日曜日, 12月 11, 2016

エリノア・オストロム Elinor Ostrom 1933-2012(コモンズ関連)

                   ( 経済学リンク::::::::::
NAMs出版プロジェクト: Thorstein Veblen, 1857-1929.
http://nam-students.blogspot.jp/2016/03/thorstein-veblen-1857-1929.html
NAMs出版プロジェクト: 宇沢弘文(1928~2014):メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2016/03/blog-post_10.html
NAMs出版プロジェクト: コースの定理 Coase's theorem
http://nam-students.blogspot.jp/2016/07/coase-theorem.html
 エリノア・オストロム Elinor Ostrom 1933-2012(コモンズ関連)1990
http://nam-students.blogspot.jp/2016/12/elinor-ostrom-1933-2012.html @


NAMs出版プロジェクト: サミュエル・ボウルズ
http://nam-students.blogspot.jp/2017/12/blog-post_92.html



 When Garrett Harden published his paper in  science in 1968 on the  tragedy the commons. I thought  he has just made this up as he talked about.  Well, he talked of Imagine a pastor open  to anyone. It wasn't here's my data is imagine a pastor open? And in that imagined pasture people  didn't talk. They just put as  many animals on as they possibly could because whatever was left to  eat. Somebody else would grab  so they were interested. 

Well that  became almost like a religion. And the presumption was that humans were  helpless. 

And that they had to have a government. Tell them how to do this and take over  or make it private privatize it.

 so but an external Authority had to come  in and do it as if the external Authority had people in a different genes.


 1968年、ギャレット・ハーデンが「コモンズの悲劇」という論文をサイエンス誌に発表したとき。私は、これは彼が話したように作り上げたものだと思いました。 彼は、「牧草地を想像してごらん、誰にでも開かれている」と言いました。「私のデータはこちら」ではなく、「想像してごらん、牧草地は誰にでも開かれている」と言ったのです。そして、その想像上の牧草地では、人々は何も話しませんでした。ただ、可能な限り多くの動物を乗せました。食べるものが残っていれば、誰かが食べるからです。誰かが食べるから、みんな興味があるんです。

それはほとんど宗教のようなものでした。そして、人間は無力であるという前提に立ちました。

そして、人間は政府を持たなければならないのです。どうすればいいか教えてくれて、それを引き継ぐか、私有化するのです。

 しかし、外部の権威がやってきて、あたかもその権威が別の遺伝子を持つ人々を使っているかのように、それを行わなければならなかったのです。


Elinor Ostrom on the Myth of Tragedy of the Commons


Amartya Sen and Elinor Ostrom - A discussion on Global Justice

33:22

気になる新刊『コモンズのガバナンス』オストロム

2022^1990

 
 
名著解説ラジオ(雪かわ)
⁦‪@nandatteiijyann‬⁩
気になる新刊『コモンズのガバナンス』
共有資源は規制や民営化に委ねられるべきとの従来の考えに対して非公式なコミュニティの果たす役割を分析、2009年女性初ノーベル経済学賞を受賞したオストロムの著作。個人的に楽しみな一冊です☺️
「政府でもなく市場でもない、コモンズの可能性。
↓続く pic.twitter.com/V3vOOf83dJ
 
2022/11/28 19:47
 
 
 
 
名著解説ラジオ(雪かわ)
⁦‪@nandatteiijyann‬⁩
人びとが共有する資源(コモンズ)の安定的な管理には、政府の介入か私有化しかないという定説に異を唱え、人びとによる自治が着目されるさきがけとなった不朽の名著」

詳細はこちらです
amzn.to/3Xydbud
 
2022/11/28 19:48
 
 
https://twitter.com/nandatteiijyann/status/1597180525705564161?s=61&t=adCEWPTFFZrG22sLJNsuHw



抄訳:E. Ostrom (1990) Governing the Commons » - Notes by h_k
https://sites.google.com/site/notesbyhk/jpntranslation-eostrom1990
Ostrom, Elinor. 1990 Governing the Commons: The Evolution of Institutions for Collective Action. New York: Cambridge University Press (Political Economy of Institutions and Decisions’ Series).?


hicksian (@hicksian_2012)
エリノアのノーベル経済学賞受賞講演のタイトルが "Beyond Markets and States: Polycentric Governance of Complex Economic Systems"(『市場か国家か』の二分法を超えて:複雑な(あるいは、複雑系としての)経済システムの多極的なガバナンス」)なんよね(nobelprize.org/prizes/economi…)。
https://twitter.com/hicksian_2012/status/1202183874958069760?s=21

ノーベル経済学賞2009 解説記事
https://sites.google.com/site/hideshiitoh/jp/pub-j/nobel2009
伊藤秀史
November 6, 2009
『週刊エコノミスト』2009年11月24日号,34-35ページ掲載記事の元原稿.
2009年のノーベル経済学賞をエリノア・オストロムとオリバー・ウィリアムソンが受賞した.専門的見地から十分な時間をかけた選考委員会の決定を歓迎するとともに,受賞された両氏に敬意を表したい.本稿では,できるだけ客観的に受賞の内容を紹介しよう.
スウェーデン王立科学アカデミーの公式声明によると,オストロムは「経済ガバナンス,とりわけ共有資源の分析」に対して,ウィリアムソンは「経済ガバナンス,とりわけ企業の境界の分析」に対して授与された.これらの受賞理由からも明らかなように,キーワードは「経済ガバナンス」である.
経済ガバナンスという用語になじみのない読者も,コーポレート・ガバナンス(企業統治)という用語を聞いたことがあるかもしれない.その意味をひとことで言えば「会社の経営の規律づけの仕組み」である.会社がさまざまな利害関係者の利害に沿って経営されるように規律づけるためには,市場競争,敵対的買収,銀行による監視,取締役会による規律づけ,などの仕組みがある.最近では,行政ガバナンス,環境ガバナンス,グローバル・ガバナンス,コミュニティ・ガバナンス等,さまざまな経済問題に用いられるようになってきている.これらの総称としての経済ガバナンスとは,経済活動や取引をサポートする法的,社会的制度の構造と機能のことで,財産権の保護,契約の強制,公共財やセキュリティ・ネットの提供などが主要な課題となる.
オストロムとウィリアムソンは,それぞれ異なる現実問題に注目しながら,経済ガバナンスの理解を深めることに大きな貢献をしてきた.
オストロムが注目したのは共有資源(コモンズ)の問題である.共有資源とは,複数の個人が共有して利用できる資源であるが,各人の利用が他の人の利用可能性を減じてしまう特徴を持っている.河川,湖,海洋などの水資源や,漁場,牧草地,森林などが代表的な例である.このような共有資源の利用で問題になるのが過剰な開発や乱獲である.ひとりひとりの利用する量は少なくても,自分の都合のみを考えて利用する人々の利用量を足しあわせると,資源の枯渇や破壊が進行してしまう.個々人が総量のことを考えて少しずつ利用を控えれば解決するのだが,今日の環境問題からも明らかなように,実行することが大変難しい問題である.
この問題を解決するためにはどのようなガバナンスが望ましいだろうか.典型的には,共有財産であることが過剰利用につながるという理解から,国家が財産権を持って管理するか,民営化して民間企業に財産権を集中させる方法が主に議論されてきた.ところがオストロムは,資源を共有財産としたままで利用者自身にガバナンスさせるセルフ・ガバナンスがうまく機能する事例を見いだした.そして多くの事例研究を積み重ねて,そのようなセルフ・ガバナンスが成功する条件を明らかにしたのである.

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wikiより(後述)

オストロムは公共財および共有資源(CPR、Common-pool resource)を研究した。公共財やCPRの管理について、それまでの政府か市場が対処するという主張に異議を唱え、資源を管理する効率性は市場でも政府でもなく、コミュニティが補完的役割を果たしたときに最も効果的になることを示した。

オストロムは公共財およびCPRの自主管理(セルフガバナンス)において、長期間持続する制度には、次のような設計原理があると論じた[1]
境界:CPRから資源を引き出す個人もしくはその家計とCPRの境界が明確である。
地域的条件との調和:専有ルールが供給ルールと調和している。
集合的選択の取り決め:運用ルールの影響を受ける個人の大多数は、運用ルールの修正に参加できる。
監視:CPR条件と専有者を検査する監視者は、専有者に対して責任がある。
段階的制裁:運用ルールを侵害する専有者は制裁を受ける。
紛争解決:専有者間もしくは専有者と当局者の紛争を解決するために、安価な費用の地方領域に接する。
組織化する権利の承認:制度を構築する専有者の権利は、外部の政府当局によって異議を申し立てられない。
組み込まれた事業:より大きな体系の一部であるCPRsに関しては、専有、供給、監視、強制、紛争解決ルールは多層の事業で組織化される。

ロサンゼルスの地下水の自主管理をはじめとするフィールド環境と、ゲーム理論を用いた実験環境において、森や湖などの共有資源(コモンズ)を効率的に管理できることを明らかにした。自主管理の協力行動を繰り返しゲームで説明した研究は、制度の自己組織化とも関連する[2]



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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%81%AE%E6%82%B2%E5%8A%87

タイ東北地方のコモンズ。牛飼いは、脇道に生えている草を牛に食ませる。ローカル・コモンズを利用し管理する現地住民は、草の根民活として評価できる。
コモンズの悲劇(コモンズのひげき、Tragedy of the Commons)とは、多数者が利用できる共有資源が乱獲されることによって資源の枯渇を招いてしまうという経済学における法則共有地の悲劇ともいう。
アメリカ生物学者ギャレット・ハーディン1968年に『サイエンス』に論文「The Tragedy of the Commons」を発表したことで一般に広く認知されるようになったが、発表後多くの研究者も反論を唱えた。

目次

概要編集

たとえば、共有地コモンズ)である牧草地に複数の農民が牛を放牧する。農民は利益の最大化を求めてより多くの牛を放牧する。自身の所有地であれば、牛が牧草を食べ尽くさないように数を調整するが、共有地では、自身が牛を増やさないと他の農民が牛を増やしてしまい、自身の取り分が減ってしまうので、牛を無尽蔵に増やし続ける結果になる。こうして農民が共有地を自由に利用する限り、資源である牧草地は荒れ果て、結果としてすべての農民が被害を受けることになる。
また、牧草地は荒廃するが、全ての農民が同時に滅びるのではなく、最後まで生き延びた者が全ての牧草地を独占する。このことから、不当廉売競争による市場崩壊とその後に独占市場が形成される過程についても、コモンズの悲劇の法則が成り立つ。
実際にコモンズの悲劇が起こる条件としては、下記のいずれの条件も満たす必要がある。
  1. 共有地がオープンアクセスの場合
  2. 共有地の資源が希少資源で枯渇する場合に尽くされてしまう場合
行政政策として、希少資源の獲得など正の外部性(外部経済)の場合は、有償で利害関係者に所有権或いは独占権を与えて管理させる事によって、コモンズの悲劇を防ぐ事が出来る。なお、コモンズの悲劇を誤用することで、利害関係者に独占権を付与することで、業界保護を実施する場合があるので、要注意である。
一方、大気汚染水質汚濁土壌汚染など負の外部性(外部不経済)の場合には、大気汚染防止法などの取締法規による規制的手法や、二酸化炭素の排出取引など市場原理を活用する手法(外部不経済の内部化)が用いられる。

事例と対策編集

典型例編集

電波利用について、政府が電波使用料の徴収と引き換えに、特定事業者に電波帯域の独占使用を認めさせることである。
地球環境問題もコモンズの悲劇としてたとえることができる。地球はみんなのものであるからこそ、みんなが好き勝手に利用すれば、環境を悪化させてしまう。そこで、地球の利用にかかわる財産権を定めることが、地球を適切に管理することにつながる。こうした環境悪化に対する処方箋としては、政府などが適切な規制をすることによる保全策が取られるとともに、近年では市場原理を活用する方法として排出取引環境税の導入が実施されている。
河川敷などの身近なコモンズを、政府が雑草除去の役務と引き換えに現地住民へ無償で貸し出し、牧畜などを行う事業は、コモンズの適正管理を行っている草の根民活として評価する立場もある。これは、自然保護地球環境問題の解決を、住民のローカル・コモンズ管理の手法に見習うという発想をもたらした。
なお、共有地の共有資源が、地域コミュニティの構成員に限って利用できる「ローカル・コモンズ」(里山の入会地など)は、厳密な意味のコモンズではなく、集団が所有する所有地からの収益を構成員に分配する共同事業「擬似コモンズ」であるから、コモンズの悲劇は起こらない。相互利益に配慮された共同事業の歴史的制度が、近代化により崩壊することによって生じる共有資源の荒廃などは、集団内の統制崩壊による事業破綻であるから、コモンズの悲劇とは別の現象である。
ハーディンが論文を発表した後、多くの研究者が反論を唱えた。そしてハーディン自身もコモンズの悲劇が起こるのはオープンアクセスの時であると自らの主張を改めた。しかし、発表以後、この論文を中心に議論が巻き起こり、この分野の研究が大きく発展した。その意味でのハーディンの功績は大きい。
また、知的財産権に関する議論の中で、コモンズの悲劇が同様の事例としてしばしば引き合いに出される。

参考文献編集

関連項目編集





「危機のコモンズの可能性」竹田茂夫論考
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/655/655-04.pdf
PDF04 - 法政大学大原社会問題研究所
(Adobe PDF)
-htmlで見る
oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/655/655-04.pdf

オストロムらの整理(表1)によれば,「共有地の悲劇」はオープン・アクセスが引き起こす も. のとなり,必ずしもすべての「共有 ... (12) 井上真「自然資源の共同管理制度としての コモンズ」,『コモンズの社会学』新曜社,2001所収。 (13) オストロムの研究で極めて ...



        

       |       控除可能性、競合性
       |    高い     |     低い
_______|___________|_______________
    容易 |    私的財    |  料金財(クラブ財)
排除 ____|___________|_______________
    困難 | コモンプール資源  |   公共財
       | (コモンズ)    |



1 コモンズの新たな課題

コモンズは理論的にも実践的にも袋小路にあるように見える。理論的には,ハーディンの「共有地の悲劇」(1968年)以降,それを批判する形で多くの実証的研究が発表され(4),理論的にもオストロムらによってコモンズ独自の統治構造と資源配分メカニズムが整理されてきた。国家による法的・政治的な公的介入の領域と市場経済の私的領域の間にあって,地域や生産を共有する参加者たちの協力の分野,いわば「共」の領域が独自の経験の蓄積と論理をもつといった理解である。日本でも,小繋事件等の入会地をめぐる問題を議論してきた法学を別にすれば(5),1990年代以降,経済学,生態学,環境社会学,人類学,林政学等の分野で研究が進められてきた(6)。

コモンズの理論がどのような役割を果たすことができるかどうか,オストロムの「設計原理」は多くの現存のコモンズからの抽象を越えて,コモンズ展開の次の段階への指導理念になることができるのであろうか。

2 コモンズ理論の収斂と拡張

後の議論に必要になる限りで,コモンズに関する議論を整理してみよう。ハーディンの「共有地の悲劇」に対して,実証的研究者による反論と並行して,オストロムらが共有とオープン・アクセスを区別することによって,理論面からハーディンの論理を批判した(10)。オストロムらのハーディン批判は次の四点からなる。財の性質と所有権レジームの区別,資源の源泉と資源フローの区別(たとえば,河川そのものと河川からの農業用水の区別),共有とオープン・アクセス(資源利用の制約を設けない制度)の区別,所有権をより基本的な権限の束として理解する視点である。オストロムらによるハーディン批判の眼目は,ハーディンが区別できなかった三つ目の区別をめぐるものである。この段階のオストロムの研究からは他の重要な教訓を汲み取ることができる。公共財生産の民営化の観点から重要なのは,財の性質と所有権レジームの区別である。水(飲料水,農業用水)や大気や周波数帯等が,財の本来の性質として公共財であるとする理解では,「法と経済学」による民営化の論理に対抗できないからである。さらに,所有権を基本的権限の束とみる立場は,コモンズの統治構造を考える際の基本的視点を提供する。オストロムらの整理(表1)によれば,「共有地の悲劇」はオープン・アクセスが引き起こすものとなり,必ずしもすべての「共有地で悲劇」が起きるとは限らない。そこで,実際にオープン・アクセスがどのように一般的なのか,逆にオープン・アクセスを禁止するのはどのような場合なのかという問題が浮かび上がる。このようにして,オストロムは四つに分類された財の背後に,コミュニティ内部の統治構造を探ることになる。コモンズ存続の条件としてよく知られた,オストロム…

抄訳:E. Ostrom (1990) Governing the Commons » - Notes by h_k
https://sites.google.com/site/notesbyhk/jpntranslation-eostrom1990
Ostrom, Elinor. 1990 Governing the Commons: The Evolution of Institutions for Collective Action. New York: Cambridge University Press (Political Economy of Institutions and Decisions’ Series).
 エリノア・オストロム(1990)『コモンズを運営する——集合行為のための制度の進化——』ケンブリッジ大学出版局「制度と決定の政治経済学」シリーズ.
表1の控除可能性の強弱(消費の競合性と非競合性の区別)は,表2では加法性と非加法性に対
応し,さらに優加法性が追加されている。優加法性は逆コモンズを広義の資源(リソースとファシリティ)の性質として見る際に必要となる概念である。個別に資源を利用するよりも共同して利用する(資源を共有する)方が,生産性や効率性が上がることを意味する。
先ほど言及した井上真の「タイトな共同管理」は,表1と2のクラブ財に相当するが,井上はそれをコモンズの一種ととらえているようである。米国の法学者レッシグ(脚注(14)参照)は,オストロムや経済学のコモンズ概念を十分に了解しながらも,表2のネットワークをコモンズに含めている。このようなコモンズ概念の拡張は,狭い意味での従来の私有・私的財と公有・公共財の間に,さまざまな権限の組合せと濃淡を伴う不完全所有権のひろいスペクトラムが広がっていることを示唆している。

表2  
           優加法的     加法的       非加法的 
個人           /      私的財        /
ローカルな共同体  [    コモンズ        ]  クラブ財
公衆         ネットワーク   オープン・アクセス    公共財 

表2の縦軸の個人,ローカルな共同体,公衆のそれぞれが,不完全所有権のさまざまな組み合わせに従って分岐することになる。たとえば,共有牧草地の利用ルールは伝統的規範で決まっている場合でも,生産された乳製品については私的処分が許されている場合と乳製品の分配についても規範に従う場合に分岐することになろう(18)。
さらに,戦争・国防や警察・治安のように,サービス享受の面に関しては排除不可能性と控除不可能性(消費の非競合性)の両者を満たすために,従来,純粋公共財とされてきたものも,その調達・生産に関しては民間企業に委ねることも理論的には可能である。これは,次節で説明するように民営化の理論的根拠を提供することにもなる(19)。つまり,表1と2の縦軸のもう一つの隠れた次元として,資源や財の採取・調達・生産に関する制度的分岐を想定することが必要になる。たとえば,公共財の公的提供か,民間委託かといった分岐である。
横軸の分類の優加法性,加法性,非加法性の区分の背後に隠れているのが,資源利用の生態学的次元と具体的な技術の次元(つまり自然と人間の関係)である。コモンズのもつ生態学的側面は,世界各地の有機農業,小規模伝統農業,小農運動などの意味を高く評価する研究者によって強調されてきた(20)。


 


参考:
ハーディン著/桜井徹訳([1968] 1993)「共有地の悲劇」シュレーダー=フレチェット編/京都生命倫理研究会訳『環境の倫理 下』晃洋書房: 445-470.
(from: Hardin, Garrett. 1968 “The Tragedy of the Commons,” Science 162 [13 December 1968]: 1243-1248.)


エリノア・オストロム - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%8E%E3%82%A2%
E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%A0 



新制度派経済学





生誕
1933年8月7日
カリフォルニア州ロサンジェルス

死没
2012年6月12日(78歳)
インディアナ州ブルーミントン

国籍
 アメリカ合衆国

研究機関
(機関)
インディアナ大学
アリゾナ州立大学

研究分野
公共経済学
公共選択理論

母校
カリフォルニア大学ロサンゼルス校

影響を
受けた人物
フリードリヒ・ハイエク
ジェームズ・M・ブキャナン

実績
経済統治(Governing the Commons)

受賞
John J. Carty Award (2004年)
ノーベル経済学賞 (2009年)

情報 - IDEAS/RePEc

ノーベル賞受賞者
受賞年:2009年
受賞部門:ノーベル経済学賞
受賞理由:共有資源は規制や民営化に委ねられるべきだとの従来の考え方に挑戦した

エリノア・オストロム (Elinor Ostrom、1933年8月7日 - 2012年6月12日)は、アメリカ合衆国政治学者経済学者インディアナ大学教授。2009年10月12日オリバー・ウィリアムソンとともにノーベル経済学賞を受賞した。女性初のノーベル経済学賞受賞者。カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。

目次
経歴編集
1933年 カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれる(本人Elinor Claire Awan、父親Adrian Awan、母親Leah)。
1951年 ビバリーヒルズ高校卒業。
1954年 カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)政治学部卒業。
1962年 カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で政治学修士号を取得。
1963年 ヴィンセント・オストロムと結婚。
1965年 カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で政治学博士号を取得。
1965年 インディアナ大学の教員となる(その後、教授となることも含め、約40年間過ごす)。 
1973年 夫のヴィンセント・オストロムVincent Ostrom)と共同で、政治理論と政策分析ワークショップを設立。
1991年 アメリカ芸術科学アカデミー会員。
1996年 アメリカ政治学会会長(-1997年)。
1999年 ヨハン・スクデ政治学賞を受賞(女性初)。
2001年 全米科学アカデミー(National Academy of Sciences, NAS)会員。
2005年 アメリカ政治学会のジェームズ・マディソン賞を受賞(女性初)。
2008年 ウィリアム・H・ライカー賞を受賞(女性初)。
2009年 ノーベル経済学賞を受賞(女性初)。
2012年6月12日、インディアナ州の病院でがんのために死去。78歳没。
業績編集


オストロムは公共財および共有資源(CPR、Common-pool resource)を研究した。公共財やCPRの管理について、それまでの政府か市場が対処するという主張に異議を唱え、資源を管理する効率性は市場でも政府でもなく、コミュニティが補完的役割を果たしたときに最も効果的になることを示した。

オストロムは公共財およびCPRの自主管理(セルフガバナンス)において、長期間持続する制度には、次のような設計原理があると論じた[1]
境界:CPRから資源を引き出す個人もしくはその家計とCPRの境界が明確である。
地域的条件との調和:専有ルールが供給ルールと調和している。
集合的選択の取り決め:運用ルールの影響を受ける個人の大多数は、運用ルールの修正に参加できる。
監視:CPR条件と専有者を検査する監視者は、専有者に対して責任がある。
段階的制裁:運用ルールを侵害する専有者は制裁を受ける。
紛争解決:専有者間もしくは専有者と当局者の紛争を解決するために、安価な費用の地方領域に接する。
組織化する権利の承認:制度を構築する専有者の権利は、外部の政府当局によって異議を申し立てられない。
組み込まれた事業:より大きな体系の一部であるCPRsに関しては、専有、供給、監視、強制、紛争解決ルールは多層の事業で組織化される。

ロサンゼルスの地下水の自主管理をはじめとするフィールド環境と、ゲーム理論を用いた実験環境において、森や湖などの共有資源(コモンズ)を効率的に管理できることを明らかにした。自主管理の協力行動を繰り返しゲームで説明した研究は、制度の自己組織化とも関連する[2]


著作編集

単著編集
Governing the Commons: the Evolution of Institutions for Collective Action, (Cambridge University Press, 1990).
Crafting Institutions for Self-governing Irrigation Systems, (ICS Press, 1992).
Understanding Institutional Diversity, (Princeton University Press, 2005). 


共著編集
Patterns of Metropolitan Policing, with Roger B. Parks and Gordon P. Whitaker, (Ballinger Pub. Co., 1978).
Local Government in the United States, with Vincent Ostrom and Robert Bish, (ICS Press, 1988).
Institutional Incentives and Sustainable Development: Infrastructure Policies in Perspective, with Larry Schroeder and Susan Wynne, (Westview Press, 1993).
Rules, Games, and Common-pool Resources, with Roy Gardner and James Walker, (University of Michigan Press, 1994).


編著編集
The Delivery of Urban Services: Outcomes of Change, (Sage, 1976).
Strategies of Political Inquiry, (Sage, 1982).

共編著編集
Local Commons and Global Interdependence: Heterogeneity and Cooperation in Two Domains, co-edited with Robert O. Keohane, (Sage, 1995).
Competition and Cooperation: Conversations with Nobelists about Economics and Political Science, co-edited with James E. Alt and Margaret Levi, (Russell Sage Foundation, 1999).
People and Forests: Communities, Institutions, and Governance, co-edited with Clark C. Gibson and Margaret A. McKean, (MIT Press, 2000).
Improving Irrigation Governance and Management in Nepal, co-edited with Ganesh P. Shivakoti, (ICS Press, 2002).
Foundations of Social Capital, co-edited with T. K. Ahn, (E. Elgar, 2003).
The Commons in the New Millennium: Challenges and Adaptation, co-edited with Nives Dolšak, (MIT Press, 2003).
Trust and Reciprocity: Interdisciplinary Lessons from Experimental Research, co-edited with James Walker, (Russell Sage Foundation, 2003).
Seeing the Forest and the Trees: Human-environment Interactions in Forest Ecosystems, co-edited with Emilio F. Moran, (MIT Press, 2005).
Linking the Formal and Informal Economy: Concepts and Policies, co-edited with Basudeb Guha-Khasnobis and Ravi Kanbur, (Oxford University Press, 2006).
Understanding Knowledge as a Commons: from Theory to Practice, co-edited with Charlotte Hess, (MIT Press, 2007). 

関連項目編集
共有経済
公共選択論
コモンズの悲劇
新制度派経済学
政治経済学
出典・脚注編集

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^ オストロム、ウォーカー「市場でも国家でもなく:集合的行動領域での変換過程を結びつけること」 p59
^ 岡田「エリノア・オストロム教授のノーベル経済学賞受賞の意義」
参考文献編集

エリノア・オストロム・ジェイムズ・ウォーカー「市場でも国家でもなく:集合的行動領域での変換過程を結びつけること」(デニス・C・ミューラー編『公共選択の展望』第1巻 関谷登大岩雄次郎訳、多賀出版、2000年。)
岡田章 「エリノア・オストロム教授のノーベル経済学賞受賞の意義」 2009年。http://wakame.econ.hit-u.ac.jp/~aokada/kakengame/Dr.Elinor%20Ostrom_Nobel%20Prize%20in%20Economics.pdf
外部リンク編集

"Governing the Commons: The Evolution of Institutions for Collective Action" published in Ukraine
On Collaboration Elinor Ostrom speaks on BBC The Forum


ウィキメディア・コモンズには、エリノア・オストロムに関連するカテゴリがあります。

The Workshop in Political Theory and Policy Analysis at Indiana University
Elinor Ostrom Curriculum Vitae
Center for the Study of Institutional Diversity at Arizona State University
No Panaceas! Elinor Ostrom Talks with Fran Korten
Beyond Markets and States: Polycentric Governance of Complex Economic Systems, 2009 lecture at NobelPrize.org
Profile and Papers at Research Papers in Economics/RePEc
図書館にあるエリノア・オストロムに関係する蔵書一覧 - WorldCatカタログ
Elinor Ostrom news, photos & videos from the The Herald-Times Bloomington, Indiana
Profile at The international Institute of Social Studies (ISS)
Annual Reviews Conversations Interview with Elinor Ostrom 2011 (Video)


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日本語で読めるオストロム (1) E. Ostrom’s work translated into Japanese - Notes by h_k

https://sites.google.com/site/notesbyhk/short/eostrom-japanesetranslation1
エリノア・オストロム、ジェイムズ・ウォーカー 著/関谷登、大岩雄次郎 訳([1997] 2000)「市場でも国家でもなく:集合的行動領域での変換過程を結びつけること」D・C・ミュラー 編/関谷登、大岩雄次郎 訳『〔ハンドブック〕公共選択の展望 第I巻』多賀出版、 45-88頁.
FROM:
Elinor Ostrom, and James Walker. 1997 “Neither Markets Nor States: Linking Transformation Processes in Collective Action Arenas,” in Dennis C. Muleler (ed.) Perspectives on Public Choice: A Handbook, New York: Cambridge University Press: 35-72.

Relevant note:
抄訳:E. Ostrom (1990) Governing the Commons
https://sites.google.com/site/notesbyhk/jpntranslation-eostrom1990

Relevant short notes:
日本語で読めるオストロム (2) E. Ostrom’s work translated into Japanese
日本語で読めるG. ハーディン G. Hardin’s work translated into Japanese
日本語訳された英語コモンズ文献 English literature on the ‘Commons’ translated into Japanese

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« 抄訳:E. Ostrom (1990) Governing the Commons » - Notes by h_k
https://sites.google.com/site/notesbyhk/jpntranslation-eostrom1990

公開:2013年09月26日

国際的なコモンズ研究の主流派において、もはや古典とも言える以下の書籍の一部翻訳(と既存抄訳の抜き書き):
Ostrom, Elinor. 1990 Governing the Commons: The Evolution of Institutions for Collective Action. New York: Cambridge University Press (Political Economy of Institutions and Decisions’ Series).
 エリノア・オストロム(1990)『コモンズを運営する——集合行為のための制度の進化——』ケンブリッジ大学出版局「制度と決定の政治経済学」シリーズ.

エレノア・オストロム『共有資源管理論』<森脇俊雅 2000: 69>
『共有地の管理』<小野耕二 2001: 88>

[h_kコメント:E. Ostrom (1990)は下でも訳出した第2章の原注23からもうかがえるように、共有資源 common property resource(s) という術語を安易に用いるのを避けようとしている。]
Series editor’ preface

シリーズ編者の序文

Preface

序文

Although I have been excited about what one can learn from a concentrated effort to study dozen groundwater basins and the institutions that have evolved for their governance and management over time, such studies alone are not sufficient for the development of a broader theory of institutional arrangements related to the common-pool resources (CPRs). One needs similar information from many other settings to begin to gain the empirical base necessary to improve our theoretical understanding of how institutions work and how individuals change their own institutions. (p. xiv)

>>

 12の地下水水系とそれらの運営と管理のために時間を経て進化した諸制度を研究する集中的な試みからどれほど学ぶことができるかについて私は高揚していたこともあったが、そのような研究だけでは、コモン・プール資源(CPRs)に関連する制度的な取り決めについての、より幅広い理論の発展のためには不十分なのである。どのようにして制度が機能するのか、そしてどのようにして個人たちが自分たちの制度を変化させるのかの、われわれの理論的な理解を改善するために必要な経験的基盤を獲得するのに着手するために、多くの他の状況から[私が研究していた地下水水系についてと]同様の情報が必要である。<h_k訳>

 12の地下貯水池と長期にわたるその運営・管理のために発達した制度の研究から相当の知見を得たと思ったけれども、こうした研究だけでは共有水資源の効果的管理運営に関わる制度的しくみというより幅の広い理論的課題には十分ではない。われわれはどのようにして制度が作用するのか、そしてどのようにして諸個人は制度を変更するのかについてのわれわれの理論的理解を改善するために必要な経験的基礎を得るべく、多くの事例から情報を獲得しなければならない。<森脇 2000: 70>

1

Reflections on the commons

コモンズについての諸見解

We do not yet have the necessary intellectual tools or models to understand the array of problems that are associated with governing and managing natural resource systems and the reasons why some institutions seem to work in some settings and not others. (p. 2)

>>

 われわれは天然資源システムを運営したり管理したりするのに関わる一群の諸問題や、なぜある制度がある状況では成功して他の状況では成功しないのかを理解するために必要な知的な道具あるいはモデルを依然として持ち合わせていない。<h_k訳>

 われわれは自然的資源システムを管理、運営することに関わる諸問題やある制度があるしくみで機能し、別のしくみで機能しない理由を理解するのに必要な知的道具あるいはモデルをまだ有していない。<森脇 2000: 71>

THREE INFLUENTIAL MODELS

[1.1] 影響力のある3つのモデル

The tragedy of the commons

[1.1.1] コモンズの悲劇

The prisoner’s dilemma game

[1.1.2] 囚人のジレンマ・ゲーム

The logic of collective action

[1.1.3] 集合行為の論理

As long as individuals are viewed as prisoners, policy prescriptions will address this metaphor. I would rather address the question of how to enhance the capabilities of those involved to change the constraining tules of the game to lead to outcomes other than remorseless tragedies. (p. 7)

>>

個人たちが囚人として見なされている限り、政策処方箋はこの隠喩を取り扱うことになる。私はむしろ、[個人たちを]制約するゲームのルールを変えて無慈悲な悲劇以外の帰結へと至る、当事者たちの能力をどのようにして高めるのかという問題を取り扱う。<h_k訳>

個人が囚人と見なされている限り、政策的処方箋もこの暗喩 metaphor を提示するであろう。私はむしろ、拘束的なゲームのルールを変化させることに関与している人々の能力を、冷酷な悲劇以外の結果へと導くために、どのように高めるのか、という問題を提示したい。<小野 2001: 90>

THE METAPHORICAL USE OF MODELS

[1.2] [これらの]モデルの隠喩的使用



When models are used as metaphors, an author usually points to the similarity between one or two variables in a natural setting and one or two variables in a model. If calling attention to similarities is all that is intended by metaphor, it serves the usual purpose of rapidly conveying information in graphic form. These three models have frequently been used metaphorically, however, for another purpose. The similarity between the many individuals jointly using a resource in a natural setting and the many individuals jointly producing a suboptimal result in the model has been used to convey a sense that further similarities are present. By referring to natural settings as “tragedies of the commons,” “collective-action problems,” “prisoner’s dilemmas,” “open-access resources,” or even “common-property resources,” the observer frequently wishes to invoke an image of helpless individuals caught in an inexorable process of destroying their own resources. (pp. 7-8)

>>

 [これらの]モデルが隠喩として用いられるとき、[その]著者は通常、自然の状況における1つないし2つの変数と、モデルにおける1つないし2つの変数との間の類似性を指摘している。もし類似性に注意を喚起することだけが隠喩によって意図されることならば、それ[隠喩]は、図式的な形態で情報を素早く伝達するという通常の目的に資するものである。しかしながら、これら3つのモデルはしばしば、別の目的のためにこそ隠喩的に用いられてきた。自然の状況においてひとつの資源を合同で使う多くの個人たちと、モデルにおいて非最適な結果を生み出す多くの個人たちとの間の類似性は、それ以上の類似性が存在するという印象を伝達するために用いられてきたのだ。自然の状況について「コモンズの諸悲劇」、「集合行為問題」、「囚人のジレンマ」、「オープン・アクセス資源」として、あるいは「共有資源」としてさえも言及することによって、件の観察者[= 著者]はしばしば、自分たち自身の資源を破壊するという不変の過程にとらわれた、自分たちではどうしようもない個人たちというイメージをかきたてようとしているのである。<h_k訳>

 これらのモデルが暗喩として用いられるならば、著者は通常、自然の状況における 1, 2 の変数と、モデルにおける 1, 2 の変数との間の類似性を指摘する。類似性へ向けて注意を喚起することが暗喩によって意図されることならば、暗喩ははっきりした形で情報を素早く伝えるという通常の目的に貢献すると言える、しかしながら、これら三つのモデルは頻繁に、他の目的のために暗喩的に用いられてきた。自然の状況下で共同に資源を利用する多くの個人と、モデルにおいて準最適な結果を共同で生み出す多くの諸個人との間の類似性は、更なる類似性も存在する、という見解を伝えるために用いられてきたのである。自然の状況を「共有地の悲劇」、「集合行為問題」、「囚人のジレンマ」、「公開された資源」、あるいは「共有資源」としてすら言及することによって、観察者はしばしば、自分たち自身の資源を破壊してしまう冷厳な過程のうちに捕えられている救いのない諸個人、というイメージを喚起することを望むのである。<小野 2001: 91>

CURRENT POLICY PRESCRIPTIONS

[1.3] 現在の政策処方箋

Leviathan as the “only” way

[1.3.1] 「唯一の」方法としてのリヴァイアサン

Privatization as the “only” way

[1.3.2] 「唯一の」方法としての私有化

The “only” way?

[1.3.3] [本当に]「唯一の」方法なのか?

An alternative solution

[1.3.4] 代替的な解決策

An empirical alternative

[1.3.5] 経験上の代替策

Policy prescriptions as metaphors

[1.3.6] 隠喩としての政策処方箋

Policies based on metaphors can be harmful

[1.3.7] 隠喩に基づく政策は有害なものになりうる

A CHALLENGE

[1.4] 課題



As an institutionalist studying empirical phenomena, I presume that individuals try to solve problems as effectively as they can. That assumption impose a discipline on me. Instead of presuming that some individuals are incompetent, evil, or irrational, and others are omniscient, I presume that individuals have very similar limited capabilities to reason and figure out the structure of complex environment. It is my responsibility as a scientist to ascertain what problems individuals are trying to solve and what factors help or hinder them in these effort. (p. 25)

>>

 経験的現象を研究している制度学派研究者として私は、個人たちはできる限り効果的に問題を解決しようとするものだと想定する。この仮定は私にある規律を課す。一方の個人たちは無能、邪悪または非合理的であり[逆に]他方の個人たちは全知を有している(何でも正しく知っている)と想定するのでなくて、個人たちは[みな]、複雑な環境の構造を推論し理解するのに、とても似通った限定的な能力を持っているのだと私は想定する。どのような問題を個人たちが解決しようとしているのか、そしてどのような要素が彼らを助け、または妨げるのかを突き止めるのが、科学者としての私の責任である。<h_k訳>

 経験的事象を研究する制度論者 institutionalist として、私は、諸個人はできる限り効果的に問題を解決しようと試みる、と考える。この過程[ママ:"仮定"の誤記か]は、私にある原則を課す。一定の諸個人は無力か、邪悪か、非合理であるのに対し、他の者は全能である、といったことを仮定する代わりに、諸個人は複雑な環境の構造を推論し理解するための、非常によく似た限定的能力を有していると、私は想定する。諸個人がどのような問題を解決しようと試み、そしてその努力の過程でどんな要素がそれを手助けし、またはそれを妨げるのか、といった点を確認することが、科学者としての私の責任である。<小野 2001: 93>

2

An institutional approach to the study of

self-organization and self-governance in CPR

situations

CPR状況における自己組織化と自己統治の研究に向けた制度論的アプローチ

THE CPR SITUATION

[2.1] CPR状況

CPRs and resource units

[2.1.1] CPRsと資源ユニット

The term “common-pool resource” refers to a natural or man-made resource system that is sufficiently large as to make it costly (but not impossible) to exclude potential beneficiaries form obtaining benefits from its use. To understand the processes of organizing and governing CPRs, it is essential to distinguish between the resource system and the flow of resource units produced by the system, while still recognizing the dependance of the one on the other.
Resource systems are best thought of as stock variables that are capable, under favorable conditions, of producing a maximum quantity of a flow variable without harming the stock or the resource system itself. … Resource units are what individuals appropriate or use from resource systems. (p. 30)

>>
「コモン・プール資源」という術語は、その利用から便益を得ることから潜在的な受益者らを排除することが費用のかかる(とはいえ不可能というわけではない)ものになるくらい十分に大きいような天然のあるいは人工の資源システムを指す。CPRs[= コモン・プール資源]を組織化し統治する過程を理解するためには、資源システムと同システムによって生産される資源ユニットのフローとについて、一方のもう一方への依存を認識しながらも、この両者を区別しておくことは不可欠である。
 資源システムは、良好な条件の下で、そのストックあるいは資源システムそれ自体を害することなく、フロー変数の最大数量を生産することができるようなストック変数として考えるのが最も良い。(中略)資源ユニットは、個々人が資源システムからとり出して、占有したり利用したりするもののことである。<h_k訳>

その利用により便益を得ることから潜在的利用者を排除することが(不可能ではないが)高くつくほどに十分に大きな自然的あるいは人為的資源システム<森脇 2000: 72>

共有資源 common-pool resources <小野 2001: 92>

潜在的受益者たちに対し、その使用によって便益を獲得することから排除することを(不可能ではないにせよ)コストのかかるものとするほどに十分な大きさを有する、自然資源または人工的資源のシステム<小野 2001: 92>

「共同利用の資源」(Common-Pool Resource; 以降、CPRないしコモンプール資源)<新保 2012: 8>

共同利用の資源(Common-Pool Resource)<飯國 2012: 203>

潜在的な受益者(potential beneficiaries)をその利用から排除するためには多大の費用を要する自然あるいは人工の資源系(resource system)<飯國 2012: 203>

資源系(Resource Unit)、資源単位(Resource System)<新保 2012: 8; 飯國 2012: 210>

単位資源(Resource Units、資源システム(Resource Systems)<高村 2012: 12>

The distinction between the resource as a stock and the harvest of use units as a flow is especially useful in connection with renewable resources, where it is possible to define a replenishment rate. As long as the average rate of withdrawal does not exceed the average rate of replenishment, a renewable resource is sustained over time. (p. 30)

>>
ストックとしての資源とフローとしての利用単位の収穫物とのあいだの区別は、再生可能資源との関連で特に有用で、そこでは補充率というものが定義できる[からである]。平均の取り出し率が平均の補充率を超過しないかぎりは、再生可能資源は時を経ても維持される。<h_k訳>

Following Plott and Meyer (1975), I call the process of withdrawing resource units from a resource system “appropriation.” (p. 30)

>>
Plott and Meyer (1975) に従って私は、資源システムから資源ユニットを取り出す過程を「占有」と呼ぶ。<h_k訳>

占用(Appropriation)、占用者(Appropriatior)<新保 2012: 8; 飯國 2012: 210>

The term I use to refer to those who arrange for the provision of a CPR is “providers”. I use the term “producer” to refer to anyone who actually constructs, repairs, or take actions that ensure the long-term sustenance of the resource system itself. Frequently providers and producers are the same individuals, but they do not have to be (V. Ostrom, Tiebout, and Warren 1961). (p. 31)

>>
 CPRの提供[= CPRを利用可能な状態にすること]を手配する人々を指すために私が使う術語は「提供者」である。誰であれ実際に資源システムそのものを建造したり修繕したり、あるいは資源システムそのものの長期的な維持を確実なものにする行為をする人を指すためには、私は「生産者」という術語を用いる。しばしば提供者と生産者は同じ個人であるが、同じでなくともよい(V. Ostrom, Tiebout, and Warren 1961)。<h_k訳>

資源系提供者(Provider)、資源系設置・管理者(Producer)<新保 2012: 8; 飯國 2012: 210>

供給(Provide)、しばしば「労務供給」 <高村 2012: 13>

[h_kコメント:providerが実際に労務を供給するなら、providerとproducerとの区別が意味をなくす。そしてE. Ostrom (1990)はこの区別を意味あるものとみなしているはずである。]

the resource units are not jointly used, but the resource system is subject to joint use. (p. 31)

>>
資源ユニットは合同で利用されることはないが、資源システムは合同利用の対象となる。<h_k訳>

Rational appropriators in complex and uncertain situations

[2.1.2] 複雑で不確実な状況における合理的な占有者

INTERDEPENDENCE, INDEPENDENT ACTION, AND

COLLECTIVE ACTION

[2.2] 相互依存、独立的行為、集合行為

The theory of the firm

[2.2.1] 企業についての理論

The theory of the state

[2.2.2] 国家についての理論



THREE PUZZLES: SUPPLY, COMMITMENT, AND

MONITORING

[2.3] 3つの難問:[制度]供給、コミットメント、監視

The problem of supply

[2.3.1] [制度]供給の問題

The problem of credible commitment

[2.3.2] 信用できるコミットメントの問題

The problem of mutual monitoring

[2.3.3] 相互監視の問題

Without monitoring, there can be no credible commitment; without credible commitment, there is no reason to propose new rules. (p. 45)

>>
監視がなければ、信用できるコミットメントはありえない。信用できるコミットメントがなければ、新しいルールを提案する理由はない。<h_k訳>

FRAMING INQUIRY

[2.4] 探求の構想/枠組み

Appropriation and provision problems

[2.4.1] 占有問題と提供問題

Multiple levels of analysis

[2.4.2] 複数の分析レベル

“Institutions” can be defined as the sets of working rules that are used to determine who is eligible to make decisions in some arena, what actions are allowed or constrained, what aggregation rules will be used, what procedures must be followed, what information must or must not be provided, and what payoffs will be assigned to individuals dependent on their actions (E. Ostrom 1986a). All rules contain prescriptions that forbid, permit, or require some action or outcome. Working rules are those actually used, monitored, and enforced when individuals make choices about the action they will take (Commons 1957). (p. 51)
>>

 「制度」は、ある場において意思決定する資格があるのは誰か、どの行為が許容され抑制されるのか、どのような集計ルールが用いられることになるのか、どのような手続きに従わなければならないか、どの情報が提供されねばならず、または提供されてはならないか、そしてどのような利得が個々人に対して各人の行為に依拠したかたちで割り振られるのかを決めるために用いられる、実効的ルールの組み合わせとして定義される(E. Ostrom 1986a)。あらゆるルールは、なんらかの行為または結果を禁止したり許可したり要求したりする規定を含んでいる。実効的ルールとは、自身がすることになる行為について個々人が選択しているときに、実際に用いられ監視され執行されているルールのことである(Commons 1957)。<h_k訳>

 「制度」とは、一定の分野において誰が決定をなし得るのか、どんな行為が許され、そして制限されるのか、どんな集計方法が用いられるのか、どんな手続きに従わなければならないのか、どんな情報が供給されなければならないか、または供給されてはならないか、そして諸個人の行為に対応するかたちでどんな利得が諸個人に割り当てられるのか、といった点について決定するために用いられる一連の有効な規則、として定義される。<小野 2001: 92>

It is useful to distinguish three levels of rules that cumulatively affect the actions taken and outcomes obtained in using CPRs (Kiser and E. Ostrom 1982). Operational rules directly affect the day-to-day decisions made by appropriators concerning when, where, and how withdraw resource units, who should monitor the actions of others and how, what information must be exchanged or withheld, and what rewards or sanctions will be assigned to different combinations of actions and outcomes. Collective-choice rules indirectly affect operational choices. These are the rules that are used by appropriators, their officials, or external authorities in making policies—the operational rules—about how a CPR should be managed. Constitutional-choice rulesaffect operational activities and results through their effects in determining who is eligible and determining the specific rules to be used in crafting the set of collective-choice rules that in turn affect the set of operational rules. (p. 52)

>>
 CPRsを利用するなかでとられる行為や得られる帰結に累積的に影響するルールの3つのレベルを区別しておくのが有用である(Kiser and E. Ostrom 1990)。運用ルールは、いつどこでどのように資源ユニットを取り出すか、誰が他の人々を監視するべきか、どの情報がどのように交換されなければならず、また隠されなければならないか、そして、行為と帰結の様々な組み合わせに対してどのような報酬あるいは制裁が割り振られることになるかに関わって、占有者らによってなされる日々の決定に直接的に影響する。集合選択ルールは、こうした運用上の選択には間接的に影響する。これら[集合選択ルール]は、どのようにCPRは管理されるべきかについての政策つまり運用ルールを決めるなかで占有者らやその役員たち、また外部の当局によって用いられるルールである。立憲的選択ルールは、資格があるのは誰かを決めるなかでの、そして、運用ルールの組み合わせに影響を与えることになる集合選択ルールの組み合わせを策定するなかで用いられる特殊なルールを決めるなかでの、その影響を通じて、運用上の行為や結果に影響する。<h_k訳>

「制度設立に関するルール(Constitutional Rule)」、「制度で決定されたルール(Collective Choice Rule)」、「直接作用するルール(Operational Rule)」<高村 2012: 41> [h_kコメント:E. Ostrom (1990)にとって、constitutional rulesも、またoperational rulesなら尚更のこと、制度のなかで決定されている(「制度で決定された」)ルールのはずであるし、constitutional rulesもcollective-choice rulesもまた、operational rulesが個々人の資源への直接的な働きかけ、つまり占有や供給などの意思決定に直接作用するのと同様に、それぞれのレベルでの意思決定に対して「直接作用するルール」のはずであり、これらは高村(2012)独自の視点からの訳語であろう。]

The processes of appropriation, provision, monitoring, and enforcement occur at the operational level. The processes of policy-making, management, and adjudication of policy decisions occur at the collective-choice level. Formulation, governance, adjudication, and modification of constitutional decisions occur at the constitutional level. (p. 52)

>>
占有、提供、監視、執行の諸過程は運用レベルで生じる。政策立案、管理そして政策決定の裁決の諸過程は集合選択レベルで生じる。立憲的決定の案出、運営、裁決、修正の諸過程は立憲レベルで生じる。<h_k訳>

STUDYING INSTITUTIONS IN FIELD SETTINGS

[2.5] フィールド状況における制度の研究

3

Analyzing long-enduring, self-organized, and

self-governed CPRs

長期耐久的で自己組織型・自己統治型のCPRsの分析

COMMUNAL TENURE IN HIGH MOUNTAIN MEADOWS

AND FORESTS

[3.1] 高山の牧草地と森林における共同体的保有

Törbel, Switzerland

[3.1.1] スイスのテーベル

Hirano, Nagaike, and Yamanoka villages in Japan

[3.1.2] 日本の平野村、長池村、山中村

(YamanokaはYamanakaの誤記か)

HUERTA IRRIGATION INSTITUTIONS

[3.2] ウェルタ灌漑(かんがい)制度

Valencia

[3.2.1] バレンシア

Murcia and Orihuela

[3.2.2] ムルシアとオリウェラ

Alicante

[3.2.3] アリカンテ

ZANJERA IRRIGATION COMMUNITIES

IN THE PHILIPPINES

[3.3] フィリピンにおけるサンヘラ灌漑(かんがい)共同体

SIMILARITIES AMONG ENDURING, SELF-GOVERNING

CPR INSTITUTIONS

[3.4] 耐久的で自治的なCPR制度のあいだの類似点

By “design principle” I mean an essential element or condition that helps to account for the success of these institutions in sustaining the CPRs and gaining the compliance of generation after generation of appropriators to the rules in use. This list of design principles is still quite speculative. I am not yet willing to argue that these design principles are necessary conditions for achieving institutional robustness in CPR settings. (p. 90)

>>
「設計原則」によって私が意味するのは、CPRsを維持することにおいて、そして用いられているルールの遵守を占有者たちの各世代から獲得していることにおいて、これらの制度が成功していることを説明するのに役立つ不可欠の要素ないし条件のことである。この設計原則のリストは依然きわめて推測的なものである。私は、これら設計原則がCPR状況における制度的頑健性を達成することの必要条件だと主張するつもりはない。<h_k訳>

設計原則ほか参考になる図表などについては、Box, Figure, & Tabels(ただし英語)を参照.

Clearly defined boundaries

[3.4.1] 明確に定義された境界

1 Individuals or households who have rights to withdraw resource units from the CPR must be clearly defined, as must the boundaries of the CPR itself. (p. 91)

>>
1 CPRから資源ユニットを取り出す権利をもつ個人あるいは世帯というものが明確に定義されていなければならず、CPRそれ自体の境界もまたそうされていなければならない。<h_k訳>

Congruence between appropriation and provision rules and

local conditions

[3.4.2] 占有ルールと提供ルールおよび地域条件との適合

2 Appropriation rules restricting time, place, technology, and/or quantity of resource unites are related to local conditions and to provision rules requiring labor, materials, and/or money. (p. 92)

>>
2 時期、場所、技術および/または資源ユニットの量を制限する占有ルールは、地域条件にも、労働、資材および/または貨幣を要求する提供ルールにも関連づけられている。<h_k訳>

Collective-choice arrangements

[3.4.3] 集合選択の取り決め

3 Most individuals affected by the operational rules can participate in modifying the operational rules. (p. 93)

>>
3 運用ルールによる影響を受ける、ほとんどの個人が、運用ルールの修正に参加できる。<h_k訳>

Monitoring

[3.4.4] 監視

4 Monitors, who actively audit CPR conditions and appropriator behavior, are accountable to the appropriators or are the appropriators. (p. 94)

>>
4 監視人は、活発にCPRの状態や占有者の行動を検査するものであり、占有者らに対して説明責任を負うか、自身もまた占有者である。<h_k訳>

Graduated sanctions

[3.4.5] 段階的な制裁

5 Appropriators who violate operational rules are likely to be assessed graduated sanctions (depending on the seriousness and context of the offense) by other appropriators, by the officials accountable to these appropriators, or by both. (p. 94)

>>
5 運用ルールを破った占有者はたいてい、ほかの占有者によって、あるいはこれら占有者に説明責任を負う役職員によって、あるいはその両方によって、(違反の深刻さや背景事情に依拠して)段階的な制裁を課されるようになっている。<h_k訳>

When CPR appropriators design their own operational rules (design principle 3) to be enforced by individuals who are local appropriators or are accountable to them (design principle 4), using graduated sanctions (design principle 5) that design who has rights to withdraw units from the CPR (design principle 1) and that effectively restrict appropriation activities, given local conditions (design principle 2), the commitment and monitoring problem are solved in an interrelated manner. (p. 99)

>>
CPR占有者らが、誰がCPRから[資源]ユニットを取り出す権利を持つのかを定義する(設計原則1)とともに地域条件を所与として占有行為を効果的に制限する(設計原則2)ような、自分たち独自の運用ルールを設計して(設計原則3)、それらルールが地元の占有者らである個人ら、あるいは彼らに説明責任を負う個人らによって執行され(設計原則4)、その際に段階的な制裁を用いている(設計原則5)とき、コミットメント問題と監視問題は、相関的な仕方で解決される。<h_k訳>

Conflict-resolution mechanisms

[3.4.6] 紛争解決の仕組み

6 Appropriators and their officials have rapid access to low cost local arenas to resolve conflicts among appropriators or between appropriators and officials. (p. 100)

>>
6 占有者とその役職員は、占有者のあいだの、あるいは占有者と役職員との間の紛争を解決するための、低費用での地元の話し合いの場をすぐに持つことができる。<h_k訳>

Minimal recognition of rights to organize

[3.4.7] 組織化する権利の最低限の承認

7 The rights of appropriators to devise their own institutions are not challenged by external governmental authorities. (p. 101)

>>
7 占有者らが自分たち独自の制度を考案する権利が、地域外の政府当局によって無効とされない。<h_k訳>

Nested enterprises

[3.4.8] 入れ子状の諸事業

8 Appropriation, provision, monitoring, enforcement, conflict resolution, and governance activities are organized in multiple layers of nested enterprises. (p. 101)

>>
8 占有、提供、監視、紛争解決および運営の諸行為は、入れ子状の諸事業の複数の層[の各層]において組織化されている。<h_k訳>

4

Analyzing institutional change

制度変化の分析

THE COMPETITIVE PUMPING RACE

[4.1] 激しい[地下水]汲み上げ競争

The setting

[4.1.1] 状況

The logic of the water-rights game

[4.1.2] 水利権ゲームの論理

THE LITIGATION GAME

[4.2] 訴訟ゲーム

The Raymond Basin negotiation

[4.2.1] レイモンド水系の交渉

The West Basin negotiation

[4.2.2] ウェスト水系の交渉

The Central Basin negotiation

[4.2.3] セントラル水系の交渉

Conformance of parties to negotiated settlements

[4.2.4] 交渉による妥結に向けた当事者らの一致

THE ENTREPRENEURSHIP GAME

[4.3] 起業[組織創設]ゲーム

Reasons for forming a district to include both basins

[4.3.1] 両水系を含む特別区を形成することへの賛成理由

Reasons against forming a district to include both basins

[4.3.2] 両水系を含む特別区を形成することへの反対理由

THE POLYCENTRIC PUBLIC-ENTERPRISE GAME

[4.4] 多中心的な公営事業ゲーム

THE ANALYSIS OF INSTITUTIONAL SUPPLY

[4.5] 制度供給の分析

Incremental, sequential, and self-transforming institutional

change in a facilitative political regime

[4.5.1] 助成的な政治体制における、漸進的で順次的な自己変形的制度変化

Reformulating the analysis of institutional change

[4.5.2] 制度変化の分析の再定式化

5

Analyzing institutional failures and fragilities

制度的失敗と制度的脆弱性の分析

TWO TURKISH INSHORE FISHERIES WITH CONTINUING

CPR PROBLEMS

[5.1] CPR問題が継続しているトルコの2つの沿岸漁場

CALIFORNIA GROUNDWATER BASINS WITH CONTINUING

CPR PROBLEMS

[5.2] CPR問題が継続しているカリフォルニアの地下水水系

A SRI LANKAN FISHERY

[5.3] スリランカの或る漁場

IRRIGATION DEVELOPMENT PROJECTS IN SRI LANKA

[5.4] スリランカにおける灌漑(かんがい)開発プロジェクト

FRAGILITY OF NOVA SCOTIAN INSHORE FISHERIES

[5.5] ノバスコシア沿岸漁場の脆弱性

LESSONS TO BE LEARNED FROM COMPARING THE CASES

IN THIS STUDY

[5.6] 本研究における諸事例の比較から学ばれるべき教訓

6

A framework for analysis of self-organizing and

self-governing CPRs

自己組織的で自己統治的なCPRsの分析のための枠組み/フレームワーク

This study has an additional purpose beyond challenging the presumption that universal institutional panaceas must be imposed by external authorities to solve smaller-scale, but still complex, uncertain, and difficult, problems. The observation that the world is more complex that it is presented in these models is obvious, and not useful by itself. What is needed is further theoretical development that can help identify variables that must be included in any effort to explain and predict when appropriators using smaller-scale CPRs are more likely to self-organize and effectively govern their own CPRs, and when they are more likely to fail. (p. 183)

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 この研究は、より小規模だがやはり複雑で不確実で、そして困難な問題を解決するためには、外在的な当局によって普遍的な制度的万能薬が押しつけられなければならないという想定に異議を唱えることを越えた、追加的な目的を持っている。これらのモデルによって示されているよりも世界は複雑なのだという観察は明白なことであり、それ自体では有用ではない。必要なことは、どのようなときのほうがより小規模なCPRsを利用する占有者らが自己組織化し自分たちのCPRsを効果的に運営する傾向にあるのか、そして、どのようなときのほうが彼らは失敗する傾向にあるのかを説明し予見するためのいかなる試みにおいても含まれなければならない諸変数を同定するのに役立つことのできる更なる理論的発展である。<h_k訳>

 この研究は、小規模だが複雑で、不確実で、困難な問題を解決するためには、外的な権威によって普遍的な制度的万能薬が与えられなければならない、という仮定を超えた、付加的な目標を持っている。これらのモデルによって示されているよりも、世界はより複雑だという観察は明白であるが、それ自体は余り有益ではない。必要なことは、小規模な共有資源を利用する人々が、自己組織化し自分たちの共有資源を効果的に管理できるのはどのような場合で、どのような場合にはそれに失敗しがちなのか、といった点について説明し、予見するためのどんな努力の内にも含まれなければならない諸変数を特定するために役立ち得るような、更なる理論的展開である。<小野 2001: 94>



The models described in Chapter 1 are not wrong. When conditions in the world approximate the conditions assumed in the models, observed behaviors and outcomes can be expected to approximate predicted behaviors and outcomes. When individuals who have high discount rates and little mutual trust act independently, without the capacity to communicate, to enter into binding agreements, and to arrange for monitoring and enforcing mechanisms, they are not likely to choose jointly beneficial strategies unless such strategies happen to be their dominant strategies. …

Instead of being wrong, these are special models that utilize extreme assumptions rather than general theories. These models can successfully predict strategies and outcomes in fixed situations approximating the initial conditions of the models, but they cannot predict outcomes outside that range. They are useful for predicting behaviors in large-scale CPRs in which no one communicates, everyone acts independently, no attention is paid to the effects of one’s action, and the costs of trying to change the structure of the situation are high. They are far less useful for characterizing the behavior of appropriators in the smaller-scale CPRs that are focus of this inquiry. (p. 183)

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 第1章で述べられた諸モデルは誤ってはいない。[この]世界における諸条件が、モデルにおいて仮定されている諸条件と近似しているときには、[この世界において]観察される行動および結果は、[モデルから]予見される行動および結果に近似することが期待されうる。高い割引率を持ち相互の信用をほとんど有さない諸個人が、コミュニケーションして拘束的な合意に加わり、そして監視と執行の仕組みを用意するという能力もなしに、独立的に行為するときには、有益な戦略がたまたま支配戦略になっていなければ、彼らはそういった戦略を合同で選択しそうにはない。(中略)

 誤っているのではなく、これら[のモデル]は一般理論というよりも、極端な諸仮定を利用している特殊なモデルなのである。これらのモデルは、そのモデルの初期条件に近似している固定的状況においては、戦略および帰結を成功裡に予見することができるのだが、そういった射程外の帰結を予見することはできない。それら[のモデル]は、誰もコミュニケーションせず、全員が独立的に行動し、各自の行為の影響には注意が払われず、そして、その状況の構造を変化させようとすることの費用が高いような大規模CPRsにおける行動を予見するのには有用である。[しかし]この探求の焦点である、より小規模なCPRsにおける占有者たちの行動を特徴づけるのには、有用というにはほど遠い。<h_k訳>

 第1章で紹介した諸モデルは、誤りというわけではない。現実における諸条件が、モデルで仮定されている諸条件と近似しているときには、観察された行為と結果とは、予見された行為と結果とに近似することが期待できる。(未来への)高い割引率を持ち、相互信頼をほとんど有さない諸個人が、意思疎通の可能性なしに、拘束的合意へと参加し、監視と強制のメカニズムの設立へ向け行為するときには、それらの人々はお互いに便益をもたらすような戦略を選択することはないであろう、それが偶然にも彼らの優越戦略とならなければ。(中略)

 これらのモデルは、誤りなのではなく、一般理論と言うよりむしろ極端な仮定を利用した特殊なモデルなのである。これらのモデルは、モデルの初期条件に近似した固定的状況においては、戦略や結果を成功裡に予見することができる。しかしこの範囲外の結果を予見することはできない。それらのモデルは、誰も意思疎通せず、皆が独自に行動し、他人の行為の影響に注意を払わず、その状況の構造を変化させようと試みることのコストが高いような条件下での大規模な共有資源における行動を予見する際には有用である。しかし本書で検討したような、より小規模の共有資源の利用者たちの行動を特徴づける際には、有用というにはほど遠い。<小野 2001: 94-5>

THE PROBLEMS OF SUPPLY, CREDIBLE COMMITMENT,

AND MUTUAL MONITORING

[6.1] [制度]供給、信用できるコミットメント、相互監視という問題

What is needed in the development of useful theory for the analysis of CPR situations—as well as many other important policy questions—is a somewhat different orientation toward the theoretical endeavor related to policy analysis. Clear analytical models provide an important part of the theoretical foundation for good policy analysis, but not the entire foundation. To get clear results from a model, some variables are omitted or consciously or unconsciously held constant. Models suggest to the analyst likely behaviors and outcomes in a situation with a particular structure. They do not tell the analyst how to discover the structure of the situation in order to conduct an analysis. (p. 191)

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 他の多くの重要な政策問題についても同様だが、CPR状況の分析のための有用な理論の発展において求められているのは、政策分析に関連する理論的な努力に対する、やや異なった方向性である。明解な分析的モデルは優れた政策分析のための理論的基礎を提供するが、基礎全体を提供するわけではない。あるモデルから明解な結果を得るには、いくつかの変数は省略されるか、意識的にか無意識的にか定数にとどめられる。モデルは分析者に対して、特定の構造を伴う状況において生じそうな行動および帰結を示唆するものである。それら[モデル]は分析者に、[現実世界で]分析を進めるために、どのようにして[現実世界における]状況の構造を見つけるのかを教えてくれるわけではない。<h_k訳>

 共有資源の状況の分析にとって——そして他の多くの政策課題の分析にとっても——有益な理論の発展のために必要なことは、政策分析へと関連づけられた理論的努力へのやや異なった志向性である。明確な分析的モデルは、優れた政策分析のための理論的基礎にとって重要な部分を供給しているが、基礎全体を供給しているわけではない。あるモデルから明確な結果を得るためには、いくつかの変数は無視されるか、意識的ないし無意識的に定数と見なされる。モデルは分析者に対し、特定の構造を伴った状況でのあり得る行為と結果について示唆する。モデルは分析者に対し、分析を行うためにどのようにして状況の構造を発見するか、という点については語らない。<小野 2001: 96>

A FRAMEWORK FOR ANALYZING INSTITUTIONAL

CHOICE

[6.2] 制度選択の分析のための枠組み/フレームワーク

Evaluating benefits

[6.2.1] 便益の評価

Evaluating costs

[6.2.2] 費用の評価

Evaluating shred norms and other opportunities

[6.2.3] 共有されている規範と他の機会の評価

The process of institutional change

[6.2.4] 制度変化の過程

Predicting institutional change

[6.2.5] 制度変化の予想

A CHALLENGE TO SCHOLARSHIP IN THE SOCIAL

SCIENCES

[6.3] 社会諸科学における研究にとっての課題

Notes



1. REFLECTIONS ON THE COMMONS

2. AN INSTITUTIONAL APPROACH TO THE STUDY OF

SELF-ORGANIZATION AND SELF-GOVERNANCE IN CPR

SITUATIONS

23 Ciriacy-Wantrup and Bishop (1975) carefully distinguished between an open-access CPR, in which no one has any property rights, and a closed-access CPR, in which a well-defined group owns property in common. “Common-property resources” is a term that is still used inappropriately in many instances to refer to both open-access and closed-access CPRs. (p. 222)

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原注23)Ciriacy-Wantrup and Bishop (1975)は、オープンアクセス[=参入自由]CPRつまり、そこでは誰もいかなる財産権も有することがないものと、 クローズドアクセス[=限定参入]CPRつまり、そこでは適切に定義された集団が共同で財産[権]を有するものとの間を注意深く区別している。「共有資源」は、依然として多くの場合において、オープンアクセスCPRとクローズドアクセスCPRとの両方を指示するように不適切に用いられる術語である。<h_k訳>

3. ANALYZING LONG-ENDURING, SELF-ORGANIZED, AND

SELF-GOVERNED CPRs



3 I had hoped to include an analysis of the persistence of “common lands” in feudal and medieval England. The famous “enclosure acts” of British history have been presented in many history books as the rational elimination of an obviously inefficient institution that had been retained because of an unthinking attachment to the past for an overly long time. Recent economic historians, however, have provided an entirely different picture of English land-tenure systems before the enclosure acts and even of the process of gaining enclosure itself (Dahlman 1980; Fanoaltea 1988; McCloskey 1976; Thirsk 1959, 1967). Many of the manorial institutions share broad similarity with the long-enduring institutions described in this chapter: a clear-cut definition of who is authorized to use common resources; definite limits (stinting) on the uses that can be made; low-cost enforcement mechanisms; local rule-making arenas to change institutions over time in response to environment as economic changes. Common-field property institutions were transported to New England, where they flourished for close to 100 years, until exclusion costs became low enough and/or transaction costs rose to produce a slow evolution from larger to smaller commons, eventuating in private tenure (B. Field 1985a,b). Even the presumed increased efficiency of enclosure has come into question. R. C. Allen (1982) concludes, for example. that the eighteenth-century enclosures of open fields redistributed the existing agricultural income, rather than expanding total income through enhanced efficiency (Yelling 1977). (p. 224)

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原注3)私は封建時代・中世のイングランドにおける「共同地」の存続についての分析を含めたいと思っていた。英国史の有名な「囲い込み諸法」は多くの歴史書において、過去への無思慮な愛着のためにあまりにも長い間とどめおかれていた明らかに非効率な制度の合理的な消去として提示されてきた。しかしながら、近年の経済史家たちは、囲い込み諸法より前のイングランドの土地保有権の体系について、そして、囲い込みそのものを進めて行く過程についてさえも、まったく異なった描写を提供してきた(Dahlman 1980; Fanoaltea 1988; McCloskey 1976; Thirsk 1959, 1967)。荘園的な諸制度の多くは本章で記述された長期耐久的な諸制度と広範な類似点を共有している。つまり、誰が共同資源を利用する権限を付与されているかのはっきりした定義、可能な利用に対する明確な限度(スティント[=制限]を課している)、低費用の執行の仕組み、環境や経済的変化に応じて長い時間のなかで制度を変化させるための、地元のルール作成の場である。共同耕地所有制度はニューイングランドへ移され、そこでは、排除費用が十分低くなり、かつ/あるいは取引費用が上昇するなかで最後には私的保有権に至る、より大きなコモンズからより小さなコモンズへの緩やかな進化を生み出すまで、百年近くの間、広く行き渡っていた(B. Field 1985a,b)。囲い込みによって増大すると想定されていた効率性さえ疑問とされている。例えば、R. C. Allen (1982) は、開放耕地の18世紀の囲い込みは、高められた効率性を通じて全体の収入を拡大させたというよりも、従来の農業収入を再分配した[だけ]と結論付けている(Yelling 1977)。<h_k訳>

4. ANALYZING INSTITUTIONAL CHANGE

47 All rules share a common syntax: Defined persons with particular attributes filling specific positions are (required, forbidden, or permitted) to take named actions under specified conditions. (p. 237)

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原注47)すべてのルールはある共通の構文を共有している。つまり、特別な地位を占め特有の属性をもつ特定の人物は、特定化された条件下で、指定された行為をとることを(要求、禁止あるいは容認)される、というものである。<h_k訳>

5. ANALYZING INSTITUTIONAL FAILURES AND FRAGILITIES

6. A FRAMEWORK FOR ANALYSIS OF SELF-ORGANIZING AND

SELF-GOVERNING CPRs

20 … We do not claim to have developed a universal model of inshore fishery environment, nor do we claim to have explored all relevant rule configurations. Because we are developing models guided by a general framework, we recognize the part of the general terrain to which our models are relevant. Within that terrain, we are able to make precise predictions about equilibria and the logical relationships among the variables overtly included in the model. (p. 244)

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我々は沿岸漁場環境の普遍的なモデルを発展させたのだとは主張していないし、すべての関連するルール構成を調べ上げたと主張してもいない。我々は一般的な枠組み/フレームワークによって誘導されるモデルを展開している最中なのだから、我々は自分たちのモデルが関連するような、一般的な領域のなかの部分[一般的な領域のなかのどの部分に自分たちのモデルが関連するのか]について認識している。その領域のなかでは、我々は諸均衡と、モデルのなかに明示的に含まれている諸変数のあいだの論理的関係性については正確な予見をすることができる。<h_k訳>

我々は、沿岸漁業の環境についての一般的モデルを展開してきた、と主張するのでもないし、関連するすべてのルール配置状況について研究してきたと主張するのでもない。我々は、一般的枠組みによって導かれたモデルを展開しているので、我々のモデルが有効であるのは一般的領域の一部であることを自覚している。この領域内では、我々は均衡について、そしてそのモデルに明確に含まれる諸変数間の論理的関係についても、正確に予見することができる。<小野耕二 2001: 88>

References

参考文献


Index

索引

書名について:
 “governing”を「運営する」と訳すことに違和感を覚えるひとも少なくないことは承知しているつもりである。
 代替案としては、まず、governing即ちgovernanceと考えて「コモンズのガバナンス」と訳すということも可能であろう。実際、現在「ガバナンス」は日本においてもキーワードあるいはバズワードになっている。しかし、本書を読むかぎり、著者自身の「ガバナンス」という語彙へのこだわりを読みとれなかったので、この案は採用しなかった。
 他方、「統治」と訳すことも可能であるが、日本語で「統治」という言葉は、官僚集団を擁する国家や公式の政府による、しばしば上からの/一方的な政治的営為という意味とかなり強く結びついている。何に対するものであれ「私たちは統治に参加している」と実感することのある読者は少ないのではないか。本書が扱っているのは、一般的な人々による身近な、どちらかと言えば下からの営為である。。
 「運営」であれば、多くの読者にとって「統治」よりも身近に感じられるであろう。本書で取り上げられる事例の当事者たちも、日々の身近な出来事として、コモンズに関する事柄をgovernしてきた/いるはずである。
 また「管理」はmanagementを連想させるし、またManaging the Commonsと題する編書がすでにあるので避けた。

関連ノート
日本語使用者向けノート一覧

“Common(-)Pool Resource(s)”をどう訳すか

文献案内
<一次文献:議論の始まり>
- Hardin, Garrett. 1968 “The Tragedy of the Commons,” Science 162: 1243-1248.(桜井徹訳 1993「共有地の悲劇」シュレーダー=フレチェット編/京都生命倫理研究会訳『環境の倫理 下』晃洋書房: 445-470.)
- Olson, Mancur. 1965/1971 The Logic of Collective Action; Public Goods and the Theory of Groups. Cambridge, MA; Harvard University Press. (依田博、森脇俊雅訳 1983『集合行為論—公共財と集団理論―』ミネルヴァ書房)

<その他>

- 飯國芳明(2013)「コモンズの類型と現代的課題」[第10章]、新保輝幸、松本充郎編著『変容するコモンズ——フィールドと理論のはざまから——』ナカニシヤ出版、203-221頁.
- 森脇俊雅(2000)『集団・組織』[社会科学の理論とモデル シリーズ 6] 東京大学出版会

- 小野耕二(2001)『比較政治』[社会科学の理論とモデル シリーズ 11] 東京大学出版会.

- 新保輝幸(2012)「フィールドからコモンズを考える」[序章]、新保輝幸、松本充郎編著『変容するコモンズ——フィールドと理論のはざまから——』ナカニシヤ出版、7-17頁.
- 高村学人(2012)『コモンズからの都市再生——地域共同管理と法の新たな役割——』ミネルヴァ書房.

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1 Comments:

Blogger yoji said...

ウィリアムソンが注目したのは企業の境界の問題である.「市場経済」とはいえ,すべての取引が市場を介して行われているわけではなく,大企業の内部で多様な取引が行われている.企業の境界の問題とは,典型的には,最終製品に必要な部品を市場で購入するか(アウトソーシング),それとも部品事業を統合して,自社内で製造してしまうか,という市場のガバナンスと組織のガバナンスの間の選択の問題である.

ウィリアムソンの理論は,取引が複雑かつ不確実で,事前に完全な契約を書くことが難しく,当事者間の取引関係に特殊的な投資を伴う場合には,取引のガバナンスを市場から組織に移し,権限関係を用いて取引を統治することが望ましいと予測する.関係特殊的な投資の例には,取引相手の倉庫に隣接した工場の建設,カスタム部品製造に特化した機械の購入,特殊な製品や製造工程等の知識の習得に費やされる時間や費用,などがあげられる.市場ガバナンスの下でこのような投資が行われると,互いに相手との取引をうまく継続したいという意図と,相手に対する独占的な立場を利用して,取引から生じる利益を少しでも多く獲得したいという意図とが絡み合い,交渉が行き詰まる危険が高まるためである.彼の理論予測は,その後多くの事例やデータで確認されている.

またウィリアムソンは,組織よりも市場ガバナンスの方が望ましい可能性についても,単に組織の諸問題を指摘するのみでは不十分であることを指摘し,市場の方がうまく機能するならば,なぜ組織内に市場の機能を取り込めないのか,という問題設定を明確にして,重要な分析を行った.さらに彼の理論は,市場か組織かという白黒をつけられない,グレーゾーンに位置する取引関係(フランチャイズ,アライアンス,企業グループなど)にも及んでいる.

2人の受賞がもたらす共通のメッセージをいくつか指摘しよう.第1に,2人の研究はいずれも現実の事例の観察から出発し,かつ多様な事例を一般化する理論を構築するという方向で発展していった.第2に,彼らの研究は独創的なものだが,経済学の主流から切り離された,浮いた存在ではない.オストロムは自らゲーム理論を利用して自身の知見を精緻化することを試み,さらに経済実験を通して検証を行った.その過程で既存の理論では説明できない発見を指摘し,ゲーム理論,行動経済学,実験経済学の分野にも影響を与えつつある.ウィリアムソンの理論や概念を定式化する試みは1980年代以降爆発的に進展しており,契約の経済理論や組織の経済学という分野の確立に大きく貢献した.ウィリアムソン自身も,それらの研究成果を吸収して,自分自身の理論を精緻化し続けている.

第3に,彼らの受賞は学際的な研究の重要性と,経済学自身の分析対象の多様性を示唆している.オストロムの博士号は政治学であり,アメリカ政治学会会長等も務めた.ウィリアムソンの理論は心理学,法学,社会学など,経済学以外の多くの要素を取り入れている.逆に彼らの研究は,経済学の分析対象が市場やマクロ経済に限定されないことを,改めてはっきりさせたといえる.

しかし,彼らの受賞が,経済学は役に立たない,市場は重要でない,市場は機能しない,といったメッセージを発しているととることも誤りである.「市場原理主義」「経済合理性」といった用語の意味を正確に定義もせずに(もしくは単純に誤解したままで)批判しても,市場の機能への理解を深めることにはつながらないし,ましてや市場を含む異なるガバナンスの間の比較を冷静に行うことなどできない.彼らの受賞が市場の理解にもたらす重要なメッセージは,市場自体にも財産権,法制度や取引慣行を通した契約の強制等について,適切なガバナンスが必要だ,ということであろう.経済学はトレードオフ(二律背反,一方をたてると他方がたたなくなる関係)を明らかにする学問である.彼らの研究によって,共通の枠組みでさまざまなガバナンスの比較が行われ,どのような条件でどのようなガバナンスが望ましいのか,なぜセルフ・ガバナンスが機能するのか,市場よりも組織の方が望ましいガバナンスとなる条件は何か,なぜ市場の優れた特徴を組織に取り込むことが難しいのか,といった問題に取り組むことが可能になった.経済学はよりいっそう「役に立つ」学問へと発展したのである.

12:25 午後  

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