自らを裁くように請うが、彼女は拒む。死を求めるロドリーグは戦場に赴くが、武勲を得て戻り、ル・シッドの称号を得る。武勲に免じて彼を許すように取り計らう王の命を拒んだシメーヌは、果し合いの勝者に自らを託すことを宣言し、ロドリーグは、ドン・サンシュと決闘を行う。戻ったサンシュを目にしたシメーヌは、ロドリーグの死を信じ、自らの変わらぬ愛を打ち明け、サンシュとの結婚を免じるように請い願うが、王は誤解を解き、二人の結婚を承認する。..."

9:16 午後  
Blogger yoji said...

エルシド
 チャールトン・ヘストン主演による、救国の英雄エル・シドの生涯を描いた大スペクタクル大作。11世紀、スペインはムーア人の侵略に日々脅かされていた。そんな中若き勇将エル・シドは、恋人であるシメンの父を死に至らしめ、また王位継承の争いに巻き込まれ追放の身となってしまう。しかしその後、スペインに存亡の危機が訪れる……。ヘストンが絶頂期にあった頃製作された作品で、「ベン・ハー」に匹敵しようかという歴史スペクタクル映画の傑作。3時間強の上映時間ながら、様々な人間関係、政治抗争などを力強く描き、見応えは十分。ヘストン演じるエル・シドが、体に剣を突き刺されたまま馬に乗って海岸を走って来るラストシーンが印象深い。

9:18 午後  
Blogger yoji said...

白樺派はアナキズム
志賀直哉も必然に対して偶然を突きつける、または発見する
暗夜行路における出生
城の崎にてにおける生死
小僧の神様における神

すべて偶然が描かれている
だがその筆致は身体的確信に満ちている
まるで腰が座ったHRバッターが
あらゆる変化球に対応出来るように

11:19 午後  
Blogger yoji said...

白樺派の本質はアナキズム
志賀直哉も必然に対して偶然を突きつける、または発見する
暗夜行路における出生
城の崎にてにおける生死
小僧の神様における神

すべて偶然が描かれている
だがその筆致は身体的確信に満ちている
まるで腰が座ったHRバッターが
あらゆる変化球に対応出来るように

11:20 午後  
Blogger yoji said...

原稿用紙というホームベースの上を
通った事象にしか手を出さない

11:22 午後  
Blogger yoji said...

 

サキノハカといふ黒い花といっしょに
革命がやがてやってくる
ブルジョアジーでもプロレタリアートでも
おほよそ卑怯な下等なやつらは
みんなひとりで日向へ出た蕈のやうに
潰れて流れるその日が来る
やってしまへやってしまへ
酒を呑みたいために尤らしい波瀾を起すやつも
じぶんだけで面白いことをしつくして
人生が砂っ原だなんていふにせ教師も
いつでもきょろきょろひとと自分とくらべるやつらも
そいつらみんなをびしゃびしゃに叩きつけて
その中から卑怯な鬼どもを追ひ払へ
それらをみんな魚や豚につかせてしまへ
はがねを鍛へるやうに新らしい時代は新らしい人間を鍛へる
紺いろした山地の稜をも砕け
銀河をつかって発電所もつくれ

http://why.kenji.ne.jp/sonota1/n1056sakkino.html

6:08 午後  
Blogger yoji said...

手塚治虫が描いた「在日」 - GAGAZINE(ガガジン)
http://gaagle.jp/gagazine/print.php?kiji_id=4805

「ながい窖」(サンデー毎日1970年11月6日増刊号掲載)。大企業の重役を勤める在日朝鮮人(作中では帰化朝鮮人という設定で、帰化朝鮮人と在日朝鮮人は厳密には違うが、便宜上、在日朝鮮人としておく)の苦悩を描いた作品だ。

 私はこんな作品を手塚が描いていたことをまったく知らなかった。というのも本作は手塚治虫漫画全集や無数にある文庫本には収録されていない。サンミリオンコミックス『空気の底』下巻(1972年刊)にのみ収録されているが、絶版である。但し古本屋では比較的安価で買える。私も1500円程度で購入した。※付記7

 手塚プロダクションのwebサイトでも、名前は載っていても作品解説はない。インターネット上でも少数のサイトしか触れていないし、世に数多ある手塚研究書でも本作が大きく扱われたことはないようである。

 以下はあらすじである。ネタバレ注意。

 大企業・長浜軽金属の専務取締役である森山尚平(トップ画像の男)。部下に慕われる気風のいい男だ。娘と息子と妻に囲まれた家庭も円満。彼は元々は「趙」という姓の朝鮮人であったが、今は帰化して日本国籍を取得している。だが、差別や迫害を恐れるあまり、それを周囲には徹底的に隠している。朝鮮人であったこと(あること)は、森山の心において深いトラウマとなっており、焼肉屋に誘われるだけで眩暈を起こすほどである。また、永住権取得朝鮮人を、朝鮮人だからという理由だけで、会社の面接で落としたこともある。自分が朝鮮人だと思われたくないために、朝鮮人を差別したのだ。

 ふと夜の街で、森山は在日同胞の金文鎮(トルコ風呂の主人)と再会する。金とは第二次世界大戦中、日本軍により岐阜県瑞浪の戸狩山に強制連行され、地下壕(ながい窖)を掘らされていた時以来の仲だ。終戦後、ブローカーをやり、土地の売買で金をもうけ、二人は今の地位を築いた。

 森山と金は酒を酌み交わす。すると、金は「女房の親戚の除を匿って欲しい」と森山に持ちかける。除は、4回も日本に密入国しては強制送還された経験があり、今回は大村収容所(現・大村入国管理センター)から脱走したのだという。

森山「そんなのはきみのほうでなんとかしたれ」
金「それがやな………“北”なんで………………」
森山「そしたらよけいかんけいないやろ!」

 だが、森山は友誼に折れ、厄介者(朝鮮人という出自に苦悩している上、社長の椅子が目前になっている森山にとっては厄介者以外の何物でもない)の青年・除英進(下の画像)を暫くの間匿うことになる。

 除が日本に密入国をした理由は「生き別れのオモニに会いたい」という一心だけであり、一目会えたら帰国していいと思っている(朝鮮民主主義人民共和国に帰りたい奴なんているか? ということは、今の我々だから考えられるのであって、1970年の手塚は朝鮮民主主義人民共和国の惨状など想像もできなかっただろう)※付記4。その除の親を想う心に、森山の娘・亜沙子は惹かれていく。森山はこれも面白くない。森山は朝鮮語が喋れない。※付記8 森山の子供も喋ることができない。その前で平然と朝鮮語を話す除に、森山は甚だしく苛立つ。

 除のオモニらしき人物は、亜沙子の協力もあって見つかる。だが、除と亜沙が「オモニ」の働く託児園に近づくと、除を捜査していた刑事が待ち構えていた。焦って逃げる二人は、トラックの前に飛び出てしまい、事故死する。

 霊安室に駆けつけた森山。
検視官「森山さん…あなたのおじょうさんですか?」

 泣き叫ぶ妻の横で、森山は涙一つ見せず言う。
森山「ちがいます………………私の友人の娘さんです」

 亜沙子の弟の久は、そこまでして「自分が帰化朝鮮人であること」を隠そうとする父親が許せない。「ねえさんはきっと泣いてますよ。実の親なのに娘と呼んでくれなかったのはなぜだって……」

 逆上する森山。それが久を尚更怒らせる。

 久は父親への反抗心と、急激に芽生えた朝鮮民族としてのアイデンティティをむき出しにし、朝鮮高校への転入を決意する。

 久は「朝鮮民族と日本人とはある程度理解しあってる――すくなくとも日本人はぼくらに遠慮があるはずだ」だからこそ正々堂々と朝鮮人だと名乗るべきだと考えている。そうして、朝鮮学校での「愛国的」な教育も受けていく。

 その結果、久はやがて日本人の不良とのケンカ(というよりも凄絶なリンチ)により、半死半生の重態に陥る。

 森山は久が搬送された病院からの知らせに「その子は…たぶん…うちのせがれではありません……いや…そ そういうわけでもないのです 知人の子どもなのです 私の息子が朝鮮学校へいってるわけがないじゃありませんか……」と涙ながらに嘘をつく。

 森山は、久を半殺しにした不良の通う学校の校長に直談判して釈明を求める。しかし校長は森山の出自を見抜き「朝鮮人がひとりやふたりなぐられた そんなことで全校生徒をよび出してしらべられますか!」「たかが朝鮮人のことで責任もてというんですかね? 冗談じゃない」とはねつけ、「さ もうお帰り下さい なんならあなたの会社へ 電話して ぶちまけてもいいですがね つまり………………あなたの素性をだ」と脅す。

 最終ページの1コマ。


8:11 午後  
Blogger yoji said...

―――――――――――――――――――――――――

 さて、全体的に話の筋が急展開の連続めいている雰囲気があって(特に後半)、本来ならばこれは単発読みきりではなく前後編あるいは3回ほどの短期連載でまとめるべきだったとは思う。手塚の短篇の中でも、純粋にマンガとしての完成度はそれほど高いものではあるまい。

 但し、そのメッセージ性は現代の我々にも強いものがある。自らの出自に誇りを持てない在日朝鮮人、出自を隠すために同じ朝鮮人を差別する弱さ。その背景にある日本人からの陋劣な蔑視。さらに日本の戦争責任さえも問いかける。

「アドルフに告ぐ」や「ジョーを訪ねた男」など、ユダヤ人や黒人への差別を扱った手塚作品は知名度が高い。だが、何故朝鮮人差別を扱った本作が、全集に再録さえされず、殆ど封印作品と同じような扱いになっているのか。

 確かに、本作に登場する朝鮮人は、善男善女が好む「カワイソウな、完全被害者としての朝鮮人」とは半歩ずれている。朝鮮人が朝鮮人を差別したり、トルコ風呂のオーナーとして性的搾取をしているという描写に都合が悪い人はいるだろう。あるいは、「こんな風に日本人を悪く描くな! 悪いのは全部朝鮮人だ!」と叫ぶ方面の善男善女にも都合が悪いだろう。※付記5 そのために復刻されないのだろうか? 誰かが圧力をかけているとしたら唾棄すべきことだし、手塚プロダクションあるいは出版社の自主規制だとしたら残念なことである。無論手塚自身が「この作品は封印する」と言っていたのならばその意向は尊重すべきではあるが。

 呉智英は手塚治虫の創作姿勢を「すべての価値観への不信」としたが(『現代マンガの全体像』『サルの正義』)、手塚はステレオタイプな「気の毒な朝鮮人」という価値観にも不信の念を抱いていたが故に、このような描き方にならざるを得なかったのではないか(勿論その半面で、被差別者への同情・慈しみの心が多大にあったことなど、くだくだしく言うまでもないことである)。

 いずれにしろ、40年前の在日朝鮮人の状況を知る上での貴重な資料であり、また今なお在日朝鮮人問題が大きなしこりとなっている中、改めて復刻されて読まれるべきだと強調しておく。

「在日朝鮮人を描いたマンガ」の情報提供は今後も募集しています。よろしくお願いします。
(文責・岸本元。画像は著作権法32条に基づく引用の範囲内と考えるが、勿論手塚プロダクションから抗議があれば画像は消します)

付記1 完成度が低いから再録されなかったという意見は、私は採らない。失敗作と自身で認定した「サンダーマスク」や、なんとも陰惨で救いのないとした「ボンバ!」なども全集に収録されているからである。

付記2 1970年前後の手塚作品の絵には表現主義あるいはそれに前後する時期の美術の影響があると私は見ているのだが(特に「ボンバ!」ではマルク・シャガール、エドヴァルド・ムンクの引用がある)、これについて誰かが指摘している論文等があればご教示いただければ幸いである。本作も強制労働やリンチのような残虐なシーンを敢えてそういった美術の手法で描いている様子がある。

付記3 「徐英進」ではなく「除英進」と一貫して表記されている。一般的な朝鮮姓なら「徐」であるが、誤植かどうかは不明。

付記4 この点、2つほど指摘を受けたので見せ消ち。一つは1970年の朝鮮民主主義人民共和国は大韓民国と比較して必ずしも劣悪な経済状況ではなかったので帰国はあり得るということ。もう一つは「たとえ劣悪な祖国であってもそこに帰りたいと思うのは自然な心理でありそれを否定するのはどうか」ということで、前者はその通り、私が無知でした、すみません。後者も、私はそういう心情をまったく持たないが、理解は出来る。私の誤解や内なる差別心を剔抉してくれた人には感謝している。

付記5 赤字は11月12日付追記。「右からの圧力だろう」という推理がブクマコメントにあったが、たしかにそういう説も否定は出来ない。そういうことに思いが至らなかったのは私の偏見であろう。深く反省しておく。なお、原稿紛失の可能性もある。

付記6 11月13日付でコメント欄閉鎖。まさかこんなに酷いことになるとは思わなかった。もうすっかり私は嫌になってしまった。文句があるならメールで直接言って来るように。looksthatkillあっとmail.goo.ne.jp

付記7 閉鎖したコメント欄で指摘してくれる人がいましたが(こういう有益なことも消さざるを得なかったのは陳謝致します)、あくまでも1972年の版であり、1978年の改訂新版には未収録とのこと。この6年の間に何があったのかはまた別途調査の余地があるが、ともあれ、間違えて改訂新版を買わないように。なお、比較的安価で買えるとしたのは11月上旬に「日本の古本屋」「スーパー源氏」などで検索しての話で(私は四国の古本屋に直接注文した)、どういうわけか今では在庫が払底している模様。今後、復刻されない限り古書価の高騰が予想される。国立国会図書館には架蔵されている。

付記8 「在日1世が朝鮮語を喋れないというのはあり得るのか」という疑義の指摘を受けた。確かに、作中、森山は娘や息子が喋れないとは言っているが、自分が喋れないとは言っていない。但し頑なに日本語を使い、徐にも日本語で話すことを要求している。指摘のように「使用可能だが、決してそうしようとはしない」というような気はする。(11月17日)

付記9 作中に出てくるハングル(チョソングル)に少々誤字があるように思う。朝鮮語に堪能な人、ハングルに精通する人が読んで指摘するのを待ちたい。(11月17日)

付記10 付記ばっかり多くてごめんなさい。

8:11 午後  
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868 名前: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 投稿日: 2012/10/31(水) 18:31:36.61 ID:i+wpLyIF0
「おお神よ全能の父ゼウスよいかにして仇敵アンタレースを斃せばよからましかりましょうや」「呼んだ?ッボン「わっびっくりした!!」
「童貞なことは口調に出さぬようにな。であびる優がどうした。」「おおカムイよ」「のらなくていい軽いジャブの・ようなものとっと
願いをゆうて話を進行せんかうりうりURYYYYY」「おおDioさまJoJo苑さま焼肉が食べにくくなります「もうええから「この
カキコの冒頭をご覧ください」「なんだと神に向かってその態度なになにふむふむ。それはあれだな。すぶた的なことだな。」
「すぶた?」「すぶただ。」「すぶた?」「すぶただ。」「すぶた?」「すぶただ。なんだ。」「あんたギリシャの神でしょ?」
「うるさいな。すぶたなんだよ!」「なんでだよ。」「あん・たれ・す。…なんだ、そのまなざしは…!!!」

1:38 午前  
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【芸能】志村けん、ギャグについてナイナイ岡村に助言「テレビ局の言ってることをやってないで、自分でコントをやれ」
1 :禿の月φ ★:2013/07/23(火) 17:04:43.01 ID:???P
19日放送のTBSラジオ「志村けんの夜の虫」で、
志村けんがギャグについての持論を展開した。

志村がギャグについて語ったのは、番組リスナーから「ギャグは考案してから、
誰かの最終決断があって演じられるものなのか?」という質問があったため。
「誰の許可もない」と答えたその後、出演者のダチョウ倶楽部・上島竜平が
「ギャグっていうか、師匠は流れの中で、ネタみたいな感じでつくりますからね」と
コメントしたのを皮切りに、その考えを語った。

「ギャグっていうのは起承転結があって、これがあって、これがあって、
こうなってこうなるから、これが一個のコントになるっていうのがOKなギャグ」
「俺達は一発芸みたいなのはギャグって言わないんだよ」と自らの「ギャグの定義」を説明。
志村の「アイーン」もギャグではなく、ドリフターズでは「流行りもん」と呼んでいたという。

「ギャグ」へのこだわりは強く、取材でカメラマンに「じゃあ一発、ギャグお願いします」と
言われた際には怒りがわいてくるといい、それでも「アイーン」をやって見せると
「ゆっくりやってください」とさらにリクエストされ、「馬鹿野郎、名前なんつーんだ
このやろう?」と口に出してしまったことがあるほどだとか。流れの中で行わなければ、
ギャグは意味がないと熱弁した。(>>2以降に続きます)

ソース:livedoor ニュース/トピックニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/7885079/

2 :禿の月φ ★:2013/07/23(火) 17:04:58.33 ID:???P
(>>1からの続きです)
また、ギャグへの認識だけにとどまらず、後輩芸人のギャグについても語っている。
あるとき、志村はナインティナインの岡村隆史に「志村さんは、『バカ殿』あるし、
『変なおじさん』あるし、『ひとみ婆さん』あるし…僕、何もないですね」と、
ギャグがあることをうらやましがられたそうだ。

そんな岡村について志村は、「それで必ず人のパクってるだろ?」と
別の芸人のギャグをやることが多いと指摘。その上で「基本的に、
(『バカ殿』とかも)コントを作ってる中から出たキャラクターだから」
「岡村もテレビ局の言ってることをやってないで、自分でナイナイで、
5分でも10分でもいいからコントやれよと」「その中から、何かが出てくるんだよな。
それを考えるのが嫌だから、みんなやらないんだよな」と、自分でギャグを生み出す
努力をするべきとアドバイスした。

そうしてできたギャグは、継続することが重要なのだとか。
志村はかつて、バラエティ番組「8時だョ!全員集合」(TBS系)の中で、
童謡「七つの子」の歌詞の一部を「カラスの勝手でしょ?」と変えて歌う
ギャグを生み出したが、1年半ほど演じているうちに、ドリフターズのリーダー・いかりや長介から
「もう、あれやらなくていいぞ」と指示をうけたという。しかし、一度やらなかっただけで視聴者から
電話が殺到し、再開することに。結果「カラスの勝手でしょ?」はPTAが番組に「元の歌詞が
わからなくなる」と苦情を寄せるほど流行した。(>>3以降に続きます)

3 :禿の月φ ★:2013/07/23(火) 17:05:16.10 ID:???P
(>>2以降からの続きです)
こういった経験を踏まえ、志村はお笑いコンビ・タカ&トシに「『欧米か!』飽きちゃって。
でも、次(のギャグ)がもうないんですよね」と相談を受けた際には、「馬鹿野郎。お前が
60になっても漫才で『欧米か!』ってやってなきゃダメだよ。必ずやらなきゃダメだよ1回は」と
アドバイス。この教えを守り、タカ&トシは未だに『欧米か!』をやり続けているという。

かつて、裸に葉っぱ一枚の姿で踊る「はっぱ隊」というコントを行っていた、
ウッチャンナンチャンの南原清隆にも「子どもの間で流行らせるコツ」を聞かれた
志村は、「お前はそれ、子供にウケようとやってるんだろ?子供は媚びてる大人が
一番嫌いなんだよ」「子供に合わせちゃダメなんだよ。自分で楽しいと思うやることをやると、
子供はマネしたがるんだよ」とアドバイス。南原に態度を改めるよう説明したそうだ。

後輩からの相談が後を絶たたない志村。芸歴40年を超える志村だからこそ、
ギャグ一つとっても計り知れないこだわりがあり、そこに後輩は惹かれるのだろう。(了)

1:31 午前  
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朝日新聞デジタル:「生きている兵隊」裁判記録、寄贈へ 石川達三の遺族
http://digital.asahi.com/articles/TKY201307290097.html?ref=comkiji_txt_end_kjid_TKY201307290097



「中央公論」1938年3月号と、それに掲載された「生きている兵隊」の抜き刷り(左)。石川旺さん所蔵


石川達三。「人間の壁」「四十八歳の抵抗」「金環蝕(きんかんしょく)」など、戦後もベストセラーを生み出した=1971年
 【編集委員・河原理子】日中戦争を現地取材し、残虐性も持つ兵士の本当の姿を伝えようと石川達三(1905~85)が書いた小説「生きている兵隊」は、38年に発禁処分となった。「安寧秩序を乱す」として、有罪判決まで出た言論弾圧事件から75年。達三の遺族が近く、その裁判記録を秋田市の記念室に寄贈し、保存を託す。
 社会派作家として知られた達三は、30歳だった35年、「蒼氓(そうぼう)」で第1回芥川賞を受賞。中央公論社の特派員として、37年12月下旬から翌年1月まで上海や南京に行き、日本兵の話を聞いた。取材を元に、略奪、放火、女性の殺害や、いのちに鈍感になっていく日本兵の様子を小説で描いた。
 〈他の兵も各々(おのおの)……まくった〉などと、編集部によって意味が通らないほど伏せ字にされて「中央公論」38年3月号に掲載されたが、発売前日、発禁に。後にこの小説を削除して雑誌は発売されたが、達三と、編集長・雨宮庸蔵、発行人・牧野武夫の3人が、当時の新聞紙法違反の罪で起訴された。
 東京区裁判所で公判が開かれたのは38年8月31日。法廷でのやりとりを記録した「公判調書」と、9月5日の一審判決文を、神奈川県に住む達三の長男・旺(さかえ)さん(69)が保管してきた。
 調書からは、中央公論社側が「寛大なる判決」を求め、達三は無罪を主張したことがわかる。判事に「反戦思想を抱いているのではないか」と問われ、達三は「絶対にありません」と答えた。報道が真実を伝えないため国民がのんきにしていることが不満で、非常時を認識させたかった、と述べ、「国民が出征兵を神の如(ごと)くに考えているのが間違いでもっと本当の人間の姿を見」せた上で信頼を築かねば駄目だと考えた、と意図を説明した。
 しかし、八田卯一郎判事は「皇軍兵士の非戦闘員の殺戮(さつりく)、略奪、軍紀弛緩(しかん)の状況を記述し」「安寧秩序を紊乱(ぶんらん)する」事項を載せたとして、達三と編集長に禁錮4カ月執行猶予3年、発行人に罰金100円の判決を言い渡した。達三と編集長については検事が控訴したが、二審で確定。「生きている兵隊」は戦後、45年12月になって単行本として出版された。
 達三は秋田県出身。亡くなる直前に秋田市立中央図書館明徳館につくられた石川達三記念室に、多くの資料を寄贈した。だが、裁判記録は、「愚劣なものだ」として出さなかった。
 旺さんは、上智大名誉教授でジャーナリズム研究者。「小説だが、真実を書こうとしたことへの弾圧だった」と見る。「再び戦争を是認するような世の中になってきた。戦争への過程で、真実を伝えようとする言論は必ず弾圧される。こういう事件が昔あったことを知ってほしい。記録を保管し、研究者に対応してくれるところに託そうと決めた」
 過去に達三に接した研究者が公判調書の一部と判決文を引用しているが、全文が明らかになるのは初めて。明徳館の小国裕実館長(63)は「資料の状態を見た上で、何らかの形で研究者が閲覧できるようにしたい」と話している。
     ◇
 〈新聞紙法〉 1909(明治42)年制定。新聞雑誌は発行時に内務省や検事局へ納付するよう定めた。その内容が安寧秩序を乱し、風俗を害する場合、内務大臣は発売頒布を禁止できる。該当する事項を記載した場合、発行人、編集人は、6カ月以下の禁錮、または200円以下の罰金。「掲載の事項に署名したる者」にも準用するとされ、石川達三はこれを適用された。戦後に廃止。

4:09 午前  
Blogger yoji said...

http://yojiseki.exblog.jp/9365708/
『細雪』とゲンズブール
先日亡くなったマサオ・ミヨシが『オフセンター』の中で、谷崎潤一郎の『細雪』のラストが下痢の話になることを誰も論じていないと書いていた(これは三島由紀夫や大島渚について辛辣だが的確な評を提示していて刺激的な本だ)。
ミヨシはある種の侵犯及び反抗を読み取っているのだが、これは近代主義的な構図のもとにある読みであろう(『源氏物語』の品定めを男女逆にしてパロディー化するところ等は確かに「侵犯」ではあるのだが)。

ところで、フランスのシンガーソングライター、セルジュ・ゲンスブールは死後発表することを定めていたインタビューのなかで、しかもその最後の発言として以下のように言っていた。

<「自分の下でする」というだろう。何しろ、「する」という動詞は最も原始的なる言葉だから。「私は音楽をする」とか「私は映画をする」とか、「写真をする」、「詩をする」というけれど、私たちが小さい時には、「ママン、しちゃったよ」と言うと何をしたかわかるだろう。>
(邦訳『ゲンスブール×2ノワール』128頁)

最後の、死後に天国で?インタビューしたという設定の発言はちょうどここで終わっている。

ゲンスブールも谷崎も最後(生涯の最後と作品の最後)に、より根源的な言葉、しかも母の記憶と結びつくものとしてスカトロジーを選択したのである。
フロイト的な分析も可能だが、両者とも最後の最後まである種の逆説的なダンディズムを保持していたことが特筆される。

1:40 午前  
Blogger yoji said...

Ustream.tv: ユーザー ynytk: KAZAHANA 04/03/2010, 古井由吉さん:19分~。町田康さん:35分~。柄谷行人さん:66分~。鼎談:92分~。. ...

http://www.ustream.tv/recorded/5925909

マサオミヨシについて

1:42 午前  
Blogger yoji said...

小倉百人一首は歌織物《秘められた水無瀬絵図その2》 京都せんべい おかき専門店【長岡京小倉山荘】
http://www.ogurasansou.co.jp/site/hyakunin/hyakunin02.html

12:18 午前  
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 「韓国の現代詩人金芝河が、三島由紀夫の自刃に抗議して書いた詩の一節が、ここ数年来私の導きの糸となっている。(中略)三島の詩が含んでいるあらゆる意味、政治的なものであれ、芸術的なものであれ、いっさいの社会的な意味に対して反対しつつ書いた『アジュッカリ神風』という詩の冒頭の言葉がそれである。

 どうってこたあねえよ
 朝鮮野郎の血を吸って咲く菊の花さ
 かっぱらっていった鉄の器を溶かして鍛えあげた日本刀さ

 この『どうってこたあねえよ』という言葉によって、伝統的な日本文化の数々がものの見事に相対化される。(中略)ここには長い時の経過のうちに積もりつもった付加価値をこそぎ落として、その上ですべてを捉え直そうとの過激な、しかしぎりぎりの自己定位の覚悟が表現されている、と見たい。伝統とは、学問とは、歴史とは何なのだろうか。もちろんこのようにすべてを白紙に還元し、絶対零度の地点に立つことは、すべての価値をただ否定するだけではない。言うなればそれはオルテガの言う『戦術的退却』なのだ。すべてを裸の目で見ることによって、真に価値あるものを捉え直すための否定である」
http://monodialogos.fuji-teivo.com/archives/8018/comment-page-1

9:38 午前  
Blogger yoji said...



どうってこたあねえよ
 朝鮮野郎の血を吸って咲く菊の花さ
 かっぱらっていった鉄の器を溶かして鍛えあげた日本刀さ

金芝河「アジュッカリ神風― ―三島由紀夫に」

9:45 午前  
Blogger yoji said...

아주까리 神風
-三島由紀夫에게

김지하


별것 아니여
조선놈 피 먹고 피는 국화꽃이여
빼앗아 간 쇠그릇 녹여 벼린 일본도란 말이여
뭐가 대단해 너 몰랐더냐
비장처절하고 아암 처절하고말고 처절비장하고
처절한 神風도 별것 아니여
조선놈 아주까리 미친 듯이 퍼먹고 미쳐버린
바람이지, 미쳐버린
네 죽음은 식민지에
주리고 병들고 묶인 채 외치며 불타는 식민지의
죽음들 위에 내리는 비여
역사의 죽음 부르는
옛 군가여 별것 아니여
벌거벗은 女軍이 벌거벗은 갈보들 틈에 우뚝서
제멋대로 불러대는 미친 미친 군가여.


ここに□□したい文章を入力してください。 入力言語は自動判定されます。 アズカリ 神風
- 三島由紀夫に
金芝河
何もないです
ゾソンノム血食べて伸ばす菊の花よ
奪ったスェッグルッとかして鍛えた日本刀と言う言葉よ
何がすごくてお前モルラッドか
悲壮悽絶してアアム悽絶してしまって悽絶悲壮して
悽絶な 神風も何もないです
ゾソンノムアズカリ狂ったようによそって食べて狂ってしまった
風であって, 狂ってしまった
君の死は植民地に
飢えて病んで縛られたまま叫びながら燃える植民地の
死たちの上に降りる空くよ
歴史の死呼ぶ
昔の軍歌で何もないです
裸になった 女軍が裸になったガルボドル振るにぐんと立って
自分勝手にブルロデは及んだ及んだ軍歌なの.

9:48 午前  
Blogger yoji said...

http://www.poemlove.co.kr/bbs/board.php?bo_table=tb01&wr_id=8391

9:49 午前  
Blogger yoji said...


513 :名無しさん@恐縮です:2013/12/12(木) 02:57:52.35 ID:cS8Uu7380
零戦は女性の犠牲の上に作られた


菜穂子が朝鮮人を象徴していると考えられる


それは戦後の軍事政権下の朝鮮も同じだ

514 :名無しさん@恐縮です:2013/12/12(木) 02:57:56.09 ID:R5EHgxId0
日本と韓国との人々の間には、古くから深い交流があったことは日本書紀などに詳しく記されています。
韓国から移住した人々や、招へいされた人々によって、様々な文化や技術が伝えられました。

515 :名無しさん@恐縮です:2013/12/12(木) 02:59:51.10 ID:cS8Uu7380
韓国と朝鮮は違う

朝鮮からマルクス主義を引いたのが韓国

弱者へのシンパシーがないのはそのせい

10:02 午前  
Blogger yoji said...

364 :名無しさん@恐縮です:2013/12/20(金) 09:07:55.48 ID:vZUZWuZRP
仙人部落(4コマ漫画) 1956~
カムイ伝 1964~
ゴルゴ13 1969~
あぶさん 1973~2014 ←END
浮浪雲 1973~
赤兵衛 1973
三丁目の夕日 1974~
ガラスの仮面 1975~
エロイカより愛をこめて 1976~
王家の紋章 1976~
超人ロック 1977~ (同人は1967)
パタリロ! 1978~
釣りバカ日誌 1979~

風雲児たち みなもと太郎 1979~

8:13 午後  
Blogger yoji said...


182 :名無しさん@恐縮です :sage :2013/12/22(日) 00:29:48.85 (p)ID:vtyNGYwu0(3)
新刊なんかより古典読んだ方が遥かに有益かも

「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ(イタリアの国民的作家 故人)
(p)http://www.ohraido.com/img/uploaded/img_2322.jpg
(p)http://www.natsume-books.com/img_item/115661.jpg

1古典とは、ふつう、人がそれについて、「いま、読み返しているのですが」とはいっても、
「いま、読んでいるところです」とはあまりいわない本である
2古典とは、読んでそれが好きになった人にとって、ひとつの豊かさとなる本だ
しかし、これを、よりよい条件で初めて味わう幸運にまだめぐりあっていない人間にとっても、おなじぐらい重要な資産だ
3古典とは、忘れられないものとしてはっきり記憶に残るときも、記憶の襞のなかで、集団に属する無意識、
あるいは個人の無意識などという擬態をよそおって潜んでいるときも、これを読むものにとくべつな影響をおよぼす書物をいう
4古典とは、最初に読んだときとおなじく、読み返すごとにそれを読むことが発見である書物である
5古典とは、初めて読むときも、ほんとうは読み返しているのだ
6古典とはいつまでも意味の伝達を止めることがない本である
7古典とは、私たちが読むまえにこれを読んだ人たちの足跡をとどめて私たちのもとにとどく本であり、
背後にはこれらの本が通り抜けてきたある文化、あるいは複数の文化の
(簡単にいえば、言葉づかいとか慣習のなかに)足跡をとどめている書物だ

183 :名無しさん@恐縮です :sage :2013/12/22(日) 00:30:23.41 (p)ID:vtyNGYwu0(3)



















>>182

8古典とは、その作品自体にたいする批評的言説というこまかいほこりをたてつづけるが、
それをまた、しぜんに、たえず払いのける力をそなえた書物である
9古典とは、人から聞いたりそれについて読んだりして、知りつくしているつもりになっていても、
いざ自分で読んでみると、あたらしい、予期しなかった、それまでだれにも読まれたことのない作品に思える本である
10古典とは古代の護符に似て、全宇宙に匹敵する様相をもつ本である
11「自分だけ」の古典とは、自分が無関心でいられない本であり、その本の論旨に、
もしかすると賛成できないからこそ、自分自身を定義するために有用な本である
12古典とは、他の古典を読んでから読む本である。他の古典を何冊か読んだうえで、
その本を読むと、たちまちそれが〔古典の〕系譜のどのあたりに位置するものかが理解できる
13時事問題の騒音をBGMにしてしまうのが古典である。同時に、このBGMの喧噪はあくまでも必要なのだ
14もっとも相容れない種類の時事問題がすべてを覆っているときでさえ、BGMのようにささやきつづけるのが古典だ

4:11 午後  
Blogger yoji said...

産業組合青年会(雑誌発表形)/『春と修羅 第二集』
http://www.ihatov.cc/haru_2/137_7.htm
     産業組合青年会

                  宮澤賢治

 

   祀られざるも神には神の身土(しんど)があると

   あざけるやうなうつろな声で

   席をわたつたそれは誰だ

   ……雪をはらんだつめたい雨が

     闇をぴしぴし縫つてゐる……

   まことの道は

   誰が云つたの行つたの

   さういふ風のものでない

   祭祀の有無を是非するならば

   卑賤の神のその名にさへもふさはぬと

   いきまき応(こた)へたそれは何だ

   ……ときどき遠いわだちの跡で

     水がかすかにひかるのは

     東に畳む夜中の雲の

     わづかに青い燐光による……

   部落部落の小組合が

   ハムをつくり羊毛を織り医薬を頒ち

   村ごとの、また、その聯合の大きなものが

   山地の肩をひととこ砕いて

   石灰岩末の幾千車かを

   酸(す)えた野原にそゝいだり

   ゴムから靴を鋳たりもしやう

   ……くろく沈んだ並木のはてで

     見えるともない遠くの町が

     ぼんやり赤い火照りをあげる……

   しかもこれら熱誠有為な村々の処士会同の夜半

   祀られざるも神には神の身土があると

11:21 午後  
Blogger yoji said...

  三一三
     産業組合青年会

                  一九二四、一〇、五、

   

   祀られざるも神には神の身土があると

   あざけるやうなうつろな声で

   さう云ったのはいったい誰だ 席をわたったそれは誰だ

     ……雪をはらんだつめたい雨が

       闇をぴしぴし縫ってゐる……

   まことの道は

   誰が云ったの行ったの

   さういふ風のものでない

   祭祀の有無を是非するならば

   卑賤の神のその名にさへもふさはぬと

   応へたものはいったい何だ いきまき応へたそれは何だ

     ……ときどき遠いわだちの跡で

       水がかすかにひかるのは

       東に畳む夜中の雲の

       わづかに青い燐光による……

   部落部落の小組合が

   ハムをつくり羊毛を織り医薬を頒ち

   村ごとのまたその聯合の大きなものが

   山地の肩をひととこ砕いて

   石灰岩末の幾千車かを

   酸えた野原にそゝいだり

   ゴムから靴を鋳たりもしやう

     ……くろく沈んだ並木のはてで

       見えるともない遠くの町が

       ぼんやり赤い火照りをあげる……

   しかもこれら熱誠有為な村々の処士会同の夜半

   祀られざるも神には神の身土があると

   老いて呟くそれは誰だ


http://www.ihatov.cc/haru_2/137_d.htm 

 

11:22 午後  
Blogger yoji said...

  三一三
                  一九二四、一〇、五

   

   祀られざるも神には神の身土があると

   あざけるやうなうつろな声で

   さう云ったのはいったい誰だ

     ……雪をはらんだつめたい雨が

       闇をぴしぴし縫ってゐる……

   まことの道は

   誰が云ったの行ったの

   さういふ風のものでない

   祭祀の有無を是非するならば

   卑賤の神のその名にさへもふさはぬと

   応へたものはいったい何だ

     ……ときどき遠いわだちの跡で

       水がかすかにひかるのは

       東に畳む夜中の雲の

       わづかに青い燐光による……

   それは苦しいことだけれども

   いちばん正し(五字不明)ば

   結局いちばん楽しいのだと

   じぶん(以下不明)

   これ(以下不明)

   これこ(以下不明)

   だいじ(以下不明)

   ひとつの(以下不明)

   あゝぼくはもう匙を投げる

   花粉のやうに(二字不明)えがく

   やがてのここらのあかるいけしき 落葉松や銀ドロや

   村ごと小さな組合は、

   ハムを酵母を紡ぎをつくり

   その聯合のあるものは

   山地の稜をひととこ砕き

   石灰抹の億噸を得て

   こゝらの酸えた野原にそそぎ

   さういふ風の図式をおもふ

   それとてまさしくできてののちは

   あらたなわびしい図式なばかり

   さういふことを考へさせる

   背後の力はいったい何だ

     ……雨がどこかでにはかに鳴り

       西があやしくあかるくなる……

   あゝ誰か来て私に云へ億の天才ならんで生れ

   しかも互ひに相犯さない

   あかるい世界はかならず来ると


http://www.ihatov.cc/haru_2/137_5a.htm
  三一三
                  一九二四、一〇、五

   

   祀られざるも神には神の身土があると

   あざけるやうなうつろな声で

   さう云ったのはいったい誰だ

     ……雪をはらんだつめたい雨が

       闇をぴしぴし縫ってゐる……

   まことの道は

   誰が云ったの行ったの

   さういふ風のものでない

   祭祀の有無を是非するならば

   卑賤の神のその名にさへもふさはぬと

   応へたものはいったい何だ

     ……ときどき遠いわだちの跡で

       水がかすかにひかるのは

       東に畳む夜中の雲の

       わづかに青い燐光による……

   それは苦しいことだけれども

   いちばん正し(五字不明)ば

   結局いちばん楽しいのだと

   じぶん(以下不明)

   これ(以下不明)

   これこ(以下不明)

   だいじ(以下不明)

   ひとつの(以下不明)

   あゝぼくはもう匙を投げる

   花粉のやうに(二字不明)えがく

   やがてのここらのあかるいけしき 落葉松や銀ドロや

   村ごと小さな組合は、

   ハムを酵母を紡ぎをつくり

   その聯合のあるものは

   山地の稜をひととこ砕き

   石灰抹の億噸を得て

   こゝらの酸えた野原にそそぎ

   さういふ風の図式をおもふ

   それとてまさしくできてののちは

   あらたなわびしい図式なばかり

   さういふことを考へさせる

   背後の力はいったい何だ

     ……雨がどこかでにはかに鳴り

       西があやしくあかるくなる……

   あゝ誰か来て私に云へ億の天才ならんで生れ

   しかも互ひに相犯さない

   あかるい世界はかならず来ると

11:25 午後  
Blogger yoji said...

紡ぎ

ホームスパン


岩手の名産

20131224
朝日夕刊

11:26 午後  
Blogger yoji said...

三島由紀夫は楯の会の森田必勝と一緒に心中したのだ。
政治的な事象=レトリックの陰に、セクシュアリティーが隠蔽されていることになる。ちょうど自ら
の『春の雪』と『奔馬』を止揚したのが三島の「実践」だったのだ。
三島は自らの「内なる不合理(当時としては)=同性愛」を隠蔽するために論理的整合性を求めた。
そしてその整合性の証明は、対世間的には成功したと言える。

三島の論理は明快で、今日の国防論争などは三島が提示したラインをなぞっているだけだ。天皇を
(京都ではなく)日本の王としたこと以外は三島の意見に傾聴すべきところは多々あると思う。

[2]:sage:14/01/04 00:40
芸スポ速報+ / 【文芸】三島由紀夫が1963年に初めてノーベル文学賞の候補になっていたことが明らかに [削除]
Mishima - A Life in Four Chapters (1985, Schrader)
http://vimeo.com/17955274



[3]:sage:14/01/04 00:14
芸スポ速報+ / 【文芸】三島由紀夫が1963年に初めてノーベル文学賞の候補になっていたことが明らかに [削除]
Yukio Mishima....Rare 1969 Interview In English
http://youtu.be/IasOkulcDQk
[4]:sage:14/01/04 00:13
芸スポ速報+ / 【文芸】三島由紀夫が1963年に初めてノーベル文学賞の候補になっていたことが明らかに [削除]
憂国 - Y?koku - Patriotism - Rite of Love & Death (1966)
http://vimeo.com/41166505
高画質

http://ishigurokenji.com/report/report_016.html
原作の小説「憂国」は昭和35年の「小説中央公論」12月号に掲載された50枚ほどの作品
であるが「もし私の小説を一編だけ読みたいという人があったら、広く読まれた「潮騒」
などよりもむしろこの「憂国」一編を読んでもらえれば・・・」というほど三島にとって
愛情のある作品だった。 70年まえの昭和11年、11才だった三島の胸には、決起の青年将校
たちが悲劇的な英雄として刻まれたという。

8:00 午前  
Blogger yoji said...

煙雲館庭園と落合直文
http://www.city.kesennuma.lg.jp/www/contents/1155627502366/

「砂の上にわが恋人の名をかけば  波のよせきて  かげもとどめず」 
直文のこの歌は、JR南気仙沼駅前の歌碑に刻まれていますが、明治33年に弟子与謝野鉄幹の「明星」創刊号に寄稿されたものです。
明治以降の近代短歌において初めて「恋人」の言葉を使った例といわれ、その後「明星浪漫派」を中心に、急速に浸透し、現代用語としても定着したといわれています。



11:15 午後  
Blogger yoji said...

《かの女は急に頭をあげて、殆んど一人言のように言った。「第三発目の原子爆弾はまた日
本の上に落ちると思います。」とっさのことで私はすぐには何も答えなかったが、しばらく
しても私はその言葉を否定することが出来なかった》(森有正「木々は光を浴びて、……」)。
《それは私自身第三発目が日本へ落ちるだろうと信じていたからではない。ただ私は、この
うら若き外人の女性が、何百、何千の外人が日本で暮らしていて感じていて口に出さないで
いることを、口に出してしまったのだ、ということが余りにもはっきり分かったからであ
る》(同前)。

2:10 午前  
Blogger yoji said...

「でも、それは……ばかげてます!」彼は顔をまっ赤にして叫んだ。「兄さんのその物語詩は、イエス賛美ですよ、兄さんが願っているような非難なんかじゃない……。それに兄さんが言うような自由を信じる人なんて、どこにいますか? 第一、自由というのをそんなふうに理解しなくちゃいけないものなんですか? それがロシア正教の理解だとでも……そんなのはローマです、ローマといってもぜんぶじゃない、ぜんぶと言ったら噓になる……そんなの、カトリックのいちばん悪い連中です、審問官です、イエズス会の連中です!……それに、兄さんが言っている審問官のように現実離れした人間なんて、まるで存在するはずもありません。わが身に引き受けた人々の罪って、いったい何なんです? 人々の幸せのために何かの呪いを引き受けた秘密の担い手って、どんな人たちです? いつ、そんな人たちが出ました? イエズス会のことはぼくらも知ってるし、ずいぶんひどい言い方もされてますけど、いったい兄さんの詩に出てくるような人たちでしょうか?  ぜんぜん違います、ぜんぜんそんなんじゃない……あの人たちはローマの軍隊にすぎないんです。将来、皇帝つまりローマ法王を頭に立て、全世界に地上の王国を築くための、です。それが彼らの理想ですが、べつになんの秘密も持っていませんし、そんな高尚な悲しみなんて感じていません……権力とか、地上のけがれた幸福とか、奴隷化とかにたいするこのうえなく単純素朴な欲望にすぎないんです……つまり、ある種の農奴制みたいなもので、自分たちはそこでいずれ地主になる、それがあの人たちの頭のなかにあるすべてなんです。

4:20 午前  
Blogger yoji said...

「でも、それは……ばかげてます!」彼は顔をまっ赤にして叫んだ。「兄さんのその物語詩は、イエス賛美ですよ、兄さんが願っているような非難なんかじゃない……。それに兄さんが言うような自由を信じる人なんて、どこにいますか? 第一、自由というのをそんなふうに理解しなくちゃいけないものなんですか? それがロシア正教の理解だとでも……そんなのはローマです、ローマといってもぜんぶじゃない、ぜんぶと言ったら噓になる……そんなの、カトリックのいちばん悪い連中です、審問官です、イエズス会の連中です!……それに、兄さんが言っている審問官のように現実離れした人間なんて、まるで存在するはずもありません。わが身に引き受けた人々の罪って、いったい何なんです? 人々の幸せのために何かの呪いを引き受けた秘密の担い手って、どんな人たちです? いつ、そんな人たちが出ました? イエズス会のことはぼくらも知ってるし、ずいぶんひどい言い方もされてますけど、いったい兄さんの詩に出てくるような人たちでしょうか?  ぜんぜん違います、ぜんぜんそんなんじゃない……あの人たちはローマの軍隊にすぎないんです。将来、皇帝つまりローマ法王を頭に立て、全世界に地上の王国を築くための、です。それが彼らの理想ですが、べつになんの秘密も持っていませんし、そんな高尚な悲しみなんて感じていません……権力とか、地上のけがれた幸福とか、奴隷化とかにたいするこのうえなく単純素朴な欲望にすぎないんです……つまり、ある種の農奴制みたいなもので、自分たちはそこでいずれ地主になる、それがあの人たちの頭のなかにあるすべてなんです。あの人たちは、もしかしたら神さまだって信じていないかもしれない。兄さんのいう、苦悩する審問官何て、たんなる幻想にすぎませんよ……」

光文社文庫『カラマーゾフの兄弟』2「大審問官」より

4:24 午前  
Blogger yoji said...

「でも、それは……ばかげてます!」彼は顔をまっ赤にして叫んだ。「兄さんのその物語詩は、イエス賛美ですよ、兄さんが願っているような非難なんかじゃない……。それに兄さんが言うような自由を信じる人なんて、どこにいますか? 第一、自由というのをそんなふうに理解しなくちゃいけないものなんですか? それがロシア正教の理解だとでも……そんなのはローマです、ローマといってもぜんぶじゃない、ぜんぶと言ったら噓になる……そんなの、カトリックのいちばん悪い連中です、審問官です、イエズス会の連中です!……それに、兄さんが言っている審問官のように現実離れした人間なんて、まるで存在するはずもありません。わが身に引き受けた人々の罪って、いったい何なんです? 人々の幸せのために何かの呪いを引き受けた秘密の担い手って、どんな人たちです? いつ、そんな人たちが出ました? イエズス会のことはぼくらも知ってるし、ずいぶんひどい言い方もされてますけど、いったい兄さんの詩に出てくるような人たちでしょうか?  ぜんぜん違います、ぜんぜんそんなんじゃない……あの人たちはローマの軍隊にすぎないんです。将来、皇帝つまりローマ法王を頭に立て、全世界に地上の王国を築くための、です。それが彼らの理想ですが、べつになんの秘密も持っていませんし、そんな高尚な悲しみなんて感じていません……権力とか、地上のけがれた幸福とか、奴隷化とかにたいするこのうえなく単純素朴な欲望にすぎないんです……つまり、ある種の農奴制みたいなもので、自分たちはそこでいずれ地主になる、それがあの人たちの頭のなかにあるすべてなんです。あの人たちは、もしかしたら神さまだって信じていないかもしれない。兄さんのいう、苦悩する審問官なんて、たんなる幻想にすぎませんよ……」

光文社文庫『カラマーゾフの兄弟』2「大審問官」より

4:25 午前  
Blogger yoji said...

「でも、それは……ばかげてます!」彼は顔をまっ赤にして叫んだ。「兄さんのその物語詩は、イエス
賛美ですよ、兄さんが願っているような非難なんかじゃない……。それに兄さんが言うような自由を信
じる人なんて、どこにいますか? 第一、自由というのをそんなふうに理解しなくちゃいけないものな
んですか? それがロシア正教の理解だとでも……そんなのはローマです、ローマといってもぜんぶじゃ
ない、ぜんぶと言ったら噓になる……そんなの、カトリックのいちばん悪い連中です、審問官です、イエズス会の連中です!……それに、兄さんが言っている審問官のように現実離れした人間なんて、まるで存在するはずもありません。わが身に引き受けた人々の罪って、いったい何なんです? 人々の幸せのために何かの呪いを引き受けた秘密の担い手って、どんな人たちです? いつ、そんな人たちが出ました? イエズ
ス会のことはぼくらも知ってるし、ずいぶんひどい言い方もされてますけど、いったい兄さんの詩に出
てくるような人たちでしょうか?  ぜんぜん違います、ぜんぜんそんなんじゃない……あの人たちは
ローマの軍隊にすぎないんです。将来、皇帝つまりローマ法王を頭に立て、全世界に地上の王国を築く
ための、です。それが彼らの理想ですが、べつになんの秘密も持っていませんし、そんな高尚な悲しみ
なんて感じていません……権力とか、地上のけがれた幸福とか、奴隷化とかにたいするこのうえなく
単純素朴な欲望にすぎないんです……つまり、ある種の農奴制みたいなもので、自分たちはそこで
いずれ地主になる、それがあの人たちの頭のなかにあるすべてなんです。あの人たちは、もしかしたら
神さまだって信じていないかもしれない。兄さんのいう、苦悩する審問官なんて、たんなる幻想に
すぎませんよ……」
(光文社文庫『カラマーゾフの兄弟』2「大審問官」より)

4:27 午前  
Blogger yoji said...

「でも、それは……ばかげてます!」彼は顔をまっ赤にして叫んだ。「兄さんのその物語詩は、イエス
賛美ですよ、兄さんが願っているような非難なんかじゃない……。それに兄さんが言うような自由を信
じる人なんて、どこにいますか? 第一、自由というのをそんなふうに理解しなくちゃいけないものな
んですか? それがロシア正教の理解だとでも……そんなのはローマです、ローマといってもぜんぶじゃ
ない、ぜんぶと言ったら噓になる……そんなの、カトリックのいちばん悪い連中です、審問官です、イエ
ズス会の連中です!……それに、兄さんが言っている審問官のように現実離れした人間なんて、まるで存
在するはずもありません。わが身に引き受けた人々の罪って、いったい何なんです? 人々の幸せのため
に何かの呪いを引き受けた秘密の担い手って、どんな人たちです? いつ、そんな人たちが出ました? イエズ
ス会のことはぼくらも知ってるし、ずいぶんひどい言い方もされてますけど、いったい兄さんの詩に出
てくるような人たちでしょうか?  ぜんぜん違います、ぜんぜんそんなんじゃない……あの人たちは
ローマの軍隊にすぎないんです。将来、皇帝つまりローマ法王を頭に立て、全世界に地上の王国を築く
ための、です。それが彼らの理想ですが、べつになんの秘密も持っていませんし、そんな高尚な悲しみ
なんて感じていません……権力とか、地上のけがれた幸福とか、奴隷化とかにたいするこのうえなく
単純素朴な欲望にすぎないんです……つまり、ある種の農奴制みたいなもので、自分たちはそこで
いずれ地主になる、それがあの人たちの頭のなかにあるすべてなんです。あの人たちは、もしかしたら
神さまだって信じていないかもしれない。兄さんのいう、苦悩する審問官なんて、たんなる幻想に
すぎませんよ……」
(光文社文庫『カラマーゾフの兄弟』2「大審問官」より)

4:27 午前  
Blogger yoji said...

「でも、それは……ばかげてます!」彼は顔をまっ赤にして叫んだ。「兄さんのその物語詩は、イエス
賛美ですよ、兄さんが願っているような非難なんかじゃない……。それに兄さんが言うような自由を信
じる人なんて、どこにいますか? 第一、自由というのをそんなふうに理解しなくちゃいけないものな
んですか? それがロシア正教の理解だとでも……そんなのはローマです、ローマといってもぜんぶじゃ
ない、ぜんぶと言ったら噓になる……そんなの、カトリックのいちばん悪い連中です、審問官です、イエ
ズス会の連中です!……それに、兄さんが言っている審問官のように現実離れした人間なんて、まるで存
在するはずもありません。わが身に引き受けた人々の罪って、いったい何なんです? 人々の幸せのため
に何かの呪いを引き受けた秘密の担い手って、どんな人たちです? いつ、そんな人たちが出ました?
 イエズス会のことはぼくらも知ってるし、ずいぶんひどい言い方もされてますけど、いったい兄さんの
詩に出てくるような人たちでしょうか?  ぜんぜん違います、ぜんぜんそんなんじゃない……あの人たちは
ローマの軍隊にすぎないんです。将来、皇帝つまりローマ法王を頭に立て、全世界に地上の王国を築く
ための、です。それが彼らの理想ですが、べつになんの秘密も持っていませんし、そんな高尚な悲しみ
なんて感じていません……権力とか、地上のけがれた幸福とか、奴隷化とかにたいするこのうえなく
単純素朴な欲望にすぎないんです……つまり、ある種の農奴制みたいなもので、自分たちはそこで
いずれ地主になる、それがあの人たちの頭のなかにあるすべてなんです。あの人たちは、もしかしたら
神さまだって信じていないかもしれない。兄さんのいう、苦悩する審問官なんて、たんなる幻想に
すぎませんよ……」
(光文社文庫『カラマーゾフの兄弟』2「大審問官」より)

4:28 午前  
Blogger yoji said...


 知るがいい。わたしはおまえなど恐れてはいない。知るがいい。このわたしも、かつて荒野にあって、イナゴと草の根で飢えをしのいだことがあった。おまえが人々を祝福した自由を、祝福したこともあった。おまえの、選ばれた人々の仲間となり、あの『数を満たしたい』という願いを抱く、強くたくましい人々の一員になる心づもりであった。
 だが、わたしはふとわれに返り、おまえの狂気に仕えるのがいやになった。そこでわたしは引き返し、おまえの偉業を修正した人々の群れに加わったのだ。わたしは、誇り高い人々のもとを去り、この従順な人々の幸せのために、従順な人々のもとに帰ったのだ。わたしがおまえに話していることはいずれ実現し、われわれの王国は建設される。もういちど言っておくが、明日にもおまえは、そのおとなしい羊の群れを見ることになるのだ。われわれの邪魔をしにきた罪で火焙りになる炎に、わたしの指ひとつでわれ先にと熾火をかきあげる人の群れをだ。われわれの火刑にだれよりもふさわしい者がいるとするなら、それこそはおまえだからだ。明日、わたしはおまえを火焙りにする。Dixi(これで終わりだ)」
 イワンはそこで口をつぐんだ。話をするうちに彼は興奮し、夢中になって話しつづけていた。だが、話を終えると、彼はふいににこりと笑みを浮かべた。  
 兄の話に黙々と耳を傾けていたアリョーシャは、終わりに近づくにつれてはげしい興奮にとらわれ、なんども話をさえぎろうとしては、なんとか自分を抑えている様子だった。だが、ついに弾かれるようにしてとつぜん話しだした。
「でも、それは……ばかげてます!」彼は顔をまっ赤にして叫んだ。「兄さんのその物語詩は、イエス賛美ですよ、兄さんが願っているような非難なんかじゃない……。それに兄さんが言うような自由を信じる人なんて、どこにいますか? 第一、自由というのをそんなふうに理解しなくちゃいけないものなんですか? それがロシア正教の理解だとでも……そんなのはローマです、ローマといってもぜんぶじゃない、ぜんぶと言ったら噓になる……そんなの、カトリックのいちばん悪い連中です、審問官です、イエズス会の連中です!……それに、兄さんが言っている審問官のように現実離れした人間なんて、まるで存在するはずもありません。わが身に引き受けた人々の罪って、いったい何なんです? 人々の幸せのために何かの呪いを引き受けた秘密の担い手って、どんな人たちです? いつ、そんな人たちが出ました?
 イエズス会のことはぼくらも知ってるし、ずいぶんひどい言い方もされてますけど、いったい兄さんの詩に出てくるような人たちでしょうか?
 ぜんぜん違います、ぜんぜんそんなんじゃない……あの人たちはローマの軍隊にすぎないんです。将来、皇帝つまりローマ法王を頭に立て、全世界に地上の王国を築くための、です。それが彼らの理想ですが、べつになんの秘密も持っていませんし、そんな高尚な悲しみなんて感じていません……権力とか、地上のけがれた幸福とか、奴隷化とかにたいするこのうえなく単純素朴な欲望にすぎないんです……つまり、ある種の農奴制みたいなもので、自分たちはそこでいずれ地主になる、それがあの人たちの頭のなかにあるすべてなんです。あの人たちは、もしかしたら神さまだって信じていないかもしれない。兄さんのいう、苦悩する審問官なんて、たんなる幻想にすぎませんよ……」
「おい、ちょっと待てよ」イワンが笑い出した。「えらくむきになるじゃないか。幻想とかなんとかいま言ったけど、それならそれでもいいのさ! もちろん、幻想さ。ただし、それならひとつ聞くがね。おまえは、過去何世紀かのカトリックの運動はすべて、けがれた幸福のためだけの、たんなる権力欲にすぎないって、本気で考えているのか? そういう考えをおまえに吹き込んでいるのは、パイーシー神父じゃないのか?」
(光文社文庫『カラマーゾフの兄弟』2「大審問官」より)

4:49 午前  
Blogger yoji said...

三島由紀夫
憂国 - Yukoku - Patriotism on Vimeo
http://vimeo.com/28781779

7:04 午前  
Blogger yoji said...


カルスタ(カルチュラル・スタディーズ)系の学者は、国民国家は歴史的に
形成された物語だという(略)このような学者どもは、森鷗外を知らず、さ
らに森鷗外がそれを批判していることも知らない。(九八年)
1998年6月号群像 選評

7:37 午前  
Blogger yoji said...

政治的挫折を遠めに眺め
深さを志向しないことが
画期的な時代があった
新興国、新郊外の若者はそこに共感する
ただし、時代もハルキも昔とは違う

8:30 午前  
Blogger yoji said...

宮沢賢治 - 雨にも負けず
http://www.cbl.or.jp/mailmag/info/080108.html
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしはなりたい

10:14 午前  
Blogger yoji said...

芸能

米澤嘉博 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E6%BE%A4%E5%98%89%E5%8D%9A
米澤 嘉博(よねざわ よしひろ、1953年3月21日 - 2006年10月1日)は日本の漫画評論家、大衆文化評論家、編集者、コミックマーケット
準備会の第2代代表である。有限会社コミケット取締役社長、日本マンガ学会理事、
手塚治虫文化賞選考委員、日本オタク大賞審査員なども務めた。「おたく四天王」
の一人に挙げられる。愛称は米やん。

明大在学中から漫画批評集団「迷宮」に参加。迷宮の同人として、1975年からの
コミックマーケット開催に加わり、1980年(C14)から2006年夏(C70)まで
コミックマーケット準備会代表を務めた。準備会が独立した組織になったのは、
米澤が代表になってからだという。また、準備会自体は任意団体なので1985年外部
取引などのために株式会社コミケット(後に有限会社、特例有限会社)を設立し、
米澤が社長を兼務した。この間にコミックマーケットは飛躍的に発展、規模はサークル
数にして100倍になった。また、毎回発行されるカタログ、サークル参加者への呼び
かけである「コミケットアピール」、1994年から始めた広報誌『COMIKET PRESS』
では、必ず米澤の挨拶が冒頭に来るしきたりであった。

著書:
『戦後少女マンガ史』 新評社、1980年1月、253ページ。文庫版筑摩書房ちくま文庫、2007年8月8日
『戦後SFマンガ史』 新評社、1980年8月、251ページ、。文庫版筑摩書房ちくま文庫、2008年8月
『戦後ギャグマンガ史』 新評社、1981年

2:01 午前  
Blogger yoji said...

米澤は自己主張をあまりせず、異なった意見の持ち主も排除しないやり方を取っていた
。コミックマーケットでは表現の自由を理念に掲げ、批判者を排除しない姿勢を強調し
た。また表現規制に対して一貫して批判を行っていた。松文館裁判でも、被告人を有罪
とした1審の東京地裁判決を「論理もなく、ムチャクチャなもの」「判決文をよく読むと
、三権分立は否定され、現行の司法システムに則っておらず、憲法や刑法さえないがしろ
にされていることがわかる」「一言で言うなら「魔女裁判」である」(『売れるマンガ
、記憶に残るマンガ』128~129ページ)など、強く批判している。しかし、全面対決の姿
勢は取らず、コミックマーケットの実務では、性器の修正について、むしろ率先して厳しく
自主規制を敷かせる一面もあった。これは、コミックマーケットという“場”の存続を重視し、
無理を避けた為といわれている。
一方、1981年のコミックマーケット分裂騒動では、『ふゅーじょんぷろだくと(後の『
COMIC BOX』)』誌の取材に来た者からメモ書き原稿を見せて貰い、事実関係の訂正の
他、微妙に自分寄りの内容にして編集部に送るという大胆な行為にも出ている。一方の
当事者が原稿に介入するのは、マスメディアにとっては致命傷になりかねない事態だが
(たとえばNHK番組改変問題#朝日新聞社への影響参照)、米澤は取材側に無理強いせず、
雑談の体で自然に行動したためそのまま通ってしまったという。

2:05 午前  
Blogger yoji said...

米澤嘉博 NHK @Human
「コミケ」を支えた男
http://youtu.be/gde7gw7P_KY

米沢嘉博 手塚治虫を語る
http://youtu.be/-T5mBxrtN9E

2:13 午前  
Blogger yoji said...

子子子子子子子子子子子子
子子子子子子子子子子子子は、日本の言葉遊びである。「ねこのここねこ、ししのここじし(猫の子子猫、獅子の子子獅子)」と読む。この問題を考え出したのは嵯峨天皇、解いたのは小野篁であると伝えられている。
嵯峨天皇の時代、内裏に「無悪善」と書いた立て札が立てられた。天皇が篁に読み方を尋ねたところ「さが(悪)なくてよからん(嵯峨天皇がいなければよいのに)」と読んだため、読めたのは篁が書いたために違いないとして怒った天皇は、自分は何でも読めるのだと弁明する篁に「子」の字を12個連ねたものを差し出し「ならば、これが読めるか」と問うたところ、「ねこのここねこ、ししのここじし」とたちどころに読んだため、天皇の怒りが解けたという[1]。
解説と成立時期[編集]
「子」という漢字には、「ね」(訓読み、十二支から)、「こ」(訓読み)、「し」(音読み、呉音及び漢音)、「じ」(「し」の変化形)の4通りの読み方がある。このため、このような読み方が可能となる。篁の機転をあらわす話であるといえる。
この話の初出は宇治拾遺物語(1213年-1221年頃成立)の巻第三の十七「小野篁広才の事」である。 前半の「無悪善」のくだりは平安時代後期の江談抄の第三(1104年-1108年ごろ成立)が初出で、十訓抄(1252年成立)の第七などにも出てくる[2]が、後半の話は「子子子子子子子子子子子子」ではなく「一伏三仰不来待書暗降雨恋筒寝」(月夜には来ぬ人待たるかきくもり雨も降りなん恋いつつも寝ん)となっている。 このため、元からあった「無悪善」の話に、宇治拾遺物語の成立した鎌倉時代初期までに「子子子子子子子子子子子子」の話が付け加えられたと考えられる。
脚注[編集]
[ヘルプ]
^ 「日本古典文学全集28 宇治拾遺物語」 昭和62年5月30日第十六版 小学館 小林智昭訳p165
^ 「日本古典文学全集28 宇治拾遺物語」 昭和62年5月30日第十六版 小学館 小林智昭訳p165
関連項目[編集]
Buffalo buffalo Buffalo buffalo buffalo buffalo Buffalo buffalo - 英語で同じ単語を連続させて文を完成させた例。
施氏食獅史 - 中国語で同じ読みの漢字を連続させて文を完成させた例。
幽霊名字の一つとして、「子子子子」(ねこじし、すねこし、すねごし)がある。
この項目は、言語学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 言語学)。
この項目は、文字や文字学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文字)。
カテゴリ: 日本の言葉遊び

3:09 午前  
Blogger yoji said...

ドストエフスキーの影響:
タルコフスキー『ノスタルジア』キリーロフ
ゴダール『中国女』キリーロフ
黒澤明『赤ひげ』ネルリ
ヴィスコンティ『地獄に堕ちた勇者ども』スタブローギン

4:53 午前  
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大黒家 (だいこくや) - 京成八幡/割烹・小料理 [食べログ]
tabelog.com>...>市川割烹・小料理>京成八幡駅割烹・小料理
京成電鉄本線京成八幡駅徒歩1分、かの永井荷風氏が晩年足繁く通った料理屋「 大黒屋...
評価:3.0点
予算:¥1,000~¥1,999
住所:千葉県市川市八幡3-26-5

5:58 午後  
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坂本龍馬 - Wikiquote
http://ja.m.wikiquote.org/wiki/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E9%BE%8D%E9%A6%AC
和歌からの引用
世の人は 我をなんとも 言わば言え 我が為すことは 我のみぞ知る Wikisource和歌2
丸くとも一かどあれや人心あまりまろきは ころびやすきぞ Wikisource和歌3


世の人は我を何とも言わば言え 我なす事は我のみぞ知る | コンパス ...
www.compass-point.jp>HOME>格言集
谷崎潤一郎. お金には怨念がこもっている。だから、うまく使わなければいけない。 偉人 の転落は、到達していた高みに比例してすさまじい · わたしたちが死ぬ。 ... だからこそ「 我なす事は我のみぞ知る」と、自分の信じる道をまっすぐ駆け抜けることができたのだ。
我という人の心はただひとり、われより外に知る人はなし|あねご三級 ...
ameblo.jp/kyouto-sanzyou/entry-10855916920.html
これは谷崎潤一郎の短歌です。 ブログのプロフィールにも書きましたが、私の好きな 言葉。うろ覚えでした。 坂本龍馬も同じようなことを言ってますね。 ”世の人は我を なんとも言わば言え,我がなすことは我のみぞ知る”. うーん。こちらは龍馬 ...

6:04 午後  
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石川県ゆかりの文学者 施設案内(石川近代文学館) 石川四高記念文化交流館
http://www.pref.ishikawa.jp/shiko-kinbun/info/novelist.html

●泉  鏡花(いずみ きょうか)
明治6年~昭和14年(1873~1939)小説家。本名泉鏡太郎。金沢市生まれ。
泉 鏡花について詳しく見る >>

●徳田 秋聲(とくだ しゅうせい)
明治4年~昭和18年(1871~1943)小説家。本名徳田末雄。金沢市生まれ。
徳田 秋聲について詳しく見る >>

●室生 犀星(むろう さいせい)
明治22年~昭和37年(1889~1962)詩人、小説家。本名照道。別号魚眠胴。金沢市生まれ。
室生 犀星について詳しく見る >>



●加賀の作家
西田 幾多郎(にしだ きたろう) 暁烏 敏(あけがらす はや) 西出 朝風(にしで ちょうふう)
北村 喜八(きたむら きはち) 加賀 耿二(かが こうじ) 島田 清次郎(しまだ せいじろう)
深田 久弥(ふかだ きゅうや) 村井 武生(むらい たけお) 森山 啓(もりやま けい)
陣出 達朗(じんで たつろう) 鶴 彬(つる あきら)
●能登の作家
松瀬 青々(まつせ せいせい) 加能 作次郎(かのう さくじろう) 藤沢 清造(ふじさわ せいぞう)
折口 信夫(おりくち しのぶ) 坪野 哲久(つぼの てっきゅう) 岡部 文夫(おかべ ふみお)
杉森 久英(すぎもり ひさひで) 戸部 新十郎 (とべ しんじゅうろう) 半村 良(はんむら りょう)
●金沢の作家
三宅 雪嶺(みやけ せつれい) 藤岡 作太郎(ふじおか さくたろう) 竹久 夢二 (たけひさ ゆめじ)
奥野 他見男(おくの たみお) 尾山 篤二郎 (おやま とくじろう) 岡 栄一郎(おか えいいちろう)
橘 外男(たちばな そとお) 中西 悟堂 (なかにし ごどう) 加藤 楸邨 (かとう しゅうそん)
長沢 美津 (ながさわ みつ) 永瀬 清子 (ながせ きよこ) 山田 克郎(やまだ かつろう)
水芦 光子 (みずあし みつこ) 沢木 欣一(さわき きんいち) 濱口 國雄(はまぐち くにお)
広津 里香(ひろつ りか)


●四高出身の作家
鈴木 大拙(すずき だいせつ) 桐生 悠々(きりゅう ゆうゆう) 桜田 常久(さくらだ つねひさ)
中谷 宇吉郎 (なかや うきちろう) 中野 重治 (なかの しげはる) 谷口 吉郎 (たにぐち よしろう)
井上 靖(いのうえ やすし) 高橋 治(たかはし おさむ)


●現代作家
加賀 乙彦 (かが おとひこ) 曽野 綾子 (その あやこ) 五木 寛之 (いつき ひろゆき)
高田 宏(たかだ ひろし)  古井 由吉(ふるいよしきち) 唯川 恵(ゆいかわ けい)
本谷 有希子(もとや ゆきこ)

11:44 午後  
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筑摩教科書「空と風と星と詩」
http://homepage2.nifty.com/taejeon/Dongju/Chikuma.htm
 空と風と星と詩     茨木 のり子   (教科書本文)

 韓国で「好きな詩人は?」と尋ねると、
 「尹東柱」
という答えが返ってくることが多い。

    序詩

  死ぬ日まで空を仰ぎ
  一点の恥辱なきことを、
  葉あいにそよぐ風にも
  わたしは心痛んだ。
  星をうたう心で
  生きとし生けるものをいとおしまねば
  そしてわたしに与えられた道を
  歩みゆかねば。

  今宵も星が風に吹き晒らされる。(伊吹郷訳)

 二十代でなければ絶対に書けないその清冽な詩風は、若者をとらえるに十分な内容を
持っている。
 長生きするほど恥多き人生となり、こんなふうにはとても書けなくなってくる。

6:58 午前  
Blogger yoji said...

【特集】 ~ 筑摩書房教科書の「空と風と星と詩」

 今年は戦後六十年、そして韓国の国民詩人・尹東柱の没後六十年に当たる。
 彼は敗戦をさかのぼる半年前の2月16日に、福岡の刑務所で獄死した。
 筑摩書房「現代文」教科書には茨木のり子の随想「空と風と星と詩」が収録されて
いる。先日、その指導書を書く機会が与えられた。その原稿の一部をここに掲載し、
尹東柱の生涯と作品をしのぶよすがとしたい。彼の魂の平安をお祈りする。

 空と風と星と詩     茨木 のり子   (教科書本文)

 韓国で「好きな詩人は?」と尋ねると、
 「尹東柱」
という答えが返ってくることが多い。

    序詩

  死ぬ日まで空を仰ぎ
  一点の恥辱なきことを、
  葉あいにそよぐ風にも
  わたしは心痛んだ。
  星をうたう心で
  生きとし生けるものをいとおしまねば
  そしてわたしに与えられた道を
  歩みゆかねば。

  今宵も星が風に吹き晒らされる。(伊吹郷訳)

 二十代でなければ絶対に書けないその清冽な詩風は、若者をとらえるに十分な内容を
持っている。
 長生きするほど恥多き人生となり、こんなふうにはとても書けなくなってくる。
 詩人には夭折の特権ともいうべきものがあって、若さや純潔をそのまま凍結してし
まったような清らかさは、後世の読者をもひきつけずにはおかないし、ひらけば常に
水仙のようないい匂いが薫り立つ。
 夭折と書いたが、尹東柱は事故や病気で逝ったのではない。
 一九四五年、敗戦の日をさかのぼることわずか半年前に、満二十七歳の若さで福岡
刑務所で獄死した人である。
 最初は立教大学英文科に留学、やがて同志社大学英文科に移り、独立運動の嫌疑に
より下鴨警察につかまり、福岡へ送られる。
 そこで中身のよくわからない注射をくり返し打たれたという。亡くなるまぎわには、
母国語で何事かを大きく叫んで息絶えたそうだが、その言葉が何であったか、日本の
看守にはわからなかった。だが、
「東柱さんは、何の意味かわからぬが、大声で叫び絶命しました。」
という証言は残った。
 痛恨の思いなくしてこの詩人に触れることはできない。
 いずれは日本人の手によって、その全貌が明らかにされなければならない人だった
し、その存在を知ってから私も少しずつ尹東柱の詩を訳しはじめていたのだが、彼が
逝ってから三十九年目にあたる一九八四年に、伊吹郷氏によって、全詩集『空と風と
星と詩』の完訳が成った。
 私の気勢はそがれたが、伊吹郷氏のみごとな訳と研究には完全に脱帽で、可憐な
童謡にいたるまで日本語で読めるようになったのは、なんともうれしいことだった。
 原詩を知る者にとっては、なみなみならぬ労作であることがわかるが、そればかりで
はなく、尹東柱の背景を知るために徹底的に足で歩いて調べあげた情熱にも打たれる。

6:59 午前  
Blogger yoji said...

【話題】世界の漫画の市場規模ランキング、1位はどこ?=韓国ネット「意外な結果!」「韓国の漫画も結構面白いのにな」[05/26]©2ch.net
1 :ひろし ★@転載は禁止 ©2ch.net:2015/05/26(火) 23:42:35.81 ID:???
2015年5月25日、韓国のインターネット掲示板に、「漫画の市場規模、国別ランキング」と題するスレッドが立った。

スレッドを立てたユーザーは、韓国コンテンツ振興院の資料「主要国家別、漫画市場規模(2006年~2015年)」を掲載した。
それによると、漫画の市場規模が最も大きい国は日本。2位は米国で、3位はドイツとなっている。
4位以下はフランス、英国、イタリア、中国、オーストラリア、ブラジル、インドが続いている。

スレ主は、「2010年度の市場規模は、日本が19億6400万ドル(約2389億円)、米国は6億6500万ドル、
ドイツは6億3600万ドル、フランスは5億6300万ドル、英国は3億3000万ドル、イタリアは2億8300万ドル、
中国は2億4500万ドル、オーストラリアは1億2000万ドル、ブラジルは9500万ドル、インドは44000万ドルだ」と紹介している。

これについて、ほかのネットユーザーはさまざまなコメントを寄せている。

「さすが日本。1位と2位の差がすごい」
「1位は米国じゃないの?米国の方が規模が大きいと思っていた。意外な結果!」
「日本の漫画市場は尋常じゃない」

「日本人は絵が上手だからね。ゴッホは日本の絵画に影響を受けたらしいよ」
「最近、世界の漫画がどんどん日本風になってきている。
世界が日本のまねをしているのだろうか、それとも日本の絵が世界普遍的に好まれているのだろうか」
「中国の漫画は日本の漫画にかなり影響を受けている」

「あれ、韓国は?」
「韓国の漫画も結構面白いのにな」
「韓国では『漫画は無料』という意識が強いから、韓国の漫画市場を拡大させることは難しいよ」
「韓国で漫画を描いていると、『オタク』とばかにされる。漫画家の質が上がらないのはそのせいだ」

「韓国の漫画は無料でも読みたくない」
「漫画のレベルに関しては負けを認める」
「漫画やアニメは国のイメージマーケティングに役立つ。ヨーロッパの人たちが、
日本=ハイテクというイメージを持つようになったのは、日本の漫画のおかげでもある」(翻訳・編集/堂本)

http://www.recordchina.co.jp/a109775.html

8:04 午前  
Blogger yoji said...



どうってこたあねえよ
 朝鮮野郎の血を吸って咲く菊の花さ
 かっぱらっていった鉄の器を溶かして鍛えあげた日本刀さ

金芝河「アジュッカリ神風― ―三島由紀夫に」

아주까리 神風
-三島由紀夫에게

김지하


별것 아니여
조선놈 피 먹고 피는 국화꽃이여
빼앗아 간 쇠그릇 녹여 벼린 일본도란 말이여
뭐가 대단해 너 몰랐더냐
비장처절하고 아암 처절하고말고 처절비장하고
처절한 神風도 별것 아니여
조선놈 아주까리 미친 듯이 퍼먹고 미쳐버린
바람이지, 미쳐버린
네 죽음은 식민지에
주리고 병들고 묶인 채 외치며 불타는 식민지의
죽음들 위에 내리는 비여
역사의 죽음 부르는
옛 군가여 별것 아니여
벌거벗은 女軍이 벌거벗은 갈보들 틈에 우뚝서
제멋대로 불러대는 미친 미친 군가여.


アズカリ 神風
- 三島由紀夫に
金芝河
何もないです
ゾソンノム血食べて伸ばす菊の花よ
奪ったスェッグルッとかして鍛えた日本刀と言う言葉よ
何がすごくてお前モルラッドか
悲壮悽絶してアアム悽絶してしまって悽絶悲壮して
悽絶な 神風も何もないです
ゾソンノムアズカリ狂ったようによそって食べて狂ってしまった
風であって, 狂ってしまった
君の死は植民地に
飢えて病んで縛られたまま叫びながら燃える植民地の
死たちの上に降りる空くよ
歴史の死呼ぶ
昔の軍歌で何もないです
裸になった 女軍が裸になったガルボドル振るにぐんと立って
自分勝手にブルロデは及んだ及んだ軍歌なの.

1:20 午前  
Blogger yoji said...

>>286の続き

 リアリズムの唯一の武器である「描写」は、それが精緻を極めれば極めるほど、
的確なリアリズムの規範から逸脱し、分裂症的な相貌を示してしまう。

ミステリーといった「ジャンル」は、リアリズムの「描写」がリミットに到達した時に出現した。

その意味で荒俣宏が「パラサイト・イヴ」と重ね合わせている
夢野久作の「ドグラ・マグラ」は確かにホラー小説だといいうるだろう。

 「パラサイト・イヴ」のホラー場面は、一例のみを上げれば、
「狂気のような音と熱気」といった比喩に依存していることからも知られるように、
「狂気」なるものの通俗的なイメージに依存することで「音と熱気」の
精密な「描写」を省略している。

 それゆえ、ホラー的な場面もまたきわめてリーダブルなのだが、
それは、「音と熱気」を精密に描写すれば、文章自体が
それこそ分裂症的「狂気」に陥ってしまうからだ。物語内容はホラー的ながら
「パラサイト・イヴ」のエクリチュールはいっこうに恐怖を感じさせない。
これはホラーであることを回避したホラー小説であるといえよう。

 それゆえ、われわれは魯庵の「文学者となる法」に、また一節を付け加えなければならない。
エクリチュールのホラー段階を回避することこそホラー作家になる方法である、と。
 これは単にホラーというジャンルにのみ言いうることではない。ミステリーにおいても、
サイエンスフィクションにおいても同様のことが言いうるはずである。



スガ秀実「小ブル急進主義批評宣言」
P311〜312

9:02 午後  
Blogger yoji said...


魯迅 訳 野草 希望
http://plaza.rakuten.co.jp/anatanonanika/diary/200911150000/
 絶望の虚妄なること、まさに希望と相等しい!

『希望学』:東京大学社会科学研究所 希望学プロジェクト
http://project.iss.u-tokyo.ac.jp/hope/meigen/meigen_1.html
「絶望が虚妄であるのは、まさに希望と同じだ!」

魯迅『野草』より「希望 」
http://plaza.rakuten.co.jp/anatanonanika/diary/200911150000/

>絶望の虚妄なること、まさに希望と相等しい!

原文 http://luxun.chinaspirit.net.cn/yec/yec08.html


http://plaza.rakuten.co.jp/anatanonanika/diary/200911150000/

魯迅作品『野草』 (13)

 希望

 私の心はことのほか寂しい。
 だが私の心はとても安らかだ。愛も憎しみもなく、悲しさも楽しさもなく、また色と音もない。
 やはり私は老いたのだ。私の頭髪はもう灰色になった、明らかな事だろ? 私の手はプルプルと震えている、明らかな事だろ? それなら私の魂の手も、きっとプルプル震えてるに違いないし、頭髪も必ず灰色であるに違いない。
 しかしこれは、何年も前のことだ。
 以前には、私の心も血生臭い歌声で満ち満ちていたこともあるのだ。血と鉄と、火焔と毒と、回復と復讐。しかし突然これらはみな空虚になった、だが時には、どうしようもない自己欺瞞の希望でもって、故意に埋め繕った。希望、希望、この希望の盾を用いて、その空虚の中の暗夜の襲来を拒むのだ、たとえ盾の裏側も、依然として空虚の中の暗夜だとしてもだ。だがこのようにして、私は青春を次々にすり減らした。
 私は以前から、自分の青春がもう消え去ってしまったことを、知らないわけではなかったろう? だが、身の外の青春は、無論のこと存在するのだと思っていた。星、月の光、瀕死の蝶、暗闇に咲く花、ミミズクの不吉な声、血で啼くホトトギス、笑いの渺茫、愛の乱舞。……たとえ、悲しくぼんやりとかすんだ青春であったとしても、それは青春に違いないのだ。
 だが今、何故このように寂しいのだ? まさか身の外の青春まで、全てが消え去ってしまったことはあるまい、世の中の青年が皆老いてしまったのか?
 私は私自身で、この空虚の中の暗夜に肉薄するしかなかった。私は希望の盾を捨てた、そしてペテフィ・シャンドル(1823-49)の『希望』の詩を耳にする。

 希望とはなんだ? 娼婦だ。
 彼女は誰をも魅惑し、そのすべてをささげるようにそそのかす。
 君が数多(あまた)の宝物――君の青春――を犠牲にするのを待って、彼女は君を捨てるのだ。

 この偉大な抒情詩人、ハンガリーの愛国者が、祖国のためにコサック兵の矛先に死んでから、すでに七十五年が経った。悲しいかな死なり、しかしさらに悲しいのは彼の詩が今に至っても死んでないことなのだ。
 しかし、悲しむべき人生よ! ペテフィの如し英雄も、ついには暗夜に向かって歩みを止め、果てのない東方を振り仰いだのだ。彼は言う、

 絶望の虚妄なること、まさに希望と相等しい。

 もしも私が明暗定まらぬこの虚妄の中で、まだ無為に生をむさぼるのなら、かの消え去りし悲しくぼんやりとかすんだ青春を、私はそれををまた捜し求めよう、それが私の身の外にあろうと構わない。もしも身の外の青春ひとたび消滅すれば、私の身の内の余生もすぐに枯れるのだ。
 しかし今は星も月の光もなく、瀕死の蝶、さらに笑いの渺茫も、愛の乱舞もない。だが青年はとても安らかだ。
 私はただ私自身で、この空虚の中の暗夜に肉薄するしかなかった、たとえ身の外の青春を探し得なくとも、私の身の内の余生を自らで投げ捨てなければならない。だが暗夜もまたそこにあるのか? 今は星はない、月の光、さらに笑いの渺茫と愛の乱舞もない。青年はとても安らかだ、しかし私の前にはついに真の暗夜すらもないと。

 絶望の虚妄なること、まさに希望と相等しい!

一九二五年一月一日


↓原文は魯迅記念館のHPで見れます。
http://luxun.chinaspirit.net.cn/yec/yec08.html
     希望

  我的心分外地寂寞。
  然而我的心很平安;没有爱憎,没有哀乐,也没有颜色和声音。
  我大概老了。我的头发已经苍白,不是很明白的事么?我的手颤抖着,不是很 明白的事么?那么我的灵魂的手一定也颤抖着,头发也一定苍白了。
  然而这是许多年前的事了。
  这以前,我的心也曾充满过血腥的歌声:血和铁,火焰和毒,恢复和报仇。而 忽然这些都空虚了,但有时故意地填以没奈何的自欺的希望。希望,希望,用这希 望的盾,抗拒那空虚中的暗夜的袭来,虽然盾后面也依然是空虚中的暗夜。然而就 是如此,陆续地耗尽了我的青春。
  我早先岂不知我的青春已经逝去?但以为身外的青春固在:星,月光,僵坠的 蝴蝶,暗中的花,猫头鹰的不祥之言,杜鹃的啼血,笑的渺茫,爱的翔舞。……虽 然是悲凉漂渺的青春罢,然而究竟是青春。
  然而现在何以如此寂寞?难道连身外的青春也都逝去,世上的青年也多衰老了 么?
  我只得由我来肉薄这空虚中的暗夜了。我放下了希望之盾,我听到Petofi San dor(1823-49)的“希望”之歌:

    希望是什么?是娼妓:
    她对谁都蛊惑,将一切都献给;
    待你牺牲了极多的宝贝——
    你的青春——她就抛弃你。

  这伟大的抒情诗人,匈牙利的爱国者,为了祖国而死在可萨克兵的矛尖上,已 经七十五年了。悲哉死也,然而更可悲的是他的诗至今没有死。
  但是,可惨的人生!桀骜英勇如Petofi,也终于对了暗夜止步,回顾茫茫的东 方了。他说:

  绝望之为虚妄,正与希望相同。

  倘使我还得偷生在不明不暗的这“虚妄”中,我就还要寻求那逝去的悲凉漂渺 的青春,但不妨在我的身外。因为身外的青春倘一消灭,我身中的迟暮也即凋零了。

  然而现在没有星和月光,没有僵坠的蝴蝶以至笑的渺茫,爱的翔舞。然而青年 们很平安。
  我只得由我来肉薄这空虚中的暗夜了,纵使寻不到身外的青春,也总得自己来 一掷我身中的迟暮。但暗夜又在那里呢?现在没有星,没有月光以至没有笑的渺茫 和爱的翔舞;青年们很平安,而我的面前又竟至于并且没有真的暗夜。
  绝望之为虚妄,正与希望相同!  

                   一九二五年一月一日

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5:29 午前  
Blogger yoji said...


魯迅 訳 野草 希望
http://plaza.rakuten.co.jp/anatanonanika/diary/200911150000/
 絶望の虚妄なること、まさに希望と相等しい!

『希望学』:東京大学社会科学研究所 希望学プロジェクト
http://project.iss.u-tokyo.ac.jp/hope/meigen/meigen_1.html
「絶望が虚妄であるのは、まさに希望と同じだ!」

魯迅『野草』より「希望 」
http://plaza.rakuten.co.jp/anatanonanika/diary/200911150000/

>絶望の虚妄なること、まさに希望と相等しい!

原文 http://luxun.chinaspirit.net.cn/yec/yec08.html


http://plaza.rakuten.co.jp/anatanonanika/diary/200911150000/

魯迅作品『野草』 (13)

 希望

 私の心はことのほか寂しい。
 だが私の心はとても安らかだ。愛も憎しみもなく、悲しさも楽しさもなく、また色と音もない。
 やはり私は老いたのだ。私の頭髪はもう灰色になった、明らかな事だろ? 私の手はプルプルと震えている、明らかな事だろ? それなら私の魂の手も、きっとプルプル震えてるに違いないし、頭髪も必ず灰色であるに違いない。
 しかしこれは、何年も前のことだ。
 以前には、私の心も血生臭い歌声で満ち満ちていたこともあるのだ。血と鉄と、火焔と毒と、回復と復讐。しかし突然これらはみな空虚になった、だが時には、どうしようもない自己欺瞞の希望でもって、故意に埋め繕った。希望、希望、この希望の盾を用いて、その空虚の中の暗夜の襲来を拒むのだ、たとえ盾の裏側も、依然として空虚の中の暗夜だとしてもだ。だがこのようにして、私は青春を次々にすり減らした。
 私は以前から、自分の青春がもう消え去ってしまったことを、知らないわけではなかったろう? だが、身の外の青春は、無論のこと存在するのだと思っていた。星、月の光、瀕死の蝶、暗闇に咲く花、ミミズクの不吉な声、血で啼くホトトギス、笑いの渺茫、愛の乱舞。……たとえ、悲しくぼんやりとかすんだ青春であったとしても、それは青春に違いないのだ。
 だが今、何故このように寂しいのだ? まさか身の外の青春まで、全てが消え去ってしまったことはあるまい、世の中の青年が皆老いてしまったのか?
 私は私自身で、この空虚の中の暗夜に肉薄するしかなかった。私は希望の盾を捨てた、そしてペテフィ・シャンドル(1823-49)の『希望』の詩を耳にする。

 希望とはなんだ? 娼婦だ。
 彼女は誰をも魅惑し、そのすべてをささげるようにそそのかす。
 君が数多(あまた)の宝物――君の青春――を犠牲にするのを待って、彼女は君を捨てるのだ。

 この偉大な抒情詩人、ハンガリーの愛国者が、祖国のためにコサック兵の矛先に死んでから、すでに七十五年が経った。悲しいかな死なり、しかしさらに悲しいのは彼の詩が今に至っても死んでないことなのだ。
 しかし、悲しむべき人生よ! ペテフィの如し英雄も、ついには暗夜に向かって歩みを止め、果てのない東方を振り仰いだのだ。彼は言う、

 絶望の虚妄なること、まさに希望と相等しい。

 もしも私が明暗定まらぬこの虚妄の中で、まだ無為に生をむさぼるのなら、かの消え去りし悲しくぼんやりとかすんだ青春を、私はそれををまた捜し求めよう、それが私の身の外にあろうと構わない。もしも身の外の青春ひとたび消滅すれば、私の身の内の余生もすぐに枯れるのだ。
 しかし今は星も月の光もなく、瀕死の蝶、さらに笑いの渺茫も、愛の乱舞もない。だが青年はとても安らかだ。
 私はただ私自身で、この空虚の中の暗夜に肉薄するしかなかった、たとえ身の外の青春を探し得なくとも、私の身の内の余生を自らで投げ捨てなければならない。だが暗夜もまたそこにあるのか? 今は星はない、月の光、さらに笑いの渺茫と愛の乱舞もない。青年はとても安らかだ、しかし私の前にはついに真の暗夜すらもないと。

 絶望の虚妄なること、まさに希望と相等しい!

一九二五年一月一日


↓原文は魯迅記念館のHPで見れます。
http://luxun.chinaspirit.net.cn/yec/yec08.html
     希望

  我的心分外地寂寞。
  然而我的心很平安;没有爱憎,没有哀乐,也没有颜色和声音。
  我大概老了。我的头发已经苍白,不是很明白的事么?我的手颤抖着,不是很 明白的事么?那么我的灵魂的手一定也颤抖着,头发也一定苍白了。
  然而这是许多年前的事了。
  这以前,我的心也曾充满过血腥的歌声:血和铁,火焰和毒,恢复和报仇。而 忽然这些都空虚了,但有时故意地填以没奈何的自欺的希望。希望,希望,用这希 望的盾,抗拒那空虚中的暗夜的袭来,虽然盾后面也依然是空虚中的暗夜。然而就 是如此,陆续地耗尽了我的青春。
  我早先岂不知我的青春已经逝去?但以为身外的青春固在:星,月光,僵坠的 蝴蝶,暗中的花,猫头鹰的不祥之言,杜鹃的啼血,笑的渺茫,爱的翔舞。……虽 然是悲凉漂渺的青春罢,然而究竟是青春。
  然而现在何以如此寂寞?难道连身外的青春也都逝去,世上的青年也多衰老了 么?
  我只得由我来肉薄这空虚中的暗夜了。我放下了希望之盾,我听到Petofi San dor(1823-49)的“希望”之歌:

    希望是什么?是娼妓:
    她对谁都蛊惑,将一切都献给;
    待你牺牲了极多的宝贝——
    你的青春——她就抛弃你。

  这伟大的抒情诗人,匈牙利的爱国者,为了祖国而死在可萨克兵的矛尖上,已 经七十五年了。悲哉死也,然而更可悲的是他的诗至今没有死。
  但是,可惨的人生!桀骜英勇如Petofi,也终于对了暗夜止步,回顾茫茫的东 方了。他说:

  绝望之为虚妄,正与希望相同。

  倘使我还得偷生在不明不暗的这“虚妄”中,我就还要寻求那逝去的悲凉漂渺 的青春,但不妨在我的身外。因为身外的青春倘一消灭,我身中的迟暮也即凋零了。

  然而现在没有星和月光,没有僵坠的蝴蝶以至笑的渺茫,爱的翔舞。然而青年 们很平安。
  我只得由我来肉薄这空虚中的暗夜了,纵使寻不到身外的青春,也总得自己来 一掷我身中的迟暮。但暗夜又在那里呢?现在没有星,没有月光以至没有笑的渺茫 和爱的翔舞;青年们很平安,而我的面前又竟至于并且没有真的暗夜。
  绝望之为虚妄,正与希望相同!  

                   一九二五年一月一日

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5:29 午前  
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2009年に亡くなったマサオ・ミヨシが『オフセンター』の中で、谷崎潤一郎の『細雪』のラストが下痢の話になる
ことを誰も論じていないと書いていた(これは三島由紀夫や大島渚について辛辣だが的確な評を提示していて刺激
的な本だ)。
ミヨシはある種の侵犯及び反抗を読み取っているのだが、これは近代主義的な構図のもとにある読みであろう
(『源氏物語』の品定めを男女逆にしてパロディー化するところ等は確かに「侵犯」ではあるのだが)。

ところで、フランスのシンガーソングライター、セルジュ・ゲンスブールは死後発表することを定めていたインタビュー
のなかで、しかもその最後の発言として以下のように言っていた。

《「自分の下でする」というだろう。何しろ、「する」という動詞は最も原始的なる言葉だから。「私は音楽をする」
とか「私は映画をする」とか、「写真をする」、「詩をする」というけれど、私たちが小さい時には、「ママン、
しちゃったよ」と言うと何をしたかわかるだろう。》
(邦訳『ゲンスブール×2ノワール』128頁)

最後の、死後に天国で?インタビューしたという設定の発言はちょうどここで終わっている。

ゲンスブールも谷崎も最後(生涯の最後と作品の最後)に、より根源的な言葉、しかも母の記憶
と結びつくものとしてスカトロジーを選択したのである。
フロイト的な分析も可能だが、両者とも最後の最後まである種の逆説的なダンディズムを保持し
ていたことが特筆される。

3:05 午後  
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【文芸】村上春樹「小説を書く行為は一人で食べるカキフライに似ている。美味しいけど寂しい」©2ch.net
1 :シャチ ★@転載は禁止 ©2ch.net:2015/11/29(日) 21:01:40.24 ID:CAP_USER*
 朝日新聞デジタル 11月29日(日)20時49分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151129-00000041-asahi-soci
作家の村上春樹さんが、福島県郡山市で28、29日と開かれた文学イベントに参加した。
村上さんが国内のこうした催しで発言するのは珍しい。29日には約200人の前で作家らとのトークイベント。
想像力との付き合い方を巡って約2時間語り合った。イベントの合間には地元の高校生とも交流したという。

 この日、作家の古川日出男さんやレアード・ハントさん、翻訳者の柴田元幸さんらとともに「サプライズゲスト」として登壇した村上さんは冒頭、
「僕はカキフライの話をします」と切り出し、こう続けた。「一人で食べるカキフライはおいしいけど、寂しい。
寂しいけどおいしい。孤独と自由の関係のように永遠に循環する。自分の中にある言葉を一つ一つすくうという作業は孤独な作業で、
(小説を書くことは)一人カキフライに似ている。自分が小説を書いていると思うと頭が重くなるけど、カキフライを揚げているんだと思うと、楽になります」

 創作のきっかけについては、最初のシーンを思いつくことから始まることを明かし、
「そのシーンが頭の中で半年ぐらい、タクシーで渋滞に巻き込まれてるみたいにぐるぐる回っている。
それが半年くらいすると回り出す」と話した。

5:52 午前  
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ウンベルトサバ : おなかにやさしく
http://iltavolo.exblog.jp/tags/%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%B5%E3%83%90/



秋が来て
樹々の葉を血の
赤で染めると、おまえは心を最後の
通告みたいに、ざわめかす、古い渇きよ。
失われた日々の、
中途で放棄した仕事の、
有り得たのに、そうならなかった
ことどもへの悔恨を目ざませ、
木の葉のように、やがて
散るヒトの中に、
墓に勝ちたいという
漠然とした望みをおこさせる。

ウンベルト・サバ詩集
須賀敦子訳




サバの詩。
本を取り気になったのはこの詩でした。
渇きから望みへとサバらしい気持の流れを心地よく感じました。
一文づつ細かく読み解くと楽しそうですね。
サバを題材にした大学のイタリア語学科の授業を受けたかったなと思います。

写真は今年の軽井沢旅行から。
借景です。












Tags:#ウンベルトサバ #詩 #写真

7:44 午前  
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http://www.kinoshitakazuo.com/koukouki/k%20(26).html
「あなたは自分の人生についてどんな風に考えているの?」と彼女は訊いた。彼女はビールには口をつけずに缶の上に開いた穴の中をじっと見つめていた。
「『カラマーゾフの兄弟』を読んだことは?」と私は訊いた。
「あるわ。ずっと昔に一度だけだけど」
「もう一度読むといいよ。あの本にはいろいろなことが書いてある。小説の終りの方でアリョーシャがコーリャ・クラソートキンという若い学生にこう言うんだ。ねえコーリャ、君は将来とても不幸な人間になるよ。しかしぜんたいとしては人生を祝福しなさい」
 私は二本めのビールを飲み干し、少し迷ってから三本めを開けた。
「アリョーシャにはいろんなことがわかるんだ」と私は言った。「しかしそれを読んだとき僕はかなり疑問に思った。とても不幸な人生を総体として祝福することは可能だろうかってね」
「だから人生を限定するの?」
「かもしれない」と私は言った。
(村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』 新潮文庫)

2:17 午前  
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心の蔽いを解いた後、さらにそこから真実な心に蔽いかぶさったものを解き、真実なるものをみきわめよう
一荀子解蔽篇ー心者形之君也而神明主也

夏目漱石の作品研究2001/4
荻原桂子 266頁


「こゝろ」初版本表紙の謎: Blog鬼火~日々の迷走
http://onibi.cocolog-nifty.com/alain_leroy_/2009/10/post-b422.html


【荀子解蔽篇】心者形
之君也而神明之主
也【禮大學疏】總包萬
慮謂之心又【釋名】心
纖也所識纖微無不
貫也又本也【易復卦】
復其見天地之心乎
【註】天地以本爲心者



●書き下し文

【「荀子」解蔽篇。】心は形の君なり、而して神明の主なり。【「禮」・「大學」 疏。】總て萬慮を包む、之を心と謂ふ。又、【「釋名」。】心、纖なり。識る所、纖微も貫かざる無きなり。又、本なり。【「易」復卦。】復たは其れ、天地の 心を見るか。【註。】天地に本を以て心を爲す者





僕はこの康熙字典からの引用を、秦恒平氏のように「こゝろ」の解釈の一助とすることに、意識的に避けてきたのだが――そういう回避が明らかに愚劣であったということはずっと前から気づいてはいたのだが――

――君――今も僕には「こゝろ」は汲めども尽きぬ迷宮なのだ……

11:33 午前  
Blogger yoji said...


一荀子解蔽篇ー心者形之君也而神明主也
(心は肉体の君主であり、精神の主体です。)
心の蔽いを解いた後、さらにそこから真実な心に蔽いかぶさったものを解き、真実なるものをみきわめよう

夏目漱石の作品研究2001/4
荻原桂子 266頁


「こゝろ」初版本表紙の謎: Blog鬼火~日々の迷走
http://onibi.cocolog-nifty.com/alain_leroy_/2009/10/post-b422.html


【荀子解蔽篇】心者形
之君也而神明之主
也【禮大學疏】總包萬
慮謂之心又【釋名】心
纖也所識纖微無不
貫也又本也【易復卦】
復其見天地之心乎
【註】天地以本爲心者



●書き下し文

【「荀子」解蔽篇。】心は形の君なり、而して神明の主なり。【「禮」・「大學」 疏。】總て萬慮を包む、之を心と謂ふ。又、【「釋名」。】心、纖なり。識る所、纖微も貫かざる無きなり。又、本なり。【「易」復卦。】復たは其れ、天地の 心を見るか。【註。】天地に本を以て心を爲す者





僕はこの康熙字典からの引用を、秦恒平氏のように「こゝろ」の解釈の一助とすることに、意識的に避けてきたのだが――そういう回避が明らかに愚劣であったということはずっと前から気づいてはいたのだが――

――君――今も僕には「こゝろ」は汲めども尽きぬ迷宮なのだ……

onibi.cocolog-nifty.com/alain_leroy_/2009/10/post-b422.html

2009/10/02 - 心【荀子解蔽篇】心者形之君也而神明之主也【禮大學疏】總包萬慮謂之心又【釋名】心纖也所識纖微無不貫也又本也【 ... 復其見天地之心乎【註】天地以本爲心者 ... 僕はこの康熙字典からの引用を、秦恒平氏のように「こゝろ」の解釈の一助とすることに、意識的に避けてきた ... 2009/10/02 21:36 夏目漱石「こゝろ」


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1396140788
「心者形之君也。而神明之主也。出令而無所受令。自禁也自使也、自奪也自取也、自行也自止也。故口可劫而使墨云、形可劫而使詘申、心不可劫而使易意。是之則受、非之則辭。故曰心容其擇也無禁必自見、其物也雑博、其情之至也不貳。」

(心は肉体の君主であり、精神の主体です。自分の方から命令を出しますが、他から命令を受けることはありません。自ら禁じ自ら使います。自ら奪い自ら取る のです。自ら行き自ら止まります。口は無理やり黙らせたり、云わせたりできます。体は無理やり屈ませたり、伸ばしたりできます。でも心は無理やり意志を変 えさせることはできないのです。自ら「是」とすればこれを受入れ、自ら「非」とすれば受け付けません。だからこう言えるのです。心の状態は、物事を選択す るについては、禁じる者は無くて、自ら見て 〔自由に選択します。〕 物事は接する際は雑多ですが、その精髄の極致にあっては統一があって雑多になりません。)

- - - - - - - - - - - - -

11:36 午前  
Blogger yoji said...

筑摩教科書「空と風と星と詩」
http://homepage2.nifty.com/taejeon/Dongju/Chikuma.htm
 空と風と星と詩     茨木 のり子   (教科書本文)

 韓国で「好きな詩人は?」と尋ねると、
 「尹東柱(ユン・ドンジュ)」
という答えが返ってくることが多い。

    序詩

  死ぬ日まで空を仰ぎ
  一点の恥辱なきことを、
  葉あいにそよぐ風にも
  わたしは心痛んだ。
  星をうたう心で
  生きとし生けるものをいとおしまねば
  そしてわたしに与えられた道を
  歩みゆかねば。

  今宵も星が風に吹き晒らされる。(伊吹郷訳)

 二十代でなければ絶対に書けないその清冽な詩風は、若者をとらえるに十分な内容を
持っている。
 長生きするほど恥多き人生となり、こんなふうにはとても書けなくなってくる。

12:26 午前  
Blogger yoji said...

金子光晴
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/book/1075853713/l50
233 :吾輩は名無しである:2007/03/05(月) 00:19:25
今、仕事の必要上、リリーフランキーの「東京タワー」を読んでるんだが…
意外な事に、光晴の疎開時の作品「三点」を思い出す場面が多々あるよ…
ベストセラーてだけで読むの正直いやだったんだが、この共通性を頼りに読めるような気がしてきたよ

「三点」(抄)


父と母と子供は

三つの点だ。

この三点を通る円をめぐって

三人の心は一緒にあそぶ。



三点はどんなに離れてゐても

円のうえをめぐりあふ。

三点はどれほどちがつてゐても

円に添うて心が流れあふ。

わかりあふ。


思潮社
現代詩文庫103所収67~9頁

11:29 午後  
Blogger yoji said...

■[旅行] 定年退職記念の家族旅行に招待されて(画像は、焼津のホテルの脇で見つけたほころびはじめた八重桜)
 3月末日をもって30年以上務めた仕事から退いた。このことを記念して、今は巣立って別々に暮らしている子供たちから、記念の旅行に招待された。子供らが企画運営のすべてをはこんだ旅行は、これが初めて。我ら夫婦は喜んでこれに参加することにした。
 集合地点は、静岡県焼津市、今は、別々に暮らす家族が集合するのに地理的に都合の良い中間地点、そこに久しぶりに元家族のメンバーが全員集合した。このメンバー、元は一軒の住宅でほぼ20年近くともに暮らし、身を摺り寄せるようにして家族の濃密な葛藤を繰り返し、やがて雛たちは自立して住処を他所に移していった。
 親鳥は年の割には元気だが、職業生活から撤退する時期を迎えた。いささかの感慨なきにしもあらず。ホテルの部屋に集えば、あら不思議、たちまち以前のファミリーの雰囲気が復活、ふたたび濃密な時間が流れだしたことだった。
 集合したメンバーの寝顔をみながら、ふと思い出した詩がある。金子光晴が、1945年の2月に戦火を逃れた山中湖のほとりで書いた詩。核家族のいじらしい真情がそくそくと伝わってくる名作、記念にそっくり引用してみよう。家族の結束の不思議に思いをはせながら。
http://d.hatena.ne.jp/toumeioj3/comment/20060411/p1


三点(金子光晴)
   山中湖畔に戦争を逃れて

父と母と子供は
三つの点だ。
この三点を通る円をめぐって
三人の心は一緒に遊ぶ。

三点はどんなに離れていても
円のうえでめぐりあう。
三人は、どれほどちがっていても
円に添うて心がながれあう。わかりあう。

危い均衡の父と母とを、
安定させるのは子供の一点だ。
異邦のさすらいは
子供からさかれている悲しさだった。

父と母の魂は
あるとき、すさみはてていた。
長江の夕闇ぞらに
まよい鳥の声をききながら。

シンガポールの旅の宿で、父と母は
熱病で枕を並べながら。
モンパルナスの屋根裏の窓に
うらはらな雲行を眺めながら。

父は母をうろうと
企らみ、
母は父から逃れようと、
ひそかにうかがっていた。

だが一万里へだてた
遠い子供の一点がそれを許さなかった。
三点をつなぐ大きな円周は
地球いっぱいにひろがった。

ニッパ椰子をわたる
夜半のしぐれに
父は子供の呼声をきいた。
それはバッパハの岬の泊。

その時、フラマン通りの鎧戸のうちで、
母は、不吉な夢をみた。
うなされたような夜の船出で
こころもそらに母はかえってきた。

ぢれぢれとして待ち焦がれつつ
三つの点はちぢまってゆき
やがて、しまいこまれた。
小さな一つのかくれ家に。

父は毎日、餌をさがしにゆき、
母は、煙りのように原稿紙をかさね、
子供は背丈がのびていった。
三点をよぎる円は、こよなき愛。

この宿命的な肉親のつながりを
年月よ。ゆがめるな。
この透明な輪を、稀な完璧を、
戦争よ。めちゃくちゃにしてくれるな。

父と母と、子供は
三つの点だ。
この三点を通る周のうえで
三人の心はいっしょにあそぶ。

母よ。私たちは二度ともう
子供の一点を見失うまいよ。
さもなければ、星は軌道からはづれ、
この世界は、ばらばらにくづれるからね。

三本の蝋燭の
一つの焔も消やすまい。
お互いのからだをもって、
風をまもろう。風をまもろう。



 ある時代から、人類は家族という最小の共同体を営み、その形態のなかに種の再生産と知と情の再生産の託してきた。家族を形成した社会は、今のところ繁栄を続けている。家族が、かつてのように家という形態に集約されて、社会や国家に利用される日が来ないことを祈る。

11:31 午後  
Blogger yoji said...

【文芸】村上春樹はいかにして「世界のムラカミ」になったのか 初期翻訳者は語る「たまたま日本語で書いている、アメリカの作家」 [無断転載禁止]©2ch.net
1 :
的井 圭一 ★@無断転載は禁止 私がベッキー★です©2ch.net
2016/05/14(土) 13:12:13.21 ID:CAP_USER9
今や世界で最も有名な日本の作家、村上春樹。英語版のオフィシャルサイト(http://www.harukimurakami.com/)を覗くと、謎めいた雰囲気が印象的だ。
英語で読むファンが期待するムラカミ像が、そこに垣間見える。

なぜ村上作品は、世界の読者にここまで受け入れられるのか。「羊をめぐる冒険」など一連の初期作品の英訳を手がけた翻訳者のアルフレッド・バーンバウムさんに話を聞いた。

https://img.buzzfeed.com/buzzfeed-static/static/2016-05/11/5/enhanced/webdr09/longform-original-26781-1462958103-8.jpg
アルフレッド・バーンバウムさん

「村上さんは日本の作家じゃないんですね。たまたま日本語で書いている、アメリカの作家ですよ」と話すバーンバウムさんは、アメリカ出身の60歳。インタビューには、流暢な日本語で応じてくれた。

村上作品との出会いは30歳くらいのころ、東京に住んでいた時だ。友人が何気なく貸してくれた。

日本で育ち、各国に移り住んできたバーンバウムさん。村上作品に出会う少し前まで、早稲田大学大学院で大正時代の日本文学を研究していた。
しかし、日本文学に深く入り込んでいくにつれ、気になることがあった。

「日本文学、暗いなあ、と思うようになりました。私小説が多くて、それは家族の不和だったり、世間の無理解を嘆くものだったり、どうにもウェットで」

そんな折、偶然手にした村上作品は、軽快で、私小説的な文体とかけ離れていた。

「明るいユーモアがとにかく新鮮だった。あと、アメリカっぽい皮肉。アメリカ人のように書こうとしているのがわかったよ」

処女作「風の歌を聴け」の序文は、英語で書いたものを和訳したものだ。バーンバウムさんはムラカミ文体の成立について、こう考えている。

「村上さんは、趣味でアメリカの小説をよく読んでいた。あの、ライトな感じが欲しかったんだろう」。
だが、日本語で執筆すると、どうしても重くなる。「英語っぽくすると、書きやすくなることに気づいたんだと思う」

「日本文学の暗さ」を突破する村上春樹。バーンバウムさんは、短編集「中国行きのスロウボート」の何編かを、誰に頼まれるわけでもなく翻訳した。
元々がアメリカ文学のようだった。翻訳はすんなり進んだ。

当時、講談社は、英語を学ぶ日本人向けに、日本の小説を英訳したシリーズを出していた。バーンバウムさんは「中国行きのスロウボート」の英訳を、講談社に持ち込んだ。
すると、「風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」を翻訳しないかと持ちかけられた。

80年代から90年代にかけて、村上春樹の初期作品を次々と翻訳していく。「羊をめぐる冒険」「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」「ダンス・ダンス・ダンス」「象の消滅」「アンダーグラウンド」。
英語学習者でなく、海外の読者を念頭に翻訳され、出版された。

バーンバウムさんによる「羊をめぐる冒険」のタイトルの英訳は、「A Wild Sheep Chase」になった。英語のa wild goose chase(手に入らないものを追い求めること)という表現にひっかけたものだ。バーンバウムさんは、欧米の読者にとってストーリーがすっと頭に入りやすいように細部を大胆に変えて訳している。

村上さんは以前、バーンバウムさんの訳について、このように語っている。

「バーンバウムの訳はここがスポッと抜けているけど、いいんですか、村上さん」と言われたりするんだけど、僕は読んでいて気がつかなかったんだよね。
というのは、書いたあとでぜんぜん読み返さないから、何を書いたのか書いた本人も忘れちゃっている。でもまあ結果として、おもしろければそれでいいじゃないかと思うんですよ。
あまりうるさいことは言いたくないという気持ちもある。自分の書いた本なのに「おもしろいじゃない」と他人事みたいに言って、最後まで読んでしまえるというのは、訳として成功していると言っていいんじゃないかと思います。
(村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話』、2000年、文春新書)


村上春樹はいかにして「世界のムラカミ」になったのか 初期翻訳者は語る BuzzFeed Global Adaptation 2016/05/14 08:59
https://www.buzzfeed.com/mamikonakano/sekai-no-murakami

10:01 午後  
Blogger yoji said...

日本語ラップと韻 その1:韻トロダクション : 日本語ラップの基礎研究
http://nihongorap.exblog.jp/18473611/

 [福韻書:抜粋]
 (※実際の表記方法に準じる)

 語尾「あ」グループ
 【ああ】
 スキャナー
 マナー
 サバイバー
 キラー
 エラー
 データ
 アリゲーター
 ターミネーター
 ナビゲーター
 プロテクター
 レーダー
 インジケーター
 ラバーズ
 パートナー

 ラッパー
 アッパー
 バンパー
 (※以下略)

9:51 午後  
Blogger yoji said...

マイブック 黒澤明『戦争と平和』『白痴』を語る。
https://youtu.be/NXNNoOeVYQk
ひるまえほっと20151021

6:00 午後  
Blogger yoji said...

>>66
そうそう。
で、「物語や内容をカッコに入れる」という態度は
結局現状維持を認めるってことなんだよな。
なにせ「物語」なしに主体的変化なんてないからな。
「希望」も「疑問」も物語であり、それはすなわち「持たざる者」の物語に外ならない。
まあハスミンの思想は「持てる者」の思想なんですよ。
ハスミンは「物語」なしにここまで来れたわけで。

6:01 午前  
Blogger yoji said...

「芥川:僕は谷崎氏の作品に就て言をはさみたいが、重大問題なんだが、谷崎君のを読んで何時も此頃通説に感ずるし、僕も昔書いた「藪の中」な
んかに就ても感ずるのだが話の筋と云うものが藝術的なものかどうかと云う問題、純藝術的なものかどうかと云うことが、非常に疑問だと思う。」

「芥川:筋が面白いために藝術的の価値が低下すると云うことはない。それは積極的ではない。併し谷崎氏のは往々にして
面白いと云う小説と云うものに、其筋の面白さで作者自身も惑わされることがありやしないか。」(「新潮」1927年2月号)
「筋の面白さは、云い換えれば物の組み立て方、構造の面白さ、建築的の美しさである。此れに藝術的価値がないとか云えない。(材料と組み立て
とはまた自ら別問題だが、)勿論此ればかりが唯一の価値ではないけれども、凡そ文學に於いては構造的美観を最も多量に持ち得るものは小説であ
ると私は信じる。筋の面白さを除外するのは、小説と云う形式が持つ特権を捨ててしまうのである。そうして日本の小説に最も欠けているところは、
此の構成する力、いろいろ入り組んだ筋を幾何學的に組み立てる才能、に在ると思う。」(谷崎「改造」:1927年3月号)

「「話」らしい話のない小説は勿論唯ただ身辺雑事を描いただけの小説ではない。それはあらゆる小説中、最も詩に近い小説である。しかも散文詩
などと呼ばれるものよりも遙はるかに小説に近いものである。僕は三度繰り返せば、この「話」のない小説を最上のものとは思つてゐない。が、若
し「純粋な」と云ふ点から見れば、――通俗的興味のないと云ふ点から見れば、最も純粋な小説である。」(芥川「改造」:1927年4月号)

7:01 午後  
Blogger yoji said...

"Je est un autre."
― Arthur Rimbaud (13 mai 1871)

「私は他人(ひと)である。」

11:13 午前  
Blogger yoji said...


鎮 静 剤
              マリー・ローランサン
                  堀口大學 訳
退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。
悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。
不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です。
病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です。
捨てられた女より もっと哀れなのは よるべない女です。
よるべない女より もっと哀れなのは 追われた女です。
追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です。
死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。


Marie Laurencin (1885-1956)

Le calmant. marielaurencinportraitofawoman

"Plus qu'ennuyée
Triste.
Plus que triste
Malheureuse.
Plus que malheureuse
Souffrante.
Plus que souffrante
Abandonnée.
Plus qu'abandonnée
Seule au monde.
Plus que seule au monde
Exilée.
Plus qu'exilée
Morte.
Plus que morte
Oubliée".

5:05 午前  
Blogger yoji said...

村上春樹的にワールドカップを語る
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/wc/1206758252/

123 :名無しが急に来たので:09/02/17 18:20 ID:sywUvZf.
「オーストラリアの壁の前では僕らは壊れやすい卵に過ぎません」
がっくりと肩を落としながら、わざと明るい声で松井が言った。
「そうかもね」
二人きりのロッカールームで岡田は新聞記者の前とはまったく違ったうつろな表情で答えた。
「俺だってサッカー協会の前では卵に過ぎないよ」
「あなたもですか」
「そうさ」
しかし、うつろな中年男を前に、松井は卵の殻で覆われた何か得体の知れない高い壁を目の前に見ているような気がした。
「フランスワールドカップの直前でカズさんを外したときあなたは壊れやすい卵からかたくなな壁に変わったんですよ」こう言いかけて松井は口をつぐんだ。ローカールームの明かりが消えた。
松井は60年代にボビーダーリンあたりがこんな歌を歌っていなかっただろうか?と思い出した。

「弱いものたちが夕暮れさらに弱いものを叩く」

考え込んでいる松井に岡田は言った。
「何だって?」
岡田は松井の唇の動きを見のがさなかった。
「お前はもう先発で使わないよ」
「わかってますよ」
松井はその細い眼をとじた。

9:52 午後  
Blogger yoji said...

芭蕉.com/奥の細道全国マップ
http://www.basyo.com/ogaki/02.html
芭蕉.com

奥の細道シリーズ

奥の細道MAP
場所 千住
現在地名 東京都足立区、荒川区
俳句 行春や 鳥啼き魚の 目は泪
俳句(かな) ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ
句意 春が去って行こうとしているが、春との別れは人間ばかりでなく、鳥や魚も惜しむらしい。鳥は悲しげに鳴き、魚の目には泪があふれているようだ。
解説 元禄2年(1689年)3月27日、芭蕉は深川から舟で隅田川を遡り、千住大橋の北側あたりに上陸しました。そこで見送りの人々と別れるときに詠まれた句で、「矢立の初め」(旅日記の一句目)と記されています。いよいよ旅の始まりです。
■自治体リンク 足立区 http://www.city.adachi.tokyo.jp/
荒川区 http://www.city.arakawa.tokyo.jp/

5:11 午後  
Blogger yoji said...


http://oshiete.goo.ne.jp/qa/232384.html
昔は学校で習ったり、本を読んだりして「知っていて当たり前」だった「いろは」です。(ちなみに私は60代)

「色は匂へど散りぬるを 我が世誰そ常ならむ 有為の奥山今日越えて 浅き夢見し酔ひもせす」

これは、48文字すべての仮名を一度だけ使って詠んだ歌で、これには感心しますよね・・・

意味は「すべてのものは一瞬光り輝くが やがては散ってしまう 私が住むこの世界もいつまでもあると誰が言い切れるだろうか いろいろある世間を今日も越えて行く 浅くはかない夢を見まい それに酔いしれもしまい」
と言う事ではないでしょうか・・・

人生を達観した人の歌だと思います。
我流です。他の人の解説も参考にして私も改めて勉強したいと思います。

いろは歌| 古典・古文 解説音声つき
http://koten.kaisetsuvoice.com/iroha.html
で、結句。

「あさき夢みじ 酔いもせず」

あさき夢…つまり、はかない夢なんか、もう見ないぞ。
世の中のゴチャゴチャしたね、出世だ金だ、
あいつのほうが俺より不当に評価されてるだ、
心を悩ませることは、もうそういうのは、捨てたと。

「酔いもせず」もう酔っ払わない。これは酒のことだけじゃないですよ。
名誉だ、欲だという、いろいろな迷いから、
解放されたんだという、

悟りの歌。悟りの境地です!!


6:07 午後  
Blogger yoji said...

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7:05 午後  
Blogger yoji said...

鴎外の好物はご飯の上に四つに割った饅頭を載せ湯をかけたもの

奇異に思うが食べてみるとインスタントのおしるこで
甘過ぎず美味しい

鴎外の文章も似ている

雁などは読みやすく完成度も高い

10:07 午後  
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マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや寺山修司

8:52 午後  
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【お役所】「なぜアイウエオ順に改められないのか」河野太郎議員による年金事務所の「イロハ順」問題提起がネットで話題に★3 [無断転載禁止]©2ch.net

1 :記憶たどり。 ★:2016/12/26(月) 07:52:41.86 ID:CAP_USER9
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161224-00000027-it_nlab-sci

自民党の河野太郎議員が12月23日のブログで、日本年金機構の
年金事務所におけるファイルの整理方法について疑問点を指摘。
「アイウエオ順」ではなく「イロハ順」を使用していることについて
今後調査する意向を示しています。

投稿によると、全国の年金事務所のうち「アイウエオ順」を使用している
ところが114カ所、「イロハ順」を使用しているところが198カ所と、
イロハ順の方が多い現状が明らかに。ネットでは「唖然とする」
「何のたとえ話かと思ったら現実だった」「こんなことになっていたのか」
と話題に。

これに対し河野議員が「通常の並び順でないため、担当者がすぐに
ファイルを取り出せず非効率ではないか」と質問したところ、
厚労省年金局から「“イロハニ”に不慣れな職員が対応に困ったり、
お客様を長時間お待たせしないように、各職員の机にイロハニ順を
書き出した紙を要しするなどとともに、ファイルの保管について、
管轄地域ごとにイロハニ順とし、さらにファイルボックスにもインデックスを
貼ることで、保管場所がすぐに分かるような工夫を行っています」と、
今後もこの方針は変えずに取り組む予定だとの回答が。

ブログでは、見事に「イロハニホヘトチリヌルヲ ワカヨタレソツネナラム」
とファイル管理のラベルに書かれている画像も公開。この多くの人が
不慣れであろう仕様に、「なぜアイウエオ順に改められないのか」と、
今後自民党行政改革推進本部で調査する予定だとしています。


河野太郎議員のブログ
https://www.taro.org/2016/12/%e3%81%84%e3%82%8d%e3%81%84%e3%82%8d%e3%82%a4%e3%
83%ad%e3%83%8f%e3%81%aa%e7%9a%86%e6%a7%98%e3%81%b8.php

前スレ
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1482623501/
1が建った時刻:2016/12/25(日) 06:40:01.93

7:05 午後 削除

8:53 午後  
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原詩はブレヒト


ゼニの効用力について(加川良) / コード譜 / ギター - J-Total Music!
http://music.j-total.net/data/006ka/015_kagawa_ryou/005.html
F Am / G Am / F Am / G Am /

Dm      G        F        Am
 ねぇ おまえさん方よ ゼニをいやしいものと思うなら
Dm       G     F      Am
 言っとくがその考えは 間違っていますよ
F     Am      G   Am
 この世は冷たいよ ゼニが無けりゃ
F         Am     G       Am
 そう ここにいるアンタ達にも言えることですよ
Dm    G       F    Am
 ゼニの力が働けば この世は金色さ
Dm      G      F      Am /
 凍ってたものも とけて 日にあたたまる

F Am / G Am / F Am / G Am /

Dm      G         F        Am
 ねぇ おまえさん方よ ゼニなどくだらんものと思うなら
Dm       G     F      Am
 言っとくがその考えは 間違っていますよ
F       Am     G   Am
 この世はさみしいよ ゼニが無けりゃ
F         Am         G         Am
 そう おまえさん方は飢えるだろうし 手当たり次第に 奪い合う
Dm     G    F      Am
 ゼニさえ有れば 厄介事も起こらない
Dm        G         F          Am  /
 ゼニの無いやつぁ夢さえ持てず あの世へ行く日を待ちわびるだけ

F Am / G Am / F Am / G Am /

Dm      G        F        Am
 ねぇ おまえさん方よ ゼニをいやしいものと思うなら
Dm       G     F      Am
 言っとくがその考えは 間違っていますよ
F     Am      G   Am
 この世は冷たいよ ゼニが無けりゃ
F        Am       G           Am
 そう 善人だって 偉人だって それにそのまま 当てはまる
Dm    G       F        Am
 ゼニを信じぬ堅物が 偉大を目指せるものじゃない
Dm     G        F       Am
 人として目指すのは 善じゃなくて ゼニなんだ

F     Am   G    Am
 正しいものが 正しくなるさ
F     Am   G    Am /
 正しいものが 正しくなるさ

F Am / G Am / F Am / G Am /
F Am / G Am / F Am / G Am / …

2:02 午前  
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5つ星のうち5.070年代フォークを超えた歴史的傑作
投稿者yojiseki2004年2月29日
形式: CD
『教訓』以降も傑作(『駒沢あたりで』『one』など)を発表している加川良だが、この作品が代表作であることに間違いない。70年代フォークといった文脈を離れて、歴史的に屹立している作品である。ブレヒトやケストナーの翻案もさることながら(加川良は知識人だ)、音楽的にもアメリカンフォークの最良の部分を受け継いでいる。「銭の効用力について」(byブレヒト)のエレキギター、「できることなら」の価値観(スローの先駆)、「戦争しましょう」のヒューモア等、素晴らしいの一言。ギター一本だけでもそのライブは素晴らしく、ボブ・マーリーやボブ・ディランにも匹敵するパフォーマーであることも付け加えておきたい。なお、この作品は早川義夫がプロデュースを担当している。

2:03 午前  
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小松左京 「ゴルディアスの結び目」|ジャズと映画と娯楽小説
http://soe006.com/novel.php?no=050518
「ゴルディアスの結び目」(「渦」に関する一行メモ)
要塞のような病院に、マリア・Kという可憐な少女が収容されている。
鋭い牙と頭部に角状の突起物を生やした少女には、邪悪な存在が憑依しており、鉄のバンドで身体を拘束されているにもかかわらず、騒霊現象(ポルターガイスト)を起こし、病室内をメチャクチャに破壊する。
精神分析医が少女の深層心理に侵入し、"憑きもの"の正体に迫るが、病室は大音響とともに内部に向かって崩壊し、収縮しはじめた。
その理由や内部の物理的構造、一切の情報が解明されないまま、かつて「マリアの部屋」と呼ばれていた病室は収縮を続け、やがてマイクロ・ブラック・ホールへと成長してゆく。

5:34 午前  
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小松左京
ゴルディアスの結び目


「想像力は?ーーミンコフスキイという 、歴とした理論数学者がいてね 。彼の空間論は 、現代科学に大きな貢献をしたが 、反面 、彼は四次元空間について 、妙な事を考えた 。霊体だけが 、この空間に滲透できる 、と言うんだ 。 ─ ─ニュ ートン 、ライプニッツはじめ 、すぐれた理論学者は 、同時に奇妙な神秘思想も抱きやすい 。ミンコフスキイの考えも 、彼の正統的業績からすれば 、とるにたらぬ妄想にすぎないだろうが 、こういう所では 、 〝妄想 〟さえも 、その効果をためしてみたくなる … … 。アレキサンダ ーではないが 、ほどこうとしてほどけない 〝ゴルディアスの結び目 〟にたちむかったら 、たとえ乱暴と思われるやり方でも 、ためしてみるまでさ 。 ─ ─さあ 、行こう 、マリア … … 」

5:41 午前  
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RT @maika_mac16: 【文豪の血液型】 夏目漱石→A型、尾崎紅葉→B型、泉鏡花→B型、与謝野晶子→O型、志賀直哉→AB型、谷崎潤一郎→A型、芥川龍之介→A型、江戸川乱歩→O型、宮沢賢治→O型、坂口安吾→A型、太宰治→AB型、松本清張→A型、三島由紀夫→A型 ※文献で…

bnal_agatsuma (我妻@文アル) - 18:31
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4:04 午前  
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RT @maika_mac16: 【文豪の血液型】

夏目漱石→A型、
谷崎潤一郎→A型、
芥川龍之介→A型、
坂口安吾→A型、
三島由紀夫→A型
松本清張→A型、

尾崎紅葉→B型、
泉鏡花→B型、

与謝野晶子→O型、
江戸川乱歩→O型、
宮沢賢治→O型、

志賀直哉→AB型、
太宰治→AB型、

※文献で… bnal_agatsuma (我妻@文アル) - 18:31 いいね リツイート 返信

4:08 午前  
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北斗さん、ガチ\(^^)/ 春止めて 心無にして 建長寺 #おじゃMAP #香取慎吾 #山本耕史 #SMAP

sin5sora (scene five📎FIVE+1☆) - 2017/3/29(水) 19:41
いいね
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返信

12:08 午後  
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【韓国】村上春樹氏が語った「歴史問題についての考え」に韓国ネットが注目=「素晴らしい」[07/18] [無断転載禁止]©2ch.net

1 : たんぽぽ ★@無断転載は禁止2017/07/18(火) 16:01:18.44 ID:CAP_USER>>16
2017年7月18日、韓国・ソウル新聞によると、7年ぶりの長編小説「騎士団長殺し」の韓国語版を発売した村上春樹氏が、韓国メディアとのインタビューで歴史問題についての自身の考えを明らかにした。韓国でも息の長い人気を誇っている村上氏が韓国メディアとのインタビューに応じるのは今回が初めて。

村上氏は今回の小説で南京大虐殺に触れ、日本の右翼団体から批判を受けた。また、韓国は最近、歴史教科書をめぐって左右対立が激化し、両国において歴史観の対立は常に現在進行形で続いている。

村上氏はインタビューで「歴史において純粋な白黒を決める判断はあり得ないが、現在のネット社会では『純粋な黒か白か』という原理で判断されがちだ。そうなると言葉は固まって死んでしまう。人々は言葉をまるで石のように扱い、相手に投げつける。これはとても悲しいことであり、危険なことだ」と指摘した。その上で「小説は断片的な思考に対抗するために存在する。そのような意味で、今こそ小説が一種の(良い意味の)戦闘力を備えなければならない時。もう一度、言葉を蘇生させなければならない。言葉を温かいもの、生きているものとして扱わなければならない。そのためには必然的に良識と常識が要求される」と主張した。

村上氏は小説の持つ物語の力を強調しつつも、ある目的を持って理念の道具として使われることについては警戒を示した。今回の作品で村上氏が東日本大震災を扱ったように、韓国では2014年のセウォル号惨事以降、文学の役割をめぐる論争が続いている。村上氏は「大きく深い集団的な心の傷を有効に表現し、癒すことが文学の役割ではあるが、明確な目的を持って書かれた小説は大部分が文学的に成功できないという事実を肝に銘じなければならない」と指摘した。その上で「(傷を癒すことは)作家1人1人に与えられた重大な課題だ。目的を抱きながらも、その目的を超える、もしくは消してしまうような全ての人が共有できる何かを構築しなければならない」と述べた。

この報道に、韓国のネットユーザーからは「信念を持った知識人の話は表現も素晴らしいね」「韓国の作家たちに聞かせたい言葉」「後世に残る本物の芸術は今の時代では好まれないかもしれない。結局、全ての人に好まれる芸術は消耗品ということ」など村上氏の発言に共感するコメントが寄せられている。また、「村上氏の発言には日韓間の歴史紛争への介入を拒否するという深い意味が込められている」と指摘する声もあった。

(以下略、続きはソースでご確認下さい)
http://sp.recordchina.co.jp/newsinfo.php?id=184715&ph=0

12:10 午前  
Blogger yoji said...


http://yojiseki.exblog.jp/m2007-09-01/
ただひとり踊れ
凍りつく山の中でただひとり踊れ
遠ざかる汽車に背を向けてただひとり踊れ
過ぎて行く時に逆らいただひとり踊れ
燃え上がる闇の中でただひとり踊れ

信じられる何かも温もりのある何かもみんな消え去った
「神は死んだ」というその言葉さえもう聞こえては来ない

ただひとり踊れ

6:43 午後  
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起承転結/起承鋪叙結/起承鋪叙過結 読み方 - Key Needs
allkeyneeds.info › ...
2012/06/08 - 興味をひく話しのつくりかた□□□. ○国語、文章に興味を持てる興味深いトピックス・10円玉は四角い・リンゴが食べたい. ・・レトリック。修辞技法。修辞学。 ・・・様々なものがあるのでここでは分類だけ ...
プロット/四段構成/三段構成/五段構成/六段構成
jhnet.sakura.ne.jp › tentatively › whatsplot
起」で書いた事柄を受け、さらに進めて理解を促すことにより、物語の導入(起)から、物語の核となる部分(転)へつなぐ役目を果たす部分。 基本的には、 ... 中国では、これを散文の一形式とし、「起承鋪叙結」と称している ...
プロット四段構成三段構成五段構成
守破離序破急起承転結起承鋪叙結起承鋪叙過結これ以外に、もっとない... - 知恵袋 - Yahoo! ...
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp › q...
2012/12/31 - これ以外に、もっとないんです.
【見よう見まね】見習ってます。小説や映画の構成がすばらしいって、どういうことだ?【起承鋪叙過結】|稲次将人オフィシャルブログ「イナよイヤよも好きのうち」Powered by Ameba - アメーバブログ
https://ameblo.jp › entry-12096051322
小説も同じように起承転結の上には起承鋪叙結、起承鋪叙過結ってのがあるみたいです。 今その概念の存在に初めて気づいた。起承鋪叙過結っていったいなんなんだというところ。 起=起こす。発端。問題提示。
全てがとんでもなく優しい世界 - 起承転結 - 小説家になろう
ncode.syosetu.com › ...
男「はい。5段構成は 起承鋪叙結 ( きしょうほじょけつ ) 、6段構成は 起承鋪叙過結 ( きしょうほじょかけつ ) ですね」 先輩「なるほど、でもどうして起承転結が基本とされているのかな? 1番使いやすいのかな?」 男「理由は ...
起承転結 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org › wiki › 起承転結
起承転結(きしょうてんけつ)とは、4行から成る漢詩(近体詩)の絶句の構成を指す。1行目から順に起句、承句、転句、結句と呼ぶ。もとの中国語(漢文)では、起承転合 (現代中国語: 起承转合, ピン音: qǐ chéng zhuǎn ...
起承転結とは (キショウテンケツとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
dic.nicovideo.jp › 起承転結
2013/01/01 - ... の構成の定番と言われる手法である。 概要 一般的に物語の構成は 起・・・物語の始まり 承・・・ 起の続き 転・・・物語の転機、核となる部分。いわゆ. ... 序破急; 起承鋪叙結. というのもある。 が、何事も例外というの ...
小説家になるには? 小説:物語の構成
novel.blog.shinobi.jp › ...
なかには、起承鋪叙結といって、五段構成のものもあります。 並べてみると、構成にこだわる必要もない気がしてきます。 最初の方で、物語の中で必要な情報を提示したり、謎や主人公の目的を示して、読者の関心を引く。 次に ...

7:50 午前  
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正岡子規 未発表句を発見 (産経新聞) - Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170822-00000526-san-soci
正岡子規 未発表句を発見
8/22(火) 18:40配信産経新聞

正岡子規 未発表句を発見
歳旦帳に書かれた正岡子規の未発表句。「暗きより元朝を騒く子供哉」(左)と「寝後れて新年の鐘を聞きにけり」(右)=子規庵(正岡子規旧宅)、台東区根岸(原田史郎撮影)(写真:産経新聞)

 明治期の俳人、正岡子規(1867~1902年)の未発表句5句や自画像などが収められた「歳旦(さいたん)帳」が見つかったことが22日、分かった。東京の子規庵保存会が発表した。今年生誕150年を迎える子規の俳句がまとまって新たに見つかるのは極めて異例で、子規の晩年の句風が分かる貴重な資料といえる。

 「歳旦帳」は子規が亡くなる前年の明治34年の正月、年始のあいさつに訪れた客の記帳用に子規が用意した芳名録のようなもの。元旦から数日間、子規の家に置かれ、弟子の俳人、河東碧梧桐(へきごとう)ら来客に加え、子規自身も俳句や絵を書き込んでいた。

 「歳旦帳」は、子規の全集などでその存在が紹介されたことはあったが、長年所在不明になっていた。その後、平成26年に子規の高弟の関係者が子規庵保存会に寄託。神奈川大名誉教授で国文学者の復本一郎さんが調査し、無記名でだれの句か分からない5句を、筆跡などから子規の未発表句と断定した。

 見つかった子規の俳句は、<寝後れて新年の鐘を聞きにけり><暗きより元朝を騒く子供哉>など、明治期の正月の情景を簡潔かつ写実的に描いた句が並ぶ。復本さんは「いずれの句も内容が良いことに加え、晩年の子規が俳句の『分かりやすさ』を追究していたことがよく分かる貴重な発見だ」と話す。

 また、新たに発見された2点の自画像は、今も教科書などで親しまれている横顔の写真を子規が気に入り、参考にして描いたものだという。このほか、画家の中村不(ふ)折(せつ)が病床の子規を描いた絵なども収められていた。

 「歳旦帳」は子規の命日である糸瓜(へちま)忌に合わせ、9月1日から30日まで、東京・根岸の子規庵で展示される。

 発見された「歳旦帳」に記載されていた正岡子規の未発表句5句は次の通り。

 〈寝後れて新年の鐘を聞きにけり〉

 〈暗きより元朝を騒く子供哉〉

 〈うらうらと初日の影や枯木立〉

 〈初夢や巨燵ふとんの暖まり〉

 〈留守の戸に名刺投込む御慶かな〉

11:55 午前  
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青春 朱夏 白秋 玄冬
アオ アカ シロ クロ

5:47 午前  
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芥川の恋文、初公開へ 「小鳥ノヤウニ幸福デス」:芸能・社会:中日スポーツ(CHUNICHI Web)
http://www.chunichi.co.jp/s/chuspo/article/2017092701000725.html
芥川の恋文、初公開へ 「小鳥ノヤウニ幸福デス」

2017年9月27日 06時46分
 作家の芥川龍之介(1892~1927年)が結婚前の妻に送った恋文が、東京都北区の田端文士村記念館で10月7日から初公開される。「愛シテ居リマス」「小鳥ノヤウニ幸福デス」という甘く熱っぽい言葉は妻の文の回想録などで紹介されていたが、直筆が公になるのは初めての機会だ。
 1918年2月に結婚した芥川と文。ラブレターは400字詰め原稿用紙の切れ端に書かれていた。文はその紙を便箋に貼り付け、しまっていたという。
 「ワタクシハアナタヲ愛シテ居リマス コノ上愛セナイ位 愛シテ居リマス ダカラ幸福デス 小鳥ノヤウニ幸福デス」
(共同)

 初公開される芥川龍之介のラブレター(芥川耿子さん提供)

3:58 午後  
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Nobel Laureates and Country of Birth
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/lists/countries.html
Japan (25)
The Nobel Prize in Physics 1949
Hideki Yukawa
"for his prediction of the existence of mesons on the basis of theoretical work on nuclear forces"

The Nobel Prize in Physics 1965
Sin-Itiro Tomonaga
"for their fundamental work in quantum electrodynamics, with deep-ploughing consequences for the physics of elementary particles"

The Nobel Prize in Physics 1973
Leo Esaki
"for their experimental discoveries regarding tunneling phenomena in semiconductors and superconductors, respectively"

The Nobel Prize in Physics 2002
Masatoshi Koshiba
"for pioneering contributions to astrophysics, in particular for the detection of cosmic neutrinos"

The Nobel Prize in Physics 2008
Yoichiro Nambu
"for the discovery of the mechanism of spontaneous broken symmetry in subatomic physics"

The Nobel Prize in Physics 2008
Makoto Kobayashi
"for the discovery of the origin of the broken symmetry which predicts the existence of at least three families of quarks in nature"

The Nobel Prize in Physics 2008
Toshihide Maskawa
"for the discovery of the origin of the broken symmetry which predicts the existence of at least three families of quarks in nature"

The Nobel Prize in Physics 2014
Isamu Akasaki
"for the invention of efficient blue light-emitting diodes which has enabled bright and energy-saving white light sources"

The Nobel Prize in Physics 2014
Hiroshi Amano
"for the invention of efficient blue light-emitting diodes which has enabled bright and energy-saving white light sources"

The Nobel Prize in Physics 2014
Shuji Nakamura
"for the invention of efficient blue light-emitting diodes which has enabled bright and energy-saving white light sources"

The Nobel Prize in Physics 2015
Takaaki Kajita
"for the discovery of neutrino oscillations, which shows that neutrinos have mass"

The Nobel Prize in Chemistry 1981
Kenichi Fukui
"for their theories, developed independently, concerning the course of chemical reactions"

The Nobel Prize in Chemistry 2000
Hideki Shirakawa
"for the discovery and development of conductive polymers"

The Nobel Prize in Chemistry 2001
Ryoji Noyori
"for their work on chirally catalysed hydrogenation reactions"

The Nobel Prize in Chemistry 2002
Koichi Tanaka
"for their development of soft desorption ionisation methods for mass spectrometric analyses of biological macromolecules"

The Nobel Prize in Chemistry 2008
Osamu Shimomura
"for the discovery and development of the green fluorescent protein, GFP"

The Nobel Prize in Chemistry 2010
Akira Suzuki
"for palladium-catalyzed cross couplings in organic synthesis"

The Nobel Prize in Physiology or Medicine 1987
Susumu Tonegawa
"for his discovery of the genetic principle for generation of antibody diversity"

The Nobel Prize in Physiology or Medicine 2012
Shinya Yamanaka
"for the discovery that mature cells can be reprogrammed to become pluripotent"

The Nobel Prize in Physiology or Medicine 2015
Satoshi Ōmura
"for their discoveries concerning a novel therapy against infections caused by roundworm parasites"

The Nobel Prize in Physiology or Medicine 2016
Yoshinori Ohsumi
"for his discoveries of mechanisms for autophagy"

The Nobel Prize in Literature 1968
Yasunari Kawabata
"for his narrative mastery, which with great sensibility expresses the essence of the Japanese mind"

The Nobel Prize in Literature 1994
Kenzaburo Oe
"who with poetic force creates an imagined world, where life and myth condense to form a disconcerting picture of the human predicament today"



The Nobel Prize in Literature 2017
Kazuo Ishiguro
"who, in novels of great emotional force, has uncovered the abyss beneath our illusory sense of connection with the world"



The Nobel Peace Prize 1974
Eisaku Sato

6:58 午前  
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20171005

6:58 午前  
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ポータル 文学
内山 美樹子(うちやま みきこ、1939年10月18日[1] - )は、日本の近世文学、特に18世紀浄瑠璃の研究者、早稲田大学名誉教授。

実業之日本社で『少女の友』主筆だった内山基(1903年 - 1982年)[2]、内田百閒の娘で[3]、同誌の編集者でもあった翻訳家の内山多美野(1913年 - 1988年)の長女として東京に生まれる。1962年、早大文学部演劇学卒業。1971年、同大学院博士課程単位取得満期退学。早大第一文学部教授、1989年、『浄瑠璃史の一八世紀』で早大文学博士号を取得。第22回河竹賞受賞。2010年、定年退任。

近松門左衛門研究に偏りがちな浄瑠璃研究の世界で、近松以後の作家は近松よりも構成力に優れると評価し、近世浄瑠璃の全体像に迫ろうとしている。

目次
著書
共編著
校訂

著書 編集

浄瑠璃史の十八世紀(勉誠社 1989年、のち勉誠出版から再刊)
文楽 二十世紀後期の輝き―劇評と文楽考(早稲田大学出版部、2010年)
共編著 編集

文楽・歌舞伎 日本古典芸能と現代(志野葉太郎共著 岩波セミナーブックス、1996年4月)
岩波講座歌舞伎・文楽(全10巻 鳥越文蔵・渡辺保共編、1997年-1998年)
校訂 編集

新日本古典文学大系『竹田出雲・並木宗輔浄瑠璃集』(角田一郎と校註、1991年)
同『近松半二江戸作者浄瑠璃集』(延広真治と校註、1996年)
杉山其日庵『浄瑠璃素人講釈』桜井弘共編(岩波文庫、2004年)
注 編集

[ヘルプ]
^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.303
^ 早稲田大学會津八一記念博物館の内山基コレクションは、美樹子と妹の美和子の寄贈による。早稲田大学所蔵近代美術データベース 概要
^ 遠藤寛子『『少女の友』とその時代—編集者の勇気 内山基』本の泉社、2004
執筆の途中です この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
ノート

4:47 午前  
Blogger yoji said...

 5月27日放送の「嵐にしやがれ」(日本テレビ系)に芥川賞作家でお笑い芸人のピース・又吉直樹さんが出演した。11日に2作目の小説『劇場』(新潮社)を出版したばかりの又吉さんが講師となり「又吉先生プレゼンツ 本を読まない人のための文学講座」が開催された。普段本に触れる機会がない人でも、読んでみようと思える文学作品が紹介された。
■絶対に外さない本の選び方

 まず嵐のメンバーに本を選ぶ基準について聞いた又吉さん。松本潤さんは「内容」と即答し、櫻井翔さんは「新聞にたまに書評が載ってるんですけど、あれで引っかかるときがありますね」と知的な答えを返す。しかしその他の3人は気乗りしない様子で目をそらしていた。
 又吉さんは「本を買う以上失敗したくないですよね」と理解を示しながら、本を買う際は「文学賞受賞作品から選ぶといい」とアドバイスする。「普段本を読まない人には『本屋大賞』がお薦め」だという。同賞は目利きの書店員さんたちが選んでいるため、読みやすくハズレのない作品が選ばれている。また受賞作は映像化されることも多く、櫻井翔さんが主演を務めた『謎解きはディナーのあとで』東川篤哉[著](小学館)も2011年に大賞を受賞している。
■本を読まない人でも楽しめる一冊とは

 又吉さんの書棚を再現したコーナーでは又吉さんのオススメの一冊も紹介された。
 松本さんに「ちょっとずつ読んでも楽しめる本は?」と問われた又吉さんは、歌人の穂村弘さんのエッセイ『もうおうちへかえりましょう』(小学館)を紹介した。「一気に読まなくても、一つ一つ章立てがされていますんで。それでいてただのエッセイじゃない。ずっと余韻に浸れる」と短歌を鑑賞しているような読後感のある一冊だと薦めた。
生者と死者 : 酩探偵ヨギガンジーの透視術
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泡坂 妻夫  著
価格:594円(税込)
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 大野智さんは本を読んでいると「眠くなるんですよ」と読んでも眠くならない本をリクエスト。それに対し又吉さんは『生者と死者―酩探偵ヨギ ガンジーの透視術』泡坂妻夫[著](新潮社)をオススメした。この文庫本は特殊な仕掛けが施されており、本全体が14の袋とじになっている。袋とじのままだと短編小説となっており、短編を読んだあとに袋とじ部分を切り開くと、全く違う長編小説があらわれるのだ。櫻井さんは「すげえ、どうやって考えたんだろう」と感心していた。
 また太宰治の『桜桃・雪の夜の話 – 無頼派作家の夜』(実業之日本社)に収録されている「桜桃」を薦め、「ちょっと悲しい話。やるせない。20~30分で読める。ここに入っている短編全部面白いやつだ」と絶賛していた。
 番組では又吉さんによる比喩表現講座も行われた。
「嵐にしやがれ」は日本テレビ系列にて毎週土曜よる9時から放送中。

8:07 午後  
Blogger yoji said...

第8回 『細雪』ーー大阪弁が現代文で書かれるようになった時代|K氏の大阪ブンガク論|みんなのミシマガジン
http://www.mishimaga.com/mrk-osaka/008.html
 昭和4〜5年にかけて、谷崎の助手を務めた高木治江さんの『谷崎家の思い出』(構想社/1977年)という著書がある。
 高木さんは明治40年(1907)大阪市生まれ。大阪府女子専門学校卒後、谷崎家に住み込んで『卍』や『蓼喰ふ虫』の大阪弁指導・添削を行った。今でこそ和田竜さんのダブルミリオン・セラーの『村上海賊の娘』では執筆と同時に、NHK大河ドラマのように大阪〜泉州弁方言指導が入って「16世紀の海賊的大阪侍」のリアリティを再現し大いに成功したが、

「そうだ。僕が望んでいるのは、従来の大阪弁ではなくて、君達のようなインテリィの間で日常交わされている、現在生きている大阪弁で書きたいと思っているので、そのつもりで進めてもらいたい」(p.23)


 などと、谷崎自身の非常に興味深い発言を入れている。
 谷崎の草稿を読む高木さんは、会話文を中心に折々にふれ「この大阪弁ちょっとですわ。本当の大阪弁と違いますよ」と注意を入れ、『蓼喰ふ虫』では母方が京都の女性であることから京都弁の監修もやることになった。

 そんなところからもさすが文豪・谷崎、大阪〜関西語の奥行きと表現の多彩さを十分すぎるぐらいわかっているのが読み取れる。
 「そらそやろ、中姉(なかあん)ちゃんの幸子のモデルが嫁はんの松子さんやんかいさぁ」とK氏はあまり普段使わない古っぽい大阪弁でわざと強調するのであった。

 この長編小説は書かれる半分が四姉妹とその周りの会話で成り立っているが、このところ大阪語大阪弁文学に深く入り込んでるそのK氏をして「完璧ちゃいますか」と言わしめている。

4:26 午前  
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[No.185][2013/05/11] 星の王子さま-21 @ 日本語勉強会 :: 痞客邦 PIXNET ::
http://studyjapanese.pixnet.net/blog/post/49267422-%5Bno.185%5D%5B2013-05-11%5D-星の王子さま-21
- 仲よくなる?

- うん、そうだとも。おれの目から見ると、あんたは、まだ、いまじゃ、ほかの十万もの男の子と、べつに変わりない男の子なのさ。

だから、おれは、あんたがいなくたっていいんだ。あんたもやっぱり、おれがいなくたっていいんだ。あんたの目から見ると、おれは、十万ものキツネとおんなじなんだ。だけど、あんたが、おれを飼いならすと、おれたちは、もう、おたがいに、はなれちゃいられなくなるよ。あんたは、おれにとって、この世でたったひとりのひとになるし、おれは、あんたにとって、かけがえのないものになるんだよ・・・・・・

  と、キツネがいいました。



- なんだか、話がわかりかけたようだね。花が一つあってね・・・・・・。その花が、ぼくになついてたようだけど・・・・・・

  と、王子さまがいいました。

- かもしれないな。地球の上にゃ、いろんなことがあるんでねえ・・・・・・

  と、キツネがいいました。

- 地球の上の話してるんじゃないんだよ

  と、王子さまがいいました。

12:40 午前  
Blogger yoji said...

[No.185][2013/05/11] 星の王子さま-21 @ 日本語勉強会 :: 痞客邦 PIXNET ::
http://studyjapanese.pixnet.net/blog/post/49267422-%5Bno.185%5D%5B2013-05-11%5D-星の王子さま-21
-  うん、そうだとも。おれの目から見ると、あんたは、まだ、いまじゃ、ほかの十万もの
男の子と、べつに変わりない男の子なのさ。
だから、おれは、あんたがいなくたっていいんだ。あんたもやっぱり、おれがいなくたって
いいんだ。あんたの目から見ると、おれは、十万ものキツネとおんなじなんだ。だけど、
あんたが、おれを飼いならすと、おれたちは、もう、おたがいに、はなれちゃいられなく
なるよ。あんたは、おれにとって、この世でたったひとりのひとになるし、おれは、あんた
にとって、かけがえのないものになるんだよ・・・・・・
  と、キツネがいいました。
 
-  なんだか、話がわかりかけたようだね。花が一つあってね・・・・・・。その花が、ぼくに
なついてたようだけど・・・・・・
  と、王子さまがいいました。
-  かもしれないな。地球の上にゃ、いろんなことがあるんでねえ・・・・・・
  と、キツネがいいました。
-  地球の上の話してるんじゃないんだよ
  と、王子さまがいいました。
 

12:41 午前  
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Media Tweets by 七千夜叉 (@volantverba) | Twitter
https://twitter.com › volantverba › media
The latest media Tweets from 七千夜叉 (@volantverba). 《完成された話より辻褄が合わないくらいのほうがいい。( 諸星大二郎)》 かくして辻褄の合わない話をひとくさり。. 賽の七の目あるいは虹の8番目の帯.

12:56 午前  
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「ナボコフ・コレクション」刊行記念対談

巨象ナボコフの全体像が見えてきた
今年で没後40年を迎えるウラジーミル・ナボコフ(1899-1977)。
ロシア語と英語を自在に操り、「言葉の魔術師」と謳われた天才の
本邦初のコレクションを監修したふたりが、ナボコフの現代的魅力を語り尽くす。

img_201711_04_1.jpgimg_201711_04_2.jpg
若島正 × 沼野充義

沼野 若島さんはこの九月に『アーダ』の新訳(早川書房刊)を出されたばかりですね。翻訳に十年かかったとか。

若島 ナボコフの作品の中で、僕は『アーダ』が一番好きなんです。でもそういう人はあんまりいませんね。

沼野 ナボコフの英語時代の頂点となる作品です。長大で難解を極め、研究者が寄ってたかって注釈をつけている。

若島 やりすぎなんですよ。それで『アーダ』は毛嫌いされる。ジェイムズ・ジョイスで言うと『ユリシーズ』なら何とかついていけるけど、『フィネガンズ・ウェイク』になるともう無理!みたいな。

沼野 それに、一九七〇年代に邦訳された旧版を読んでも、残念ながらさっぱり面白さがわからない。だから日本の読者はこれまで、本当の意味でナボコフを読めていなかったと思うんですよ。今回、『アーダ』の本格的な新訳がようやく出たことの意義は大きいですね。

6:32 午後  
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【和歌山】「熊野大学」夏期セミナー 中上健次、1968年と78年を切り口に 新宿という「大学」そして部落青年文化会[08/30]

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1坊主 ★2018/08/30(木) 23:45:14.83ID:CAP_USER
座談会で話す(左から)高澤秀次さん、●(糸へんに圭)秀実さん、やなぎみわさん=和歌山県新宮市で18日
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2018/08/30/20180830dde014040005000p/9.jpg
サムネイル読み込み中···


 作家の中上健次(1946~92年)が故郷・熊野に開設した文化組織「熊野大学」の夏期恒例セミナーが18、19日、和歌山県新宮市で開催された。テーマは「中上健次1968/1978-新宿という『大学』そして部落青年文化会」。10年を隔てた二つの時代、東京・新宿と新宮という二つの場所を切り口に中上文学が議論された。全国から約50人の聴講生が集まった。

 パリの五月革命、プラハの春、ベトナム反戦運動--。「世界史の転換点」とされる68年。3年前に上京していた中上は、新宿の芳醇(ほうじゅん)な時代の空気のなかでフーテン暮らしをしながら、詩や小説を文芸誌に発表していた。ジャズ喫茶に入り浸り、学生運動にも参加した。10年後、作家としてキャリアをスタートさせていた中上は、のちの「熊野大学」につながる「部落青年文化会」を発足。吉本隆明、石原慎太郎さんら文化人を新宮に招き連続公開講座を実施した。

    ■   ■

 今年のセミナーでは、まず劇作家の宮沢章夫さんが、中上の傾倒したフリージャズのサックス奏者、アルバート・アイラーの音楽をバックに講演した。70年代の自身の新宿体験を語り「68年に『高揚』を迎えた新宿の文化は、72年ごろには終わっていたと思う」と述べた。また新宿を舞台にした中上の小説「灰色のコカコーラ」(72年)の一部を朗読。「全編に新宿のにおいがする。中上健次の60年代と新宿の雰囲気が封じ込められている」と評した。

 続いて文芸評論家の〓(すが)秀実さんが、全学連(全日本学生自治会総連合)を主導したブント(共産主義者同盟)の歴史を振り返り、中上と政治活動、左翼運動との接触について言及。第2次ブントのグループが上京した中上にオルグ(活動への勧誘)をかけていたことなどを話した。「ブントとの関係は、ほとんどの研究者は対象にしていなかった。荒岱介(あらたいすけ)(ブント戦旗派元議長)が、仏科学哲学者のバシュラールを中上に紹介した。水や火、空気、大地などがどのように文学にイメージされているかを読み解くバシュラールの考え方は、作品に影響を与えた」と指摘した。

 文芸評論家の高澤秀次さんは、「路地」の再開発と部落青年文化会について講義した。会が発足した78年、新宮市の地区改良事業として住宅造成が開始された。解体されていく「路地」を中上は16ミリフィルムに収め、古老の聞き取り音声を録音した。「中上が精力的に動き始めたとき、部落青年文化会は手足として動いた。文化活動というより高度に政治的な活動だった。その後『隈(くま)ノ会』(熊野大学の前身)を設立したときには、ある種の政治性がなくなった」と解説した。

    ■   ■

 セミナーではほかに現代美術家のやなぎみわさん、静岡大准教授の山本崇記さんが登壇した。また、78年3月の文化会の公開講座で話す中上の映像が流された。小説の登場人物のモデルになった古老の音声とその言葉を取り上げていた。東京という外部からの視線を交え、出自である「路地」に本格的に向き合い始めたことがうかがえる。

 「新宿という大学」とは中上の言葉である。また熊野大学の出発時には「校舎も入学試験もない、卒業は死ぬとき」という言葉を掲げた。町や土地、出会う人々そのものが学びにあふれた「大学」になるという意味だ。68、78年からさらに時を下った2018年。今回のセミナーは熊野大学という場や出発点を見つめ直す内容になった。【棚部秀行】

毎日新聞 2018年8月30日 東京夕刊
https://mainichi.jp/articles/20180830/dde/014/040/006000c

7:23 午前  
Blogger yoji said...

2005年10月17日
起承転結「糸屋の娘は目で殺す」
【659】
起承転結「糸屋の娘は目で殺す」
岡島昭浩
- 05/1/10(月) 18:14 -
----
起承転結の例として挙げられる
○○○○糸屋の娘
姉は十六妹は十四
諸国(諸)大名は弓矢で殺す
糸屋の娘は眼で殺す

というのがありますが、これは、頼山陽が説明したと言われることがよくあります。
近藤春雄『中国学芸大事典』(大修館書店)の「起承転結」では頼山陽のみを載せますが、同氏『日本漢学大事典』の「京都三条糸屋の娘」の項では、頼山陽と梁川星巌をあげ、星巌は「京都三条糸屋の娘」、山陽は「大阪本町糸屋の娘」と言ったとしています。参考文献として簡野道明『唐詩選詳説』p693・塩谷温『唐詩三百首新釈』p37を挙げていますから、どちらかが星巌で、どちらかが山陽なのでしょう。

この伝説を記録したものは、かなり多く、web上にも見られます。書籍上でもそうですが、頼山陽は、作ったことになっていたり、例として引いたことになっていたり、さまざまですし、詩句にも小異があり、「伝説」にふさわしいものです。

辞典類では上記の他に、皓星社『隠語大辞典』の「眼で殺す」の項によって、『かくし言葉の字引』(1929)に、
めでころす【眼で殺す】:美女が色眼をつかつて男子を悩殺することをいふ。頼山陽が門弟に詩句の起承転結の作法を教ゆる為めに作つたと伝へられて居る文句に、「大阪本町糸屋の娘、姉は二十一妹は二十歳、諸国大名は刀で殺す、娘二人は眼で殺す」といふのがある。〔情事語〕
とあることが分かります。

松下大三郎『標準日本口語法』(p326)に、
諸國諸大名は刀で殺す絲屋娘は目で殺す、どうも此の結句が巧いて。
という例があることをついでに書いておきます。文末の「て」の例です。

加藤咄堂「青年指導と雄弁」(文部省社会教育局『話法と朗読法』昭和10.7.25)には、
この起承転結を或詩人が
  京の三條の絲屋の娘、姉は十八妹は十五
   諸国大名は刀で殺す、絲屋娘は目で殺す
初めの「京の三條の絲屋の娘」これが起で、それを承けて「姉は十八妹は十五」パツと転じて「諸国大名は刀で殺す」これがどう結ばれるかと思ふと「絲屋娘は目で殺す」かういふのが起承転結であります。
とあります。

宮崎来城『漢詩自在/作詩術』(明治36.7.1初版。大正2.12.15の四版による)p275-276には、次のようにあります。

頼山陽は初学の徒に結句法を示すに今様を以てしたことが有るさうな
 大阪本町の絲屋の娘
絲屋の娘で筆を起した、此れ起句、
 姉が十六妹は十四
而かも其娘は姉妹で有る、齡は十六と十四で有るといふことを述べて上句を承けた、此れ承句、
 諸国諸大名は刀で斬るが
絲屋の娘に何の関係もない諸侯【「諸候」とあるを訂正】のことを出した、此れ転句、
 いと屋の娘は目で殺す
絲屋の娘はの五字を出して、起句、承句を顧み、目で殺すに四字を出して転句を顧み、以て全編を収束した、此れ結句。
彼の読孟甞君伝といひ、此今様といひ、ともに絶句の起承転結法を学ぶの捷逕としては殊に宜しい。


乗附春海『古今各体/作詩軌範終』明治26年3月27日 穎才新誌社には、次のように。

 起句 君をはじめて見る時は
 承句 千代も経ぬべし姫小松
 転句 御前のいけのかめ岡に
 結句 鶴社群れ居て遊ぶめれ
(中略)
又頼山陽翁か初学者に絶句法を示すには此の今様を以てすと云ふ
 起句 大坂本町糸屋のむすめ
 承句 姉は十六いもとは十四
 転句 諸国諸大名は刀で斬るが
 絶句 いと屋の娘は眼で殺す
是れ絶句作法の捷徑ならん。第三句に実事を述ぶべきは前に載する古人の論を見て悟るべし。

ちなみに、この前にある
 赤蜻蜒羽を切ったら唐辛
是れ其殺風景にして味無し。之を前後して
 唐辛羽を着けたら赤蜻蜒
と云へば雅味自ら存せり。故に意を取捨し言を前後するに因て雅俗も亦自ら分る者なり。又連歌師流の言に「山畠助兵衛」と云へば尋常農人の如く聞ゆ。之を顛倒して「畠山兵衞助」と云へば舘持の一人の名の如し。
とあるのも面白いところです。三十年ほど前に、あのねのねが歌った「赤とんぼ」で、「赤とんぼ羽を取ったらあぶらむし」というのがありましたが、「羽を取ったら唐辛子」だろう、と思った記憶(理屈ではなく言葉として)があります。

さて、この伝説は頼山陽に近づくことが出来るのでしょうか(数日後に続く)。


【674】
Re:起承転結「糸屋の娘は目で殺す」
岡島昭浩
- 05/1/13(木) 2:36 -
----
中央公論社の『随筆百花苑』第2巻「在臆話記」第四集巻六に、
山陽後兵児の詩の、眉斧開剖壮士腸。此語は、南品の流行俚歌にて、薩士は刀で殺し、吾妻女は目で殺すと唄ひたる也。
と見えます(p149)。

「在臆話記」は、江戸時代のことについて書いていますが、明治40年頃の筆のようです。

さて、この「後兵児の詩」は「後兵児謡」で、
蕉杉如雪不愛塵 長袖緩帯学都人
怪来健児語言好 一操南音官長嗔
蜂黄落 蝶粉褪 倡優巧 鉄剣鈍
以馬換妾髀生肉 眉斧開剖壮士腸
というものです(岩波文庫『頼山陽詩抄』ではp101)。

美人の眉が壮士の腸を開剖する、というのですね。薩摩の俚謡「吾妻女は目で殺す」を頼山陽が翻案して漢訳したらこれになった、というのでしょうか。

この伝説と山陽とが、すこし違う方面で関わりを持っている記録でした。


なお、「南音」と、薩摩言葉について触れているのも、興味を引きます。




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つい読んでしまっていた
読み方が分からない漢字表記の語 #
若い人のことば #
この人が作った ##
近刊『日本語源大辞典』(小学館)

11:20 午前  
Blogger yoji said...

http://kotobakai.seesaa.net/article/8239445.html

11:20 午前  
Blogger yoji said...

https://ncode.syosetu.com/n2751bl/25/
頼山陽の以下の俗謡より抜粋


起 「京の三条の」糸屋の娘

承 姉は十六妹十四

転 諸国大名は弓矢で殺す

結 糸屋の娘は目で殺す


面「どうだ、わかったか?」

サ「ぜんぜんわっかんねぇ!!」

11:22 午前  
Blogger yoji said...

脚本家の北川悦吏子氏(56)がオリジナル作品として朝ドラに初挑戦し、女優の永野芽郁(19)がヒロインを務めたNHK連続テレビ小説「半分、青い。」(月〜土曜前8・00)は29日、最終回(第156話)を迎え、完結した。
北川氏が「『朝ドラだから、こういうことはやめておこう』という考え方はせず、一切逃げないで書いた156本だったと思っています」と振り返った“従来にない朝ドラ”への挑戦だっただけに、視聴者の賛否や議論も巻き起こしたが、大きな反響を呼び、結実。
インターネット上には放送終了を惜しむロスの声も多く見られた。

最終回は2011年7月、「そよ風ファン」の発売決定記念パーティーが「つくし食堂」で行われることに。
晴(松雪泰子)らが総出で準備を進める中、鈴愛(永野)はある人の言葉にヒントを得て「マザー」という扇風機の名前を思いつく。
律(佐藤健)と津曲(有田哲平)は早速、商品名を変更するために動き始める。
夕方になり、つくし食堂には顔なじみが勢揃い。パーティーには東京から律も駆けつけ、鈴愛と律はマザーに込めた思いを語り始める…という展開。

鈴愛と律は1971年(昭46)7月7日、七夕に同じ病院で生まれた“運命”の幼なじみ。
10代最後の七夕の別れ、5年後の夏虫駅のプロポーズ、お互いの結婚・離婚…。
紆余曲折の末に、2人は会社「スパロウリズム」を立ち上げ「そよ風の扇風機」を開発した。
40年に及ぶ歩みがフィナーレを迎え、SNS上には「早くも鈴愛ロス」「終わってまった。律ロスすぎて泣ける」「毎日(主題歌の星野)源さんロスだわ〜」「梟会でスピンオフとかないのなー?」「終わってしまった…。2人の幸せな笑顔。私まで幸せな気分。じわっとあふれる涙。芽郁ちゃん、健くん、北川先生、キャストやスタッフのみなさま 素敵な半年間をありがとうございました」「このドラマは2人の大恋愛物語だったんだな。紆余曲折して一番大切な人に気づく。40年かけて結ばれた。律はいつも鈴愛の右側でささやく。律の優しさが好きだ。律ロスになりそう」などと放送終了を惜しむロスの声も多く見られた。

一方、北川氏は「スライス・オブ・ライフ」の手法(フランスの劇作家ジャン・ジュリアンが提唱。日常の1場面を切り取るという手法)を採ったと説明したが、目まぐるしい展開にはインターネット上などで一部、批判の声が上がった。
朝の情報番組「あさイチ」(月〜金曜前8・15)の2代目キャスターを務めるお笑いコンビ「博多華丸・大吉」の博多華丸(48)が“朝ドラ受け”で「早いっ!カレンダーめくるの、早いっ!頂戴、紆余曲折」とツッコミを入れた第104話(7月31日)など、急展開があったことは否めない。



視聴率は指標の1つに過ぎないが、週平均(ビデオリサーチ調べのデータを基に算出、関東地区)は第7週(5月14〜19日)以降、19週連続の大台20%超え。
全話を通じた期間平均は16年後期「べっぴんさん」の20・3%、17年前期「ひよっこ」の20・4%、17年後期「わろてんか」の20・1%を上回ることが見込まれている。

(全文はコチラ)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180929-00000071-spnannex-ent

NHK連続テレビ小説「半分、青い。」 永野芽郁
http://pbs.twimg.com/media/DoN77WCVYAU2253.jpg

7:16 午後  
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【文学】幻の「横光利一句集」発行 父の出身地、大分県宇佐市

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1みつを ★2019/01/28(月) 08:42:15.82ID:Lt92G9pg9
https://this.kiji.is/462401266925536353

幻の「横光利一句集」発行
大分県宇佐市、父の出身地
2019/1/28 08:36
©一般社団法人共同通信社

 作家横光利一(1898~1947年)の幻の俳句集を、父の出身地である大分県宇佐市が発行した。横光が他界した翌年に追悼句集として企画されたものの、戦後の物資不足により出版目前でお蔵入りとなっていた。四六判190ページで千円。同市の市民図書館で販売している。

 俳人の高浜虚子(1874~1959年)らは横光の死去を受け、翌48年に「横光利一句集」を編集。「靴の泥 枯草つけて 富士を見る」といった268句を選び、虚子らは序文の執筆も終えていた。

 句集は2千部限定発行。問い合わせは同図書館(リンク先に電話番号あり)

3:59 午後  
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ブルガーゴフ『巨匠とマルガリータ』 - 恋人よ、これが私の一週間の仕事です
https://mamiko-w.hatenablog.com/entry/20120822/1345601266
「残念ながら、お見せできないのです」と巨匠は答えた。「暖炉で燃やしてしまったからです」
「失礼ですが信じられませんね」とヴォラントが答えた。「そんなはずはない。原稿は燃えないものなのです」p.428

3:19 午前  
Blogger yoji said...


https://mamiko-w.hatenablog.com/entry/20120822/1345601266

ブルガーゴフ『巨匠とマルガリータ』

2012-08-22
読んだ本
久しぶりに本の感想を。ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』読了(21日)。

巨匠とマルガリータ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-5)
とにかくすごい!傑作なんて言葉じゃ生ぬるい。
モスクワにヴォラントと名乗る悪魔が現れさあ大変。作家の首は吹っとび、詩人は発狂、女は素っ裸で箒にまたがり空を飛び、愛する男を救おうとする…。悪魔たちのよくわからない魔術によってとんでもないことが次々起こる(「悪魔の大舞踏会」の素晴らしさよ!)テンションの高い物語がまず楽しい。あとはなんといってもヴォラントとその手下たちのキャラクター。特にでかくてしゃべる黒猫が好き。

そんな調子で、最高、読み終わりたくないなんて思いながら楽しんでいたらこんな場面が出てくる。ヴォラントが巨匠の書いた小説を見せてくれ、と言うと…

「残念ながら、お見せできないのです」と巨匠は答えた。「暖炉で燃やしてしまったからです」
「失礼ですが信じられませんね」とヴォラントが答えた。「そんなはずはない。原稿は燃えないものなのです」p.428

完全に不意打ちを食らってじーんとしてしまった。ブルガーゴフはこの作品を発表のあてもなく晩年に書き続けていたそうだ。そして彼が亡くなった後、その「原稿」が本として、しかも日本語に訳されて私たちの手元にあるのだから、そう、確かに原稿は燃えないものらしい。

あとは気に入ったところをご紹介。

「屋上に姿を現すなり、愚かな真似をしたが、それがどういうことが言ってやろうか、その話し方が愚かだというのだ。まるで影を、また悪を認めないようではないか。こういう問題を考えようとはしないのか、もしも悪が存在しないなら、おまえの善はどうなる、もしも地上から影が消えてしまうなら、地球はそういうふうに見えるだろうか? なにしろ、影は物や人間があってこそできるものではないか。ほら、ここに剣の影がある。だが、影は樹木や生き物からもできる。さえぎるものとてない光を楽しみたいという空想のために、あらゆる生き物を地上から一掃し、地球全体を丸裸にしてしまいたいのか? お前は愚か者だ」p.534

「何をおっしゃるのです? だって、あなたのことを恋人は巨匠と呼んでいるではありませんか、あなたは思慮のある人です、それなのに、どうしてあなたがたが死んだりできるのでしょう? 自分が生きていると実感するためには、どうしても、病院用のシャツとズボン下を身につけて地下室に閉じこもっていなければならないのでしょうかね? そんなのは滑稽です!」p.552

まあ全部悪魔の言うことなんですが、なんでこいつらはこんなにかっこいいこと言うのでしょうか。

3:20 午前  
Blogger yoji said...


https://dot.asahi.com/amp/aera/2020042300036.html?__twitter_impression=true

本を売る努力を尽くしている? ベテランが教える論理的でクールな「売れる棚の作り方」

更新 2020/4/26 17:00
 AERAで連載中の「この人この本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。「書店員さんオススメの一冊」では、売り場を預かる各書店の担当者がイチオシの作品を挙げています。

 矢部潤子さんの著書『本を売る技術』は、取引、流通から売り場作り、掃除、POPに至るまで、本を売るための技術と考察をまとめた一冊だ。「書店の仕事にはすべて道理がある」という矢部さんに、同著に込めた思いを聞いた。

【写真】「手描きポップごと買える」青森のクールすぎる書店はこちら

*  *  *
「本が売れない」と言われて久しい。だが『本を売る技術』の著者・矢部潤子さん(62)は「本当に、売る努力をし尽くしているのでしょうか」と問う。

 36年間、書店の現場で働いてきた矢部さんは、出版社の人間から全幅の信頼を寄せられてきた。だが自分の好きな本を展開するといった、いわゆる「カリスマ書店員」とは趣が異なる。

「売れる本は平台の左端に積む」「同じ著者の本は、刊行順に左から並べる」「咲く(売れる)場所に本を置く」などなど、本書に書かれているのは、矢部さんが現場で磨き上げてきた「売れる書店を作る」ための具体的なノウハウだ。

 特筆すべきは「なぜ、そうするのか」の裏付けがクールで論理的なこと。そこに書店員の個人的な「思い」が入り込む余地はない。

「書店をいかに運営するかというノウハウは複雑でお店ごとに違うから、マニュアル化されにくかった。現場で先輩に習ったり、人の仕事を見て盗んだりとか、口承でやってきたんです。けれど気がつくと、かつては当たり前だった売るための技術が継承されなくなっていました」

 理由はいくつもある。単純に正社員の店員が減っていること。先生役となるべき40~50代がマネジメントで忙しく、現場に出られないこと。

「いろいろな理由が積み重なって、書店の土台が崩れてきていると感じます。日々、入ってくる新刊をどのように置くか。お客様が負担なく本を見て、買いたい気持ちになる動線や、本の情報を仕入れること。掃除を心がけ、平台を整理していくのも大事です。その場にある武器(本)を使って売り上げを出していくのは、機械的な手順の話だけではおさまりません」


 たとえば売り上げが下がってきた時にどうするか。サイン会などのイベントは参加者分の売り上げが実績として見えやすいが、一過性だ。

「土台となるべき日常の売り場をきちんとしておかないと、売り上げは維持できません。崩れた石垣の上に城が建てられますか」

 20年前に比べると書店の数はほぼ半減し、2割の自治体で「書店消滅」が起こっている。その一方で、入場料をとる書店や独立系の書店のニュースを目にするようになった。

「いわゆる街の書店と独立系の書店との間には溝があるように思います。多様な書店が街にあることが、健全なのではないでしょうか。本を売るために書店ができることは、まだまだあると思います」

(ライター・矢内裕子)

2:00 午前  
Blogger yoji said...

26緋文字2020/05/06(水) 18:13:07.06ID:6hOXeBP60
胸の緋文字のAはadultery(姦淫)の頭文字で
罪の象徴であり、死ぬまでその恥辱の印を身に
着けていなければならなかったのである

2:17 午前  
Blogger yoji said...

ロス・マクドナルド(Ross Macdonald)

https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2020/09/hayakawas-mystery-magazine1973-1-no.html

2:51 午前  
Blogger yoji said...

「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」 | 光華女子学園
良寛さんは江戸時代の末期1758年、越後の名主の長男として生まれ、18歳で出家し曹洞宗光照寺で修業を積まれました。22歳の時、玉島(岡山県 ...
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「うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ」 : 楽しい生活・活きな人生
2017/01/03 — うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ」. これは、良寛の辞世の句である、孤高の人、良寛にふさわしい、さみしい句だと思っ ...

12:57 午前  
Blogger yoji said...

#シブ5時

「うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ」
良寛の辞世の句

1:00 午前  
Blogger yoji said...


http://ogikubo-bunshi.a.la9.jp/toku-kanshu.html

井伏鱒二と「サヨナラだけが人生だ」(勧酒)
井伏鱒二と「サヨナラだけが人生だ」(勧酒)


       
唐代の詩人于武陵(うぶりょう)の詩「勧酒」(かんしゅ)に付した井伏の訳は妙訳として名高い。
「井伏鱒二の項」でも触れたが、書き下し文、和訳、意味などについて詳記する。
 
           勧 酒  (于武陵)    (書き下し文)  酒をすすむ 

           勧君金屈巵         君きみに勧すすむ 金屈巵きんくつし
           満酌不須辞         満酌まんしゃく 辞じするを須もちいず
           花発多風雨         花はな発ひらけば 風雨ふうう多おおし
           人生足別離         人生じんせい 別離べつり足たる


          和訳(直訳)   (井伏鱒二の訳)
君に この金色の大きな杯を勧める  コノサカヅキヲ受ケテクレ
なみなみと注いだこの酒 遠慮はしないでくれ ドウゾナミナミツガシテオクレ
花が咲くと 雨が降ったり風が吹いたりするものだ  ハナニアラシノタトヘモアルゾ
人生に 別離はつきものだよ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ

(註)・金屈巵=把手(とって)がついた黄金の大型の杯。
   ・満酌=杯になみなみと酒をつぐこと。
   ・不須辞=辞退する必要はない。
   ・足=多い。
  {参考サイト} (広島県観光連盟)
 「ひろしま観光ナビ 観光スポット
       -井伏鱒二文学碑」
    ★ 書き下し文について     

極く一般的な書き下し文を載せた。ネット検索すると、微妙に異なる文も見受ける。
例えば、「花発多風雨」は、「花発(ひら)いて」が相当数あり、
「人生足別離」は、「人 生きては 別離足(み)つ」や「別離足(おお)し」がある。 

    ★ 和訳(直訳)について

定型的な訳が見当たらなかったので、ネット上の多くの訳を、私が直訳的に編集した。

    ★ 詩の意味(捉え方)・・ “惜別” 派 or “一期一会” 派 ?

この詩の捉え方は二通りある。 「別れの時が来たので その別れを惜しむ」  と捉える
いわば “惜別” 派 か、「人生に別れはつきもの、いつ何時別れが来るか判らない。
今、この時をこそ大事にしよう」 と捉える いわば “一期一会” 派 か、である。

いずれにしろ、この詩の主題は「別離」にあり、仏教でいう「会者定離」に通じている。
それをどう捉えるか、受け止めるかは 各人それぞれの心境如何ということになる。

私は、以前は断然に「惜別派」だったが、現役を退き、加齢が進んだ今、「一期一会派」の
気持が解るようになった。 お互いが元気に酒を酌み交わせるのは何時までだろう・・
友らとの置酒歓談、和顔愛語は至福のひと時、この時をこそ大事にしたいと思うのである。

(推奨参考文献:松浦友久編著「校注唐詩解釈辞典」(大修館書店:1987))

    ★ 井伏鱒二と漢詩の和訳

     ・「サヨナラ」ダケガ人生ダ ---

井伏が「人生足別離」を「サヨナラダケガ人生ダ」としたのには、林芙美子が関係している。
井伏は、昭和6年4月に講演のため林とともに尾道へ行き、因島(現尾道市)に寄ったが、
その帰り、港で船を見送る人との別れを悲しんだ林が「人生は左様ならだけね」と言った。

井伏は「勧酒」を訳す際に、この “せりふ” を意識したという。(「因島半歳記」(S33)および
「年譜」)。 井伏は、この時の林の “せりふ” や挙動を、照れくさくて、何とも嫌だと思った
とも書いているが、この訳が妙訳として多くの人々の口に上るのが、また何とも面白い・・。

ところで、井伏は「惜別派」か、「一期一会派」か・・。 林芙美子とのエピソードからすると
「惜別派」のようでもあるが、「ハナニアラシノタトヘモアルゾ」とした、この「タトヘ」の
文言から、まだ別れの時は来ていないとのニュアンス、つまり「一期一会」派とも思える。

井伏がこの訳を発表(S10)したのは37歳の時、どんな心境に傾いていたか判らないが、
私見では、井伏の生涯を通じた生き様から、「一期一会」派が相応しいように思う。

     ・漢詩の和訳17篇のこと --- 

井伏は、漢詩17篇の和訳を発表している。 「田園記」(:S8/10)に10篇、
「中島健蔵に」(:S10/3)に「勧酒」を含む7篇である。 (後に、多くの出版社
が刊行している「厄除け詩集」は、この17篇の訳部分を他の詩とともに収めている。)

井伏は「田園記」に次のように書いて、10篇を載せた。(初出(S8)に作者名なし)

「私は亡父の本箱のなかをかきまはして和綴ぢのノートブックをとり出し、かねがね私の愛誦してゐた
漢詩が翻訳してあるのを発見した。それは誰が翻訳したのか訳者の名前は書いてないが、ノートブック
にこまかい字で訳文だけが記されてゐた。きっと父が参考書から抜き書きしたのであらうと思はれる。
漢籍に心得のある人には今更ら珍らしくもない翻訳であるかもしれない。私は自分の参考にもなるだらう
と思ふのでここにすこしばかりそれを抜粋して、その原文をも書いてみよう。かういふ慰みの翻訳は、
今から三十年前ころの同好者のあひだに行はれてゐたのかもしれない。」 (随筆集「田園記」(S9)より)

「原題」(作者)・・「題袁氏別業」(賀知章)、 照鏡見白髪(張九齢)、 送朱大入秦(孟浩然)、 春暁(孟浩然)
洛陽道(儲光羲)、 長安道(儲光羲)、 復愁(杜甫)、 逢侠者(銭起)、 答李澣(韋応物)、 聞雁(韋応物)


「中島健蔵に」 には、次のように書いて、7篇を載せた。

「・・・。この不安な気持ちをまぎらすため、日ごろ愛誦している漢詩の翻訳でも書いてみる。僕の
随筆集「田園記」のなかに入れてゐる第二章「田園記」の続きだと思って判読していただきたい。」

「原題」(作者)・・「静夜思」(李白)、 「田家春望」(高適)、 「秋夜寄二十二員外」(韋応物)
「別盧秦卿」(司空曙)、 「勧酒」(于武陵)、 「古別離」(孟郊)、 「登柳州蛾山」(柳宗元)

(「静夜思」(李白)の訳文は、初出の「中島健蔵に」と後の「厄除け詩集」では異なる。)

井伏は、「この訳詩は亡父のノートからの抜粋」 としているが、寺横武夫、相馬正一らの
研究者によれば、「勧酒」は独創といえるが、他はほとんど江戸期の訳「臼挽歌」
(江戸中期の俳人中島魚坊(潜魚庵)訳)の焼き直しであるという。
井伏は、「臼挽歌」の存在には気付かなかったようだ。
全17篇が妙訳であることは確かだが、「勧酒」のほかは “井伏の妙訳” は幻だった。

なお、相馬正一著「井伏鱒二の軌跡」(1995:津軽書房)は、井伏の訳17篇に対応する
「臼挽歌」の訳文などに関し詳記している。 ちなみに「勧酒」の訳文は次の通りである。
「井伏の盗作」 が取り沙汰されるが、井伏の独創的な絶妙な訳であることが解る。

「さらばあげましょ此盃で
てふと御請けよ御辞儀は無用
花が咲ても雨風にちる
人の別れもこのこころ」

     ・訳詩の “盗作” 批判について

これらの訳詩については 「井伏の盗作」 であるかの如き批判があるが、上記のように、
井伏は、初出時に 「父のノートから」 と記した。原典を確認しなかったことは迂闊であり、
現在の尺度からすれば軽率の謗りは免れないが、当時の日本社会の一般認識を勘案
すれば、それほどに責められなければならないことか、私は、批判は当たらないと思う。

なお、「臼挽歌」について、相馬正一ら研究者が掲げる参考文献は、寺横武夫
(近代文学研究家)の論文 「『人生足別離』考」(1992/12)近代文学試論>)と、
同 「井伏鱒二と『臼挽歌』(1994/6) の二著である。

文学関係者の間で 「臼挽歌」 の訳文が広く認識されるようになったのは、
戦後、それも相当に時間が経ってからのことではないだろうか。
ちなみに、木山捷平は 「井伏鱒二」(S39/10 ) の中で井伏の
訳詞に触れているが、「臼挽歌」 のことは全く知らない書き方である。


なお、盗作問題については、井伏鱒二の「盗作疑惑」を解明する に詳記した。

    ★ 寺山修司 “さよならだけが 人生ならば”

寺山修司は、この井伏鱒二の 「サヨナラだけが人生だ」 を受けて、

“さよならだけが人生ならば また来る春は何でしょう” で始まり、 “さよならだけが人生ならば
人生なんか いりません” で終わる詩「幸福が遠すぎたら」 を発表した。

「人生処方詩集」(1993:立風書房)、「寺山修司詩集」(2003:ハルキ文庫)などに
収められているが、ネット上の話題としても取り上げられている。

              (井伏鱒二と「サヨナラだけが人生だ」(勧酒): H25/4 UP)
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5:00 午前  
Blogger yoji said...

すごいなって思った。昨日2021/01/13の朝刊の鷲田清一「折々のことば」から。

鷲田清一
2051
仮に産んでいないということが、ひとつの欠
如であるとしても、それは経験の欠如ではな
く、欠如の経験です。
藤波玖美子



出産経験のあるなしは「私たちを隔てる溝」にはならないと、詩人は「産まない女である私」として語る。「我が子」であろうがなかろうが、子どもたちが将来、無事に生き延びてゆけるよう、ともに案じ、環境を整えておくのが、この時代を生きる大人の責任なのだろう。『シリーズ·いまを生きる』5.1981年

https://twitter.com/_luminous_woman/status/1350183154762412032?s=21

6:32 午前  
Blogger yoji said...


0824 ニューノーマルの名無しさん 2021/01/27 23:33:46
すごいなって思った。昨日2021/01/13の朝刊の鷲田清一「折々のことば」から。


仮に産んでいないということが、ひとつの欠
如であるとしても、
それは経験の欠如ではな
く、欠如の経験です。
藤波玖美子



出産経験のあるなしは「私たちを隔てる溝」にはならないと、詩人は「産まない女で
ある私」として語る。「我が子」であろうがなかろうが、子どもたちが将来、無事
に生き延びてゆけるよう、ともに案じ、環境を整えておくのが、この時代を生きる
大人の責任なのだろう。『シリーズ·いまを生きる』5.1981年

6:34 午前  
Blogger yoji said...

788 考える名無しさん[] 2021/03/06(土) 08:28:03.52 ID:0
バイデン大統領、ピンチョン『重力の虹』を演説で引用して、愛読書がジョイスの『ユリシーズ』

4:34 午後  
Blogger yoji said...

ブルトンとヘーゲル アラゴン事件 1932
https://freeassociations2020.blogspot.com/2021/09/breton-misere-de-la-poesie-1932.html

6:04 午後  
Blogger yoji said...

1 muffin ★[] 2021/10/18(月) 17:18:13.10 ID:CAP_USER9
https://nlab.itmedia.co.jp/research/articles/401380/

中学生の頃、国語の教科書で出会った小説を今でも覚えているという人も多いのではないでしょうか。そこでねとらぼ調査隊では、2021年9月16日から2021年9月23日まで、「中学校の国語の教科書で一番好きだった小説は?」というアンケートを実施しました。何度も読み返したくなる名作ばかりですが、あなたが好きだった小説は何位にランクインしているでしょうか?

第1位:「少年の日の思い出」ヘルマン・ヘッセ
第2位:「山月記」中島敦
第3位:「走れメロス」太宰治
第4位:「羅生門」芥川龍之介
第4位:「故郷」魯迅
第4位:「握手」井上ひさし

第7位:「注文の多い料理店」宮沢賢治
第8位:「銀河鉄道の夜」宮沢賢治
第9位:「高瀬舟」森鴎外
第10位:「夢十夜」夏目漱石

第11位:「トロッコ」芥川龍之介
第12位:「山椒魚」井伏鱒二
第12位:「坊つちゃん」夏目漱石
第12位:「星の王子さま」サン=テグジュペリ
第15位:「ボッコちゃん」星新一

第16位:「蜘蛛の糸」芥川龍之介
第17位:「夏の庭」湯本香樹実
第17位:「車輪の下」ヘルマン・ヘッセ
第19位:「舞姫」森鴎外
第19位:「李陵」中島敦

第21位:「変身」フランツ・カフカ
第21位:「鼻」芥川龍之介
第21位:「吾輩は猫である」夏目漱石
第24位:「黒い雨」井伏鱒二
第24位:「杜子春」芥川龍之介
第24位:「伊豆の踊子」川端康成
第24位:「野火」大岡昇平

第1位はヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」ヘルマン・ヘッセ! 全体の22.4%となる票を獲得して1位に輝きました。幼いころ、蝶集めに没頭していた「ぼく」と、非の打ち所がなく憎たらしい少年・エーミールとの間に起きた出来事を、友人に語る形で振り返るというストーリー。日本で最も読まれている海外作品のひとつとして、今なお高い評価を得ています。
https://research.image.itmedia.co.jp/wp-content/uploads/2021/10/1633897183_9b38c7832964b111b4280817937d1b1f.jpg

5:00 午前  

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