火曜日, 12月 16, 2014

米澤嘉博 「コミケ」を支えた男



                       ( 文学美術リンク:::::::::
NAMs出版プロジェクト: 米澤嘉博 「コミケ」を支えた男
http://nam-students.blogspot.jp/2014/12/blog-post_16.html(本頁)
NAMs出版プロジェクト: 手塚治虫『ブッダ』
http://nam-students.blogspot.jp/2015/02/blog-post_6.html

米澤嘉博 NHK @Human
「コミケ」を支えた男 http://youtu.be/gde7gw7P_KY
米沢嘉博 手塚治虫を語る http://youtu.be/-T5mBxrtN9E
2006/12/31 故・米澤嘉博氏に対する黙祷とC71閉会宣言 http://youtu.be/apnijaZxyRU
明治大学・米澤嘉博記念図書館 こんな本までありました。 http://youtu.be/uL77GM0T2Zs



米澤 嘉博(よねざわ よしひろ、1953年3月21日 - 2006年10月1日)は日本の漫画評論家、大衆文化評論家、編集者、コミックマーケット準備会の第2代代表である。有限会社コミケット取締役社長、日本マンガ学会理事、
手塚治虫文化賞選考委員、日本オタク大賞審査員なども務めた。「おたく四天王」
の一人に挙げられる。愛称は米やん。

明大在学中から漫画批評集団「迷宮」に参加。迷宮の同人として、1975年からの
コミックマーケット開催に加わり、1980年(C14)から2006年夏(C70)まで
コミックマーケット準備会代表を務めた。準備会が独立した組織になったのは、
米澤が代表になってからだという。また、準備会自体は任意団体なので1985年外部
取引などのために株式会社コミケット(後に有限会社、特例有限会社)を設立し、
米澤が社長を兼務した。この間にコミックマーケットは飛躍的に発展、規模はサークル
数にして100倍になった。また、毎回発行されるカタログ、サークル参加者への呼び
かけである「コミケットアピール」、1994年から始めた広報誌『COMIKET PRESS』
では、必ず米澤の挨拶が冒頭に来るしきたりであった。

米澤は自己主張をあまりせず、異なった意見の持ち主も排除しないやり方を取っていた
。コミックマーケットでは表現の自由を理念に掲げ、批判者を排除しない姿勢を強調し
た。また表現規制に対して一貫して批判を行っていた。松文館裁判でも、被告人を有罪
とした1審の東京地裁判決を「論理もなく、ムチャクチャなもの」「判決文をよく読むと
、三権分立は否定され、現行の司法システムに則っておらず、憲法や刑法さえないがしろ
にされていることがわかる」「一言で言うなら「魔女裁判」である」(『売れるマンガ
、記憶に残るマンガ』128~129ページ)など、強く批判している。しかし、全面対決の姿
勢は取らず、コミックマーケットの実務では、性器の修正について、むしろ率先して厳しく
自主規制を敷かせる一面もあった。これは、コミックマーケットという“場”の存続を重視し、
無理を避けた為といわれている。
一方、1981年のコミックマーケット分裂騒動では、『ふゅーじょんぷろだくと(後の『
COMIC BOX』)』誌の取材に来た者からメモ書き原稿を見せて貰い、事実関係の訂正の
他、微妙に自分寄りの内容にして編集部に送るという大胆な行為にも出ている。一方の
当事者が原稿に介入するのは、マスメディアにとっては致命傷になりかねない事態だが
(たとえばNHK番組改変問題#朝日新聞社への影響参照)、米澤は取材側に無理強いせず、
雑談の体で自然に行動したためそのまま通ってしまったという。

著書:
『戦後少女マンガ史』 新評社、1980年1月、253ページ。文庫版筑摩書房ちくま文庫、2007年8月8日
『戦後SFマンガ史』 新評社、1980年8月、251ページ、。文庫版筑摩書房ちくま文庫、2008年8月
『戦後ギャグマンガ史』 新評社、1981年


参考:
カントの言葉をもじっていえば、倫理なき経済はブラインドであり、経済なき倫理は空虚 であるがゆえに。 NAMは、...

 《カントの言葉をもじっていえば、倫理なき経済はブラインドであり、 
 経済なき倫理は空虚である...》(『NAM原理』) 

6 Comments:

Blogger yoji said...

50
【ホラー特集】 「楳図かずお」から「つのだじろう」まで“恐怖”作家を網羅! 初めて解き明かされる怪奇マンガの歴史[08/13] [無断転載禁止]©2ch.net

1 :朝一から閉店までφ ★ がんばれ!くまモン!©2ch.net:2016/08/13(土) 15:00:35.23 ID:CAP_USER9
2016.8.13
時代が変わろうとも、色褪せない怪奇漫画の世界。これまでにも漫画家ごとについての研究書はあったが、様々な作品や作家の歴史を体系的にまとめた『戦後怪奇マンガ史』(米沢嘉博:著、赤井祐一:編/鉄人社)が刊行された。

 著者は漫画評論家であり、コミックマーケットの発起人としても知られる故・米沢嘉博である。いわゆる「通史」として、怪奇漫画がまとめられた本はなかったというのは編者である赤田祐一。

 冒頭、怪奇漫画は人が死ぬ、残虐な描写が多いことから「冷遇されてきた」とする本書。しかし、米沢による「漫画の最上の部分と最低の部分は〈変さ〉において通底している」という持論を受け継ぎ、怪奇漫画の全体像をまとめようと試みたという。

 編者は「ホラーブームが生まれても怪奇漫画にスポットは当たらない」と主張する。しかし、時代性と関わりなく愛されるのが怪奇漫画の魅力でもあるというが、じつは、その中身は細分化されている。

 純粋に読者を怖がらせる「恐怖漫画」は、その一例である。対象読者は少女や低学年の子供たちであるが、じつは、主人公には少女が多いという。
その理由は、少年は目の前の恐怖へ立ち向かい、謎を解明しようとするからで、純粋に怯え、恐怖に震える少女が選ばれるというわけだ。

 その第一人者として知られるのが、1955年に貸本漫画家としてデビューした楳図かずおだ。なかでも特筆すべきなのはデビューから10年後、1965年発売の少女漫画誌『週刊少女フレンド』で、
浜慎二の『白い血』に続き、同誌の22号~25号でスタートした短期連載作品の『ねこ目の少女』と、32号からの短期連載作品『ママがこわい!』である。

 楳図の作品は「他の作家を圧倒するほどのインパクトを残した」と編者はいう。時代背景として、当時の少女漫画には「かなしい、こわい、ゆかい」の3つの柱があり、怪奇漫画であってもミステリー、
サスペンス、ファンタジー、SFの世界観があった。しかし、楳図による『ねこ目の少女』は、読者へ恐怖を与えることだけを純粋に追い求めていたとしている。

 楳図ならではのテクニッとして語られるのは、理由のない後味の悪さだ。次作『ママがこわい!』では、入院する母親を少女が訪ねるところから物語が始まる。
少女は病院で自分を蛇だと思い込んでいる女と出会うのだが、やがて母親も“蛇女”として少女へ襲いかかるという展開だ。
生理的嫌悪感を与える蛇に、母という本来なら「幸せのシンボル」である存在を重ねる設定が特徴でもあるが、この美少女とグロテスクの対比というのは、のちに楳図作品の軸になっていく。

文=カネコシュウヘイ
http://d302np9o9me8i5.cloudfront.net/wp-content/uploads/2016/08/51mWS-70E6L.jpg
『戦後怪奇マンガ史』(米沢嘉博:著、赤井祐一:編/鉄人社)
http://ddnavi.com/news/316321/a/



2 :名無しさん@1周年:2016/08/13(土) 15:01:10.27 ID:4e5MJbNJ0
一方、楳図が怪奇少女漫画家として活動し始めた頃、ちょうど時を同じくして水木しげるもデビューを果たす。
1958年、兎月書房のSF『ロケットマン』でデビュー後、東真一郎名義で『怪奇猫娘』を刊行。続く『地獄の水』と共にこれらのエピソードは、のちに『鬼太郎夜話』でも使われた。

 また、忘れてはならない水木の代表的なキャラクター・鬼太郎が初登場するのは、1960年発売の怪奇短編集『妖奇伝』だ。
最終巻となった2号で、表紙に描かれた「醜いガイコツの頭に立てられたロウソク」の図に言及した水木は「これがまたグロテスク過ぎるという理由で全然売れない。
ところが、一人の読者から長文の手紙が届きましてね。この作品は絶対続けるべきだというんです」と、その手紙がなければ鬼太郎が続けられることはなかったというエピソードを明かしている。

 先の怪奇短編集はあえなく2号で廃刊となったが、その後、全19巻の『墓場鬼太郎』が刊行されることになる。この『墓場鬼太郎』だが、じつは、7~9巻を除き各巻の最後には別の作家による作品が必ず入っていた。
設定は一貫しており、家賃の安さにつられた漫画家の入った下宿屋は、じつは夜叉が経営する場所だったという物語。やがてこの漫画家を求めて吸血鬼と夜叉が闘うのだが、この吸血系の助手としてねずみ男も登場している。
そして、この闘いの末、血をかけて育てられた“吸血木”がのちに『鬼太郎夜話』の導入部で作中の歌手・トランク永井に植え付けられ、作品が繋がっていくのである。

 時代を超えても普遍的に、恐怖という同じ感情が生まれるというのは「怪奇漫画」ならではの魅力といえよう。本書では、『どろろ』を描いた漫画界の巨匠・手塚治虫や、
『デビルマン』などで知られる永井豪、心霊モノの大家として『恐怖新聞』を描いたつのだじろうなど、時代に名を残す漫画家たちが、どのように恐怖と向き合ってきたのかを網羅できる。

 夏といえばホラーも“風物詩”といえるが、漫画の世界でどのように恐怖が描かれてきたのか。この機会にその系譜をたどってみるのもいいだろう。
(終わり)

3 :名無しさん@1周年:2016/08/13(土) 15:01:12.56 ID:+TJIHxYz0

12:16 午前  
Blogger yoji said...


webで読む : http://ch.nicovideo.jp/article/ar1121695
電子書籍で読む(月まとめ) : http://ch.nicovideo.jp/epub/201610/ch923
電子書籍で読む(本記事のみ): http://ch.nicovideo.jp/epub/ar1121695

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岡田斗司夫のニコ生では言えない話
 岡田斗司夫の毎日ブロマガ 2016/10/16

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おはよう! 岡田斗司夫です。


今回、紹介したい本は『読者ハ読ムナ(笑)』です。
作者は藤田和日郎さん。

『うしおととら』とか『からくりサーカス』とか、『黒博物館ゴーストアンドレディ』の作者の人。
熱い漫画家ですね。





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"「藤田和日郎の『読者ハ読ムナ(笑)』が面白い!」"



 この本は税込みで780円ぐらい。
 内容から考えると、めちゃくちゃ安いです。


 この本って、“アンチ・バクマン”なんですよね。

 『バクマン』や『アオイホノオ』を読んで「漫画家になりたい!」などと言っている人に正義の鉄拳を食らわせる感じの内容です。

 書いてあることが、本当に面白いんですよ。


 藤田さんのスタジオの中には、「無言禁止」という張り紙があるそうなんです。
 「アシスタントとして入ってきた人間は、絶対に会話をしろ!」と言われてるんですよ。

 たとえば、「何にも話すネタがなかったら、『何してるんですか?』と聞け!」とか。

 先生が仕事してたら、「先生、何を描いてるんですか?」って聞け。
 先輩が仕事してたら、「先輩、何してるんですか?」って聞けって。

 このスタジオの中で無言で通そうとするようなヤツ。
 聞かれたことに最低限しか答えないようなヤツ。

 「そんなヤツは、その場でクビにする!」と言っているんですよ。

 絵は上手くなくてもいい。
 漫画は下手でもいい。
 でも会話のキャッチボールが出来ないヤツは、いらない。
 そういうヤツは、最終的にクリエイターになれない。

 そんな実践的なことが、書いてあるんです。

 言われてみれば漫画家になってる人は、ちゃんと話が出来る人や、会話が面白い人なんですよね。

 「人と話をしたくないから絵を描いてる」って人も、多いと思うんですよ。

 しかし、そういう人に「漫画を描くな」とは言ってないんです。
 「俺のスタジオに来るな」とも書いてない。

 単にスタジオに「無言禁止」って書いてるだけなんですよ。
 つまり、「コミュ障だったら、覚悟して来いよ」と。
 
 最終的に漫画家は、人や編集者と対話をして、その中で作品を作っていくもの。
 だから、絵が下手な事と同じように、コミュ障はハンディキャップだと言ってるんです。

 絵が下手でも努力すれば漫画家になれる。
 コミュ障でも努力すれば漫画家になれる。

 そう、きっちり書いてあるんです。

 ただ、「『漫画家だったら、コミュ障の自分を守ってくれる』っていうのは大きな間違いだ!」って、ドーンと書いてるんですよ。


 その次に求められるのが、「俺と一緒に映画を見ろ!」です。

 無言禁止だからといって、無駄な会話をやっていてもしょうがない。
 そうじゃなくて、一緒に映画を見て、その映画が好きか嫌いかを語り合う。

 相手に無理に合わさなくてもいい。
 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を好きなんだったら、好きな理由を聞いた時に「それは、こうだからです」と返せと。

 俺が好きな映画をお前が嫌いでも、俺は絶対に文句は言わない。
 その代わり、「なんでお前は、あの映画が嫌いなんだ?」と必ず聞く。
 その時には、「こういう理由で嫌いです」と返せと言ってるんです。

 「好き」も「嫌い」も、必ず理由をつけて返すこと。
 それが、後で“ため”になる。
 これは“自分の作品”と“自分”とを分ける訓練になる。

 人はネームや漫画を描いて「ここがダメだ」と言われたら、最初は人格を全否定されたような気になって落ち込んじゃう。

 一生懸命に作品を描いたら、「この作品は俺だ!」と思い込んじゃう。
 それを引っぺがさなきゃいけない。

 でもそれは、すごく難しいので、まずは他の人の作品でやるんです。

 “俺の好きな作品”と“俺”とは別です。

 だから、俺の好きな作品を「嫌い」と言われても、怒らない。
 他人の好きな作品を「嫌い」と言っても、かまわない。

 この関係を作った上で、初めて自分の作品について語り合えるベースができる。
 これも、すごく大事なことなんです。

 それを一流の漫画家が、こんなにも分かりやすい言葉で文字として書いてる。

 すっごい面白い。
 読んでも読んでも止まらない。

 もう本当に脱帽ですよ。





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いかがでしたか?

「え?!それってどういうこと?」「そこのところ、もっと詳しく知りたい!」という人は、どんどん、質問してみて下さい。

番組内で取り扱う質問はコチラまで!( http://ch.nicovideo.jp/ex/letter )

よい質問は、よい回答にまさる、と言われます。
みなさんの質問で、僕も予想外の発想ができることも多いです。
だから僕は、質疑応答が大好きです。

みなさんからの様々な質問をお待ちしています
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企画編集:のぞき見のミホコ(FREEex)
     起こしのヤスタカ(FREEex)
     筆耕のヒロキ(FREEex)
     横浜のヨシアキ(FREEex)
     遊牧のマサヒサ(FREEex)

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岡田斗司夫
and
Special Thanks To読者のあなた

4:19 午後  
Blogger yoji said...

漫画が3割超、2万2千冊となる近畿大図書館 (読売新聞) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170128-00050070-yom-soci
漫画が3割超、2万2千冊となる近畿大図書館
読売新聞 1/28(土) 17:30配信

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漫画が3割超、2万2千冊となる近畿大図書館
(写真:読売新聞)

 近畿大(大阪府東大阪市)は4月、蔵書約7万冊のうち、漫画が30%以上の約2万2000冊に上る図書館を新設する。

 学術書が主体の大学図書館では珍しい。24時間利用できる自習棟も併設。近大は「若者の読書離れが進む中、漫画を入り口に学生の知的好奇心を刺激したい」としている。

 2013年度から進める総事業費400億円のキャンパス整備計画の一環で、学内の中央図書館分室(2階建て)として建設。学生らが集まって議論できる25の小部屋を様々な向きに配置し、それらを結ぶ放射状の廊下に書棚を並べる。

 編集工学研究所(東京)所長の松岡正剛さんが蔵書を選び、1階に学術書など約3万冊、2階に世相を映す漫画や新書、文庫本約4万冊を置く。著者やジャンルで分類せず、棚ごとに「文学をマンガする」「近大生のためのハローワーク」といったテーマを設定。「恋する女の生きる道」の棚には、同じ名前の2人の少女が主人公の「NANA」や高校生の恋愛を描いた「君に届け」などの漫画のほか、「ロミオとジュリエット」(シェークスピア)、「恋愛しない若者たち」(牛窪恵)などの文庫や新書を並べる。

 松岡さんは「ネット検索では味わえない予想外の本との出会いを生み、学生の関心を活字に引きつける」と狙いを説明する。

 新図書館は事前に登録すれば一般の人も利用できる予定。カフェも設ける。自習棟は学生向けに2400席を用意しスマートフォンのアプリで座席を予約する。女子学生専用区画もある。

 岡友美子・図書館運用担当室長は「館内にいると、いろいろな角度から本が見える造り。新たなサービスの展開で選ばれる大学を目指したい」と話す。

8:49 午前  
Blogger yoji said...

ワンピ尾田氏が漫画家志望者に向けたアドバイスが正論と話題 「たった31ページ描くのに何ウダウダやってるんですか」 [無断転載禁止]©2ch.net

1 : juggler ★@無断転載は禁止2017/03/22(水) 20:23:39.31 ID:CAP_USER9
2017/3/22(水)13:56

キャリコネ
「週刊少年ジャンプ」(集英社)の3月18日発売号に第93回手塚賞募集の募集要項が掲載された。同賞は新人作家の登竜門として知られ、「入選」該当者がいない年が続くことも珍しくなく、獲るのが難しい賞だと言われている。

審査員には『ドラゴンボール』の鳥山明さん、『NARUTO』岸本斉史さん、『ワンピース』の尾田栄一郎さん、『スラムダンク』の井上雄彦さんなどの有名作家が名を連ねる。

「だってあなたは年間900Pを上げる人間なんだから」
同誌では、審査員の作家らからのアドバイスを含めたコメントが掲載されている。多くの作家が、既成概念にとらわれず情熱や言いたいことが伝わる漫画を待っていること、審査することが楽しみであることを述べる中、尾田さんのコメントはまさに叱咤激励といったものだった。

「手塚賞は半年に1回ですけど単純計算で19Pのストーリー漫画を半年間、週刊連載すると456Pの原稿を完成させる事になります。手塚賞は31Pです。たったそれしきの漫画を描くのに何をウダウダやってるんですか。学校やら何やら差し引いても楽勝です。だって数年後あなたは年間900Pを上げる人間なんだから。とりあえず31P読ませて下さい。頑張れっ!!」

尾田さんは以前、「朝5時に起きて夜2時まで仕事」という生活をしていることを明かしていた。デビューしてからの方が大変なのだから、応募用の原稿すら完成させられないのはダメだ、ということだろう。

「現役バリバリだからガシっと伝わる」
この尾田さんのコメントがツイッターで話題になっている。「なんて辛辣で正論なんだ……」という感想を抱いた人が多いようだ。

「第一戦級の現役バリバリのところで活躍されてる方だからこそ、ガシッと伝わってくるな」
「ロマンスドーン(編注:同賞準入選作品。ワンピースの原点)を読んだ時『大成するかは知らんけど何かスゲーの出て来たな』って感じさせた人らしい意見だ」

尾田さんの、プロとしての矜持を感じさせるコメントは、同じ描き手の先輩としてのエールであり、応募者は闘争心を煽るものともいえる。その一方で、

「…冨樫」

と度重なる休載にも関わらず人気の衰えない『HUNTER×HUNTER』の冨樫義博さんを思い出さずにはいられない人もいた

この「数年後には900P」という言葉を「ただのブラック漫画家じゃないか」と感じる人もいる。確かに仕事は大変だろう。しかし少年誌の中で発行部数1位、日本で一番読まれていると言われる「ジャンプ」。そこで年間900P割り振って貰えるのは一流の漫画家の証だ。

今回はどんな作品が応募されるのだろう。「入選」受賞者は出るのだろうか。手塚賞・赤塚賞(ギャグマンガ部門)の発表は6月初旬発売の「週刊少年ジャンプ」に掲載される。
https://news.careerconnection.jp/?p=33195

6:33 午前  
Blogger yoji said...

【群馬】水木しげるへのファンレター発見 幼き山田かまちが送る[04/07]©2ch.net

1 : のっぺらー ★ 転載ダメ©2ch.net2017/04/07(金) 09:14:43.73 ID:CAP_USER
群馬県高崎市で生まれ育ち、多くの絵や詩を残して17歳で早世した山田かまち(1960~77年)が、
「ゲゲゲの鬼太郎」などの作品で知られる漫画家、水木しげるさん(1922~2015年)に寄せていた手紙が
水木さんの遺品から見つかったことが分かった。

かまちが水木さんと手紙で交流し、慕っていることを示す文章や自ら描いたとみられる妖怪の絵が残っていた。
8月に没後40年を迎えるかまちが、才能を育んだ過程を知る手掛かりになりそうだ。

◎「ちいさい時からキタロウがすきでした」

水木さんの関係者によると、かまちからのはがきが水木さんの1971年8月の予定帳に貼られていた。

「先生、おてがみありがとう」と手紙の返信を喜んだり、「ぼくはちいさい時からキタロウがすきでした」と打ち明ける文言や、
「昼は石で1メートルだが、夜になるとうかんで身長50メートルになって町をおそう」との説明が付記された妖怪の絵が描かれていた。
表にはかまちの氏名や住所が書いてあった。
予定帳の時期と照合すれば、かまちが11歳の時の手紙とみられる。

水木さん関係者は
「予定帳にファンからもらった手紙を貼ることはあまりなかったので驚いている。
 何か水木先生の中で目を引くものがあったのでは」と受け止めている。

水木さんは創作で多忙な生活を送っていた時期で、予定帳で自身のスケジュールを管理していたほか、
思い付いたアイデアを描くこともあったという。

かまちの母、山田千鶴子さん(80)=高崎市=は
「かまちは自らの思いをすぐに実行に移す子どもだった。手紙を送ったことは自然なことのように思える。
 手紙からかまちの声が聞こえてきそうでうれしい」と喜ぶ。

山田かまち美術館(同市片岡町)の館長、塚越潤さん(64)は
「かまちの積極性が分かる貴重な資料で驚いている。
 水木さんが活躍していた時期で多くのファンが手紙を送っていたであろう中、
 手紙は、かまちの並外れた才能を今に伝えているようだ」と話す。

その上で「美術館として可能であればお借りし、展示させていただければ」と期待を込めた。

《山田かまち》 
幼少期から絵の才能を開花させ、素朴で力強い感性が光る水彩画やデッサン、詩文を数多く残した。
高崎高1年の夏、自宅でエレキギターの練習中に感電する不慮の事故で亡くなった。
高崎市片岡町に1992年に開設された私設の「山田かまち水彩デッサン美術館」を
2014年に市が引き継ぎ、「山田かまち美術館」としてオープン。
詩や絵画は高校の教科書に掲載されたほか、かまちをモデルとした映画も作られている。

写真:山田かまちから水木しげるさんに宛てた手紙。1971年8月ごろとみられる
http://www.jomo-news.co.jp/1/7214914924497222/280/280/5744/img.jpg
写真:山田かまち
http://www.jomo-news.co.jp/2/7214914924497222/280/280/1911/img.jpg

以下ソース:上毛新聞 2017年4月7日(金) AM 06:00
http://www.jomo-news.co.jp/ns/7214914924497222/news.html

7:37 午後  
Blogger yoji said...

編集

単著 編集
『戦後少女マンガ史』 新評社、1980年1月、253ページ、全国書誌番号:81003669。文庫版筑摩書房ちくま文庫、2007年8月8日、400ページ、ISBN 9784480423580
『戦後SFマンガ史』 新評社、1980年8月、251ページ、全国書誌番号:81003668。文庫版筑摩書房ちくま文庫、2008年8月6日、409ページ、ISBN 9784480424198
『戦後ギャグマンガ史』 新評社、1981年。文庫版筑摩書房ちくま文庫、2009年8月10日
『マンガ批評宣言』亜紀書房、1987年2月、199ページ、ISBN 4-7505-8702-8
『アメリカB級グッズ道』 晶文社 1999年12月、ISBN 4-7949-4722-4
『藤子不二雄論 FとAの方程式』 河出書房新社、2002年4月、325ページ、ISBN 4309265499 のち河出文庫
『戦後野球マンガ史 手塚治虫のいない風景』 平凡社・平凡社新書、2002年9月、230ページ、ISBN 4-582-85154-1
『マンガで読む「涙」の構造』 日本放送出版協会・生活人新書、2004年2月、222ページ、ISBN 4-14-088097-X
『売れるマンガ、記憶に残るマンガ』 メディアファクトリー、2007年2月、223ページ、ISBN 978-4-8401-1802-6
『手塚治虫マンガ論』 河出書房新社 2007年7月、ISBN 978-4-309-26959-7
『戦後エロマンガ史』 青林工藝舎、2010年4月23日、ISBN 978-4883792580
『戦後怪奇マンガ史』赤田祐一編集、鉄人社、2016年7月

11:58 午後  

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