木曜日, 4月 30, 2015

知覚・視覚・触覚、メルロ=ポンティ:メモ

                 (デカルトリンク::::::::::

NAMs出版プロジェクト: 知覚、視覚、触覚。メルロ=ポンティ:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/04/blog-post_30.html(本頁)
NAMs出版プロジェクト: cogito ergo sum変奏:改訂版
http://nam-students.blogspot.jp/2012/10/cogito-ergo-sum.html

メルロ=ポンティはデカルト(唯物論)とカント(観念論)を批判し、
ラカン(精神分析的構造主義)に批判され、その思想はフッサール(現象学)に受け継がれる。
   
  _____
デカルトにおいては、わたしたちが見ているがままの光についてではなく、「外からわたしたちの眼に入ってきて視覚を支配する光」が扱われることになる。そのために、デカルト的見方では、媒質として、ないし、照明として働く光ではなく、もっぱら接触作用によって影響を及ぼす光が問題となる。科学的思考において

《一番うまいやり方は、光を接触作用としてつまり盲人の杖の先に物が触れる場合のような作用として考えることである。盲人は「手で見る」とデカルトはいう。デカルトの考えている視覚のモデルは〈触ること〉なのである》
(メルロ゠ポンティ『眼と精神』1966: 269/1964: 37)。

デカルト『屈折光学』参照。

世界内存在としての意識:志向性の哲学と現象学 (Adobe PDF) -htmlで見る
www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~t980020/.../vol.../1_Murata_J.pdf
...の「意識の世界内存在」という見方をブレンターノ、フッサール、メルロ゠ポンティ .... 現象 、他者と規範をめぐる諸現象、あるいは精神病理現象などなど)を(志向的に) ...... 作で ある『眼と精神』のなかの議論である。 ..... 盲人は「手で見る」とデカルトはいう。デカルト ...

世界のボリュームとしての奥行メルロ=ポンティと ... - 京都市立芸術大学(Adobe PDF) -htmlで見る
w3.kcua.ac.jp/~uozumi/profondeur.pdf
魚住洋一. 1. モーリス ・ メルロ = ポンティは、その最後の著作となった『眼と精神』の 冒頭に、 ... des sensations)とは、メルロ = ポンティがその生涯を通じて見究めようと したもので .... デカルトは『屈折光学』5 のなかで、盲人は「手で見る」と語ったが、彼は、 視覚.

デカルトの『屈折光学』への彼の批判を見ていくことにしよう。
 デカルトは『屈折光学』(5)のなかで、盲人は「手で見る」と語ったが、彼は、視覚を接触作用として、つまり、盲人の杖の先に物が触れる場合のような作用として考える。彼にとって視覚のモデルは、「触ること」なのである。さらに彼によれば、「見ること」は、光線がボールのように眼に飛び込んできて網膜上に生じた何らかの結果を「思考」によって解読することにすぎない。つまり、デカルトにとって、見ることは眼における一種の接触作用とそれを機縁として起こる精神の思考作用に還元されてしまうのである[OE 36–41:269–272]。メルロ=ポンティは、デカルトは見ることを「見ているという考え」(la pensée de voir)に還元してしまったと述べている[OE 54:279]。 デカルトとは違って、私たちに見えるがままのものに即して考えようとするメルロ=ポンティは、接触作用ならざる視覚の「遠隔作用」(l’action à distance)、その「遍在性」(ubiquité)について語る。─「視覚によって私たちは太陽や星に触れ、私たちは至るところに、手近なもののもとにも遠いもののもとにも同時に居るのだ」[OE 83:296]。 
「奥行にはどこか逆説的なところがある。相互に重なり合い、...

 1Joachim Gasque, Cézanne, Les Éditions Bernheim-Jeune, 1921, p.82(『セザンヌ』與謝野文子訳、岩波文庫、2009年、p.220)
2メルロ=ポンティの著作からの引用は、以下の略号を用い、本文中の[ ]内に、原著と邦訳のページ数をコロンで区切って表示する。ただし、翻訳については一部変更を加えた箇所がある。
SC:La structure du comportement, Presses universitaire de France, 1942.(『行動の構造』滝浦静雄他訳、みすず書房、1964年)
PP:La phénoménologie de la perception, Éditions Gallimard, 1945.(『知覚の現象学』全2冊、竹内芳郎他訳、みすず書房、1967年、1974年)
OE:L’œil et l’esprit, Éditions Gallimard, 1961.(「眼と精神」、『眼と精神』滝浦静雄他訳、みすず書房、1966年)VI:Le visible et l’invisible, Éditions Gallimard, 1964.(『見えるものと見えないもの』滝浦静雄他訳、みすず書房、1989年)
 DC:“Le doute de Cézanne,” in: Sense et Non-sense, Éditions Gallimard, 1996.(「セザンヌの疑惑」、『意味と無意味』滝浦静雄他訳、みすず書房、1983年)
3三島由紀夫『假面の告白』初版、河出書房、1949年、pp.3–5。
4メルロ=ポンティの遺稿『見えるものと見えないもの』で用いられた「肉」という概念は、発芽した胚が双葉(feuillets)に分かれていくように、見るもの/見えるもの、感じるもの/感じられるものが二重化されてそこから現われてくるその母胎を表そうとするものである。彼は「感覚的なるもの」が出現するこうした事態を胞子嚢のうの裂開に喩え、肉の「裂開」(déhiscence)とも呼んでいる[VI 192:202]。しかし、これは現象学的に記述しうる事態ではない。

5 René Descartes, La dioptrique (Six premiers discourse), in: Œuvres et lettres, Textes présentés par André Bridoux, Éditions Gallimard, 1953, pp.180–229.
(「屈折光学」青木靖三・水野和久訳、『デカルト著作集』第1巻、白水社、1973年、pp.113–222)
6「横から見た幅」という言葉は、『知覚の現象学』のバークレー批判の箇所から採った[PP 29

参考:
NAMs出版プロジェクト: ヘーゲルの未来図?と無限:再掲
http://nam-students.blogspot.jp/2013/12/blog-post_8014.html

メモ:

    
      

     


青 紫 緑 赤 黄 by マンセル
円周率を色彩で覚えるという人もいる。記憶術の問題か?  

メモ:
 視覚と触覚:クレーリーのカメラ・オブスクーラモデル再考 犬伏 雅一 

3 デカルトの視覚理論:盲人の触覚と のアナロギア ケプラーが立ち止まったところから、デカルトの光 学が始まることになる。 デカルトの『屈折光学』はまさしくその名称からし てケプラーの同名の著書を引き継いでいる10。その系譜性を端的に示すものこそ、既に示した図版6である。この図版は、ケプラーのperspecitivistの議論の克服を証し立てるものである。網膜の背後から網膜像を見ている人物は、ケプラーが語った、定着された目の前の世界の半球の細密画にまさしく見入っている人である。 …

デカルトによると、光という物体が外部から眼へと届く(182)12。これによって我々の側の形の認識が形成されるのである13。ケプラーは、このような認識の可能性を提起するところで停止したが、デカルトはこの地点から一歩先へと進まねばならなかった。物体からくる光が脳に形像(image)を送り込むことを彼は認め(216)、それがどのようなメカニズムによるのかについて解決策を呈示しなければならなかった。 延長としての対象から網膜に形成される絵、そしてそれから、脳において形成される形像(image)の関係が解き明かされねばならない。デカルトは脳における形像(image)が対象とそっくりであることはないとする。この形像(image)は対象とは似ていないが、それによって対象を知らしめるものではある。彼の問題意識は次の引用に明らかである。 
「われわれは脳のなかで形づくられる形像(image)についてもまったく同じだと考えるべきだし、形像(image)が関係をもつ対象のすべてのさまざまな性質を魂に感覚させる手段をどのようにして与えるのかということだけが問題であって、その形像(image)がそれ自体として対象とどのように似ているかということはまったく問題ではないことに注意しなければならない。」(204)
……
 6  ケプラーの『光学』1604の英訳版におけるドナヒューの前書きを参照(Kepler, xii: fn.3)。 
7  三輪による邦訳版は、本文そのものに図版はない。手元の Lodovico Domenichiによる俗語訳(1547)を見ても図版はない。 …
12 以下丸括弧中の数字はガリマール版デカルト著作集のページ付けである。訳文については、白水社の『デカルト著作集Ⅰ』(2001)による。
13 色に関わる問題領域は、ここでは中心的主題としないが、デカルトは、色は、光を物体が反射するやり方によって生ずる(182)としている。 
14  カントはその『人間論』(Traité de l'homme)においていわば感覚の共同を議論する中で、動物精気を持ち出し、さらに神経線維に相当するものを細糸として持ち出して、光による網膜への圧力がこの細糸を動かして「想像力と共通感覚の座である」腺Hの表面に像を描き出すとしている(267)。ただし、この形像(image)はいわゆる視覚情報だけを担うものでなく動物精気とのかかわりで他の対象に関わる情報をも取り込むものである。形像(image)を見る者を導入することから引き起こされるアポリアを巧みに回避 しているわけではあるが、一方でまた網膜像のいわば類像を腺Hに形成せざるを得ないところにアポリアの完全な解決へとは到らないつまずきが内包されている。 
15 例えば視覚の独立性については、上記注14の箇所に先行する部分で機械論的に脳の内表面への形像を記述しているところからも推断できる(850f.)。
 16 その詳細を認めたジャン・ペケ(Jean Pecquet)宛の書簡(1668年、パリの消印)が残っている(Bexte, 1999, 190)。この書簡は同じくアカデミー会員であったジャン・ペケによってマリオットの書簡とペケの応答を一括して書簡集としてまとめられ、ペケの手で出版された。タイトルは、『視覚に関する新しい発見』(NOUVELLE DECOUVVERTE TOUCHANT  LA VEUE)この全文がベクステの上掲書の付録として収載されている。
 17 実験の詳細は次のとおりである。一枚の黒い長方形の紙に白い円形の紙を二枚貼る。これを眼の高さにおいて、左目を閉じつつ、右目で長方形上の左の白い紙の円を凝視しつつ、長方形の紙を徐々に眼から遠ざけるとある瞬間に右の白い紙の円が視野から消えてしまう(ibid, 192-194)。 18 盲点の発見は、アルパースが取り上げたオランダ絵画については一定の否定要因として作動する。カメラ・オブスクーラが成立させる像そのものが絵画空間とストレートに等置されるのがオランダ絵画であるとするとベクステが言うように、視覚空間(Sehraum)と絵画空間(Bildraum)の間の根本的な断絶が、そこには引き起こされることになる(ibid., 20)。この命題はオランダ絵画について有効性をもつことは明らかであろう。
 19 以下丸括弧に『視覚新論』(Berkely, An Essay Towoard a New Theory of Vision, 1709)の節番号を示す。 20 この経験的共存を言語の約定性と類比的にとらえ、視覚は神によって人間が身体の保全と福利のためもうけられた「自然の普遍的言語(the Universal Language of Nature)」であり、「視覚の固有の対象(the proper objects of Vision)が離れたところにある対象を我々に表示し明らかにする仕方は、人間の取り決めによる言語や記号がそうする仕方と同じなのである」と言う(Sec.147)。 引用ならびに参考文献 Alberti, Leon Battista(1547)La pittura, traduzione di Lodovico Domenichi, [reprint. Arnaldo Forni Editore, 1988]. Alhacen(2001) Alhacen's Theory of Visual Perception, a critical edition, with English translation and commentary, of the first three books of Alhacen's De aspectibus, the medieval Latin version of Ibn al-Haytham's Kitāb al-Manāzir, ed. and trans. A. Mark Smith, Philadelphia, American Philosophical Society. Alpers, Svetlana(1983)The Art of Describing: Dutch art in the seventeenth century, Chicago, University of Chicago Press. Berkley, George(1965)An Essay towards a New Theory of Vision in D.M. Armstrong(ed)Berkley's Philosophical Writings, New York,Collier Books. 29