金曜日, 8月 26, 2016

バンコール(bancor)【経済学】ケインズとシューマッハによる超国家通貨案,1940~2

           ( 経済学マルクスリンク::::::::::

NAMs出版プロジェクト: バンコール(経済学)1940~2
http://nam-students.blogspot.jp/2016/08/blog-post_11.html @
https://www.blogger.com/blog/post/edit/28938242/6372080290372659326

ケインズ全集 邦訳刊行状況
http://nam-students.blogspot.com/2019/04/blog-post_1.html

ゲゼル:減価式貨幣と世界通貨案 1914,1920
http://nam-students.blogspot.jp/2011/12/blog-post_4033.html?m=0
ミッチェル Bancor
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/11/bancor.html?m=1

マンデビル『蜂の寓話』1714:転載
http://nam-students.blogspot.jp/2016/09/1714.html
ジェームズ・スチュアート 1767
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/07/james-steuart-economist-17121780.html
ソーントン1802 (Henry Thornton: 1760-1815)
https://nam-students.blogspot.com/2019/12/1802-henry-thornton-1760-1815.html
「有効需要」マルサス 『経済学原理』 “the effectual demand” Malthus : Principles of Political Economy 1820
https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2022/12/wikipedia_11.html


ケインズ1914年 Knapp と Bendixen
https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2022/11/1914.html 

イネス Alfred Mitchell-Innes (1864 – 1950)、ケインズによるイネス書評1914
https://nam-students.blogspot.com/2019/05/alfred-mitchell-innes-1864-1950.html
ケインズ、イネス書評1914 改訂版
ケインズ『貨幣論』1929(1930)『貨幣改革論』1923:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/1979-john-maynard-keynes-treatise-money.html 

チャーチル氏の経済的帰結The Economic Consequences of Mr. Churchill,1925

ケインズ1929/03ドイツのトランスファー問題
https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2022/05/1929.html

ケインズ 「ロイド·ジョージはそれをなしうるか?」 1929

ケインズ「わが孫たちの経済的可能性」- On John Maynard Keynes -"Economic Possibilities for Our Grandchildren (1930)"- ...

NAMs出版プロジェクト: ケインズ関連動画1931他:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2016/09/blog-post_11.html

イールドカーブ理論の萌芽 1933年
NAMs出版プロジェクト: ケインジアンの交差図 1936
http://nam-students.blogspot.jp/2015/03/blog-post_12.html


ケインズ=カレツキ往復書簡 Keynes ,Kalecki Correspondence 1937
http://nam-students.blogspot.jp/2015/12/keynes-kalecki-correspondence-1937.html
NAMs出版プロジェクト: ハロッド=ケインズ往復書簡1938
http://nam-students.blogspot.jp/2015/12/1938.html

David Low 1939 - cartoonist
ケインズ戦費調達論1940と関連する:
Inflation and the Phillips Curve   (A) Demand-Pull and Cost-Push Inflation
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/05/inflation-and-phillips-curve-demand.htmld
Keynes 1940/07
戦費調達論1940関連

 2021/03/31 MMT and the Green New Deal with Professor Yeva Nersisyan 


2021/03/31 MMT and the Green New Deal with Professor Yeva Nersisyan 

NAMs出版プロジェクト: バンコール(経済学)1940~2

keynes1942 
John Maynard Keynes: How Much Does Finance Matter? 1942
ケインズ「コモド・コントロール」――国際緩衝在庫案(一九四二年)
http://nam-students.blogspot.jp/2017/12/blog-post.html

ケインズとフロイト
金本位制再建1925関連高橋論考
NAMs出版プロジェクト: ホートレー(ホートリー)=小谷清理論
http://nam-students.blogspot.jp/2016/04/blog-post_4.html


ミンスキー,金融不安で見直される経済学者 CAN “IT” HAPPEN AGAIN? +テイラールール


2012年ポール・デビッドソン講演バンコール関連発言に反応するケルトン
https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2021/01/2012.html 

スキデルスキー Skidelsky バンコール
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/09/blog-post.html 

An international currency? Hopefully not! – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory 2009

ケインズ「平和条約の経済的帰結」:「経済のトリセツ」
http://cruel.hatenablog.com/entry/20150726/1437917592

スラッファによるマーシャル批判を検証する必要がある

スラッファのように標準商品を措定することではじめて転形問題を解決出来る
均衡の条件である連続性を標準商品が保証する
労働市場の均衡は市場経済が発達しても保証されていないから、
スラッファは今も示唆的だ
ケインズはフィアットマネーに標準商品を求めたので立場は違うが
スラッファの才能は買っていた
スラッファは後期ウィトゲンシュタインへ示唆を与えた

1930年貨幣論の延長(『貨幣改革論』1923(邦訳中公世界の名著所収)にはカレツキと同じ階級3分割があり、より原理的な本書は財供給を一定にする間違いがあった)である、
バンコールにはスラッファではなくゲゼルの影響がある
(カントに足りなかった視点だ)


ハロッド、ヘンダーソン、ロバートソン、ミードらの意見を参考にしたらしい(『ケインズ』清水書院)

Aマーシャルから脱したケインズがGマーシャルプランの理論的根拠になった。

参考:
脱金貸し支配・脱市場原理の経済理論家たち(4)シルビオ・ゲゼル - 金貸しは、国家を相手に金を貸す
http://www.kanekashi.com/blog/2012/02/001819.html
また、自由貨幣導入後の中央銀行についても詳しく述べています。中央銀行は紙幣発行権を奪われ、そのかわりに日々のお金の需要を満たすことを使命とする政府通過局が登場します。政府通貨局は銀行業務は行いません。小切手の売買も、企業のランク付けもせず、個人との関係も持ちません。国内でお金が不足しているときにお金を発行し、お金が余っているときには回収するという機能だけ持つようになります。
 
自由貨幣については、現在でも若干志を変えてはいますが、いくつかの地域通貨(スイス、イスカなど)として受け継がれています。また、ゲゼルは世界通貨の提案『自然的経済秩序』4-7 世界通貨同盟)まで行い、ケインズのブレトン・ウッズ会議に際して提案した世界通貨(バンコール)はこのゲゼルの考え方に基づいていました。
世界通貨のモデル


追記:
ゲゼルの影響を受けたのはシューマッハかも知れない(邦訳25:544頁の訳者考察にゲゼルの名はない)。

また、アメリカ案はヘーゲル的でケインズ案はカント的だ。
参考:
 NAMs出版プロジェクト: 『永遠平和のために』と歓待の原理
 http://nam-students.blogspot.jp/2012/11/blog-post_15.html

柄谷行人『世界史の構造』など
http://www7b.biglobe.ne.jp/~shiokawa/books/Karatani.htm
 カントの永遠平和論はしばしば非現実的な理想論と見なされているが、柄谷によれば、カントのいったことは「自然の狡智」を通して実現されたという。一九世紀末の帝国主義の時代に支配的となったのは大国の覇権争いであり、その結果が第一次大戦だったが、その未曾有の破壊の経験から国際連盟が登場した。その国際連盟は無力で第二次大戦を防ぐことができなかったが、その結果として国際連合が形成された。この国際連合も無力だが、それを嘲笑して無視し続けるなら、世界戦争になるだろう。それは新たに国際連合を形成することにつながるだろう。こうして、カントの見方には、ヘーゲルのリアリズムよりももっと残酷なリアリズムが潜んでいる、と論じられている(S2四五三‐四五五頁)。
 この議論を図式化すると、《諸国家連邦の構想→その無力さの帰結としての世界戦争→国際連盟→その無力さの帰結としての世界戦争→国際連合→その無力さの帰結としての世界戦争→新たな国際連合……》という連鎖になる。これはどこかで「世界共和国」が完成して終わるのではなく、世界戦争の何度もの繰り返しという無限の循環になるかもしれないし、また、その破壊規模が次第にエスカレートするなら、何度目かの世界戦争で人類が滅亡してこのサイクルが閉じられるということになるかもしれない。いずれにせよ、このようなサイクルは「自然の狡智」を意味するかもしれないが、それが「世界共和国」という究極目標にたどり着くという結論を意味するわけではないように思われる。


ケインズ全集25 戦後世界の形成 -清算同盟 | 東洋経済
http://store.toyokeizai.net/books/9784492813256/
目次
第1章 清算同盟の起源――1940~1942年 *
第2章 内閣同意から白書まで――1942~1943年
第3章 白書から共同声明まで――1943年4月~1944年4月

ケインズ全集26 戦後世界の形成 -ブレトン・ウッズと賠償 | 東洋経済
http://store.toyokeizai.net/books/9784492813263/
目次
第1章 ブレトンウッズとその後――1944年4月~1946年3月
第2章 通商政策――1941年12月~1945年12月
第3章 賠償――1941年9月~1945年12月

ケインズ/ハロッド書簡集 index
http://www.lib.e.u-tokyo.ac.jp/_old/keynes_harrod/index-j.htm
このケインズ/ハロッドの書簡、覚え書きなどのコレクションは、 ブレトン・ウッズ会議や国際通貨基金の創設などを通じて、 ケインズがイギリス経済政策にとっても大きな影響を与えた1941-1943年のものが中心となっています。
このなかにはケインズの戦後再建計画、 特に戦後における国際通貨及び金融制度改革のための 「ケインズ案」と呼ばれる清算同盟提案の覚え書きの印刷、 世界銀行の創設とアメリカとの協力、商品の援衝在庫提案などハロッドが提出した爆弾的覚書きなどが、 1941年-1943年の1月までの大蔵省時代のケインズとの書簡、 ハロッドの友人たちとの書簡などと共に含まれています。


バンコール(bancor)は、1940年から1942年ジョン・メイナード・ケインズエルンスト・フリードリッヒ・シューマッハー☆(『スモールイズビューティフル』で有名)が提案した超国家的な通貨のことを言う。第二次世界大戦後に世界経済を安定させるため、英国ブレトン・ウッズ会議でバンコールの導入を公式提案したが、アメリカ合衆国の合意をとりつけることができず、実現には至らなかった。この会議では最終的に、バンコールではなく、世界銀行IMFによって管理された制度において、物理的な金(きん)と結び付けられる固定為替相場制(金本位制)が採用された。そして、金との兌換性を維持した米ドルを基軸通貨とするブレトン・ウッズ体制1971年ニクソンショックまで続くことになる。一部、IMFのSDR(特別引出権)が、バンコールの機能を継承されているという考え方もある。
発案当初、バンコールの他に超国家通貨の命名には次の候補があった。
  • ユニタス
  • ドルフィン
  • ベザント
  • ダリック

目次




概要編集

バンコールは、多国間決済制度を通し、会計帳簿上の単位として国際貿易において使用される。この制度を敷くにあたり、ICU(The International Clearing Union; 国際清算同盟)という機関が想定されていた。多くの国において、「銀行」に対して「中央銀行」が存在するのと同様に、ICUは、「各国の中央銀行」に対する「中央銀行」となるような、国家間の貿易・取引の決済を行う機関となる。 つまり、全ての国際貿易は、ICUを通してバンコール建てとなる。バンコールは固定為替相場となるが、その為替相場は調整可能とされる。

グローバル経済安定化の方法論編集

輸出は全て、国の会計帳簿でバンコールが加算され、輸入は全て、国の会計帳簿で減算される。ここで、一般的な銀行の“当座貸越”の概念を用いて、バンコールとICUの説明がなされる。ICUでの当座貸越の限度額は、過去5年間の貿易収支平均の2分の1とされる。この限度額を超えた場合、債務国は超えた赤字分に対して利子を支払わなければならない。ここで注意しなければならないのは、一般銀行の当座貸越とは違い、国際収支帳簿上の黒字国である債権国も、超過分に対して利子を支払わなければならないことである。赤字額、あるいは黒字額が大きくなるほど利子は高くなる。
赤字国(債務国)はバンコールに対する通貨を引き下げ、輸出を増やさなければならず、輸入品はより高額に設定され、輸入を減らすように促される。同様に、黒字国(債権国)はバンコールに対する通貨を引き上げ、赤字国の輸出品を買わなければならない。それでも黒字国が輸出の限度額を超えたまま決済を迎えた時には、その超過分をICUに没収される。ちなみに、このICUで没収された積立金は、国際警察(現在のICPOとは別のものと思われる)や災害救助活動など、加盟国に対して有効利用される。
このため、没収されないように黒字国は輸入を増やそうとするので、赤字国の改善が見出される。つまり、各国はバンコールの貿易収支差額が0になるよう調整することになる。このシステムによって、物理的な金と国の通貨は、国際貿易の中で使用されず、国家間での移動も失くすことができ、グローバル経済の影響を抑えるというのがバンコールとICUの考え方である。

バンコールの特徴編集

  • バンコールは国際通貨とはならず、国際的な会計帳簿の単位となる。
  • はバンコールへの交換はできるが、バンコールを金にする交換はできない。
  • 一般流通はされない。例えば、個人がバンコールの保持や取り引きをすることはできない。
    • ここで、ビットコインとは全く別の性質ということが明確にわかる。
  • 国際取引・貿易はすべてバンコールで評価され、決済が行われる。
  • 債務国と債権国の関係は二国間とは限らない。N:Nである。
  • バンコールは貯金ができない。このため国内流通に影響を与えない。
  • 国家間の貿易収支を測定するために使用される。

21世紀における注目編集

近年、特に2008年の金融危機の発生に伴い、ケインズの提案は再び注目されることになる。
2007年1月、スーザン・ジョージは「これらの機関ができていたら、先進国と途上国、双方の住民の必要に応じた貿易システムが構築され、世界は現在よりも理にかなったものとなっていただろうからだ。」と「ル・モンド・ディプロマティーク」で述べている。
2009年3月、「国際通貨制度を改革せよ(Reform the International Monetary System)」という題の演説の中で、中国人民銀行の周小川総裁は、ケインズのバンコールの働きかけを「先見の明有」と称し、金融危機に対する反応では、「グローバルな準備通貨として、国際通貨基金 (IMF) の特別引出権 (SDR) を採用すべし」と提案した。彼は、トリフィンのジレンマ流動性のジレンマ;ある国内の金融政策の目標を達成しながら、同時に他国の準備通貨の需要に合わせられないという矛盾)**を理由に挙げ、国家の通貨がグローバルな準備通貨となるのは、不適切であると主張した。
2009年9月、「国連・国際通貨金融システム改革の専門家委員(Experts on reforms of the international monetary and financial system)」の報告書で、上記同様に、トリフィンのジレンマを挙げ、米ドル本位制の反省とSDRに着想を得た世界準備通貨構想について述べられている。
ジャーナリストのジョージ・モンビオットは、「ICUの提案されたメカニズムが発展途上国の意思決定に対して、より強い力を与え、今現在の状態ほど極度に国際貿易に巻き込まれてはいなかった」と主張している。

参考文献編集


国際清算事務局
The International Clearing Office (×Union)について

Multilateral Clearing Author(s): E. F. Schumacher Source:  Economica,  New Series, Vol. 10, No. 38 (May, 1943), pp. 150-165 Published by: Blackwell Publishing on behalf of The London School of Economics and Political Science and The Suntory and Toyota International Centres for Economics and Related Disciplines Stable URL:  http://www.jstor.org/stable/2549461

ケインズ
「債務国が均衡回復のためにその物価と賃金を変更することによって蒙る社会的緊張という犠牲は、一債権国に要求される犠牲に比較して不当に大きい(22)
(22)J・M・ケインズ「戦後の通貨政策」 『ケインズ全集25 戦後世界の形成─清算同盟』村野孝訳 東洋経済新報社 1992年 32頁

so that the contribution in terms of the resulting social strains which the debtor country has to make to the restoration of equilibrium by changing its prices and wages is altogether out of proportion to the contribution asked of its creditors.

 つまり、債務国の景気が低迷してしまうのを阻止できないことが、金本位制度の最大の欠点であり、この欠点を補う金本位制度とは異なる国際通貨制度が必要だというわけである。ここには明らかに、『一般理論』を書いたときの「国家的自給」を前提とする閉鎖体系から、それぞれの国の経済を不安定にする金本位制度とは異なる国際通貨制度によって、安定した開放体系に向かうという発想の転換があった。
 このときケインズが考えたのは「清算同盟案」と呼ばれる仕組みで、国際決済通貨「バンコール」を各国の口座に割り振り、それぞれの貿易の赤字と黒字を、口座と口座のやり取りだけで清算してしまうというものだった。注意すべきは、このバンコールは政府間で清算に使われるが、一般の通貨としては使用されない。

「金を蓄積する代わりに、バンコール債権を蓄積することは、これらの国が生産しまたは消費する能力、あるいは誘引をいささかも削減することはない。退蔵を信用機構に代替するならば、国内分野においてすでに繰り返されていた、あの、石をパンに変える奇跡と同じ奇跡を、国際分野において繰り返すことができるであろう(23)
23)J・M・ケインズ「国際通貨(あるいは清算)同盟」  同、123頁

以上、
経済学者の栄光と敗北 ケインズからクルーグマンまで14人の物語  
平成25年7月25日  東谷暁 #3 より孫引き
上記書(東谷の新書はバンコールを説明している入門書としては中公バックス、清水書院版と共におすすめ)は#16でスティグリッツの発言も紹介している。

スティグリッツ
「グローバルな準備通貨制度というアイディアは、比較的古くからあるものです。ジョン・メイナード・ケインズはブレトン・ウッズ体制の発足時、強い説得力をもって『バンコール』という世界通貨の創設を訴えましたが、当時のアメリカはそれを拒否しました。しかし、いまこそその時期が到来している、といっても過言ではないと思います(28)
(28)ジョセフ・スティグリッツ「円の価値がさらに上がる時代  アジア経済安定のために日本ができること」『Voice』2010年2月号 139頁

ブレトン・ウッズ協定 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%83%83%E3%82%BA%E5%8D%94%E5%AE%9A
経済学者のジョセフ・E・スティグリッツは「第二次世界大戦後から1973年まで続いたブレトン・ウッズ体制の下では固定相場制だったので、現在(2013年)のグローバル経済よりも安定していたことは確かであり、最近のアメリカの経済学者の中からブレトン・ウッズ体制を再評価する声も出ている。しかし、ブレトン・ウッズ体制は、各国の生産性にばらつきが出てきたときに、対応できなくなってしまった。その結果、ブレトン・ウッズ体制は崩壊し、変動相場制に移行した」と指摘している*。

*^ ジョセフ・E・スティグリッツkotoba(コトバ) 2013年6月号


エルンスト・フリードリッヒ・シューマッハー - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%82%B9%


エルンスト・フリードリヒ・シューマッハー(Ernst Friedrich "Fritz" Schumacher, 1911年8月16日 - 1977年9月4日)は、ドイツ生まれのイギリス経済学者ジョン・メイナード・ケインズに師事した。イギリス石炭公社の経済顧問。
長年の石炭公社の勤務経験と経済学者としての分析から、石炭及び、その代替燃料としての石油の枯渇を予測し、原子力の利用についても警鐘を鳴らした。
1973年に刊行された『スモール イズ ビューティフル』は、その中でエネルギー危機を予言し、第一次石油危機として的中したことで世間の注目を浴び各国語に翻訳された。同書は The Times Literary Supplement により、第二次世界大戦後に出版された書籍の中で、世界に影響を与えた100冊に選出された[1]

経歴編集

ドイツ時代編集

ドイツのボンに、ボン大学政治経済学教授で、アシュケナジムユダヤ系ヘルマン・シューマッハーの次男として生まれた。祖父はコロンビア大使で、家柄は14世紀以来ブレーメン市長を務めた。
1929年、ボン大学に入学し、11月にイギリスに渡り、ケインズに師事した。翌1930年に奨学金を得てオックスフォード大学ニュー・カレッジに転学。さらに1932年には、アメリカのコロンビア大学に転学して金融学パーカー・ウィリス教授に師事し、経済学を修め、同大助講に抜擢された。
その後、ドイツに帰国し、溺れかけたナチスの高官を救助して、人命救助勲章を得て、アンナ・マリア・ペーターゼンと結婚した。しかし、同胞のユダヤ人が大量に離独するのを受け、自らもイギリスへの移住を実行した。

イギリス時代編集

祖国ドイツ降伏まで編集

1936年、ユニリーバ社の顧問となる。翌1937年に長男のピーター・クリスティンが誕生。後に義弟となるヴェルナー・ハイゼンベルクと出会う。バッテリー・トラクション社の顧問となる。
1940年、次男のジョンが誕生するも、敵国人として職を追われ、農場に職を得るも、収容され3か月後に釈放される。収容中に書いた Multilateral Clearing という国際決済制度に関する論文をケインズに送った。
1942年、ケインズの紹介でオックスフォード大学統計研究所に職を得る。『オブザーバー』紙の嘱託記者となる。後に、『タイムズ』紙や『エコノミスト』紙にも執筆するようになる。
1944年、ウィリアム・ベヴァリッジのために『自由社会における完全雇用』を執筆。翌1945年にイギリス国籍を申請し、英語風の「アーネスト・フレデリック・シューメーカー」と改名した。

戦後編集

1946年、英国占領地域管理委員会の経済顧問として訪独。長女のバーバラが誕生。ドイツの工業化についての論文を複数執筆。労働党入党。
1950年、イギリス石炭公社の経済顧問となる。農場勤務時代の経験からイギリス土壌協会に参加。翌1951年に次女のヴァージニア誕生。
1955年、ビルマ政府に招かれて経済顧問となり、現地を視察する。1960年、妻のアンナが亡くなり、翌1961年にヴェレナ・ローゼンベルガーと再婚。翌1962年にインド政府の経済計画委員会の顧問となる。
1963年、石炭公社の統計局長となり、ドイツのクラウスタール工科大学から経済学博士号が授与される。
1965年、『オブザーバー』紙が初めて彼の中間技術構想に賛意を示し、翌1966年に中間技術開発グループ(ITDG, 現Practical Action)を設立。「仏教経済学」を発表。
1967年、スコットバーダー社のトラスティとなる(1970年に顧問)。石炭公社の企画局長に転任。三女のカレンが誕生。1969年に四女のニコラが誕生。
1970年、イギリス土壌協会の会長となる。この間、各国政府の招きでペルータンザニアザンビア南アフリカを訪問。

石炭公社退任後編集

1971年、石炭公社を退職し、著述・講演活動に専念。ローマ・カトリックに改宗。1973年、『スモール イズ ビューティフル』を出版。翌1974年、CBE勲章受章、四男のジェームズが誕生。1976年、カーボランダム賞受賞。
1977年、『ア・ガイド・フォア・ザ・バープレクスド』を出版。9月4日スイス国内を汽車で移動中に心臓発作で客死。

家族編集

  • 先妻:アンナ・マリア・ペーターゼン( - 1960年)
    • 長男:ピーター・クリスティン(1937年 - )
    • 次男:ジョン(1940年 - )
    • 長女:バーバラ・ウッド(1946年 - )伝記 E.F. Schumacher: His Life and Thought(Harper & Row, 1984) を執筆
    • 次女:ヴァージニア(1951年 - )
  • 後妻:ヴェレナ・ローゼンベルガー
    • 三女:カレン(1967年 - )
    • 四女:ニコラ(1969年 - )
    • 四男:ジェームズ(1974年 - )

シューマッハー・サークル編集

彼の業績を記念して、シューマッハー・サークルが設立された。この組織には、シューマッハー・カレッジシューマッハー・ソサエティイギリス土壌協会New Economics Foundation が含まれる。
彼の文庫は、現在シューマッハー・ソサエティによってマサチューセッツ州グレイト・バリントンに保存されている。

著作リスト編集

脚注編集

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  1. ^ The Times Literary Supplement, October 6, 1995, p. 39

外部リンク編集



ケインズの忘れられた貿易機関構想

スーザン・ジョージ(Susan George)
文筆家、トランスナショナル研究所(アムステルダム)理事長
ディプロ2007-1 - Une autre organisation du commerce international etait possible
http://www.diplo.jp/articles07/0701-3.html
メイナード・ケインズは、世界貿易のルールを全面的に作り替える構想を打ち出していた。彼が提唱したのは、国際貿易機関(ITO)の創設である。また、それを支える国際中央銀行として国際清算同盟(ICU)を設け、国際貿易の決済通貨となる「バンコール」を発行する。二つの機関はいずれも実現しなかったが、もし実現したらどうなっていたかを考えてみる価値はある。なぜなら、これらの機関ができていたら、先進国と途上国、双方の住民の必要に応じた貿易システムが構築され、世界は現在よりも理にかなったものとなっていただろうからだ。
 ITOとICUが実現していれば、現在のような巨額の貿易赤字(例えばアメリカは2005年に7160億ドル)や貿易黒字(例えば中国のそれ)を記録する国は出てこなかっただろう。途上国に対外債務がのしかかり、世銀とIMFが構造改革政策を推進するという事態もありえなかった。この構想によって資本主義が消滅するわけではないが、改めて検討してみる価値はあるだろう。多少の修正は必要にしても、基本的な部分は今でも十分通用する。
 ITOが確立するはずだった貿易ルールの詳細を説明する前に、この機関が実現しなかった理由に触れておく必要がある。アメリカが望まなかったから、という説明が一般的で、これは確かに本当だが、事態を単純化しすぎている。構想の挫折には、他の政治的要因も働いていたからだ。

_______

追記:

バンコールとエヴァ(イヴァ)

バンコールはLETS通帳式。イヴァ(ドイツ語読みでエヴァ)は紙幣式。
ケインズは貨幣論1930年ですでに案を述べている。

4.8. Der Weltwährungsverein (Internationale Valuta-Assoziation) :: pavitro.net
http://www.pavitro.net/nwo/gesell-nwo/freigeld/kap-4-8.html



































4.8. Der Weltwährungsverein (Internationale Valuta-Assoziation ...


Weltwährungsverein. International valuta association (Iva). - Union universal de cambio. 1. In den Staaten, die sich dem Weltwährungsverein (der Internationalen ValutaAssociation ;,Iva") anschließen wollen, wird als Währungseinheit die "Iva" ...



  1. If this international currency policy, undertaken in the interest of the Iva note, leads to an appreciable and lasting discrepancy with currency stabilisation, an international investigation is instituted by the Iva office to discover the cause of the disturbance and to issue to all the countries of the Association the instructions necessary for its elimination.
 Figure 7. Stabilisation of the international Exchanges by means of international (Iva) notes.
The upper, lightly shaded part of the reservoirs represents national notes; the darker shading international notes.


ゲゼルの国際通貨同盟案
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/L2/220902.htm

3736.ゲゼルの国際通貨同盟案



ゲゼルの国際通貨同盟案 From: Eiichi Morino ケインズの国際清算同盟案はよく知られている。じゃあ、ゲゼル案はどんなもの なの? 
それはInternational Valuta association 頭字を採ってIVAと呼ばれて います。 非常にシンプルなものですが、ドイツが返済不可能なゴールドマルク建て賠償義 務を負わされ、いずれドイツ産業は復活するとみた投機筋が紙幣マルクを買い持 ちしていたのが、ハーフェンシュタインの通貨拡張がインフレを生み、投機筋が 1923年(の6月だったかな)、最終的に匙をなげ、全面的なマルク売りポジ ションに殺到して史上希なるハイパーインフレに突入した時代、金本位による苛 烈なインフレとデフレによる景気調節の時代、ありうべき国際経済の受容可能な シンプルな枠組みの提案といえるものです。 物価水準安定化のための貨幣量管理プラス手形貸付による融資の国際的構想プラ ス、ケインズ案のバンコールのような独自な国際決済通貨イヴァの創造というと ころかな。こうした国際的枠組みのなかでの各国内国経済における内国通貨管理 (指数通貨や消滅貨幣など)との関連は後述。 ・・・
 ○ イヴァ加盟国は貨幣単位Ivaを採用する。 [M注記:貨幣呼称、単位を採用するとは、表券主義の伝統にたって代表貨幣がそ の通貨単位によることを意味する]
 ○ この新貨幣単位は、たとえばゴールドのようななんらかの物質に依存する静 態的なものではなく、ダイナミックな通貨政策に基づく。つまり、貨幣・金融政 策によって常にその価値が維持されるものだ。
 ○ Iva採用国は、安定通貨のキホンたるテオフィール・クリステン理論( 絶対通貨本位)を目標とした通貨・金融政策を実行する。
 ○ この絶対的通貨本位のキホンにあるのは、安定した物価水準であり、 その統計整備を加盟国は同じ手法で行う。
 ○ この絶対的通貨本位をターゲットとした積極通貨政策は貨幣数量説 を基礎とする。 [M:注記:これを統計的な手法においても発展させたのが、I・フィッシャーの 『貨幣購買力』] つまり、一般物価水準に狂いが生じた場合は貨幣供給の増減により物価水準の現 状回復を図る。
 ○ Iva加盟国は内国貨幣制度は個々に固有のものであってよいが、上記の基本原 理を尊重する。
 ○ この共通基盤によって内国通貨政策が展開せられれば、貿易不均衡やこれに 起因する為替変動を除去しうる。
 ○ 人為によらざる原因による貿易不均衡はこれを許容する。
 ○ しかしこの不均衡を除去するために、特殊な国際的本位紙幣をIva 通貨同盟は発行し、加盟国間貿易決済に使用でき、輸出入当事国の貨幣 と同一相場で法定不換紙幣として受容されるものとする。
 ○ イヴァ本位紙幣はベルンにおかれるイヴァ局によって印刷製造される。
 ○ イヴァ紙幣の発行高は為替相場管理の目的に充てられる範囲とする。 たとえば内国紙幣流通残の20%。
 ○ イヴァ局は加盟各国に給付したイヴァ紙幣に相当する為替手形を受け取る。 この手形は、当該国が通貨政策のよろしきをえず、貿易差額の継続的逆調 となりイヴァ紙幣の払底を見るようなとき、プレミアム分を負担することでしか イヴァ紙幣を入手しえなくなったとき、その日から手形には利子が発生すること とする。 [M注記:一種の輸入赤字抑制効果ねらいかな]
 ○ イヴァ紙幣は少額額面で取引に好便なように発行される。その過不足は政府 に把握しやすく通貨政策展開に役立つ。
 ○ 加盟各国はイヴァ紙幣と自国紙幣を同一相場で流通させる方策を講じること が自国の利益につながるとして行動するようになる。 
○ イヴァ通貨が輸出超過によって流入し続ける加盟国は自国通貨の 流通量を減じ、逆にイヴァ通貨が流出する場合は自国通貨比率を引き上げること になる。 
○ イヴァ通貨の国際的通貨政策が安定通貨による絶対的本位から乖離 するときは加盟各国による原因究明と対策を協調してとる。
 ○ イヴァ通貨の管理費はイヴァ中央発行所が負担し 
○ この管理費は、加盟国のイヴァ紙幣受領高に比例して負担される。 
○ イヴァ通貨同盟加盟は欧州諸国にかぎらない。
 ○ 脱退は、イヴァ通貨受け入れの代わりに差し入れた手形を弁済すれば いつでも可能。
 ○ イヴァ通貨同盟の清算はイヴァ局の手形弁済が総て行われ、それに よって回収したイヴァ紙幣を廃棄するだけである。
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貨幣数量方程式、ゲゼリアンの場合 From: Eiichi Morino 思い返すとずいぶん以前のことになりますが、マネタリストの議論が流行ってい たこともあり、本MLで貨幣数量方程式に関係する議論が盛り上がった記憶があり ます。まあMLではそう突っ込んだ話も無理なところもあり、それぞれが肩入れす る経済学説の信念に属するような次元で話は収まるということでしたでしょう か。 話は、MV=PTの左辺の問題で、通常のように貨幣の流通速度Vを一定とせず、消 滅貨幣の導入によってVが変わるような場合、Mの量が増えてインフレになるのと どこが違うかということであったように記憶しています。 簡単に言えば、たとえば年率5%のインフレと年率で5%減価する貨幣の仕組み とはどこが違うの?ということでもあります。 この問題はかなり解答を書くのがやっかいな問題で、90年代にフランスの極左 ケインジアン(笑)のミシェル・エルランに連絡がついたとき、彼がふっかけて きた問題でもあり、MLで話題が出たときはやれやれと思ったものでした。 しかし昨今、単純素朴なインフレターゲット論や右辺にあたる名目GDP(PT)の 伸びを期待する議論などが跋扈していて、ゲゼリアンはどうなのといわれそうで す。 MLの顔ぶれも様変わりしているでしょうから、こちらのサイドからみた貨幣数量 方程式をちょっと話題にすることにします。 この貨幣数量説の考えは古くからあり、我が国では三浦梅園にまで見出せます が、ゲゼリアンの場合は、ゲゼルの同志でバイエルン革命でも行動を共にした数 学者T・クリステンの仕事といえるでしょう。1916年版(初版)の『自然的 経済秩序』には末尾に、生産高や地代、賃金等の分配問題に関するクリステンの モデルが付録で掲載されているように、かなり両者の考えは共通していることを 予想させます。 当時のゲゼリアンが使っていた数量方程式は、クリステンの手になる下記のよう なものです。 G・U/W=P ここでGは貨幣量、Uは貨幣の流通速度、Wは商品供給、Pは物価で、それぞれを表 す独語の頭字を採っています。 誰でも知っていることは貨幣経済、信用経済を持つ市場経済では、価格が決定さ れるのは需要と供給によるということです。この需要は、その社会にどれだけ貨 幣があるか、つまり貨幣量によって表されます。同時にまた、ゲゼリアンの場合 はマネタリストと違って、U、つまり貨幣の流通速度によっても増減するとしま す。経験的にUを一定と扱いうるということと、需要の増減因子として貨幣の流 通速度を押さえることは区別されるべきですね。また現金を使わない取引があっ ても、その契約・履行は代表貨幣をもって実行されますので、G・Uの値を増加さ せます。 もしPの変動、つまり物価変動があるとするとあらゆる支払契約に影響します。 たとえば100円を1週間後に支払うという約束は、1週間のうちに物価が騰貴 し100円の購買力が落ちれば、その分実質的に減少します。また物価の変動は 景気や失業率、商品在庫の変動をもたらすと考えます。つまり、ゲゼリアンはP の変動があらゆる経済契約履行の基礎にある貨幣システムに大きな規定的力を有 していると考えました。そこで上記の式は右辺のPを決定する事情を左辺で与 え、左辺から右辺を読む格好になります。 Pの変動は変数Gからも貨幣の流通速度Uからも商品量Wからも起こりえます。 Pの騰貴はインフレ。下落はデフレ。 この変動は安定した経済システムの基礎たる貨幣システムに打撃を与えているこ とでもあります。それを回避するためには物価の安定をはかる必要があります が、そのためにはインフレ時の生産増、デフレ時の商品量削減が考えられます が、前者は常になしうるわけはなく、後者は失業と貧困をもたらすでしょう。 そこで、物価の安定は貨幣サイドから取り組まれねばならない。(この点ではマ ネタリストと一緒)。GとUをコントロールしなくちゃならない。(この点ではマ ネタリストと異なる。マネタリストはGの管理だけ)。 そこでこのGとUの管理の基本に何をおくかです。当時は金本位制でしたが、これ をとらず、多数の商品価格から計算された物価指数を採用する「絶対的通貨本 位」(クリステン)を主張。この考えはF・ソディも導入したし、I・フィッ シャーが発展させることになる(『安定通貨』)。 長くなるのでこのへんで一区切り。長文ご容赦。 ============================== 
From: 田中 こんにちは 最近の森野様の投稿、非常に興味深く読ませて頂いております・・・ただ、私の頭で はなかなか理解が難しく・・・といったところがもどかしいです^^; >簡単に言えば、たとえば年率5%のインフレと年率で5%減価する貨幣の仕組みと はどこが違うの?ということでもあります。 以前から疑問に思っていました。 インタゲが可能なら、それで良いのではないのか・・・・と、 MV=PTというのは、完成した式だと思っていましたが、他にも考えうる要素があった のですね・・・知りませんでした(汗) また、減価する通貨を流通させる場合でも、自由土地とのセットでないと、本来の意 味をなさないのかなぁ 通貨だけが減価するのであれば、価値のあまり変わらない財、「土地」や「金 (gold)」などを買うことで財の退蔵が可能になってしまう また、政府通貨を減価通貨で云々・・・という話も巷にはありますが、為替の問題を どう取り扱うのか・・・・???とか 
==============================
 From: Eiichi Morino > 以前から疑問に思っていました。 > インタゲが可能なら、それで良いのではないのか・・・・と、 最近の勇ましい議論を吠え立てる方々も、ケインズの一般理論、 第21章、物価の理論を勉強なさったはずと思うんですがねえ。 再読してみると興味深いですね。 「欺瞞的な単純さ」(ケインズ)が跋扈していますから。 
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1372夜『貨幣論』ジョン・メイナード・ケインズ|松岡正剛の千夜千冊
http://1000ya.isis.ne.jp/1372.html
ケインズは国際通貨制度についても、幾つかの独創的なアイディアを提案した。このあたりそうとうに編集的であり、かつ偏執的である。

 たとえば、超国民的銀行(SNB)を提案した。しくみがおもしろい。この銀行は創業資本をもたないが、その債務が各国の加盟中央銀行によって保証されているというもので、中央銀行とのみ取引をおこなう。このとき、加盟中央銀行から預託された預金勘定を開設して、SBMという国際通貨を発行する。SBMは2パーセントの価格幅で金(ゴールド)と交換可能であるとし、加盟各国の通貨は金に対する条件と同じ条件でSBMと交換できるようにしようというものだった。ケインズはSBM建ての国際的公債も発行できることまで付け加えた。

 「国際清算同盟」というアイディアもあった。1941年ごろから構想していたもので、打ち続く世界大戦後の世界経済社会を想定して、戦後の賠償問題にあらかじめ手を打っておこうというプランである。

 「バンコール」という国際銀行通貨についてのアイディアは、SBMを発展させたもので、各国が開設しうるバンコール勘定の割当て額を各国の過去の輸出入金額の実績にもとづいて決めておいて、バンコールを金の等価物として認めさせ、各国通貨を一定の平価でこれに次々にリンクさせようという構想だった。バンコール発行額には総額240億ドルという当初の想定すらされた。

 しかし、こうしたアイディアはすべてブレトンウッズ体制のなかで、IMFと世界銀行に切り替わってしまったのである。SBMもバンコールも生まれず、結局はアメリカの国際経済政策のための戦後体制(ブレトンウッズ体制)ができあがっていったのだった。1354夜の『IMF』、および1332夜のジョージ・ソロスのところを読まれたい。 

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たぶん日本で一番長い「ケインズ 年譜」  (美津島明) - 美津島明編集「直言の宴」
http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/fedd668d31afc7cd1c94e5529ccb5836/?cid=f71c39aa9f88e0e84ab9ea7915a23b70
一九四三年(昭和十八年)六〇歳 三月、戦後世界金融制度のためのアメリカ案がイギリスにとどき、ケインズは討議のためにアメリカに渡る。ケインズ案とホワイト案が衝突する。

ケインズ案は、一種の世界(中央――引用者補)銀行の設立であった。国際経済の動きに応じて、ちょうど一国で中央銀行が操作するように、世界的に必要とする資金の流動性を保証するための世界の中央銀行――ケインズが「清算同盟」とよんだものをつくる。それは「バンコール」とケインズがよんだ国際支払い通貨を、この銀行への各国の預金の形で創設する。そして、アメリカとイギリスの国際収支関係がアメリカの一億ポンドの黒字、イギリスの赤字であったときには、それ相当額のバンコール預金をイギリスからアメリカに移す。長期的には、世界貿易の増加につれてバンコール預金も増やし、その比を一定にする。ただし、もしも赤字国の赤字が、割当を受けたバンコールの一定比以上になると、その国は為替レートの切下げ、一定額の金準備の引渡し、海外投資規制等を受け、逆に黒字国の黒字の割合が一定比以上になると、逆に為替レートの切下げ、国内拡大政策、海外援助などを求めるというものであった。(中略)ブレトン・ウッズ協定によってつくられた国際通貨基金(IMF)はアメリカのホワイト案をもとにしたものであった。それはケインズ案と異なって、加盟国が基金に出資しなければならなかった(四分の一は金で、残りの四分の三は自国通貨で)。そして各国が必要に応じて引出すことができる額は、この四分の一の部分を除いて、貸付にかなりの規制を受けた。さらにIMFの出資金は、バンコールのように自動的に増加するわけではない。それはあくまでも為替相場安定のための機構であったにすぎない。(中略)IMFの金額は、ケインズの考えに比べて、あまりにも少額であった(ケインズ案は二五〇億ドル、ホワイト案は五〇億ドル、IMFは八八億ドル)。「ケインズの思想と理論」伊東光晴(『世界の名著 ケインズ ハロッド』解説)



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ゲゼル思想研究日誌(4): 巷間哲学者の部屋
http://philosopher.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_49cf.html
 経済学を学んだ方なら誰でも知っている事実だと思いますが、不勉強な私はこれを知りませんでした。たまたまゲゼルつながりでインターネットを検索していて見付けた記事にあったのです。これを知った時、ゲゼルの提唱した通貨革命を世界規模で起こすためのヒントが見付かったような気がしました。今回はそれについて書きます。今回の主役はゲゼルさんではなくて、二十世紀を代表する経済学者だった英国人、ジョン・メイナード・ケインズです。時はまだ日本が絶望的な戦争を戦っていた1944年にまで遡ります。第二次世界大戦の帰趨が見え始めていたこの年の7月、連合国側はニューハンプシャー州ブレトン・ウッズで戦後の経済体制について話し合いを持ちます。会議で対立したのは、イギリスとアメリカでした。もっと端的に言えば、それまで世界の基軸通貨だったポンドと、新しく基軸通貨の地位を狙うドルの対立だったと言ってもいいと思います。この時、イギリス代表として驚くべき提案を持って会議に臨んだのが、ケインズその人だったのです。それは(私見によれば)ゲゼルの「国際通貨連盟」と、ほとんど瓜ふたつの構想でした。ケインズの方は「国際清算同盟」(International Clearing Union、略称ICU)と呼び、そこが発行する国際通貨は「バンコール」と名付けられてはいましたが。
 ケインズ案を簡単に説明すると、こういうことになります。(例によって初学者の理解なので、間違いがあればご指摘ください。) ICUに加盟する国のあいだの貿易では、決済通貨としてバンコールが使われます。各国の通貨とバンコールは、基本的には一定のレートで固定されていて、ICUの仲介によって貿易収支の決済を行なうことになります。バンコールは貿易決済専用の通貨ですから、実体ある紙幣のようなものである必要はありません、ICUの帳簿上に存在すればいいのです。各国の通貨当局がICUに口座を開き、そこに貿易収支を記帳して行くイメージです。ね、これって何かに似ていませんか? そうです、地域通貨の代表格であるLETSそのものじゃないですか! LETSが発案されたのは、1983年にカナダのバンクーバーでだったと記憶しますが、それより40年も前にケインズは国際版LETSともいうべきものを考えていたんですね。(この点ではゲゼルのIVAは現実の紙幣(為替券)を想定していましたから、まだLETSのシンプルさにはたどり着いていませんでした。) しかも、ICUに参加する国には、多額の拠出金を求めないという点でも、ケインズの考え方は地域通貨のLETSに通じるものがありました(この点はゲゼルのIVAも同じ発想でした)。さらには現在のLETS通貨が抱えている問題、すなわち参加者のある人はマイナスばかりためてしまい、ある人はプラスばかりためてしまうという問題に対しても、ケインズは対策を考えていました。常に輸入超過または輸出超過でバンコール残高の大きくなってしまう国には、一定の課税を行なうことを盛り込んでいたのです。これは通貨の価値保蔵機能に制限を付ける持ち越し税、つまりマイナス利子のアイデアに他なりません。これによって、参加国は常に貿易収支がバランスすることを努力目標として求められるのです。

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以下の書に、アメリカ財務省がバンコールを恐れたとある。銀行家ハリー・ホワイトの名がケインズと併記され、シューマッハの名はない。



































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以下のようにケインズ案(バンコール)とホワイト案(ユニタス)とは別。

ブレトン・ウッズ協定及び国際通貨基金 (IMF) の発足[4]にあたって、イギリスのケインズ[5]とアメリカのホワイト案[6]が英米両国の間で討議されたが、IMFはホワイト案に近いものとなり、以後世界ではドルが基軸通貨となる。 1945年「対ソ100億ドル借款案」がモーゲンソー財務長官を経て、ルーズヴェルト大統領に渡っている。モーゲンソー・プランでは、ドイツからすべての産業を取り去り、戦争ができない農業国にするよう提言した。
戦後、共産主義者であると告発を受けた。 1948年の夏に下院非米活動委員会において、ウィテカー・チェンバース英語版エリザベス・ベントリー英語版が、ソ連のNKGB(国家保安人民委員部、KGBの前身)の在米責任者ボリス・ブコフ英語版大佐指揮下の秘密工作機関について知る限りを証言、その中に彼の名前があったため、非米活動委員会に召還された。委員会において彼は自分がスパイであることを否定した[7]
下院非米活動委員会[8]に出席した三日後、ニューハンプシャー州の自分の農場にて心臓発作により死去。これはジギタリスの大量服用による心臓麻痺で、自殺だったと言われている。

参考:

ホワイトと新世界秩序の創造 単行本 – 2014/8/26

追記:
カレツキは戦後すぐ国連で統計を取る仕事をしたが無記名の発表なのでどこまで関わったかはわからない(都留重人群像参考)。 サーカーに似た同心円条の段階的経済認識も興味深い。ヴィクセル的不安への対抗策だ。

74 Comments:

Blogger yoji said...

バンコール - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB
バンコール(bancor)は、1940年から1942年にジョン・メイナード・ケインズとエルンスト・フリー
ドリッヒ・シューマッハー☆(『スモールイズビューティフル』で有名)が提案した超国家的な通
貨のことを言う。第二次世界大戦後に世界経済を安定させるため、英国がブレトン・ウッズ
会議でバンコールの導入を公式提案したが、アメリカ合衆国の合意をとりつけることができ
ず、実現には至らなかった。この会議では最終的に、バンコールではなく、世界銀行とIMF
によって管理された制度において、物理的な金(きん)と結び付けられる固定為替相場制(
金本位制)が採用された。そして、金との兌換性を維持した米ドルを基軸通貨とするブレト
ン・ウッズ体制は1971年のニクソンショックまで続くことになる。一部、IMFのSDR(特別引
出権)が、バンコールの機能を継承されているという考え方もある。

http://www.kanekashi.com/blog/2012/02/001819.html
…ゲゼルは世界通貨の提案(『自然的経済秩序』4-7 世界通貨同盟)まで行い、ケインズ
のブレトン・ウッズ会議に際して提案した世界通貨(バンコール)はこのゲゼルの考え方
に基づいていました。

11:23 午前  
Blogger yoji said...

周小川・中国人民銀行総裁論文 中国が構想するドルに代わる新基軸通貨(原題・国際通貨システム改革に関する考察)[含 周論文が示す国際金融の「米中G2時代」]
周 小川

田代 秀敏 [訳]
この論文をさがす

NDL-OPAC
CiNii Books
収録刊行物

エコノミスト
エコノミスト 87(33), 72-77, 2009-06-23
毎日新聞社

3:53 午後  
Blogger yoji said...

必要がある


スラッファのように標準商品を措定することではじめて転形問題を解決出来る
均衡の条件である連続性を標準商品が保証する
労働市場の均衡は市場経済が発達しても保証されていないから、
スラッファは今も示唆的だ
ケインズはフィアットマネーに標準商品を求めたので立場は違うが
スラッファの才能は買っていた
スラッファは後期ウィトゲンシュタインへ示唆を与えた

バンコールにはスラッファではなくゲゼルの影響があるが
(カントに足りなかった視点)

10:33 午後  
Blogger yoji said...

バンコール - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB
バンコール(bancor)は、1940年から1942年にジョン・メイナード・ケインズとエルンスト・フリー
ドリッヒ・シューマッハー☆(『スモールイズビューティフル』で有名)が提案した超国家的な通
貨のことを言う。第二次世界大戦後に世界経済を安定させるため、英国がブレトン・ウッズ
会議でバンコールの導入を公式提案したが、アメリカ合衆国の合意をとりつけることができ
ず、実現には至らなかった。この会議では最終的に、バンコールではなく、世界銀行とIMF
によって管理された制度において、物理的な金(きん)と結び付けられる固定為替相場制(
金本位制)が採用された。そして、金との兌換性を維持した米ドルを基軸通貨とするブレト
ン・ウッズ体制は1971年のニクソンショックまで続くことになる。一部、IMFのSDR(特別引
出権)が、バンコールの機能を継承されているという考え方もある。

http://www.kanekashi.com/blog/2012/02/001819.html
…ゲゼルは世界通貨の提案(『自然的経済秩序』4-7 世界通貨同盟)まで行い、ケインズ
のブレトン・ウッズ会議に際して提案した世界通貨(バンコール)はこのゲゼルの考え方
に基づいていました。
http://1.bp.blogspot.com/-Q6ag7KSaTgI/TulW5cug6OI/AAAAAAAAEns/owmf9jPOXqw/s1600/a0024841_8563499.jpg


以下、経済学者の栄光と敗北 ケインズからクルーグマンまで14人の物語  より

スティグリッツ
「グローバルな準備通貨制度というアイディアは、比較的古くからあるものです。ジョン・メイナ
ード・ケインズはブレトン・ウッズ体制の発足時、強い説得力をもって『バンコール』という世界
通貨の創設を訴えましたが、当時のアメリカはそれを拒否しました。しかし、いまこそその時期
が到来している、といっても過言ではないと思います(28)」
(28)ジョセフ・スティグリッツ「円の価値がさらに上がる時代  アジア経済安定のために日本が
できること」『Voice』2010年2月号 139頁

5:15 午後  
Blogger yoji said...

吉川洋 とシュンペーター
#17
対米交渉過程において書かれたイギリス大蔵省のメモランダムの一部が最近公刊された(Peden, 2004 の第九章)。これは『ケインズ全集(CWK)』二五、二六巻を補完する内容である。

Peden, G. C.(2004), ed. Keynes and His Critics: Treasury Responses to the Keynesian Revolution, 1925
1946, Records of Social and Economic History New Series 36, Oxford: Published for the British Academy by Oxford University Press.

12:52 午前

12:55 午前  
Blogger yoji said...

般理論』、p.376;下,184ページ/ XXVI,p.33など参照(KEYNES-13/-15)

ここには「キリスト教の倫理」観に支配された、「宗教」としてのキリスト教的偏見が入り込み、ユダヤ系のマルクスが著した『資本論』を、それ故に異端的「コーラン」に擬している。これは『資本論』を宗教裁判的に「禁書」扱いにして、そこで問題になっている「資本家的生産様式」が醸しだす現実の姿を問題にすることを極力避けようとしたことを意味している#2。1940年ともなれば、「資本主義」は体制概念となって、ケインズは、「資本主義的民主主義」(capitalist democracy)をどのようにして維持していくか、という議論をしだすのであった#3。

[3] 「戦争」を経済機構の中に組み込んだ「体制資本主義」資本家的生産様式が発達をし、独占体の形成が進んできた19世紀の後半以降には株式会社形態による資本調達機構、そのマーケットの形成が進み、1917年にレーニンが分析した「金融寡頭制」が支配的な形態になってくる#4。そして1929-33年にはアメリカをその発信地とした「世界恐慌」が世界を覆う。アメリカでは恐慌状態は一応鎮静化するが1937/38年には「中間恐慌」というような事態が勃発し#5、これを克服すべく、ケインズが「資本主義」を民主主義的になどと考えている矢先の1941年に、今度は「戦争」という手段でこの恐慌に立ち向かう。 もっともケインズも1936年の時点では、すでに「戦争」をも強大なマーケット問題として想定していた#6: 非自発的な失業が存在する時、労働の限界的な不効用性は限界生産物の効用性よりも必ず小さい。もっともっと小さいと言える。というのは長期間失業していた人にとっては、ある程度の労働は負の効用どころか正の効用を持つかもしれないのである。もしこれが期待し得るなら、いま議論してきた、「浪費的な」公債支出も、それにもかかわらず、バランス上はコミュニティを富ませることになるのだ。ピラ

#2:ケインズ「バーナード・ショーへの返答」JMK XXVIII,pp.32-33/ p.38(KEYNES-12)
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/33280/rkz044-3-01-abe.pdf

7:14 午後  
Blogger yoji said...

トリフィンのジレンマ
http://pixy10.org/archives/629652.html
「ドルが基軸通貨として役割を果たすためには、アメリカがドルを使い、他国がドルを受け取り、
世界中にドルが十分供給されることが必要である。しかし、アメリカが世界へのドルの供給を増加
させるということは、アメリカの国際収支の赤字が増大することになる。ところが、アメリカの国際
収支の赤字の増加は、基軸通貨としてのドルへの信認を低下させることになってしまうのである。」

---ジャック・アタリ「金融危機後の世界」

これを最初に提唱したのが、ベルギーの経済学者、ロバート・トリフィン。
この話を著書で発表したのが1960年というから驚いた。

7:33 午後  
Blogger yoji said...

ビットコインの原論文を読む » ピッチブレンド blog
http://kogarashi.net/pitchblende/bitcoinwhitepaper

概要
1節 はじめに
2節 電子通貨のやり取り
3節 タイムスタンプサーバ
4節 演算量証明
5節 ネットワーク
6節 ネットワーク参加者への報酬
7節 使用ディスクスペースの節約
8節 取引の簡易検証法
9節 コインの融合と分離
10節 プライバシー
11節 数学的根拠(前編)
11節 数学的根拠(後編)
12節 結論

ビットコイン原論文日本語
http://kogarashi.net/pitchblende/wp-content/uploads/2014/03/BitcoinWhitepaperJapanese.pdf



7:44 午後  
Blogger yoji said...

邦訳ケインズ全集29:55頁より
バーナード・ショー宛て、1934年12月2日

 私の『資本論(Das Kapital)』についての感じ方は、『コーラン』についてのそれと同じです。私は、そ
れが歴史的に重要であることを承知しており、また多くの人々ーーそのすべてが馬鹿者ではありませんが、そこ
に或る種の「千年の岩(Rock of Ages)」と霊感の内包を見出していることも知っています。しかもなおそれに目
を通すとき、それがこのような効果を持ち得ると自らに説明することが出来ないのです。その退屈で時代遅れのアカ
デミックな議論は、目的のための材料として、余りにも不適切なように見えます。それにしても、私が申し上げたよ
うに、『コーラン』についてと正に同じものを感じます。いったい如何にして、これらの書物の双方が、世界の半ば
をめぐって、戦禍を齎(もたら)し得たのでしようか? そのことが、私に衝撃を与えます。私の理解には、明らかに、或る種
の欠陥があるでしよう。あなたは、『資本論』と『コーラン』の双方を信じますか。或いは「資本論」だけですか。
しかし、後者の社会学的価値がどうあれ、その現代的な経済学的価値は(時折の、しかし非建設的で非連続的な洞察
のひらめきは別として)ゼロです。あなたは、それを読み直す約束をされますか、もし私がそうするとして....?
 ご健康を念じつつ。

11:51 午後  
Blogger yoji said...

61~2


  ジヨージ・バーナード・ショウ宛て、一九三五年一月一日
親愛なるバーナード・ショウ
 お手紙ありがとうございます、私は努力してあなたの言葉を心に留めましよう。あなたが言われることにはーー通
常そうですから何かがあるに違いありません。しかし、私は、先週、出版されたばかりのマルクスーエンゲルス
往復書簡集を読みつつ、昔のカール・マルクスに別の光を当ててみたのですが、大きな進展はありませんでした。私
は、人の中ではエンゲルスの方を好みます。私は、彼らが研究遂行の或る方法と執筆上のひどい仕方ーーその双方を、
彼らの後継行たちが忠実に維持してきたのですがーーを発明したのを見ることができます。しかし、もしあなたが私
に、彼らは経済の難問に対する解決の手がかりを発見したのだとおっしやるなら、やはり私は困惑しますーー私は時
代遅れの議論以外の何ものをも見出し得ないのです。
 しかしながら、私の心境を理解して頂くためには、私が、世界の人々の経済問題についての考え方を恐らく今
ただちにではなく、向こう10年間のうちに大きく変革すると思われる経済理論に関する書物を書いていると自
ら確信していることを、あなたに知って頂かなければなりません。私の新しい理論が正しく理解され、政治や感情や
情熱と混ぜ合わされたとき、行動や事象に及ぼす影響において、どのような最終的結果を齎すか、予見することはで
きません。しかし大きな変化が起こるでしようし、なかんずく、マルクシズムのリカード的基礎は打ち壊されるで
しよう。私は、このことを、現時点であなたが、或いは他の人々が、信じて下さるとは期待し得ません。しかし、私
自身としては、私の言っていることは単なる希望ではないと思っていますーー心中、私は完全に確信しているのです。
 リデイアが、あなたとシャーロットによろしく、と。
                          常にあなたの
                             J・M・ K

12:06 午前  
Blogger yoji said...

邦訳ケインズ全集29:55頁より
バーナード・ショー宛て、1934年12月2日

 私の『資本論(Das Kapital)』についての感じ方は、『コーラン』についてのそれと同じです。私は、そ
れが歴史的に重要であることを承知しており、また多くの人々ーーそのすべてが馬鹿者ではありませんが、そこ
に或る種の「千年の岩(Rock of Ages)」と霊感の内包を見出していることも知っています。しかもなおそれに目
を通すとき、それがこのような効果を持ち得ると自らに説明することが出来ないのです。その退屈で時代遅れのアカ
デミックな議論は、目的のための材料として、余りにも不適切なように見えます。それにしても、私が申し上げたよ
うに、『コーラン』についてと正に同じものを感じます。いったい如何にして、これらの書物の双方が、世界の半ば
をめぐって、戦禍を齎(もたら)し得たのでしようか? そのことが、私に衝撃を与えます。私の理解には、明らかに、或る種
の欠陥があるでしよう。あなたは、『資本論』と『コーラン』の双方を信じますか。或いは「資本論」だけですか。
しかし、後者の社会学的価値がどうあれ、その現代的な経済学的価値は(時折の、しかし非建設的で非連続的な洞察
のひらめきは別として)ゼロです。あなたは、それを読み直す約束をされますか、もし私がそうするとして....?
 ご健康を念じつつ。


61~2


  ジヨージ・バーナード・ショウ宛て、一九三五年一月一日
親愛なるバーナード・ショウ
 お手紙ありがとうございます、私は努力してあなたの言葉を心に留めましよう。あなたが言われることにはーー通
常そうですから何かがあるに違いありません。しかし、私は、先週、出版されたばかりのマルクスーエンゲルス
往復書簡集を読みつつ、昔のカール・マルクスに別の光を当ててみたのですが、大きな進展はありませんでした。私
は、人の中ではエンゲルスの方を好みます。私は、彼らが研究遂行の或る方法と執筆上のひどい仕方ーーその双方を、
彼らの後継行たちが忠実に維持してきたのですがーーを発明したのを見ることができます。しかし、もしあなたが私
に、彼らは経済の難問に対する解決の手がかりを発見したのだとおっしやるなら、やはり私は困惑しますーー私は時
代遅れの議論以外の何ものをも見出し得ないのです。
 しかしながら、私の心境を理解して頂くためには、私が、世界の人々の経済問題についての考え方を恐らく今
ただちにではなく、向こう10年間のうちに大きく変革すると思われる経済理論に関する書物を書いていると自
ら確信していることを、あなたに知って頂かなければなりません。私の新しい理論が正しく理解され、政治や感情や
情熱と混ぜ合わされたとき、行動や事象に及ぼす影響において、どのような最終的結果を齎すか、予見することはで
きません。しかし大きな変化が起こるでしょうし、なかんずく、マルクシズムのリカード的基礎は打ち壊されるで
しょう。私は、このことを、現時点であなたが、或いは他の人々が、信じて下さるとは期待し得ません。しかし、私
自身としては、私の言っていることは単なる希望ではないと思っていますーー心中、私は完全に確信しているのです。
 リデイアが、あなたとシャーロットによろしく、と。
                          常にあなたの
                             J・M・ K


12:09 午前  
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邦訳ケインズ全集29:55頁より
バーナード・ショー宛て、1934年12月2日

 私の『資本論(Das Kapital)』についての感じ方は、『コーラン』についてのそれと同じです。私は、そ
れが歴史的に重要であることを承知しており、また多くの人々ーーそのすべてが馬鹿者ではありませんが、そこ
に或る種の「千年の岩(Rock of Ages)」と霊感の内包を見出していることも知っています。しかもなおそれに目
を通すとき、それがこのような効果を持ち得ると自らに説明することが出来ないのです。その退屈で時代遅れのアカ
デミックな議論は、目的のための材料として、余りにも不適切なように見えます。それにしても、私が申し上げたよ
うに、『コーラン』についてと正に同じものを感じます。いったい如何にして、これらの書物の双方が、世界の半ば
をめぐって、戦禍を齎(もたら)し得たのでしようか? そのことが、私に衝撃を与えます。私の理解には、明らかに、或る種
の欠陥があるでしよう。あなたは、『資本論』と『コーラン』の双方を信じますか。或いは「資本論」だけですか。
しかし、後者の社会学的価値がどうあれ、その現代的な経済学的価値は(時折の、しかし非建設的で非連続的な洞察
のひらめきは別として)ゼロです。あなたは、それを読み直す約束をされますか、もし私がそうするとして....?
 ご健康を念じつつ。
                          常にあなたの
                             J・M・ K


61~2


  ジヨージ・バーナード・ショウ宛て、1935年1月1日
親愛なるバーナード・ショウ
 お手紙ありがとうございます、私は努力してあなたの言葉を心に留めましよう。あなたが言われることにはーー通
常そうですから何かがあるに違いありません。しかし、私は、先週、出版されたばかりのマルクスーエンゲルス
往復書簡集を読みつつ、昔のカール・マルクスに別の光を当ててみたのですが、大きな進展はありませんでした。私
は、人の中ではエンゲルスの方を好みます。私は、彼らが研究遂行の或る方法と執筆上のひどい仕方ーーその双方を、
彼らの後継行たちが忠実に維持してきたのですがーーを発明したのを見ることができます。しかし、もしあなたが私
に、彼らは経済の難問に対する解決の手がかりを発見したのだとおっしやるなら、やはり私は困惑しますーー私は時
代遅れの議論以外の何ものをも見出し得ないのです。
 しかしながら、私の心境を理解して頂くためには、私が、世界の人々の経済問題についての考え方を恐らく今
ただちにではなく、向こう10年間のうちに大きく変革すると思われる経済理論に関する書物を書いていると自
ら確信していることを、あなたに知って頂かなければなりません。私の新しい理論が正しく理解され、政治や感情や
情熱と混ぜ合わされたとき、行動や事象に及ぼす影響において、どのような最終的結果を齎すか、予見することはで
きません。しかし大きな変化が起こるでしょうし、なかんずく、マルクシズムのリカード的基礎は打ち壊されるで
しょう。私は、このことを、現時点であなたが、或いは他の人々が、信じて下さるとは期待し得ません。しかし、私
自身としては、私の言っていることは単なる希望ではないと思っていますーー心中、私は完全に確信しているのです。
 リデイアが、あなたとシャーロットによろしく、と。
                          常にあなたの
                             J・M・ K


12:24 午前  
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邦訳ケインズ全集29:55頁より
バーナード・ショー宛て、1934年12月2日

 私の『資本論(Das Kapital)』についての感じ方は、『コーラン』についてのそれと同じです。私は、そ
れが歴史的に重要であることを承知しており、また多くの人々ーーそのすべてが馬鹿者ではありませんが、そこ
に或る種の「千年の岩(Rock of Ages)」(訳注:賛美歌)と霊感の内包を見出していることも知っています。しかもなおそれに目
を通すとき、それがこのような効果を持ち得ると自らに説明することが出来ないのです。その退屈で時代遅れのアカ
デミックな議論は、目的のための材料として、余りにも不適切なように見えます。それにしても、私が申し上げたよ
うに、『コーラン』についてと正に同じものを感じます。いったい如何にして、これらの書物の双方が、世界の半ば
をめぐって、戦禍を齎(もたら)し得たのでしようか? そのことが、私に衝撃を与えます。私の理解には、明らかに、或る種
の欠陥があるでしよう。あなたは、『資本論』と『コーラン』の双方を信じますか。或いは「資本論」だけですか。
しかし、後者の社会学的価値がどうあれ、その現代的な経済学的価値は(時折の、しかし非建設的で非連続的な洞察
のひらめきは別として)ゼロです。あなたは、それを読み直す約束をされますか、もし私がそうするとして....?
 ご健康を念じつつ。
                          常にあなたの
                             J・M・ K


61~2


  ジヨージ・バーナード・ショウ宛て、1935年1月1日
親愛なるバーナード・ショウ
 お手紙ありがとうございます、私は努力してあなたの言葉を心に留めましよう。あなたが言われることにはーー通
常そうですから何かがあるに違いありません。しかし、私は、先週、出版されたばかりのマルクスーエンゲルス
往復書簡集を読みつつ、昔のカール・マルクスに別の光を当ててみたのですが、大きな進展はありませんでした。私
は、人の中ではエンゲルスの方を好みます。私は、彼らが研究遂行の或る方法と執筆上のひどい仕方ーーその双方を、
彼らの後継行たちが忠実に維持してきたのですがーーを発明したのを見ることができます。しかし、もしあなたが私
に、彼らは経済の難問に対する解決の手がかりを発見したのだとおっしやるなら、やはり私は困惑しますーー私は時
代遅れの議論以外の何ものをも見出し得ないのです。
 しかしながら、私の心境を理解して頂くためには、私が、世界の人々の経済問題についての考え方を恐らく今
ただちにではなく、向こう10年間のうちに大きく変革すると思われる経済理論に関する書物を書いていると自
ら確信していることを、あなたに知って頂かなければなりません。私の新しい理論が正しく理解され、政治や感情や
情熱と混ぜ合わされたとき、行動や事象に及ぼす影響において、どのような最終的結果を齎すか、予見することはで
きません。しかし大きな変化が起こるでしょうし、なかんずく、マルクシズムのリカード的基礎は打ち壊されるで
しょう。私は、このことを、現時点であなたが、或いは他の人々が、信じて下さるとは期待し得ません。しかし、私
自身としては、私の言っていることは単なる希望ではないと思っていますーー心中、私は完全に確信しているのです。
 リディアが、あなたとシャーロットによろしく、と。
                          常にあなたの
                             J・M・ K


12:25 午前  
Blogger yoji said...

ケインズ全集28:373頁~参照

ヒューム「人間本性論摘要」(1740) : 槐安国伝http://omg05.exblog.jp/9226669/
ヒューム「人間本性論摘要」(1740)
を読む。
ヒューム「人間知性研究―付・人間本性論摘要」(斎藤・一ノ瀬訳)の付録として訳出されている。
原文は、An Abstract of A Treatise of Human Nature
(http://www.ff.iij4u.or.jp/~yyuji/library/hume/hume00.html)
で読める。

訳注によると、本書は、ヒュームの書簡の中で言及されていて存在が推定されていたが、誰も見たことのない謎の書物だった。経済学者ケインズが1933年に発見、1940年にスラッファ(ポーズ一つでウィトゲンシュタインに「論考」の難点を教えた人ではないか!)と共同で公刊した。
匿名で出版されたので著者は誰か、が問題だった。
「摘要」出版後にヒュームが公刊した「人間本性論」付録や「人間知性研究」に対応する思想が本書に含まれている。これができるのはヒューム本人のみ、というのがケインズの推論。
説得力ある推論なので、現在、「死産」状態だった「人性論」を世間にわかりやすく訴えるためにヒューム本人が書いたアブストラクトと認められている、とのこと。

12:45 午前  
Blogger yoji said...

邦訳ケインズ全集29:55頁より
バーナード・ショー宛て、1934年12月2日

 私の『資本論(Das Kapital)』についての感じ方は、『コーラン』についてのそれと同じです。私は、そ
れが歴史的に重要であることを承知しており、また多くの人々ーーそのすべてが馬鹿者ではありませんが、そこ
に或る種の「千年の岩(Rock of Ages)」(訳注:賛美歌)と霊感の内包を見出していることも知っています。しかもなおそれに目
を通すとき、それがこのような効果を持ち得ると自らに説明することが出来ないのです。その退屈で時代遅れのアカ
デミックな議論は、目的のための材料として、余りにも不適切なように見えます。それにしても、私が申し上げたよ
うに、『コーラン』についてと正に同じものを感じます。いったい如何にして、これらの書物の双方が、世界の半ば
をめぐって、戦禍を齎(もたら)し得たのでしようか? そのことが、私に衝撃を与えます。私の理解には、明らかに、或る種
の欠陥があるでしよう。あなたは、『資本論』と『コーラン』の双方を信じますか。或いは「資本論」だけですか。
しかし、後者の社会学的価値がどうあれ、その現代的な経済学的価値は(時折の、しかし非建設的で非連続的な洞察
のひらめきは別として)ゼロです。あなたは、それを読み直す約束をされますか、もし私がそうするとして....?
 ご健康を念じつつ。
                          常にあなたの
                             J・M・ K


61~2


  ジヨージ・バーナード・ショウ宛て、1935年1月1日
親愛なるバーナード・ショウ
 お手紙ありがとうございます、私は努力してあなたの言葉を心に留めましよう。あなたが言われることにはーー通
常そうですから何かがあるに違いありません。しかし、私は、先週、出版されたばかりのマルクスーエンゲルス
往復書簡集を読みつつ、昔のカール・マルクスに別の光を当ててみたのですが、大きな進展はありませんでした。私
は二人の中ではエンゲルスの方を好みます。私は、彼らが研究遂行の或る方法と執筆上のひどい仕方ーーその双方を、
彼らの後継行たちが忠実に維持してきたのですがーーを発明したのを見ることができます。しかし、もしあなたが私
に、彼らは経済の難問に対する解決の手がかりを発見したのだとおっしやるなら、やはり私は困惑しますーー私は時
代遅れの議論以外の何ものをも見出し得ないのです。
 しかしながら、私の心境を理解して頂くためには、私が、世界の人々の経済問題についての考え方を恐らく今
ただちにではなく、向こう10年間のうちに大きく変革すると思われる経済理論に関する書物を書いていると自
ら確信していることを、あなたに知って頂かなければなりません。私の新しい理論が正しく理解され、政治や感情や
情熱と混ぜ合わされたとき、行動や事象に及ぼす影響において、どのような最終的結果を齎すか、予見することはで
きません。しかし大きな変化が起こるでしょうし、なかんずく、マルクシズムのリカード的基礎は打ち壊されるで
しょう。私は、このことを、現時点であなたが、或いは他の人々が、信じて下さるとは期待し得ません。しかし、私
自身としては、私の言っていることは単なる希望ではないと思っていますーー心中、私は完全に確信しているのです。
 リディアが、あなたとシャーロットによろしく、と。
                          常にあなたの
                             J・M・ K



12:25 午前

4:14 午前  
Blogger yoji said...

トリフィンのジレンマ
http://pixy10.org/archives/629652.html
「ドルが基軸通貨として役割を果たすためには、アメリカがドルを使い、他国がドルを受け取り、
世界中にドルが十分供給されることが必要である。しかし、アメリカが世界へのドルの供給を増加
させるということは、アメリカの国際収支の赤字が増大することになる。ところが、アメリカの国際
収支の赤字の増加は、基軸通貨としてのドルへの信認を低下させることになってしまうのである。」

---ジャック・アタリ「金融危機後の世界」

1960年これを最初に提唱したのが、ベルギーの経済学者、ロバート・トリフィン。

バンコールはこのジレンマを解消するためのもの

5:26 午前  
Blogger yoji said...

>>498
ケインズ・バンコールの元ネタ
ゲゼルのIVAの概念図
https://lh3.googleusercontent.com/-iaAMLDvVLsY/V8UWbmvJNFI/AAAAAAABCac/xnpYBj7iG0I/s1600/blogger-image-1492233545.jpg

IVAに紙幣はない
国家間のLETS(通帳式地域通貨)のようなものである

6:32 午前  
Blogger yoji said...


ケインズの闘い - 本と奇妙な煙
http://d.hatena.ne.jp/kingfish/20081117
市場が底を打ってもまだ株をもっていることについて、私には何の恥じらいもありません。……冷静な心で自分を責めることなく持株の減価を甘受することは、時には真面目な投資家の義務であると言うべきなのです。それ以外の方針は反社会的であり、信頼を破壊するとともに、経済体系のはたらきとは両立しないものです。投資家は長期的な成果を第一の目的としているし、またそうするべきであるのです。そして投資家は、それらによってのみ判断されるべきであるのです。……市場の底では他人にすべてを売り払い、自分は現金以外に何も持たないようにするべきだという考えは、非現実的であるだけでなく全体系を破壊するものです


結婚のような投資

「投資物件の購入を、あたかも結婚のように、死とかその他重大な原因による以外には解消することのできない恒久的なものにすることが、おそらく今日の害悪を救う有効な方策となるであろう」(略)
 ケインズのポートフォリオは、つねに少数の企業の株式によって占められていた。ときには四つ以下の企業だったのである。


崩壊

新しい不安と希望とが、警告なしに人間行動を支配するであろう。幻滅の力が、突然、価値判断の新しい慣習的基礎を押しつけることになるかもしれない。きれいに鏡板を張った重役室や、巧妙に規制された市場のために作られた、これらすべての見事で洗練された技術は崩壊を免れない。漠然とした恐慌の不安、およびそれと同様に漠然として理由のない希望が現実に静まることは常になく、ただ一本の細々とした道があることを除いては、それらの不安と希望は常に人々の心の内面に横たわっている。


革命は時代遅れ

保守主義と同様に、共産主義は、「経済問題の重要性を途方もなく過大評価している。経済問題は難しすぎて解決できないということはない。私に任せてもらえるならば、私が面倒を見てあげよう」。
[共産主義者と保守主義者]1930年代においても資本主義は機能しつづけると考えていた。ただし共産主義者は、暴力革命だけがブルジョアジーを打倒することによって経済問題を解決することができると信じていた。上述の諸理由からケインズはあらゆる形の暴力的な社会変革に反対していたという事実に加えて、彼は、19世紀以降には権力の所有者が変わったと考えていた。権力は、産業の統率者から賃金稼得者の階級へと移った。けれども、それはプロレタリアートではない。「ウェルズの言うとおり、革命は時代遅れとなっている。なぜなら、革命とは個人的な権力に反対するものであるからだ。今日のイギリスでは、だれも個人的な権力をもってはいない」。共産主義者の企ては、政治的なレベルで誤っていると同時に、まちがった理論的基礎にもとづくものでもあった。


第一次大戦後大蔵省首席代表として他国との交渉にあたる

連合国間のすべての負債を帳消しにし、ヨーロッパの再建を助けるためにアメリカの資金を配分するという提案によってもまた、彼は非難を受けた。さらに彼は、ドイツの債務を大きく削減し、「ドイツの領土内に希望と企業意欲が再生するのを可能に」するような仕方で、ヴェルサイユ条約の諸条項を抜本的に改訂することを提案した。


『平和の経済的帰結』

は1919年12月12日に公刊された。発売当初の売れ行きは好調ではなかったものの、その本は世界中で並はずれた成功を収めた。公刊の六ヵ月後には、イギリスとアメリカでの売り上げは10万部を超え、すでに1ダースもの言語に翻訳されていた。これ以後の彼のすべての著書がそうであったように、ケインズは、すべての利益を自分のものとし、利益の10%に相当する権利料を彼の本の出版社であるマクミランに支払うことにして、印刷・流通・広告の費用を自分で負担することにした。こうして彼は巨額の富を得た。
(略)
 彼はまた、いくつかの批判の的になった。政治指導者のなかには、機密情報を利用したことについて彼を非難した者もいた。彼の本は、イギリスとアメリカの関係を害することになるとも考えられた。しかし、もっとも敵意に満ちた批判はフランスから寄せられたのであり、ケインズは反仏派であり、親独派であるとして非難された。ごく当然のこととして、その書物はドイツやオーストリアではきわめて好意的に迎えられた。のちにケインズの思想に対するもっとも厳しい批判者となるフリードリッヒ・ハイエクは、当時ケインズは、彼とその友人たちにとって英雄であったと書いている。


マネー(1919年の手紙より)

お金とは不思議なものです。現行の制度が今後も許容されつづけると考えることは不可能であるように思われます。ほんのわずかの余分な知識と、特殊な経験の成果として、お金は簡単に(そして、いかなる意味においても不当に)転がり込んでくるのです


1922年のヴァージニア・ウルフによるブルームズベリー・グループ回想

突然ドアが開いたかと思うと、長身で意地悪そうな姿のリットン・ストレイチー氏が入口に立っていた。彼は、ヴァネッサの白いドレスについたシミを指さした。そして彼は、「ザーメンか」と言った。
 何てことを言うのだろう、と私は思った。そして私たちはどっと笑った。その一言で、寡黙と遠慮という壁が崩れた。聖なる液体の洪水が私たちを圧倒したかのように思われた。性が私たちの会話に浸透した。男色者という言葉さえも、私たちは口にするようになった。善の性質について議論したときと同じような興奮と率直さをもって、私たちは性交について議論した

9:36 午後
Blogger yoji said...
030ジル・ドスタレール著(鍋島直樹・小峯敦監訳)『ケインズの闘い――哲学・政治・経済学・芸術――』 - akamac book review
http://d.hatena.ne.jp/akamac/20090306/1236347583
ケインズの闘い―哲学・政治・経済学・芸術
作者: ジルドスタレール,鍋島直樹,小峯敦
出版社/メーカー: 藤原書店
発売日: 2008/09/30
メディア: 単行本
購入: 2人 クリック: 9回
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2009年2月28日午後5時20分読了!「大部で,しかも幅広い内容を扱う書物ではあるけれども,読者には,ぜひ最初から最後までゆっくりとページをめくって本書を通読していただきたい」(監訳者あとがき,626ページ)を身をもって実践したことになる。苦節5ヶ月の「ケインズの闘い」への闘いはようやく完了した。

5:37 午後  
Blogger yoji said...


浅野栄一『ケインズ「一般理論」形成史』( 一九八六年)を読むとケインズが1932~3年にマルクス再生産表式関連書評から有効需要のアイデアを得たのは確かだろう。少なくとも1933年の講義録で表明するきっかけを得たことは歴史的事実だ。カレツキのようにツガン経由で転形論の文脈に詳しかった可能性もあるが。
カレツキのような数式を出していないのでマルサスらにも当てはまる一般論の範囲ではある。両者に共通する部門の3分割は転形論の成果だ。2部門だと山田盛太郎のような限界を露呈する。

カレツキ研究の展望―「有効需要の理論」をめぐって 鍋島直樹 2015
http://jshet.net/docs/journal/56/562nabeshima.pdf

《これと同様にクラインも,1951年に公刊されたハロッド『ケインズ伝』の書評(Klein 1951)において,「最近,カレツキの景気循環理論を再検討したのちに,他の貢献に加えて,彼がじっさいにケインズ体系のあらゆる重要な要素を含む体系をつくり出していたことを,私は確信した」(447)と述べている.さらに彼は,カレツキの理論が,明示的に動学的であること,所得分配の問題を考慮していること,投資注文と投資支出の区別を行なっていることを挙げ,それはケインズの理論よりもいくつかの点において優れているとさえ論じている.》

Klein, L. R. 1951. The Life of John Maynard Keynes. Journal of Political Economy 59 (5): 443.

Article provided by University of Chicago Press in its journal The Journal of Political Economy.
Volume (Year): 59 (1951)
Issue (Month): ()
Pages: 443-443


ハロッドによる評価は都留重人が現代群像解説で指摘していた。クラインは著書でゲゼルにも言及している。
マルサスはニュートンをケインズはアインシュタインを意識している。

参照:
ケインズ『一般理論』形成史 単行本 – 1987/2
浅野 栄一 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4535576394/
浅野栄一『ケインズ「一般理論」形成史』 一九八六年

上記の都留重人によれば
マクラケン資本論解説からケインズも有効需要を思いついた。
ケインズ全集29
1932年~ケインズ講義録

The Collected Writings of John Maynard Keynes, The General Theory and After: A Supplement, Vol. 29: John Maynard Keynes, Elizabeth Johnson, Donald Moggridge: 洋書
https://www.amazon.co.jp/Collected-Writings-Maynard-Keynes-General/dp/1107634997/ref=sr_1_6?ie=UTF8&qid=1491271079&sr=8-6&keywords=keynes+29

8:12 午後  
Blogger yoji said...

【コラム】次の金融危機、引き金は「通貨」か [無断転載禁止]©2ch.net

1 : みつを ★2017/05/28(日) 21:26:19.33 ID:CAP_USER>>56
http://jp.mobile.reuters.com/article/idJPKBN18M0IS

[ロンドン 24日 ロイター BREAKINGVIEWS] - 何世紀にもわたって、国際貿易には通貨の問題がつきまとってきた。グローバリゼーションが拡大しても、この問題の緊急性は少しも減じていない。

経済学者ロバート・トリフィン氏が指摘したジレンマは、一度でも市場のムードの大きな変化が生じれば、世界規模の通貨危機が発生しかねない、というパワフル、そして驚くほど今日的な警告なのだ。

スコットランド出身の哲学者で経済学者でもあるデビッド・ヒュームは、1752年、根本的な問題を指摘した。世界全体での輸出の総量は常に世界全体での輸入の総量に等しいが、国家単位では、慢性的な貿易赤字を抱える可能性がある。ヒュームの時代には、貿易赤字国は海外からの財の対価として金を輸出していた。今日、債権者は赤字国の通貨を大量に受け入れなければならない。

ヒュームは、自由市場によってこうした不均衡は是正されると考えていた。今日で言う、通貨切り下げだ。これによって輸出は増加し、輸入は減少し、金は戻ってくる。だが、貿易赤字につながる経済パターンは驚くほど頑固なことが分かっている。輸入側が、自分たちのライフスタイルの対価を支払う方法を見つけられる限り、その傾向は持続する。

金が底をつくか、債権者がついに匙を投げてしまえば、債務不履行はほぼ避けがたくなる。こうした国家の財政破綻は通常、世界経済にわずかな影響しか与えない。だが、常にそうとは限らない。

トリフィン氏が1960年に指摘したように、債権者がグローバルな準備通貨(つまり貿易の対価として喜んで受け取られ、ほぼあらゆる場所で貯蓄のために一般的に使われている通貨)に対する信頼を失ってしまえば、その影響ははるかに深刻になる。

準備通貨からの逃避が発生すれば、世界の貿易体制は混乱に陥ってしまう。ベルギー系米国人の経済学者トリフィン氏の時代と同様、準備通貨は今日でもやはり米ドルである。トリフィン氏が理解していたように、ドルは最後の審判の日まで安定を維持するだろう。外国人は今後も、より多くの米ドルを蓄えようとするだろう。グローバルな準備通貨を保有していれば円滑な貿易が可能だからだ。だから彼らは、喜んで米国の貿易赤字を補填してくれる。

だが、米国が世界中にドルをバラまけばバラまくほど、ドル保有者は米国の信用力を疑うようになる。経済学者たちは、ドルに対する渇望とドル保有に伴う危険の共存を、「トリフィンのジレンマ」と称した。当時フランスの経済財政相だったバレリー・ジスカールデスタン氏は、これを、「(米国の)常軌を逸した特権」と呼んだ。

それ以来、米国はその特権をおおいに活用している。グラフ(tmsnrt.rs/2rPeJRw)が示す通り、米国のネット対外投資ポジション(基本的には、米国から投資されたドルの市場価値から米国に融資されたドルの価値を引いたもの)が初めてマイナスになったのは1988年である。若干の変動があった後、確固たるトレンドが始まった。2016年までに、米国の貿易赤字は世界のGDPの11%前後にまで達した。

つまり、膨大なドルの価値がリスクに晒されているということだ。だが、こうした展開は意外ではない。世界銀行によれば、国際貿易が世界のGDPに占める比率は1960年の17%から、今日では45%に達している。「トリフィンのジレンマ」の一方からは、こうした貿易の増大により、米国外で保有されているドルが増加することが分かる。他方は、この状況においては通貨危機が非常に破壊的なものになることを示している。

米国の何かしらの無責任さや傲慢さのせいで、中国政府が我慢の限界を超え、膨大に蓄積したドル建て資産の一部を売り始めたら、どうなるだろうか。他国もこれに倣い、相対的に安全だと思われている通貨に殺到するだろう。すると、日本やスイスといった国に政治的な不満が生まれる。資本移動が制約され、国際貿易がしぼんでしまう。

(中略)

最終的には、金融に関する重要な問題はすべて、政治的な解決が必要だ。損失を割り当て、信頼を回復するだけの権威を持っているのは各国政府だけだからだ。だからこそ、国際的な金融問題の解決は、特に難しいのである。介入してくれる世界政府が存在しないからだ。

準備通貨としての米ドルの地位は、度重なるショックにも、また相次ぐ政権の放漫財政にも耐えてきた。だが、トリフィンのジレンマが、現実的な危機に転じれば、政治的な空白に近い状態のなかで、なぜドルがグローバル経済を支えることが可能だったのか、誰もが不思議に感じることになるだろう。

Edward Hadas

2017年 5月 28日 8:59 AM JST
2 : 名刺は切らしておりまして

11:27 午前  
Blogger yoji said...

平和に関する布告 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/平和に関する布告

平和に関する布告(へいわにかんするふこく、Декрет о мире)は、1917年11月8日
(ユリウス暦10月26日)に起きたロシア革命(十月革命)中に、レーニン率いるソビエト
政権の第2回全ロシア・ソビエト大会で発表された布告である。

その内容は、「無賠償」・「無併合」・「民族自決」に基づく即時講和を第一次世界大戦の
全交戦国に提案したものであり、ロシア最初の対外政策であった。この平和に関する布告は、
ウッドロウ・ウィルソンに「世界に貴重な原則を示した」と称えられ、当時のドイツ、オー
ストリア・ハンガリーの労働者だけではなく、[*]諸外国の民衆やマルクス・レーニン主義の
被圧迫民族解放理論に多大な影響を与えた。

レーニンは「平和の経済的帰結」を発表したジョン・メイナード・ケインズに着目し、
この布告について「われわれはケインズの本が出るすこしまえに、彼のすばらしい忠告
にしたがった。いっさいの負債を棒引きした」[**]と語ってる。


ハインリヒ・アウグスト・ヴィンクラー、『自由と統一への長い道』 1巻 後藤俊明、奥田隆男、中谷毅、野田昌吾訳 (昭和堂、2008年),P359
**
レーニン全集31巻22頁、大月書店


平和に関する布告
平和に関する布告(へいわにかんするふこく、Декрет о мире)は、1917年11月8日(ユリウス暦10月26日)に起きたロシア革命(十月革命)中に、レーニン率いるソビエト政権の第2回全ロシア・ソビエト大会で発表された布告である。

その内容は、「無賠償」・「無併合」・「民族自決」に基づく即時講和を第一次世界大戦の全交戦国に提案したものであり、ロシア最初の対外政策であった。この平和に関する布告は、ウッドロウ・ウィルソンに「世界に貴重な原則を示した」と称えられ、当時のドイツ、オーストリア・ハンガリーの労働者だけではなく、[1]諸外国の民衆やマルクス・レーニン主義の被圧迫民族解放理論に多大な影響を与えた。

その後、レーニンは「平和の経済的帰結」を発表したジョン・メイナード・ケインズに着目し、この布告について「われわれはケインズの本が出るすこしまえに、彼のすばらしい忠告にしたがった。いっさいの負債を棒引きした」[2]と語ってる。

参考文献 編集
マルクス・エンゲルス・レーニン研究所 『レーニン全集』(大月書店、1961年)ISBN 978-4-27-201050-9
ロバート・サーヴィス(中嶋毅訳) 『ロシア革命 1900-1927』(岩波書店、2005年) ISBN 4-00-027099-0
レフ・トロツキー(西山克典訳) 『ロシア革命 「十月」からブレスト講話まで』(柘植書房、1995年) ISBN 4-8068-0381-2
ハインリヒ・アウグスト・ヴィンクラー『自由と統一への長い道』 1巻 後藤俊明、奥田隆男、中谷毅、野田昌吾訳 (昭和堂、2008年) ISBN 978-4-81-220833-5
脚注 編集
^ ハインリヒ・アウグスト・ヴィンクラー、1,P359
^ レーニン全集31巻22頁、大月書店
関連項目 編集
十四か条の平和原則
土地に関する布告
国家と教会および教会と学校の分離に関する布告

2:22 午前  
Blogger yoji said...

平和に関する布告 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/平和に関する布告

平和に関する布告(へいわにかんするふこく、Декрет о мире)は、1917年11月8日
(ユリウス暦10月26日)に起きたロシア革命(十月革命)中に、レーニン率いるソビエト
政権の第2回全ロシア・ソビエト大会で発表された布告である。

その内容は、「無賠償」・「無併合」・「民族自決」に基づく即時講和を第一次世界大戦の
全交戦国に提案したものであり、ロシア最初の対外政策であった。この平和に関する布告は、
ウッドロウ・ウィルソンに「世界に貴重な原則を示した」と称えられ、当時のドイツ、オー
ストリア・ハンガリーの労働者だけではなく、[*]諸外国の民衆やマルクス・レーニン主義の
被圧迫民族解放理論に多大な影響を与えた。

その後、レーニンは「平和の経済的帰結」を発表したジョン・メイナード・ケインズに着目し、
この布告について「われわれはケインズの本が出るすこしまえに、彼のすばらしい忠告
にしたがった。いっさいの負債を棒引きした」[**]と語ってる。


ハインリヒ・アウグスト・ヴィンクラー、『自由と統一への長い道』 1巻 後藤俊明、奥田隆男、中谷毅、野田昌吾訳 (昭和堂、2008年),P359
**
レーニン全集31巻22頁、大月書店

2:24 午前  
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平和に関する布告 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/平和に関する布告

平和に関する布告は、1917年11月8日(ユリウス暦10月26日)に起きたロシア革命(十月革命)
中に、レーニン率いるソビエト政権の第2回全ロシア・ソビエト大会で発表された布告である。

その内容は、「無賠償」「無併合」「民族自決」に基づく即時講和を第一次世界大戦の
全交戦国に提案したものであり、ロシア最初の対外政策であった。この平和に関する布告は、
ウッドロウ・ウィルソンに「世界に貴重な原則を示した」と称えられ、当時のドイツ、オー
ストリア・ハンガリーの労働者だけではなく、[*]諸外国の民衆やマルクス・レーニン主義の
被圧迫民族解放理論に多大な影響を与えた。

その後、レーニンは「平和の経済的帰結」を発表したジョン・メイナード・ケインズに着目し、
この布告について「われわれはケインズの本が出るすこしまえに、彼のすばらしい忠告
にしたがった。いっさいの負債を棒引きした」[**]と語ってる。

*ハインリヒ・アウグスト・ヴィンクラー、『自由と統一への長い道』 1巻 後藤俊明、
奥田隆男、中谷毅、野田昌吾訳 (昭和堂、2008年),P359
**
レーニン全集31巻22頁、大月書店

9:03 午後  
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ジル・ドスタレール著(鍋島直樹・小峯敦監訳)
『ケインズの闘い――哲学・政治・経済学・芸術――』
http://d.hatena.ne.jp/kingfish/20081117
第一次大戦後大蔵省首席代表として他国との交渉にあたる
連合国間のすべての負債を帳消しにし、ヨーロッパの再建を助けるためにアメリカの資金を配分する
という提案によってもまた、彼[ケインズ]は非難を受けた。さらに彼は、ドイツの債務を大きく削減し、
「ドイツの領土内に希望と企業意欲が再生するのを可能に」するような仕方で、ヴェルサイユ条約の諸
条項を抜本的に改訂することを提案した。

『平和の経済的帰結』は1919年12月12日に公刊された。発売当初の売れ行きは好調ではなかっ
たものの、その本は世界中で並はずれた成功を収めた。
(略)
しかし、もっとも敵意に満ちた批判はフランスから寄せられたのであり、ケインズは反仏派であり、
親独派であるとして非難された。ごく当然のこととして、その書物はドイツやオーストリアではきわめて
好意的に迎えられた。のちにケインズの思想に対するもっとも厳しい批判者となるフリードリッヒ
・ハイエクは、当時ケインズは、彼とその友人たちにとって英雄であったと書いている。

《ケインズの1919年の計画が実行されていれば、ヒトラーがドイツの首相になることはありえなかった。
彼の助言が実行されなかったために生じた事態に関して、ケインズを責めることは、馬鹿げている。》
スキデルスキー『ケインズ2』邦訳650~1頁

9:04 午後  
Blogger yoji said...




“If we can cure unemployment for the wasted purposes of armaments,
we can cure it for the productive purposes of peace.”
1939年5月23日BBC

「もしわれわれが軍備という無駄な目的のために失業を救済し得るならば、
われわれは平和と言う生産的な目的のためにもそれを救済できる。」
(邦訳全集25巻612頁)

100人の 20世紀  ケインズ 2/2
https://youtu.be/A8DFGbRzCiQ?t=6m20s
____

スティグリッツ
「グローバルな準備通貨制度というアイディアは、比較的古くからあるものです。ジョン・メイナ
ード・ケインズはブレトン・ウッズ体制の発足時、強い説得力をもって『バンコール』という世界
通貨の創設を訴えましたが、当時のアメリカはそれを拒否しました。しかし、いまこそその時期
が到来している、といっても過言ではないと思います(28)」
(28)ジョセフ・スティグリッツ「円の価値がさらに上がる時代  アジア経済安定のために日本が
できること」『Voice』2010年2月号 139頁

バンコール - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB
バンコール(bancor)は、1940年から1942年にジョン・メイナード・ケインズとエルンスト・フリー
ドリッヒ・シューマッハーが提案した超国家的な通貨のことを言う。第二次世界大戦後に世界
経済を安定させるため、英国がブレトン・ウッズ会議でバンコールの導入を公式提案したが、
アメリカ合衆国の合意をとりつけることができず、実現には至らなかった。

5:56 午前  
Blogger yoji said...






“If we can cure unemployment for the wasted purposes of armaments,
we can cure it for the productive purposes of peace.”
1939年5月23日BBC

「もしわれわれが軍備という無駄な目的のために失業を救済し得るならば、
われわれは平和と言う生産的な目的のためにもそれを救済できる。」
(邦訳全集25巻612頁)

100人の 20世紀  ケインズ 2/2
https://youtu.be/A8DFGbRzCiQ?t=6m20s
____

スティグリッツ
「グローバルな準備通貨制度というアイディアは、比較的古くからあるものです。ジョン・メイナ
ード・ケインズはブレトン・ウッズ体制の発足時、強い説得力をもって『バンコール』という世界
通貨の創設を訴えましたが、当時のアメリカはそれを拒否しました。しかし、いまこそその時期
が到来している、といっても過言ではないと思います(28)」
(28)ジョセフ・スティグリッツ「円の価値がさらに上がる時代  アジア経済安定のために日本が
できること」『Voice』2010年2月号 139頁

『経済学者の栄光と敗北 』 2013年  東谷暁 より孫引き


バンコール - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB
バンコール(bancor)は、1940年から1942年にジョン・メイナード・ケインズとエルンスト・フリー
ドリッヒ・シューマッハーが提案した超国家的な通貨のことを言う。第二次世界大戦後に世界
経済を安定させるため、英国がブレトン・ウッズ会議でバンコールの導入を公式提案したが、
アメリカ合衆国の合意をとりつけることができず、実現には至らなかった。

参考:
ケインズ「コモド・コントロール」――国際緩衝在庫案(一九四二年) 平井俊顕 ブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/olympass/49302436.html

6:02 午前  
Blogger yoji said...

“If we can cure unemployment for the wasted purposes of armaments,
we can cure it for the productive purposes of peace.”
1939年5月23日BBC

「もしわれわれが軍備という無駄な目的のために失業を救済し得るならば、
われわれは平和と言う生産的な目的のためにもそれを救済できる。」
(邦訳全集25巻612頁)

100人の 20世紀  ケインズ 2/2
https://youtu.be/A8DFGbRzCiQ?t=6m20s
____

スティグリッツ
「グローバルな準備通貨制度というアイディアは、比較的古くからあるものです。ジョン・メイナ
ード・ケインズはブレトン・ウッズ体制の発足時、強い説得力をもって『バンコール』という世界
通貨の創設を訴えましたが、当時のアメリカはそれを拒否しました。しかし、いまこそその時期
が到来している、といっても過言ではないと思います(28)」
(28)ジョセフ・スティグリッツ「円の価値がさらに上がる時代  アジア経済安定のために日本が
できること」『Voice』2010年2月号 139頁

『経済学者の栄光と敗北 』 2013年  東谷暁 より孫引き


バンコール - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB
バンコール(bancor)は、1940年から1942年にジョン・メイナード・ケインズとエルンスト・フリー
ドリッヒ・シューマッハーが提案した超国家的な通貨のことを言う。第二次世界大戦後に世界
経済を安定させるため、英国がブレトン・ウッズ会議でバンコールの導入を公式提案したが、
アメリカ合衆国の合意をとりつけることができず、実現には至らなかった。

参考:
ケインズ「コモド・コントロール」――国際緩衝在庫案(一九四二年) 平井俊顕 ブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/olympass/49302436.html

6:02 午前  
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“If we can cure unemployment for the wasted purposes of armaments,
we can cure it for the productive purposes of peace.”
1939年5月23日BBC
100人の 20世紀  ケインズ 2/2 https://youtu.be/A8DFGbRzCiQ?t=6m20s

「もしわれわれが軍備という無駄な目的のために失業を救済し得るならば、
われわれは平和と言う生産的な目的のためにもそれを救済できる。」
(邦訳全集25巻612頁)

____

スティグリッツ
「グローバルな準備通貨制度というアイディアは、比較的古くからあるものです。ジョン・メイナ
ード・ケインズはブレトン・ウッズ体制の発足時、強い説得力をもって『バンコール』という世界
通貨の創設を訴えましたが、当時のアメリカはそれを拒否しました。しかし、いまこそその時期
が到来している、といっても過言ではないと思います(28)」
(28)ジョセフ・スティグリッツ「円の価値がさらに上がる時代  アジア経済安定のために日本が
できること」『Voice』2010年2月号 139頁
『経済学者の栄光と敗北 』 2013年  東谷暁 より孫引き

バンコール - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB
バンコール(bancor)は、1940年から1942年にジョン・メイナード・ケインズとエルンスト・フリー
ドリッヒ・シューマッハーが提案した超国家的な通貨のことを言う。第二次世界大戦後に世界
経済を安定させるため、英国がブレトン・ウッズ会議でバンコールの導入を公式提案したが、
アメリカ合衆国の合意をとりつけることができず、実現には至らなかった。

参考:
ケインズ「コモド・コントロール」――国際緩衝在庫案(一九四二年) 平井俊顕 ブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/olympass/49302436.html

6:04 午前  
Blogger yoji said...

ジョン・メイナード・ケインズとは 何ものであったのか - 統計研究会 (Adobe PDF) -htmlで見る
www.isr.or.jp/TokeiKen/pdf/gakusai/2_07.pdf
ジョン・メイナード・ケインズは、経済学者でもあった」など. と書くと、いかにも奇をてらった物言いと ... のが、他ならぬ『平和の経済的帰結』(1919年)であり、これは、. 第一次大戦後における戦勝国の対独賠償 ... だからして、W・チャーチルが. こんなふうに言ったことがある。「同じ質問を七人の経済学者に発. した。ところが得られた答はみな異なり、 八つであった。しかもそ. のうちの二つはケインズからのものであった」と。 ◇◇. それにしても、『雇用・利子および貨幣の一般理論』は、もちろ. んパンフレットなどではなく、まぎれも ...
ケインズとは - コトバンク

1:04 午後  
Blogger yoji said...

ケインズとは - コトバンク
kotobank.jp/word/ケインズ-59245
ケインズ. 英国の経済学者。A.マーシャルの影響下にあって1908年以後,母校ケンブリッジ大学で貨幣・金融論を講じた。1919年パリ平和会議首席代表,第2次大戦中は蔵相顧問会議員およびイングランド銀行理事,1944年ブレトン・ウッズ会議首席 ... しかし、25年イギリスが金本位制に復帰し、その結果不況と失業にみまわれると、『 チャーチル氏の経済的帰結』The Economic Consequences of Mr. Churchill(1925) を発表して保守党の政策と自由放任主義を批判し、また自由党の支持と改革を目的とした『私は自由 ...
戦問期イギリス経済政策 とケインズ* 玉 井 龍 象 - J-Stage (Adobe PDF)
www.jstage.jst.go.jp/article/jshet1963/35/35/35.../_pdf
ケインズと同 じ頃ケン. ブ リッジを卒業 した人, T177フ. ィリィップス. (Phillips)も いずれ も大蔵省高官の保管 した. ペーパーです。 このなかのT172/2095を. とり. あげましょう。 1928年 から29年 に, ち ょうど自. 由党のロイ ド・ジョージの 『いかに して失業 を ...... 第一次世界大戦 とケインズ 「平和の経済的帰結」. (1919). -ヴ ェルサイユ条約をめぐるケインズとエティエンヌ. ・マントゥー-. 2. 1920年代前半における国際通貨政策. (1)『貨幣改革論』(1923), (2)『チャーチル氏の経済的. 帰結』(1925), (3)ポンド過大評価問題, ...
コラム:シュムペーターとケインズ:理論構築の「先見性」と「革新性 ...
www.jil.go.jp>ホーム>研究体系>コラム>バックナンバー
ただし、ケインズには一貫して流れていた姿勢があったと考える。行政官として現実をするどく見通す視点があった。第一次大戦後の講和会議で、戦勝各国がドイツに対して余りに高い賠償金を課したことを批判した『平和の経済的帰結』(1919年)や、戦後、 金本位制に戦前平価で復帰しようとした時の政権に対して、その壊滅的なデフレ的影響を理由に大反対した『チャーチル氏の経済的帰結』(1925年)などは、ケインズならではの著書と思う。こうした姿勢こそ、理論を常に批判的に眺める原点になっていたのではないか。
J.M.ケインズについて (Adobe PDF)
ci.nii.ac.jp/lognavi?name=nels&lang=en&type...
ケ インズについて. J.M.ケインズについて. ― ― 「アルフレッ ド・マーシャル伝」 (1924年)と 「フランシス・. イシ ドロ・エ ッジワース伝」 (1926年)一―. 片. 岡. 俊. 郎. はじめに. J.M.ケインズ『人物評伝』 (1933年 )は、第 1部 「政治家素描」、第 2. 部「経済学者の伝記」から構成されている。第 1部「政治家素描」は、第 1. 章「四頭会議、パリ、1919年」 、第 2章 「ロイド・ジョージ氏―断章―」、. 第 3章 「アンドリュー・ボナ・ロー氏」、第 4章 「 オックスフォード卿」、. 第 5章「エドウィン・モンテギュー」、第 6章「ウィンストン・ チャーチル」、.
ケインズの経済学からケインズ経済学へ (Adobe PDF) -htmlで見る
dl.ndl.go.jp/view/prepareDownload?contentNo=1&itemId...
辿ることは,ケインズの経済学がケインズ経済学に変化していく過程を辿るこ. と,そして1930年代の理論経済学者たちを中心とする国際フォーラムの形成を. 辿ることの ..... の経済的帰結』(Keynes 1919)以来,ケインズの主張や理論をよく理解してい. た。しかし,経済政策の実行可能性や有効性となると,理論的考察だけでは判. 断できず,経済 ..... チャーチル卿が無理に磅貨の平価回復,磅の対外価値の引上を遣つたから. である。即ち物価は余り下落しないのに,対外的の価値は――外国の貨幣. に換算する時には元 ...
しりとり歴史人物館・ケインズ - Biglobe
www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/siritori/keinz.html
父親のジョン=ネヴィル=ケインズは、ケンブリッジ大学で論理学と経済学を講義していた人で、「形式論理学」や「経済学の範囲と方法」といった有名な著書を残したなかなかの学者でした(結局この人も、『君の経済学に対する最大の功績はメイナードを作ったことだ』と言われるはめになるんですが)。母親のフローレンス= .... そして終戦後の1919年、36歳という若さで大蔵省首席代表となり、パリ講和会議に出席します。 ..... 第二次世界大戦が始まると、対独強硬論者、ウィンストン=チャーチル が首相となります。 この人は ...
Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: ケインズ 説得論集 - アマゾン
www.amazon.co.jp/ケインズ...J・M・ケインズ/.../453235...
20世紀最大の経済学者ケインズによる時評論集。 古いものは1919年、新しいものでも1930年代前半辺りと、 少なくとも80年以上前、ものによっては100年近く前の論評なのですが、 今読んでも違和感なく読めるのがすごいです。 金本位制の時代の著作ですが、インフレやデフレに対する慧眼は見事なものがあります。 有名どころだとイギリスが金本位制に復帰した直後に書かれた「チャーチル財務相の経済的帰結」が収録されています。 旧平価で金本位制に復帰することの害悪を説いたものですね。 面白いところでは「孫 ...

1:05 午後  
Blogger yoji said...

編集このページをウォッチする
金本位制復帰論争
ページの問題点
金本位制復帰論争(きんほんいせいふっきろんそう)は1925年、イギリスにおいて金本位制を復活させるかどうかについて、時の蔵相ウィンストン・チャーチルと経済学者ジョン・メイナード・ケインズによって繰り広げられた論争である。同時代の日本での同様の論争については金解禁を参照のこと。

概要 編集

戦前平価での金本位制に反対したケインズは、『チャーチル氏の経済的帰結』を発表し、チャーチルを批判した。

結果 編集

1929年に起きた世界大恐慌により、イギリスでは、1931年に金本位制が停止された。 1936年にケインズは『雇用・利子および貨幣の一般理論』を出版した。

関連項目 編集

金本位制
ウィンストン・チャーチル
ジョン・メイナード・ケインズ
ノート
最終編集: 6 年前、匿名利用者

1:08 午後  
Blogger yoji said...


    モジリアーニの労働供給曲線:  

 実質賃金
   |       労働供給曲線
   |        /  
   |       / 
 最低|      /
 要求|_____/
 賃金|     |
   |     |     
   |     |     
   |     |     
   |_____|__________
  0    完全雇用に   雇用量
      対応する雇用量

わかる現代経済学109頁

10:22 午後  
Blogger yoji said...

ヒトラーとケインズ


バンコールの説明がある


ホレス・グリーリー・ヒャルマル・シャハト(Horace Greeley Hjalmar Schacht, 1877年1月22日 - 1970年6月3日)は、ドイツの経済学者、政治家、銀行家。ライヒスバンク総裁(在任:1923年 - 1930年、1933年 - 1939年)、ドイツ経済相(在任:1934年 - 1937年)。

ナチス・ドイツの旗 ドイツ国の政治家
ヒャルマル・シャハト
Hjalmar Schacht
Bundesarchiv Bild 102-12733, Hjalmar Schacht.jpg
生年月日
1877年1月22日
出生地
ドイツの旗 ドイツ帝国プロイセン王国の旗 プロイセン王国
シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州
ティングレフ(デンマーク語版)
没年月日
1970年6月3日(93歳没)
死没地
西ドイツの旗 西ドイツ
バイエルン州、ミュンヘン
前職
銀行家
所属政党
ドイツ民主党(1926年離党)
国家社会主義ドイツ労働者党(1937年入党)
ドイツ国の旗 ドイツライヒ ライヒ通貨委員
在任期間
1923年11月13日 - 1923年12月22日
ドイツ国の旗 ドイツライヒ ライヒスバンク総裁
在任期間
1923年12月22日 - 1930年3月7日
ナチス・ドイツの旗 ドイツライヒ ライヒスバンク総裁
在任期間
1933年3月16日 - 1939年1月
ナチス・ドイツの旗 ドイツライヒ ライヒ経済相
内閣
アドルフ・ヒトラー内閣
在任期間
1934年8月2日 - 1937年11月
ナチス・ドイツの旗 ドイツライヒ ライヒ無任所相
内閣
アドルフ・ヒトラー内閣
在任期間
1937年11月 - 1943年1月
テンプレートを表示
目次

9:20 午前  
Blogger yoji said...

ヒトラーとケインズ(祥伝社新書203) (祥伝社新書 203) 新書 – 2010/6/1
武田知弘 (著)
5つ星のうち 4.2 14件のカスタマーレビュー


アーリア化については詳述なし

シャハトに言及

9:21 午前  
Blogger yoji said...

151頁

第4章
新しい国際経済システムを
151
第二次大戦前は、ドイツに限らず世界牛の匡カ Neas
さを解消するための方策として、ケインズもナチスと同様の中央銀行一元決済を採用し
と考えたのである。

金本位ではない国際金融システムを

 ケインズは、国際経済を金本位制から切り離し金によらない決済方法を提案した。それ
は「バンコール」という国際決済通貨を作るというものだった。パンコールは、各国の過去
3年間の貿易額の75 %が、あらかじめ自動的に各国の「持ち分」として割り振られる。各国
は、輸出と輸入の差額をこのバンコールのやり取りで調整するのである。
 貿易黒字国は黒字分のバンコールを受け取り,赤字国は赤字分のバンコールを支払うのだ。
つまりバンコールは、金を使わずに貿易の決済ができる新しい国際通貨だったのだ。
 しかし、これは金を大量に保有しているアメリカには、絶対に飲めない条件でもあった。
金 を使わずに貿易ができるようになれば、金を大量に保有しているアメリカの優位が失われ
る。というより、アメリカの保有している大量の金は、宝の持ち腐れになってしまう。
 だからアメリカは、あくまで金本位制に固執した。

黒字国も赤字国も、同じように責任を負う

 ケインズの提案の中で特筆すべきは、貿易黒字国も赤字国も、収支均衡を保つ義務を負う
という点である。

3:40 午後  
Blogger yoji said...

ヒトラーとケインズ(祥伝社新書203) (祥伝社新書 203) 新書 – 2010/6/1
武田知弘 (著)
5つ星のうち 4.2 14件のカスタマーレビュー


アーリア化については詳述なし

シャハトに言及


151頁

第4章 新しい国際経済システムを

金本位ではない国際金融システムを

 ケインズは、国際経済を金本位制から切り離し金によらない決済方法を提案した。それ
は「バンコール」という国際決済通貨を作るというものだった。パンコールは、各国の過去
3年間の貿易額の75 %が、あらかじめ自動的に各国の「持ち分」として割り振られる。各国
は、輸出と輸入の差額をこのバンコールのやり取りで調整するのである。
 貿易黒字国は黒字分のバンコールを受け取り,赤字国は赤字分のバンコールを支払うのだ。
つまりバンコールは、金を使わずに貿易の決済ができる新しい国際通貨だったのだ。
 しかし、これは金を大量に保有しているアメリカには、絶対に飲めない条件でもあった。
金 を使わずに貿易ができるようになれば、金を大量に保有しているアメリカの優位が失われ
る。というより、アメリカの保有している大量の金は、宝の持ち腐れになってしまう。
 だからアメリカは、あくまで金本位制に固執した。

黒字国も赤字国も、同じように責任を負う

 ケインズの提案の中で特筆すべきは、貿易黒字国も赤字国も、収支均衡を保つ義務を負う
という点である。

3:42 午後  
Blogger yoji said...


"The Case for a Commodity Reserve Currency", with A.G. Hart and J. Tinbergen, 1964, UNCTAD

cruel.org
戦後期にカルドアは 開発政策で技能を活かした。発展途上国に対する政策提言としては有名な「支出税」 (1955) 方式 (これはカルドアがインドとスリランカで顧問を務めていたときに、両国で実際に導入された)がある。バンコール「商品準備通貨」方式 (1964, ハートや ティンバーゲンと共著) はまだ実施した国はない。

1:05 午前  
Blogger yoji said...

国際貨幣経済理論
叢書名   ポスト・ケインジアン叢書  ≪再検索≫
著者名等  P.デヴィッドソン/著  ≪再検索≫
著者名等  渡辺良夫,秋葉弘哉/共訳  ≪再検索≫
出版者   日本経済評論社
出版年   1986.9
大きさ等  22cm 407p
注記    International money and the real world./
の翻訳
NDC分類 338.97
件名    国際通貨  ≪再検索≫
件名    貨幣  ≪再検索≫
ISBN等 4-8188-0104-6
書誌番号  3-0190230773

所蔵情報 ( 資料情報 | 予約情報 )
項番 資料番号 所蔵館 請求分類 取扱 状態 場所 年月日号
1 0002088363 中央 331.3 /217 /10 可 書架 書庫(社会科学野毛)

予約情報 ( 資料情報 | 所蔵情報 )

1:15 午前  
Blogger yoji said...

https://thedailycoin.org/2018/03/05/case-commodity-reserve-currency/

google翻訳

ローンスターホワイトハウスからの商品準備通貨の場合



TDC注 - 2018年3月に発行された最新のBIS通貨ワーキングペーパーを少し読んだところ、Larry Whiteが何を言わなければならないのかを知るためにはLoneStar Whitehouseを訪れる時間があることは分かっていました。まったく別の論文に関するものであった。

####

ここの読者は、私たちは常に金融システム改革のアイデアを探していることを知っています。 私は幸運にも、様々なアイデアや改革の提案を話し合うエコノミスト間の電子メールの議論を聞いて、随時耳を傾けてきました。
Dr. Leanne Ussherは、このリンクを「商品準備通貨」の考え方を見せた2009年の論文に送ってくれてとても親切でした。 以下は、提案の要約を提供する要約です。 エッシャー博士は、このペーパーで提示されている主な考え方に基づいて拡大する将来の潜在的なグローバル準備通貨のためのいくつかのコンセプトに取り組んでいると私に助言します。


グローバル・インバランスと主要通貨制度:商品準備通貨の場合

抽象
この論文では、カルドアの1964年の商品準備通貨(CRC)に対する提案が、現在のシステムに対する重大な代替案として考慮されています。 これは、米ドルの準備通貨の状態が、現在の危機に先駆けて世界的な不均衡と財政的脆弱性を生み出すのに役立ったと主張している。 CRCの第一の目標は、1960年のトリフィンのジレンマを解決することでした。 代替的な金融改革提案の簡単な歴史の後、CRCが概説されている。 CRCは、30余りの商品のバスケットに支えられて、国際準備金の観点から価格指数を修正し、個々の商品価格の乱雑な変動を減らすだろう。 ソブリン政府は自国の通貨をCRCに固定するか自由に浮動させる。 地球温暖化と国家の安全保障、特に世界最貧国での懸念が高まる中で、CRCの導入は供給の制約を緩和し、生産コストを安定化し、周辺国からの世界的な効果的な需要を促進し、
ラリー・ホワイト氏のコメント:現時点で読者は、現在の金融システムを改革する方法としてエコノミストが真剣に議論している様々なアイデアや提案があることを理解する必要があります。 私は読者がそれらを知っているかもしれないようにここにそれらの様々な機能を加えようとし、彼らが望むならさらにそれを探検しようとしました。 私はこのブログのページにこの記事を追加します。ここで私はこれらの様々なアイデアや提案をいくつか挙げました。 Dr. Ussherがこのアイディアに関する作業に基づいていくつかの追加情報を提供することができたら、それを将来のフォローアップ記事で紹介します。

####

Claudio Borio、Piti Disyatat、Mikael Juselius、Phurichai Rungcharoenkitkul の通貨経済部から2018年3月のBISワーキングペーパー

抽象

金融政策は、一方では財政サイクルの成長と、他方では国内緩和には全く敏感にならないインフレプロセスとの間で捉えられた、狭義の動きを把握している。 この2つの発端の攻撃は、特にその実践の多くを導いてきた分析的な考え方において、通貨政策の枠組みの限界を克服した。 我々は、金融政策の道しるべとしての自然利子率にはいくつかの限界があると主張する。伝統的に考えられているように、コンセプトは平衡の定義における金融サイクルの状態を無視する。 さらに、金融政策レジームが持続的な実質金利の動きにおいて果たす役割を過小評価している。 これらの制限は、金銭的な政策を、金融危機の混乱に起因する副次的な損害によるブラインド化にさらす可能性がある。 我々は、金融政策がインフレを微調整する上での困難を認識し、財務サイクルにもっと体系的に対応する、よりバランスの取れたアプローチを提案する。

前書き

金融政策は、2007 - 09年のGFC(Great Financial Crisis)以来緊急に緊迫している。 GFCが発動した後、中央銀行の迅速かつ決定的な対応は、市場を安定化させ、金融システムと実体経済の間の自己牽引的な下振れを回避するために不可欠でした。 しかし、経済を堅調でバランスのとれた持続可能な道に戻すことは、予想以上に困難であることが判明しました。 数年前には想像もつかなかったような特別な措置の採用にもかかわらず、これはそうだった。

GFCは、金融政策についていくつかの厳しい質問を提起している。 金融危機以前の経験から、一般的な考え方とは対照的に、破壊的な金融不均衡は、低、安定、あるいはさらに下落するインフレとともに上昇する可能性があることが示されています。 確かに、歴史的記録を見ている人は誰も驚いていないでしょう。日本の銀行危機、アジア経済、大恐慌への立ち上げのアメリカの経験を時代遅れに考える。 しかし、何とかそのレッスンは、偉大な改革の熱心な熱意の中で翻訳で失われていた。 危機後、インフレのパフォーマンスは繰り返し驚いています。 インフレ率は、不況の深さを考えると、大不況時に予想以上に高く、回復中に予想よりも低かった。 多くの経済国が過去の完全雇用見通しに達している、あるいはこれを上回っていることから、特に最近は困惑して低迷しています。 繰り返しになりますが、これはまったく新しいものではありません。GFC中央銀行が国内緩和に対するインフレ感受性についての質問を表明していたにもかかわらず、 しかし、最近の経験では、この点を打ち破って、金融政策決定の重要な柱に疑問を抱かせている。

続きを読む/トップページ5 / BISワーキングペーパー>>>

1:20 午前  
Blogger yoji said...

http://lonestarwhitehouse.blogspot.com/2018/03/the-case-for-commodity-reserve-currency.html
商品準備通貨の場合
ここの読者は、私たちは常に金融システム改革のアイデアを探していることを知っています。私は幸運にも、様々なアイデアや改革の提案を話し合うエコノミスト間の電子メールの議論を聞いて、随時耳を傾けてきました。

Dr. Leanne Ussherは、このリンクを「商品準備通貨」の考え方を見せた2009年の論文に送ってくれてとても親切でした。以下は、提案の要約を提供する要約です。エッシャー博士は、このペーパーで提示されている主な考え方に基づいて拡大する将来の潜在的なグローバル準備通貨のためのいくつかのコンセプトに取り組んでいると私に助言します。
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グローバル・インバランスと主要通貨制度:商品準備通貨の場合

抽象
この論文では、カルドアの1964年の商品準備通貨(CRC)に対する提案が、現在のシステムに対する重大な代替案として考慮されています。これは、米ドルの準備通貨の状態が、現在の危機に先駆けて世界的な不均衡と財政的脆弱性を生み出すのに役立ったと主張している。 CRCの第一の目標は、1960年のトリフィンのジレンマを解決することでした。代替的な金融改革提案の簡単な歴史の後、CRCが概説されている。 CRCは、30余りの商品のバスケットに支えられて、国際準備金の観点から価格指数を修正し、個々の商品価格の乱雑な変動を減らすだろう。ソブリン政府は自国の通貨をCRCに固定するか自由に浮動させる。地球温暖化と国家の安全保障、特に世界最貧国での懸念が高まる中で、CRCの導入は供給の制約を緩和し、生産コストを安定化し、周辺国からの世界的な効果的な需要を促進し、
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私のコメント:これまでの読者は、現在の通貨システムを改革する方法としてエコノミストが真剣に議論している様々なアイデアや提案があることを理解しておく必要があります。私は読者がそれらを知っているかもしれないようにここにそれらの様々な機能を加えようとし、彼らが望むならさらにそれを探検しようとしました。私はこのブログのページにこの記事を追加します。ここで私はこれらの様々なアイデアや提案をいくつか挙げました。 Dr. Ussherがこのアイディアに関する作業に基づいていくつかの追加情報を提供することができたら、それを将来のフォローアップ記事で紹介します。
投稿者:Larry White時刻:6:00
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1:23 午前  
Blogger yoji said...

The Case for an International Commodity Reserve Currency: Measures for Stabilization of Primary Commodity Markets at Equitable and Renumerative Prices Including Commodity Arrangement

前表紙
UN, 1964 - 40 ページ
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書誌情報

QR code for The Case for an International Commodity Reserve Currency
書籍名 The Case for an International Commodity Reserve Currency: Measures for Stabilization of Primary Commodity Markets at Equitable and Renumerative Prices Including Commodity Arrangement
International commodity problems
出版社 UN, 1964

1:28 午前  
Blogger yoji said...


It should also be emphasised that the advocacy of a commodity-reserae is not the same thing as the advocacy of commodity-money. any more than .the gold reserve is the same thing as a goldcurrency. There is no suggestion that individual currencies shouldhave a fixed and unalterable par value in terms of commodities:on the contrary, the proposal is advanced in order to makechanges in par value (i.e. adjustments in exchange rates) easier tointroduce than it is under the so-called "gold-exchange standard"at present.

1 As wiil be argued below (p. 164), the rate ofaddition to reserves under this systemis likely to approximate, over a run ofyears, the rate ofincrease in the world productionand consumption of the commodities included in the "standard."

2 The proposal is therefore entirely free from the objection Keynes advanced againstthe commodity reserve proposal that in a world of rising money wages stabilising theprice level by means of a commodity-money might lead to highly undesirable resultssince it would prevent the rise in prices that is necessary to compensate for the risein money costs (cf. Economic Journal, June-Septemberr rg43.p. 176).This would betrue only ifindividual countries were not free to devalue in terms ofan international standard when their "efficiency wages" rose in relation to others. But since the move
ment of "efficiency wages" of different countries is far from uniform, the possibility
of individual devaluations does not obviate the advantages of having a stable inter-
national standard in terms of commodities or the parallel advantages of stabilising the
price level of commodities in terms of an international standard.


1 以下で議論されるように(p.164)、この制度のもとでの埋蔵量への追加率は、世界の生産の増加率と「標準」に含まれる商品の消費率を近似して推計する可能性が高い。

7:31 午後 削除
Blogger yoji さんは書きました...
カルドア

また、コモディティ・リサイタルの主張はコモディティー・マネーの主張と同じではないことも強調すべきである。 ゴールドリザーブ以上のものは、金銭の流れと同じものです。 反対に、個々の通貨が商品の面で固定かつ変更不可能な額を持つべきであるという示唆はない:反対に、提案は、所得格付けの変更(すなわち、為替レートの調整)を、現時点では「金取引基準」と呼ばれています。2


したがって、ケインズは、財貨によって価格水準を安定させている貨幣賃金が上昇する世界では、必要な物価の上昇を防ぐことができないため、非常に望ましくない結果を招く可能性があるとしている(経済学ジャーナル、June-Septemberr 1943.p. 176参照)。これは、個々の国が他の国と比較して「効率賃金」が上がったときに、国際基準で安価で安価ではない場合にのみ成立する。 しかし、異なる諸国の「効率賃金」の統一性が一様ではなく、個々の切り下げの中で、コモディティの観点からの国家基準、あるいは商品の価格水準を国際的な基準で評価している。

internatiONAL COMMODITY RESERVE CURRENCY I45

8:42 午後  
Blogger yoji said...



146:

II. OUTLINE OF A PROPOSAL

An I.M.F. Currencltr. It is suggested that, in line with other monetary reformproposals, the I.M.F. should establish its own currency-let us call it the "bancor"-which after an initial ,,build-up period,'should be convertible into (a) gold, (D) a bundte of commoditiesconsisting of the thirty or so principal commodities in worldtrade which combine a high degree of standardisation withreasonable durability in storage.e. Bancor issued by the I.M.F. should be fully covered by goldand commodities, except for a fiduciary issue which should befixed in amount (subject to possible revision by re-negotiation inlater years).3. Bancor operations should be held distinct from the existing
system of drawing rights of members to purchase each others'currencies out of holdings at the disposal of I.M.F.; such drawingsshould not lead to emission of bancor.4. Bancor should be exclusively a deposit currency, and only thecentral banks of member countries should be entitled to holdbancor balances with I.M.F. The bancor unit shouid be distinctfrom the monetary unit of any member country, and should beassigned a gold par value that is large in relation to that of anynational currency unit (equivalent, perhaps, to Ioo or r,ooo IJ.S.dollars). Member countries should undertake to accept bancor insettlement of claims in the same manner as gold.5. It is suggested (the figures are intended as illustrative) thatinitially the I.M.F. should aim at an issue of bancor of theorder of the present equivalent of U.S. $3o billion, made up asfoilows:
(i) $5 billion in exchange for gold.
(ii) $zo billion in exchange for commodities of various kinds,according to the procedure described below.
(iii) $S billion against loan obligations of member countries(constituting the fiduciary issue).

Commodit2 Bundles6. The composition of the "commodity bundle" should beagreed upon at the outset, on the basis of the followingprinciples:(i) As many internationally traded commodities,as possibleshould be included, provided that each commodityincluded satisfies four basic criteria:(a) A high degree of standardisation (which means that itpossesses a clearly defined world-market price, whenquantity, grade, place and date of delivery are speci-fied).(D) Reasonable durability in storage (which means thatthe stock need not be turned over, to avoidphysical deterioration, more often than say, once aYear).


146:


II。 提案の概要

IMFカレンダー IMFは、他の通貨改革提案に沿って、自国の通貨を確立しなければならないと示唆しています。これは、最初の建設期間の後に、(a)金、(b) D)貯蔵の中での高度な標準化と合理的な耐久性を兼ね備えたワールドトレードにおける30以上の主要商品からなる商品の束。 IMFが発行するBancorは金額で固定すべき信託上の問題を除いて、金とコモディティによって完全にカバーされるべきである(その後の再交渉による可能性のある改訂を条件として)。 バンカーの運営は、既存の
IMFの処分に際し、各国の通貨を保有する国の外貨を購入する権利を引き出す制度。 そのような図面はバンカーの排出につながるものではない。 Bancorは専ら預金通貨でなければならず、加盟国の中央銀行だけがIMFとバンバンマー残高を保有する権利があるべきであるバンコク・ユニットはいかなる加盟国の通貨単位とも異なる必要があり、任意の国の通貨単位(これは、おそらく、Iooまたはr、ooo IJ.S.dollarsに相当するもの)です。 加盟国は、ゴールドと同様にクレームのバンカー・インサテーションを受け入れるべきである。 IMFは、最初に、現在の300億米ドル相当のバンコアの問題を目指すべきであることを示唆している(数字は例示的なものである)
(i)金と引き換えに50億ドル。
(ii)下記の手順に従って、様々な種類の商品と引き換えに十億ドル。
(iii)信託問題を構成する加盟国のローン債務に対する10億ドル。

Commodit2 Bundles6。 (i)可能な限り多くの国際貿易商品が含まれているが、含まれる各商品は以下の4つの基本的基準を満たすことを条件とする。 (D)在庫の合理的な耐久性(これは、在庫を裏返す必要がないことを意味する。物理的な劣化を避け、より頻繁に、一度年に1回)。


参照
Keynes, J. M., “The Objective of International Price Stability”, Economic Journal, June-September 1943.


邦訳ケインズ全集
39-43頁

国際価格安定の目標

8:42 午後  
Blogger yoji said...

カルドア
バンコール?については
Essays on Economic Policy2: Policies for international stability. Country studies

https://www.concertedaction.com/wp-content/uploads/2014/02/Nicholas-Kaldor-Collected-Economic-Essays.pdf
目次証拠


The Case for an International Commodity Reserve Currency: Measures for Stabilization of Primary Commodity Markets at Equitable and Renumerative Prices Including Commodity Arrangement

8:44 午後  
Blogger yoji said...

バンコール - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/バンコール
バンコール(bancor)は、1940年から1942年にジョン・メイナード・ケインズとエルンスト・ フリードリッヒ・シューマッハーが提案した ...
ニコラス・カルドア (Nicholas Kaldor) - cruel.org
cruel.org/econthought/profiles/kaldor.html
ケインズ『一般理論』(1936) 登場と共に、カルドアは LSE のルーツを捨ててケインズ 革命に参加した――そしてその ... バンコール「商品準備通貨」方式 (1964, ハートや ティンバーゲンと共著) はまだ実施した国はない。
Bancor(バンコール)とは?ケインズ発想の通貨が現代に復活 ...
coinotaku.com>トップ>通貨
2018年3月5日 ... バンコールという名前は、1944年のブレトン・ウッズ会議でケインズとシューマッハが提唱したが、結局採用され ...
政策家としてのニコラス・カルドア1 - 日本大学商学部 (Adobe PDF) -htmlで見る
www.bus.nihon-u.ac.jp/laboratory/pdf/KimuraYuichi_86-4.pdf
していたこと,第三に,カルドアはケインズの衣鉢を継いだ経済学者であること,である。 政策家としてのニコラス・カルドア1) ...
ケインズの分析視角と開発論 Keynes' Angles of View and ... (Adobe PDF) -htmlで見る
shotoku.repo.nii.ac.jp/?action=repository...
すなわちケインズ(J. M. Keynes)思想と開発論との関係について議論する。 ...... ケインズは国際清算同盟の創設のための国際通貨としてバンコールを発行する .... その他にはカルドア(N. Kaldor)もネオケインジアン.
戦時対外金融政策と戦後国際経済秩序 (Adobe PDF) -htmlで見る
kanazawa-u.repo.nii.ac.jp/?action...uri...1
は,ケインズが命名した「バンコール」(Bancor)という新しい国際通貨単 ...... カルドア( ECO"o加允ノリ"、αノlMarch,1983,.
ジョン・メイナード・ケインズ - Wikiwand
www.wikiwand.com/ja/ジョン・メイナード・ケインズ
初代ケインズ男爵、ジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes、1st Baron Keynes、1883年6月5日 - 1946年4月21日)は、イギリスの経済学者、官僚、貴族。
NAMs出版プロジェクト: 経済成長と分配理論 カルドア(&アバ・ラーナー)
nam-students.blogspot.com/2017/07/blog-post_29.html
代替的な分配諸理論 リカードマルクス新古典派ケインズ派 を概観していて秀逸. カルドアによるリカード経済学の図解あり.
貨幣供給内生説vs貨幣供給外生説 - LAW,ECONOMICS& ...
chicagoyale.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/vs-d0bb.html
... ありがとうございます · カルドアとオーストリアン貨幣理論 · 放置 · 最近の ... 国際的信用創造、バンコール案、民主党は? ... 貨幣供給の内生説は、このケインズの考え方に対応していると言える。」.
現実世界の経済学 Political Economy of the Real World : 6月 2015
antimainstreameconomics.blogspot.com/2015/06/
ケインズのバンコールと異なり、ユーロは為替調整を不可能とした。 ..... また今年、トニー・サールウォール(A, Thirlwall)の『ケインズ派とカルドア派の経済学』、パルグレイブ社から出版されています。

8:46 午後  
Blogger yoji said...

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB
編集このページをウォッチする別の言語で閲覧
バンコール
バンコール(bancor)は、1940年から1942年にジョン・メイナード・ケインズとエルンスト・フリードリッヒ・シューマッハーが提案した超国家的な通貨のことを言う。第二次世界大戦後に世界経済を安定させるため、英国がブレトン・ウッズ会議でバンコールの導入を公式提案したが、アメリカ合衆国の合意をとりつけることができず、実現には至らなかった。この会議では最終的に、バンコールではなく、世界銀行とIMFによって管理された制度において、物理的な金(きん)と結び付けられる固定為替相場制(金本位制)が採用された。そして、金との兌換性を維持した米ドルを基軸通貨とするブレトン・ウッズ体制は1971年のニクソンショックまで続くことになる。一部、IMFのSDR(特別引出権)が、バンコールの機能を継承されているという考え方もある。

発案当初、バンコールの他に超国家通貨の命名には次の候補があった。

ユニタス
ドルフィン
ベザント
ダリック
目次
概要 編集

バンコールは、多国間決済制度を通し、会計帳簿上の単位として国際貿易において使用される。この制度を敷くにあたり、ICU(The International Clearing Union; 国際清算同盟)という機関が想定されていた。多くの国において、「銀行」に対して「中央銀行」が存在するのと同様に、ICUは、「各国の中央銀行」に対する「中央銀行」となるような、国家間の貿易・取引の決済を行う機関となる。 つまり、全ての国際貿易は、ICUを通してバンコール建てとなる。バンコールは固定為替相場となるが、その為替相場は調整可能とされる。

グローバル経済安定化の方法論 編集

輸出は全て、国の会計帳簿でバンコールが加算され、輸入は全て、国の会計帳簿で減算される。ここで、一般的な銀行の“当座貸越”の概念を用いて、バンコールとICUの説明がなされる。ICUでの当座貸越の限度額は、過去5年間の貿易収支平均の2分の1とされる。この限度額を超えた場合、債務国は超えた赤字分に対して利子を支払わなければならない。ここで注意しなければならないのは、一般銀行の当座貸越とは違い、国際収支帳簿上の黒字国である債権国も、超過分に対して利子を支払わなければならないことである。赤字額、あるいは黒字額が大きくなるほど利子は高くなる。

赤字国(債務国)はバンコールに対する通貨を引き下げ、輸出を増やさなければならず、輸入品はより高額に設定され、輸入を減らすように促される。同様に、黒字国(債権国)はバンコールに対する通貨を引き上げ、赤字国の輸出品を買わなければならない。それでも黒字国が輸出の限度額を超えたまま決済を迎えた時には、その超過分をICUに没収される。ちなみに、このICUで没収された積立金は、国際警察(現在のICPOとは別のものと思われる)や災害救助活動など、加盟国に対して有効利用される。

このため、没収されないように黒字国は輸入を増やそうとするので、赤字国の改善が見出される。つまり、各国はバンコールの貿易収支差額が0になるよう調整することになる。このシステムによって、物理的な金と国の通貨は、国際貿易の中で使用されず、国家間での移動も失くすことができ、グローバル経済の影響を抑えるというのがバンコールとICUの考え方である。

バンコールの特徴 編集

バンコールは国際通貨とはならず、国際的な会計帳簿の単位となる。
金はバンコールへの交換はできるが、バンコールを金にする交換はできない。
一般流通はされない。例えば、個人がバンコールの保持や取り引きをすることはできない。
ここで、ビットコインとは全く別の性質ということが明確にわかる。
国際取引・貿易はすべてバンコールで評価され、決済が行われる。
債務国と債権国の関係は二国間とは限らない。N:Nである。
バンコールは貯金ができない。このため国内流通に影響を与えない。
国家間の貿易収支を測定するために使用される。
21世紀における注目 編集

近年、特に2008年の金融危機の発生に伴い、ケインズの提案は再び注目されることになる。

2007年1月、スーザン・ジョージは「これらの機関ができていたら、先進国と途上国、双方の住民の必要に応じた貿易システムが構築され、世界は現在よりも理にかなったものとなっていただろうからだ。」と「ル・モンド・ディプロマティーク」で述べている。

2009年3月、「国際通貨制度を改革せよ(Reform the International Monetary System)」という題の演説の中で、中国人民銀行の周小川総裁は、ケインズのバンコールの働きかけを「先見の明有」と称し、金融危機に対する反応では、「グローバルな準備通貨として、国際通貨基金 (IMF) の特別引出権 (SDR) を採用すべし」と提案した。彼は、トリフィンのジレンマ(流動性のジレンマ;ある国内の金融政策の目標を達成しながら、同時に他国の準備通貨の需要に合わせられないという矛盾)を理由に挙げ、国家の通貨がグローバルな準備通貨となるのは、不適切であると主張した。

2009年9月、「国連・国際通貨金融システム改革の専門家委員(Experts on reforms of the international monetary and financial system)」の報告書で、上記同様に、トリフィンのジレンマを挙げ、米ドル本位制の反省とSDRに着想を得た世界準備通貨構想について述べられている。

ジャーナリストのジョージ・モンビオットは、「ICUの提案されたメカニズムが発展途上国の意思決定に対して、より強い力を与え、今現在の状態ほど極度に国際貿易に巻き込まれてはいなかった」と主張している。

参考文献 編集

E.F.Schumacher, Multilateral Clearing Economica, New Series, Vol. 10, No. 38 (May, 1943), pp. 150-165
Xiaochuan, Zhou(周小川) (2009). "Reform the International Monetary System" (PDF). BIS Review. Bank of International Settlements. Retrieved 2010-11-28.
http://www.ft.com/cms/s/0/7851925a-17a2-11de-8c9d-0000779fd2ac.html
Recommendations by the Commission of Experts of the President of the General Assembly on reforms of the international monetary and financial system, 20.3.2009. http://www.un.org/ga/president/63/letters/recommendationExperts200309.pdf
Reserve Accumulation and International Monetary Stability, 13.4.2010, http://www.imf.org/external/np/pp/eng/2010/041310.pdf
Susan George(スーザン・ジョージ)、『Le Monde diplomatique - Alternative finances』、January 2007
小樽商科大学、http://www.otaru-uc.ac.jp/~egashira/lecture/gakushi2013/Keynes_doc.pdf
「戦後世界の形成 ブレトン・ウッズと賠償 1941〜46年の諸活動 モグリッジ編」 石川健一・島村高嘉訳 1988
ノート

8:48 午後  
Blogger yoji said...

The collected writings of John Maynard Keynes - 第 26 巻 - 417 ページ
https://books.google.co.jp/books?isbn...

John Maynard Keynes, ‎Royal Economic Society (Great Britain) - 1980 - ‎スニペット表示 - ‎他の版
To White, H. D. (T247/35), 14 July 1944 93-4 To White, H. D. (T247/65), 6 October 1944 142-6 To White, H. D. (T247/39), ... Statement for B.B.C. on International Bank for Reconstruction and Development (T23 1/353), 22 July 1944 103-5 ...

12:33 午前  
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Statement for B.B.C. on International Bank for Reconstruction and Development (T23 1/353), 22 July 1944 103-5

12:34 午前  
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https://www.cvce.eu/obj/statement_by_lord_keynes_on_the_proposed_bank_for_reconstruction_and_development_1944-en-bc2b4019-d66e-4c22-9889-51ac82aba0fa.html

Statement by Lord Keynes on the proposed Bank for Reconstruction and Development (1944)
Texte
In 1944, at the close of the Bretton Woods (New Hampshire) monetary conference, John Maynard Keynes, renowned international economist and financial adviser to the British Treasury, gives a speech in which he emphasises the urgent need to set up an International Bank for Reconstruction and Development (IBRD).
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12:38 午前  
Blogger yoji said...

https://jww.iss.u-tokyo.ac.jp/jss/pdf/jss630304_137144.pdf
神谷解説

1944 年7月に世界43ヵ国の代表が米国ニューハンプシャー州ブレトンウッズに集結し,国際通貨基金(IMF)協定と国際復興開発銀行(IBRD)創設に関する条項が起草されたが,その大本となったのは戦後の国際通貨体制を巡って交渉された英国側の「国際清算同盟案(Keynes 案)」と米国側の「国際安定化基金案(White 案)」であることは有名な話である.会議の終わりに Keynes と White の両雄が夕刻の BBC ニュースで声明を発表したが,BrettonWoods(1944 年 7 月22日放送)にはその時の Keynes の想いが綴られている.IBRD の役割は日常生活の救済や復帰に必要な資金と,その後の恒久的な再建と産業の復興に必要な資金の両方を満たすことと,低開発地域の発展に資することである.特に,後者の目的を遂行するために,各国が債権国の融資を分担して保証すべきことも提案されたり,保証国を保護するための周到な準備も色々となされている中にあって,現在における大規模な雇用創出と将来の生産性向上に寄与するであろう,こうした広範囲に及ぶ提案はかつてなかったという.世界はこのニューハンプシャーという地から,大きなことが生まれることをまだ理解していないようだと締め括ったKeynes のフレーズが実に印象的である.

12:46 午前  
Blogger yoji said...

26
539
ハ ケインズがこれら三つの章をとおし、 一貫して強く主張している一つの点にふれておきたい。それは国際協調の重要性である。人類が平和に生存し、繁栄していくためには、国際協調を措いて他に求めるべき道はないということである。本巻の随所において、この考えは注目されるが、それが最も印象深く述べられているのは、ブレトン・ウッズで基金協定案が本会議に上程された際、ケインズの行なった演説の結びにおいてである(本文一二八―九頁参照)。かつ

12:48 午前  
Blogger yoji said...

最後に、われわれはここブレトン一ウツズにおいて、この最終協定のなかに具体化されているところよりも、おそらく,層重要なことを成し遂げました。われわれは、四四カ国が相集い力をあわせて、親密でなにものにも破られない調和を保ちつつ、建設的な仕事をなすことができることを、日のあたりに示したのであります。それができると信した人はほとんどありませんでした。もしも、われわれがこの限られた仕事においで初めてなしてきたところを、さど゛がぐ■一獣やおれわれは新しいた情に回↑結ばれ、新しい親睦の実をあげて、それぞれら国にかがれで帰ろうと‐しています。われわれは協力することを学んでまいりましたoもし、われわれがこの協力を持ち続けることができますならば、ここに出席しているわれわれの大部分のものが、その生涯のあまりにも多くを費やしてきた戦争というこの悪夢は終りを告げるでありましょうoそして、人類の兄弟の絆という言葉は、単なる言葉以上のものとなるでありましょうo議長閣下、私はここに最終協定の承認を提案いたしますo

12:50 午前  
Blogger yoji said...

26
128,9

I28
およびイギリス代表団のベキットの諸氏に多大の感謝の念を捧げるものであります。彼らに対してはただひとつだけ
苦情がありまして、昨日第二委員会で、あえてそれを申し述べたのであります。それは、法律家たちがわれわれの出
生証明書のあよりにも多くの部分を、葬礼讃美歌、聖書朗読などに関する、こまごまとした規定などで埋めつくし
てしまわなければよかったのにと思われることであります。
議長閣下、われわれは今宵,決定的な点に到達いたしました。しかし、それはほんの始まりにしかすぎません。わ
れわれは、熱意と誠実とにより鼓舞された伝導者として、ここから出発しなければなりません。われわれ自身はこれ
らすべてをよく承知しています。しかし、世界全般に対しては、なお説得する必要があります。
103
われわれの議事は、外の世界では批判的、懐疑的そしてあげ足とりの気持をもってすら見守られ、待ちうけられて
きたのでありますが、正直に申しまして、私はそれによりおおいに勇気づけられております。われわれの計画が幻滅
の状態で終わるよりも、幻滅の状態で始まる方がはるかによいでありはしょう。われわれは自分たちの仕事にあまり
にも間近にいるので、その輪郭をはっきりと見定めることができないかもしれません。しかし、批判や疑いをさしは
さむ人びとが、より一層精しくそれを調べて見ると、計画は予想したところよりもはるかに優れたものであることが
明らかとなり、われわれが受けてきた批判や疑いが、かえって事態をわれわれにとり有利なものとすることになるこ
とを望んでおります。
 最後に、われわれはここブレトン·ウッズにおいて、この最終協定のなかに具体化されているところよりも、おそ
らく一層重要なことを成し遂げました。われわれは、四四カ国が相集い力をあわせて、親密でなにものにも破られな
い調和を保ちつつ、建設的な仕事をなすことができることを、目のあたりに示したのであります。それができると信
じた人はほとんどありませんでした。もしも、われわれがこの限られた仕事において初めてなしてきたところを、さ
らに一層大きな仕事に受け継ぐことができるならば、世界の前途には大きな希望があるといいうるでありましょう。
ともかく、いまやわれわれは新しい友情に固く結ばれ、新しい親睦の実をあげて、それぞれの国に分かれて帰ろうと
しています。われわれは協力することを学んでまいりました。もし、われわれがこの協力を持ち続けることができま
すならば、ここに出席しているわれわれの大部分のものが、その生涯のあまりにも多くを費やしてきた戦争というこ
の悪夢は終りを告げるでありましょう。そして、人類の兄弟の絆という言葉は、単なる言葉以上のものとなるであり
よしょう。
 議長閣下、私はここに最終協定の承認を提案いたします。


團会議の終了と同時に、
ンズの行なったステートメントは、
ケインズとホワイトはBBCの夕方のニュースで銀行と基金に関するステートメントを行なった。
ケイ

次のとおりである。
私は、復興開発銀行の設立が通貨基金よりも重要であるとは申しませんが、おそらく、それは一層緊急を要するも
のでありぼす。アソラは解放直後の期間における救済と修復に必要な資金を提供するでしょう。しかし、それはより
一層長期にわたる農工業の再建と復興のための融資を行なうものではありよせん。このギャップを埋めることが、ブ
レトン·ウッズでわれわれが設立のために努力してきた銀行の主要目的の一つであります。銀行のその他のおもな目
的は、
を拡張することであります。

04

生活水準や労働条件2般的利益のため世界の低開発地域を開発すること、
および世界中いたるところで貿易
われわれが目標としており、
最終的に調達することを希望する資本金は二五億ポンドであります。銀行の創業資本

12:53 午前  
Blogger yoji said...

26
126
一九四四年七月二二日、ブントン・ウッズ最終日本会議において、最終協定承認を提案したケインズ卿の演説


議長閣下この記念すべき会議において、最終協定承認の提案を求められ、まことに光栄に存じます

12:54 午前  
Blogger yoji said...

ケインズ1944/7 写真
https://www.economist.com/free-exchange/2014/07/04/bretton-woods

Free exchange
Jul 4th 2014by The Economist




On July 22nd 1944, finance experts who had spent the past three weeks gathered at a hotel in New Hampshire, produced two documents setting out their plan for the post-war monetary system. In response, The Economist published this leader article on July 29th, paying particular attention to whether the British government should ratify the Bretton Woods Agreements.

THE Monetary Conference at Bretton Woods closed its session at the end of last week with the unanimous agreement of all the participants to the text of two documents, one of them setting up an International Monetary Fund, the other setting up an International Bank for Reconstruction and Development. (The terminology is confusing, since the Fund will conduct a banking business—that is, will deal in currencies—while the Bank is, in the main, a guarantee fund.) The Agreements now go to the governments for ratification, and it has been made clear that no government is committed by the vote of its delegation at Bretton Woods. What has been decided is the form that these two institutions will assume when (or if) they come to birth.

1:15 午前  
Blogger yoji said...

Fathom Editor's note:
The second half of the twentieth century witnessed international economic coordination on a scale never previously achieved. But the nature of the system has changed since the 1944 Bretton Woods Agreement. Here, John Braithwaite and Peter Drahos trace the highs and lows of the international economic climate over 50 years.

Toward the end of the Second World War it was realized that more than just a gentlemen's agreement would be needed to achieve meaningful economic coordination between states. An international monetary system administered by an international organization was required if states were to renew their economies and live in peace. With this in mind, delegates from forty-four countries met in July 1944 at a place called Bretton Woods.

Bretton Woods is just a little beyond Mt Washington in New Hampshire. In this tiny place plans were laid for three big global institutions--the International Monetary Fund (IMF), the World Bank and the International Trade Organization (ITO). At the closing Plenary Session of the Conference, John Maynard Keynes, one of the principal architects of the Agreement, opened with these words (see D. Moggeridge (ed.), The Collected Writings of John Maynard Keynes, London, vol. 26, p. 101, 22 July 1944):

We, the Delegates of this Conference, Mr President, have been trying to accomplish something very difficult to accomplish. We have not been trying, each one to please himself, and to find the solution most acceptable in our own particular situation. That would have been easy. It has been our task to find a common measure, a common standard, a common rule applicable to each and not irksome to any.

He concluded on an optimistic note (Moggeridge, p. 103, 22 July 1944):

Finally, we have perhaps accomplished here in Bretton Woods something more significant than what is embodied in this Final Act. We have shown that a concourse of forty-four nations are actually able to work together at a constructive task in amity and unbroken concord. Few believed it possible. If we can continue in a larger task as we have begun in this limited task, there is hope for the world.

Thirty years after Keynes had delivered these words, analysts were producing tracts describing the breakdown of the Bretton Woods system. Keynes was right to think of the Final Act at Bretton Woods as a magnificent achievement. For the first time there was a codified form of rules and principles that imposed some obligations on states in the conduct of their monetary affairs. Given that money had always been a symbol of political power, the incursion of Bretton Woods into state sovereignty was considerable.

Moreover, the institutions of Bretton Woods were part of a planned global regulatory system for trade and finance. Financial regulatory cooperation among states in the past had been bilateral. It had been based on the need to deal with a crisis, as in the case of cooperation between the central banks of England and France during the nineteenth century, or it had been cooperation based on following the Bank of England's lead. Bretton Woods represented a different kind of cooperation. It was a shift away from the tacit, convention-based cooperation of central bankers to a sweeping, rule-based, multilateral cooperation of states.


https://www.globalpolicy.org/component/content/article/209/42675.html

1:25 午前  
Blogger yoji said...

Fathom編集者メモ:
20世紀の後半はこれまでに実現できなかった規模の国際経済調整を目撃した。 しかし、1944年のブレトンウッズ協定以来、制度の性質は変わってきている。 ここで、ジョン・ブレイスウェイトとピーター・ドラオスは、50年以上の国際経済環境の高低を辿っています。

第二次世界大戦の終わりに向けて、国家間の有意義な経済調整を達成するためには、紳士協定以上のものが必要であることが認識された。 国家が経済を更新して平和に暮らすためには、国際機関によって運営される国際通貨制度が必要でした。 このことを念頭に置いて、44カ国の代表が1944年7月にブレトンウッズと呼ばれる場所で会合した。

ブレトンウッズはニューハンプシャー州のワシントンを少し越えています。 この小さな場所では、国際通貨基金(IMF)、世界銀行、国際貿易機関(ITO)という3つの大きなグローバルな機関のために計画が立てられました。 本会議の閉会総会では、協定の主要建築家の一人であるジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes)が、これらの言葉で開かれた(D.Moggeridge(編)、John Maynard Keynes、London、vol.26、 101頁、1944年7月22日):

この会議の議長、大統領は、達成するのが非常に困難なものを達成しようとしています。 われわれは自分自身を喜ばせようと努力しておらず、私たち自身の特定の状況で最も受け入れられる解決策を見いだしていません。 それは簡単だったでしょう。 共通の基準、共通の基準、それぞれに適用される共通のルールを見つけ出すことは、私たちの仕事でした。

彼は楽観的なメモで結論づけた(Moggeridge、p。103、July 1944):

最後に、私たちはおそらく、この最終法で具体化されているものよりも重要な何かをブレトンウッズでここで達成したでしょう。 私たちは、44カ国の会合が、実際には親密さと途切れのない合意の建設的な仕事で一緒に働くことができることを示しました。 それは可能であると信じている 私たちがこの限られた仕事から始めたより大きな仕事を続けることができれば、世界に希望があります。

ケインズがこれらの言葉を納入してから30年が経つと、アナリストはブレトンウッズ制度の故障を記述する小道を作り出していました。 ケインズは、ブレトン・ウッズの最終法を偉大な成果と考えるのは正しかった。 はじめて、国家に金銭的な行為の義務を課した規則と原則が成文化されていた。 お金は常に政権の象徴であったことを考えると、ブレットン・ウッズの国家主権への侵入は相当なものでした。

さらに、ブレトンウッズの機関は、貿易と金融のための計画された世界的な規制制度の一部であった。 過去の国家間の金融規制協力は双方向的であった。 それは19世紀のイングランドとフランスの中央銀行間の協力の場合のように、危機に対処する必要性に基づいていたか、またはイングランド銀行のリードを踏襲した協力であった。 ブレトンウッズは異なる種類の協力を代表した。 これは、暗黙の、条約に基づいた中央銀行の協力から、統治のルールベースの多国間の協力への転換であった。

ブレークダウンするスライド

1930年代には、金の不足、為替相場の不安定性、域内外の「暑い」貨幣の動き、そして国際収支上の問題を調整する仕組みの欠如という一連の問題が発生しました。 IMFは、通貨の転換可能性のために提供された再評価のための一定の為替レート制度(「調整されたが調整可能」)を含む国際通貨制度を整備することにより、これらの困難に対処するように設計された。 -term流動性危機とシステムを管理するための組織俳優(J. Williamson、世界通貨改革の失敗、New York、1977、pp.2-28)。 世界銀行は、欧州の経済および産業の復興を支援し、途上国が工業化を達成するのを支援するように設計された。 ITOの目的は、自由貿易の道を、(例えば、通貨を切り下げる代わりに輸入割当を課すなどして)収支上の問題に対応する方法として、保護主義への逃避を止めるように、国家を推進させることでした。 ITOは、米国の懸念から、決して出現しなかった。 その代わりに、関税と貿易に関する一般協定として知られているより弱い協定が採択された。 戦後の国際機関のためのこの壮大な計画では、規制対象として、欠席していた。 ブレトンウッズ時代のケインズの手紙と報告書は、州間の税制の調整については議論していない。 税制は、国家によって保持されると思われるが、そうであるように思われる。

1:27 午前  
Blogger yoji said...

126
一九四四年七月二二日、ブントン・ウッズ最終日本会議において、最終協定承認を提案したケインズ卿の演説


議長閣下この記念すべき会議において、最終協定承認の提案を求められ、まことに光栄に存じます

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I28
およびイギリス代表団のベキットの諸氏に多大の感謝の念を捧げるものであります。彼らに対してはただひとつだけ
苦情がありまして、昨日第二委員会で、あえてそれを申し述べたのであります。それは、法律家たちがわれわれの出
生証明書のあよりにも多くの部分を、葬礼讃美歌、聖書朗読などに関する、こまごまとした規定などで埋めつくし
てしまわなければよかったのにと思われることであります。
議長閣下、われわれは今宵,決定的な点に到達いたしました。しかし、それはほんの始まりにしかすぎません。わ
れわれは、熱意と誠実とにより鼓舞された伝導者として、ここから出発しなければなりません。われわれ自身はこれ
らすべてをよく承知しています。しかし、世界全般に対しては、なお説得する必要があります。
103
われわれの議事は、外の世界では批判的、懐疑的そしてあげ足とりの気持をもってすら見守られ、待ちうけられて
きたのでありますが、正直に申しまして、私はそれによりおおいに勇気づけられております。われわれの計画が幻滅
の状態で終わるよりも、幻滅の状態で始まる方がはるかによいでありはしょう。われわれは自分たちの仕事にあまり
にも間近にいるので、その輪郭をはっきりと見定めることができないかもしれません。しかし、批判や疑いをさしは
さむ人びとが、より一層精しくそれを調べて見ると、計画は予想したところよりもはるかに優れたものであることが
明らかとなり、われわれが受けてきた批判や疑いが、かえって事態をわれわれにとり有利なものとすることになるこ
とを望んでおります。
 最後に、われわれはここブレトン·ウッズにおいて、この最終協定のなかに具体化されているところよりも、おそ
らく一層重要なことを成し遂げました。われわれは、四四カ国が相集い力をあわせて、親密でなにものにも破られな
い調和を保ちつつ、建設的な仕事をなすことができることを、目のあたりに示したのであります。それができると信
じた人はほとんどありませんでした。もしも、われわれがこの限られた仕事において初めてなしてきたところを、さ
らに一層大きな仕事に受け継ぐことができるならば、世界の前途には大きな希望があるといいうるでありましょう。
ともかく、いまやわれわれは新しい友情に固く結ばれ、新しい親睦の実をあげて、それぞれの国に分かれて帰ろうと
しています。われわれは協力することを学んでまいりました。もし、われわれがこの協力を持ち続けることができま
すならば、ここに出席しているわれわれの大部分のものが、その生涯のあまりにも多くを費やしてきた戦争というこ
の悪夢は終りを告げるでありましょう。そして、人類の兄弟の絆という言葉は、単なる言葉以上のものとなるであり
よしょう。
 議長閣下、私はここに最終協定の承認を提案いたします。



https://www.globalpolicy.org/component/content/article/209/42675.html

Finally, we have perhaps accomplished here in Bretton Woods something more significant than what is embodied in this Final Act. We have shown that a concourse of forty-four nations are actually able to work together at a constructive task in amity and unbroken concord. Few believed it possible. If we can continue in a larger task as we have begun in this limited task, there is hope for the world.

最後に、私たちはおそらく、この最終法で具体化されているものよりも重要な何かをブレトンウッズでここで達成したでしょう。 私たちは、44カ国の会合が、実際には親密さと途切れのない合意の建設的な仕事で一緒に働くことができることを示しました。 それは可能であると信じている 私たちがこの限られた仕事から始めたより大きな仕事を続けることができれば、世界に希望があります。

1:29 午前  
Blogger yoji said...

http://probeinternational.org/library/wp-content/uploads/2010/11/Odious-Debts.pdf

70

formally moving that the two Bretton Woods institutions, the World Bank and the IMF, be created. For a world torn asunder by war, it was no mean feat: Finally, we have perhaps accomplished here in Bretton Woods something more significant than what is embodied in this Final Act. We have shown that a concourse of 44 nations are actually able to work together at a constructive task in amity and unbroken concord. Few believed it possible. If we can continue in a larger task as we have begun in this limited task, there is hope for the world. At any rate we shall now disperse to our several homes with new friendships sealed and new intimacies formed. We have been learning to work together. If we can so continue, this nightmare, in which most of us here present have spent too much of our lives, will be over. The brotherhood of man will have become more than a phrase.

Mr. President, I move to accept the Final Act.

1:33 午前  
Blogger yoji said...

Keynes' extraordinary intellect, oratorical eloquence, and prominence as an economic advisor to governments through four decades of war, peace, and depression made him the greatest economist of his time. He had dedicated his career to steadying the economic ship of nations throughout those tumultuous events, and Bretton Woods was his command performance. After weeks of negotiations, Keynes closed the Bretton Woods Conference with a speech


http://probeinternational.org/library/wp-content/uploads/2010/11/Odious-Debts.pdf

70

formally moving that the two Bretton Woods institutions, the World Bank and the IMF, be created. For a world torn asunder by war, it was no mean feat:

Finally, we have perhaps accomplished here in Bretton Woods something more significant than what is embodied in this Final Act. We have shown that a concourse of 44 nations are actually able to work together at a constructive task in amity and unbroken concord. Few believed it possible. If we can continue in a larger task as we have begun in this limited task, there is hope for the world. At any rate we shall now disperse to our several homes with new friendships sealed and new intimacies formed. We have been learning to work together. If we can so continue, this nightmare, in which most of us here present have spent too much of our lives, will be over. The brotherhood of man will have become more than a phrase.

Mr. President, I move to accept the Final Act.

1:34 午前  
Blogger yoji said...

545 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん (ワッチョイ 4f79-/r7K)[sage] 2019/07/21(日) 17:42:04.59 ID:wlqIPkl20
先進国は石油がなかったらやっていけない、石油のために先進国はドルを集めないといけない
基軸通貨だからドル決済にしてるんじゃない石油にドル決済を強いてるから基軸通貨でいられる
アメリカはこれを理解してるからイランやロシアを過剰な敵視をしてるし、イラクに対してありもしない核兵器を持ってるとでっち上げて強引な侵略戦争を行った
ペトロダラーシステムが終わったらドル崩壊、米国は過剰インフレ逝く、米国債を買わされてる日本は一蓮托生だから日本も逝く
親米保守とかいう愛国者ぶった連中は売国奴

3:46 午前  
Blogger yoji said...

400 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん (ワッチョイ 8ec9-BXNL)[] 2019/08/27(火) 09:05:35.86 ID:gGElns3Q0
ドル支配終わらせるデジタル基軸通貨体制を提唱-英中銀総裁
Brian Swint
2019年8月26日 11:17 JST
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-08-26/PWTKC86KLVR401
「現状維持を思慮なく受け入れるのは誤り」-ジャクソンホール講演
合成覇権通貨は世界貿易に対する米ドルの支配的影響力を弱める
原題:Carney Urges Libra-Like Reserve Currency to End Dollar Dominance(抜粋

5:44 午後  
Blogger yoji said...


https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-08-26/PWTKC86KLVR401

ドル支配終わらせるデジタル基軸通貨体制を提唱-英中銀総裁

2019年8月26日 11:17 JST
イングランド銀行(英中央銀行)のカーニー総裁は23日、ドルを基軸通貨とする世界的金融システムの抜本的改革を求める極めて大胆な提言を行った。最終的には米フェイスブックが計画している「リブラ」のような仮想通貨が準備通貨としてドルに代わることになるとの考えだ。

  来年1月末の退任を控えた同総裁は米カンザスシティー連銀がワイオミング州ジャクソンホールで主催したシンポジウムで講演し、「経済政策を巡る不確実性の高まりやあからさまな保護主義、政策余地が限定的でさらなる悪影響を打ち消せないかもしれないとの懸念が組み合わさり、世界経済のディスインフレ的な偏りを悪化させている」と述べた。

Federal Reserve Jackson Hole Economic Symposium
写真家:デビッド・ポール・モリス/ブルームバーグ
  カーニー総裁は各国・地域の中銀が短期的にはこうした事態に現状通りに対応する必要があるとする一方で、「現状維持を思慮なく受け入れるのは誤り」であり、最終的には劇的な措置が必要になると明言した。

  同総裁は世界の準備通貨としてのドルの地位が終わり、リブラなどのグローバルなデジタル通貨のような形式がより良い選択肢となるという認識を最も強く主張。基軸通貨がドルから中国人民元といった別の国の通貨に取って代わることを容認するよりは好ましいとの見方を示した。

  「より長期的に見て、われわれはゲームを変更する必要がある」と指摘し、「変更に至れば、通貨覇権の入れ替えであってはならない」とカーニー総裁は語った。

  リブラは各中銀の直接的な管理から外れた世界的なデジタル通貨として構想されているが、フランスのルメール経済・財務相が「問題外」だと述べるなど、大半の政策当局者から厳しい批判を受けている。

  カーニー総裁は新たな「合成覇権通貨(SHC)」は中銀のデジタル通貨ネットワークを通じて公的セクターによって最もうまく提供されるだろうと説明。「このアイデアの初期バージョンは欠陥があると立証されたとしても、このコンセプトは魅力的だ。SHCは世界貿易における米ドルの支配的影響力を弱めるかもしれない」と話した。

原題:Carney Urges Libra-Like Reserve Currency to End Dollar Dominance(抜粋)

5:46 午後  
Blogger yoji said...

407金持ち名無しさん、貧乏名無しさん (ワッチョイ 8ec9-BXNL)2019/08/27(火) 09:47:41.00ID:gGElns3Q0
2019年08月16日11時05分
【市況】武者陵司 「真夏の夜の悪夢の検討」
武者陵司(株式会社武者リサーチ 代表)
―長期好況の終わりか、ミニサイクルの底入れか―
https://kabutan.jp/news/marketnews/?b=n201908160260
●真夏の夜の悪夢、金融市場波乱

●政策対応がカギを握る … 米、日、英が注目される
 つまるところ、株価がカギを握っている。政策で株価が支えられるかどうかがポイントと言える。金融緩和
(ETF買い+利下げ・QE等) + 財政出動など株高を誘導する政策は、インフレ不在、堅調な企業収
益下ではリスクは小さい。良し悪しは別として、今世界各国は政策依存度を高めている。AIネット革命
で生産性が上昇し、世界的に供給力が高まっており、恒常的デフレ圧力下(供給力余剰=需要不足
状態)にある。よって余剰資金、余剰供給力を吸収する需要創造政策が必須であり、金融緩和と財
政支出拡大のポリシーミックスが求められている。今ブームのMMT(現代貨幣理論)、シムズ理論(FTPL)、
QE(量的金融緩和)などの政策手法はそうした時代の要請の下で、出て来ているものである。これに対し
てほぼ満額回答なのがトランプ政権で、実際、米国経済株式は最も成績が良いのである。
 他方、日本は10月に消費税増税を控えていることに加えて、日銀の追加緩和余地は小さいと見られている

408金持ち名無しさん、貧乏名無しさん (ワッチョイ 8ec9-BXNL)2019/08/27(火) 09:54:45.73ID:gGElns3Q0
マネーの主役は貨幣から人間へ──「マネー3.0」の時代
How to (Re) Make Money
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/08/30-27_1.php
2019年8月14日(水)16時00分
ガリア・ベナッツィ(分散型仮想通貨取引所バンコール共同創設者)

5:59 午後  
Blogger yoji said...

ステファニー・ケルトンのレセプションQ&A / JGPに関する議論 - Togetter
https://togetter.com/li/1377929

Q「通貨発行権のある国が変動相場制を導入すれば財政スペースが最大化されるのは事実ですが、実際には弱小国はコモディティ輸入のため固定相場制を採用せざるを得ず、対外赤字も蓄積し、財政スペースは制約され、国際的金融不安定性に晒されます。このことについてケルトンさんはどう考えますか?」

ケルトン氏「その通りで、国際的インバランスがある中では、弱小国では財政スペースの制約が生じます。IMFなどの既存の枠組みではそうしたインバランスを是正するのに不十分ないし不適切です。より適切かつ十分な是正システムが必要です。(バンコールなども比較的良いアイデアの一つかもしれません)」

9:39 午前  
Blogger yoji said...

訂正25→21巻

“If we can cure unemployment for the wasted purposes of armaments,
we can cure it for the productive purposes of peace.”
1939年5月23日BBC

「もしわれわれが軍備という無駄な目的のために失業を救済し得るならば、
われわれは平和と言う生産的な目的のためにもそれを救済できる。」
(邦訳全集21巻612頁)

100人の 20世紀  ケインズ 2/2
https://youtu.be/A8DFGbRzCiQ?t=6m20s
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スティグリッツ
「グローバルな準備通貨制度というアイディアは、比較的古くからあるものです。ジョン・メイナ
ード・ケインズはブレトン・ウッズ体制の発足時、強い説得力をもって『バンコール』という世界
通貨の創設を訴えましたが、当時のアメリカはそれを拒否しました。しかし、いまこそその時期
が到来している、といっても過言ではないと思います(28)」
(28)ジョセフ・スティグリッツ「円の価値がさらに上がる時代  アジア経済安定のために日本が
できること」『Voice』2010年2月号 139頁

『経済学者の栄光と敗北 』 2013年  東谷暁 より孫引き


バンコール - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB
バンコール(bancor)は、1940年から1942年にジョン・メイナード・ケインズとエルンスト・フリー
ドリッヒ・シューマッハーが提案した超国家的な通貨のことを言う。第二次世界大戦後に世界
経済を安定させるため、英国がブレトン・ウッズ会議でバンコールの導入を公式提案したが、
アメリカ合衆国の合意をとりつけることができず、実現には至らなかった。

参考:
ケインズ「コモド・コントロール」――国際緩衝在庫案(一九四二年) 平井俊顕 ブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/olympass/49302436.html

5:47 午後  
Blogger yoji said...

ヒトラーとケインズ(祥伝社新書203) (祥伝社新書 203) 新書 – 2010/6/1
武田知弘 (著)
5つ星のうち 4.2 14件のカスタマーレビュー


アーリア化については詳述なし

シャハトに言及


151頁

第4章 新しい国際経済システムを

金本位ではない国際金融システムを

 ケインズは、国際経済を金本位制から切り離し金によらない決済方法を提案した。それ
は「バンコール」という国際決済通貨を作るというものだった。バンコールは、各国の過去
3年間の貿易額の75 %が、あらかじめ自動的に各国の「持ち分」として割り振られる。各国
は、輸出と輸入の差額をこのバンコールのやり取りで調整するのである。
 貿易黒字国は黒字分のバンコールを受け取り,赤字国は赤字分のバンコールを支払うのだ。
つまりバンコールは、金を使わずに貿易の決済ができる新しい国際通貨だったのだ。
 しかし、これは金を大量に保有しているアメリカには、絶対に飲めない条件でもあった。
金 を使わずに貿易ができるようになれば、金を大量に保有しているアメリカの優位が失われ
る。というより、アメリカの保有している大量の金は、宝の持ち腐れになってしまう。
 だからアメリカは、あくまで金本位制に固執した。

黒字国も赤字国も、同じように責任を負う

 ケインズの提案の中で特筆すべきは、貿易黒字国も赤字国も、収支均衡を保つ義務を負う
という点である。

12:40 午前  
Blogger yoji said...

J.M.ケインズ著「自由放任の終焉」に就いて(Adobe PDF)
kansai-u.repo.nii.ac.jp/?action...id...
政府の為すべきこと. A g e n d a. を為すべからざること. N o n ,. 七七. これは純粋な利益だというわけではない。同じ原因が保守.
ケインズ長期政策提言の現代的意義(Adobe PDF)
m-repo.lib.meiji.ac.jp/.../shogakuronso_75_2-3-4_103....
-キャッシュ
今日,経済学者にとっての主要な課題は,おそらく,政府のなすべきこと(Agenda)となすべ. からざること (Non-Agenda) とを改めて ...

)「自由放任の終焉」(1926年)「自由放任の終焉」は,鋭い直感力と鋭敏な感受性をもって,新しい思想の流れをいち早く洞察し,新しいパラダイムのもとで経済理論と政策を切り開こうとした,ケインズ自らの変革を示す論文ともいうべきものであろう。そこでの古い思想というのは,功利主義哲学のうえにたった伝統的な新古典派の経済学であった。ケイγズは19世紀における自由放任の教義に貢献したさまざまな思想の糸を拾いあげながら,思想から思想へと鋭い批判を投げかけた。彼は,Pック(Locke),ヒューム(Hume),ルッソー(Rousseau),ベソサム(Bentham),パーク(Burke),ペイリ(Paley),マルサス(Malthus),ダーウィン(Darwin)というような,その名前が彼の書物の各所にちりばめられている偉大な人々の深遠な英知を無視するための,攻撃目標を探し求めていた(Harrod,[6],p.355.邦訳,501ページ)。これらの思想家たちが100年以上の長い期間にわたってわれわれを導いてきたのは,個人主義

189)ケインズ長期政策提言の現代的意義105と自由放任主義思想であった。それは数多くのさまざまな思想の流れから摂取され,その処理の仕方に彼らのほとんど全員が同意してきたか,あるいは同意しているかのように思われた。しかし,こうした思想はすでに変わろうとしているのに,人びとはいつこうで気付こうとしない。ケインズの比ゆを用いれば,「もうすでに曲が新しく変わっているのに,いまでもまだその曲に併せて踊ろうとさxしていない」(Keynes,[15],P.272.邦訳,323ページ)。ケインズが攻撃目標としたのは,こうした個人主義および自由放任の教義であった。この教義には二つの流れがある。王や教会に対し,個人の権利をおし出し,個人の財産権と自由を主張する保守的個人主義と,平等の社会観と多数め幸福とを善とする民主的平等主義である。そして,この相反する二つを調和させたのが,自由放任の経済学であった(伊東[10],p.53)。自由放任の経済学は,基本的に次のような考え方によるものである。すなわち,正しい方向に動いた個人は,競争の結果,誤った:方向に動いた個人を圧倒することになるといった仕方で,試行錯誤の方法によって,諸個人が相互に独立に行動することをつうじて,生産的資源の理想的配分がもたちされるというような状態を想定してきた。しかし,ケインズによれば,こうした適者生存の経済学が資源の最適配分をもたらすとはかぎらない。それはあたかも「首の長いキリン」の例えのように,自然淘汰の思想にほかならない。もしかりに,できるかぎり高いところにある木の枝から葉をむしりとることが生活ゐ目的であるとするならぽ,この目的を達成するのにもつとも適合した方法は,いちばん首の長いキリンがそれより首の短いキリンを餓死させてしまうがままに任せておくことである(Keynes,[15],p.283.邦訳,338ページ)。この自然淘汰が進歩をもたらすという想定は,自由放任論の一対の暫定的な想定の片方である コにすぎない。もう一方の想定は,「最大限の努力を引き出す誘因としての私的な金儲けの自由にたいして有効な機会が与xられ,しかも実に,その機会が必ず与xられるということである」(Ke・ynes・[15]・P・283・邦訳・339一一ジ)。こうして・ケインズによれば,「人間のさまざまな:動機にうちでもっとも有力なものの一つ,すなわち貨幣愛こそが,富の増大にもっともよく適した方法で,経済資源を配分する仕事のために利用されるのである」(Keynes,[15],p.284.邦訳,339ページ)。この貨幣愛本能こそは,後にr一般理論』のなかで流動性選好理論として展開されたものであるが・この問題は改めてもう一度取り上げることにして,ここでは貨幣愛本能が彼の理論体系の根源に横たわっている経済観であることを指摘するにとどめよう。ケインズによれぽ,この自由放任の思想は現実の世界ではあらゆる面で充たされておらず,きわめて非現実的な世界といわざるをえない。   世界は,私的利益と社会的利益とがつねに一致するように,天上から統治されてはいない。  世界は,実際問題として両者が一致するように,この地上で管理されているわけでもない。啓発された利己心が,つねに公益のために作用するというのは,経済学の諸原理から正しく演繹さ    れたものでもない。また,利己心が一般的に啓発されているというのも正しくない(Keynes,[15],pp.287-9.邦訳,344ページ)。


106『明大商学論叢』第75巻第2・3・4号(1992年9月)(190)こうした批判に立って,この講義の第2部は,自由放任の原理が放棄された後での政府の役割およびその政策原理を取り扱っている。まずケインズは国家の役割を次のように位置づける。今日,経済学者にとっての主要な課題は,おそらく,政府のなすべきこと(Agenda)となすべからざること(Non-Agenda)とを改めて区別しなおすことである。そして,それに付随する政治学上の課題は,そのなすべきことを成し遂げることができるような政府形態を,民主制の枠内で工夫することである(Keynes,[15],p・28&邦訳,345ページ)。

5:37 午前  
Blogger yoji said...

自由放任の終焉 1926

5:39 午前  
Blogger yoji said...

Cundill History Prize (@CundillPrize)
2020/09/08 23:54
Next in the Cundill History Prize 2020 longlist is 'The Price of Peace: Money, Democracy, and the Life of John Maynard Keynes' by Zachary D. Carter, published by ⁦‪@randomhouse‬⁩.

Register for the 2020 shortlist announcement event here:
cundillprize.com/shortlistevent pic.twitter.com/M1BVlkKxyL
https://twitter.com/cundillprize/status/1303346040775606272?s=21

10:00 午前  
Blogger yoji said...

大銀山から産出した銀は、何に使われたか?/野口悠紀雄|文藝春秋digital
2020/06/09 — ケインズは、『貨幣論』(A Treatise on Money )の中で、ドレークの捕獲金がイギリス対外投資の源泉となったと指摘しています

5:06 午前  
Blogger yoji said...

1930貨幣論

経済的可能性」(1930 年), ケインズはこのように貨幣動機のタームで ...
Imagewww.tohoku-gakuin.ac.jp › p...PDF
ケインズの経済思想 - 東北学院大学

動機ないし貨幣愛(love of money)が経済機構の推進力となっているという点に,資本 ... ケインズは,1930年代の大不況における膨大な失業.
23 ページ·937 KB
Imagekhosokawa.sakura.ne.jp › ...
オピニオン ケインズ
ケインズは、この投資家階級の「貨幣愛」に不況の原因を見出した。投資家の ... ケインズは1930年に「孫の世代の経済的可能性」を書いた。
Imagejshet.net › uploads › 2019/02PDF
ケインズと精神医学 - 経済学史学会

ケインズは 1930 年に出版した『貨幣論』のなかで,フロイトの議論に言及している.ここで. ケインズは根深い金本位制への執着の理由を考える ...
5 ページ·645 KB

5:08 午前  
Blogger yoji said...


スキデルスキー Skidelsky バンコール
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/09/blog-post.html

4:48 午前  
Blogger yoji said...




地域通貨花子1
⁦‪@TiikituukaHana‬⁩


参考
KEYNES
From The Economic Journal, December 1912
CHEN, HUAN-CHANG. The Economic Principles of Confucius and his School. doi.org/10.2307/2222270
baike.baidu.com/item/%E9%99%88…
梅纳德·凯恩斯《孔门理财学》[陈焕章]书评
ケインズ陳煥章『孔門理財学』書評
freeassociations2020.blogspot.com/2020/06/baguwe…

2022/04/08 14:28


https://twitter.com/tiikituukahana/status/1512301389950554125?s=21

10:50 午後  

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