火曜日, 12月 05, 2017

羽生永世七冠



googleが最強の将棋ソフトAlphaZeroを開発!!わずか12時間の学習で既存の最強ソフトを上回る - みくにまるのブログ

20171206

http://www.mikunimaru.com/entry/2017/12/06/142754


20171205
【将棋】羽生善治永世七冠達成!震える指し手から終局の瞬間まで【竜王戦第5局、渡辺明】
https://youtu.be/8VK0YwuS4u8?t=10m30s
84香

投了
https://youtu.be/8VK0YwuS4u8?t=16m50s 

https://youtu.be/X6D2MStwbxA
羽生善治竜王 「永世七冠」獲得記者会見

全27分
弾幕付きバージョン 

全87手
https://i.imgur.com/8kyAomb.gif

おまけ
香川さん
https://i.imgur.com/JCRFzMM.gif
山口さん
https://i.imgur.com/bWbnb9T.gif 


第30期竜王戦 羽生永世七冠が、今回一番印象に残った一手とは!?
https://youtu.be/qMlqguPrCnE

https://youtu.be/59nyGKWu2uA?t=5m
66飛車

藤井九段終盤解説
https://youtu.be/59nyGKWu2uA
https://youtu.be/oJF3IJdsf_A
https://youtu.be/Y0b_loUpAro 
さらに第4局続き
https://youtu.be/VdqhW2rvhUc
https://youtu.be/-xY85rO7DZE
終局まで 


解説の藤井九段はベラルーシで人気 世界!ニッポン行きたい人応援団SP 2017年11月20日 https://youtu.be/wkOm0yJIwvY?t=6m50shttps://youtu.be/wkOm0yJIwvY?t=9m20s



【将棋】竜王戦第四局二日目 終局後 2日目の振り返り木村解説


4#70~


坂口安吾 将棋の鬼

http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42828_26846.html

将棋の鬼

坂口安吾




 将棋界の通説に、升田は手のないところに手をつくる、という。理窟から考えても、こんなバカな言い方が成り立つ筈のものではない。
 手がないところには、手がないにきまっている。手があるから、見つけるのである。つまり、ほかの連中は手がないと思っている。升田は、見つける。つまり、升田は強いのである。
 だから、升田が手がないと思っているところに手を見つける者が現れゝば、その人は升田に勝つ、というだけのことだろう。
 将棋指しは、勝負は気合いだ、という。これもウソだ。勝負は気合いではない。勝負はたゞ確実でなければならぬ。
 確実ということは、石橋を叩いて渡る、ということではない。勝つ、という理にかなっている、ということである。だから、確実であれば、勝つ速力も最短距離、最も早いということでもある。
 升田はそういう勝負の本質をハッキリ知りぬいた男で、いわば、升田将棋というものは、勝負の本質を骨子にしている将棋だ。だから理づめの将棋である。
 升田を力将棋という人は、まだ勝負の本質を会得せず、理と云い、力というものゝ何たるかを知らざるものだ。
 升田は相当以上のハッタリ屋だ。それを見て、升田の将棋もハッタリだと思うのが、間違いの元である。

坂口安吾全集 【ちくま文庫版】 全巻構成

http://u2kobo.in.coocan.jp/ango_works02.htm
17巻
◇囲碁修業 ◇相撲の放送 ◇島原一揆異聞 ◇講談先生 ◇坂口流の将棋観 ◇男女の交際について ◇観戦記 ◇将棋の鬼 ◇集団見合 ◇◆本因坊・呉清源十番碁観戦記 ◇呉清源論 ◇私の碁 ◇文人囲碁会 ◇碁にも名人戦つくれ
〈安吾巷談〉 ◇麻薬・自殺・宗教 ◇天光光女史の場合 ◇野坂中尉と中西伍長 ◇今日われ競輪す ◇湯の町エレジー ◇東京ジャングル探検 ◇熱海復興 ◇ストリップ罵倒 ◇田園ハレム ◇世界新記録病 ◇教祖展覧会 ◇巷談師退場
〈安吾史譚〉 ◇天草四郎 ◇道鏡童子 ◇柿本人麿 ◇直江山城守 ◇勝夢酔 ◇小西行長 ◇源頼朝
◇チャタレイ傍聴記 ◇見事な整理 ◇親が捨てられる世相 ◇世紀の死闘 ◇安吾武者修行 馬庭念流訪問記 ◆安吾下田外史
解説:島田雅彦・衛生学としての“安吾文学”/解題:関井光男

『勝負師』の題材
1949年名人戦第5局
気になる棋譜を見よう!その188(木村前名人 対 塚田名人)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm25034202?cp_webto=share_iosapp

メンメン第5譜1949年名人戦 木村義雄×塚田正夫

ニコニコの方が見やすい

木村 、四十九分考えて 、四五金 。ノ ータイムで 、同桂 、四四歩 。ここのあたりは控室の合計五十四段が先刻予想していた通りである 。木村 、二十二分考えて 、六三金 。以下ノ ータイムで 、四五歩 。六四金 。同銀 。ここのところも 、控室の予想の通り 。

木村が猛烈な力をこめてパチリと駒を叩きつけたのは 、ちようど一時半だった 。三七角 (二十四分 )これも控室の五十四段が見ていた手である 。この次の手が 、運命の一手であった。


五九角 (一分 )五四銀 (七分 )七四角ナル 。六二飛 。三七飛 。控室の一同が 、その指手を各自の手帖に書き終ったばかりの時である 。人が一人走ってきた 。 「勝負終り 。木村が勝ちました 」アッというヒマもない 。一同がひとかたまりに道場へ走りこんだ 。二年前に勝った時もそうであったが 、負けた塚田も 、表情には何の変化もなかった 。いつも同じショボショボした眼である 。あとの指手は 、六三銀 。八三馬 (一分 )八二歩 。三八馬 。四二飛 。三六歩 (一分 )同金 。三七歩 。同銀 (一分 )同角 。四六歩 。二四歩 (二分 )まで 。時に 、四時二分 。


菊池寛 将棋

  目次

将棋の話大正九年八月
碁より将棋の方が好きだ大正十年九月
将棋と機心大正十二年二月
勝負事と心境大正十三年六月
大正棋戦一瞥記大正十五年十月五日
将棋と麻雀昭和二年一月九日
東西八段争覇戦を観る昭和二年一月十九日、二十日
木村木見対局観戦総評昭和二年二月三日
二月雑記 将棋隆盛昭和二年二月二十三日、二十四日
将棋讃昭和二年五月
秋宵雑記 露店の詰将棋 将棋会館昭和三年十月十八日、十九日、二十一日
将棋と人生昭和四年一月
将棋のこと昭和四年六月
自分と各種ゲーム 将棋昭和五年五月
菊池寛氏縦横談 将棋で人物をねる昭和六年一月
将棋の話昭和九年一月十五日
駒に教へられる成功の道昭和九年七月
将棋昭和十年七月
指し過ぎ無理筋昭和十一年一月
将棋界の分裂昭和十一年三月
(将棋界合同)昭和十一年八月
坂田氏の棋力昭和十二年三月
倉島君の出征昭和十三年七月
坂田三吉氏のこと昭和十三年七月
(坂田三吉名人戦参加)昭和十三年七月
(坂田三吉名人戦経過)昭和十三年八月
(将棋大成会の企)昭和十四年四月
坂田三吉氏昭和十四年八月
将棋名人戦昭和十四年十月
坂田三吉昭和十五年二月
(坂田三吉隠退)
昭和十五年十月



http://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/1344_22315.html

将棋

菊池寛




 将棋はとにかく愉快である。盤面の上で、この人生とは違つた別な生活と事業がやれるからである。一手一手が新しい創造である。冒険をやつて見ようか、堅実にやつて見ようかと、いろ/\自分の思ひ通りやつて見られる。しかも、その結果が直ちに盤面に現はれる。その上、遊戯とは思はれぬ位、ムキになれる。昔、インドに好戦の国があつて、戦争ばかりしたがるので、侍臣が困つて、王の気持を転換させるために発明したのが、将棋だと云ふが、そんなウソの話が起る位、将棋は面白い。金の無い人が、その余生の道楽として、充分楽しめるほど面白いものだと思ふ。
 将棋の上達方法は、誰人だれも聴きたいところであらうと思ふが、結局盤数ばんかずを指すのが一番だと思ふ。ことに、自分より二枚位強い人に、二枚から指し、飛香ひきやう、飛、角、香と上つて行くのが、一番たしかな上達方法だと思ふ。


長生きするおたく 「雁木」はいつから「雁木」か

http://tochigiyama.blog.fc2.com/blog-entry-41.html
「将棋世界」11月号の鈴木宏彦「雁木、その不思議な呼び名の由来」は、昭和11年の花田―木村戦の観戦記(菊池寛)、昭和15年の金子―木村戦の観戦記(菅谷北斗星)には、雁木の駒組みの局面になっても雁木という言葉が出てこないと記している。

多分全集未収録

中央公論社版は、「全集」とはいうものの代表作を収めた選集として刊行されたもので、刊行が平凡社版より後だが、収録作品数は多くない。判型が菊判で平凡社版の四六判より大きい。しかし、活字が大きいので読みやすい組体裁になっている。造本や用紙も中央公論社版のほうが平凡社版より良好だ。その点で、平凡社版は、読みづらさを感じさせないこともない。

以前、30万円前後もしていた高松市・武蔵野書房版の全集も10万円台まで値崩れしてきたが、補巻のうち2以降の4冊の発行部数が400部と少ないので、さらに下がる可能性は低いのではないか。

菊池寛、井伏鱒二が主宰した昭和時代の「文壇将棋」と将棋を愛好した作家たち

大正時代に「文藝春秋」社を創業した作家の菊池寛は、熱心な将棋愛好家でした。孤独な日々を送っていた大学時代に寂しさを紛らわしてくれたのが将棋で、それ以来、将棋にすっかり引かれました。作家として自立して文壇の大御所になってからも、将棋熱はますます高まっていきました。社長室には立派な盤がでんと置かれ、将棋好きの来客があると、どんなに多忙でもまず1局と指しました。菊池は社員にも将棋を奨励し、勤務時間内での将棋を許可したそうです。菊池の影響を受けて、周囲の作家や編集者はこぞって将棋を指し、将棋を知らない編集者は菊池から原稿をもらえないこともありました。そんな菊池が好んだ言葉は「人生は一番勝負なり、指し直し能わず」でした。

昭和時代初期のある週刊誌には「文壇将棋天狗番付」というコラムがあり、10人ほどの作家たちが似顔絵で登場しました。菊池寛と幸田露伴が将棋を指し、久米正雄、山本有三、佐佐木茂索、広津和郎らが盤側で観戦する絵柄でした。前列の対局者、中列・後列の観戦者と、各人の座る位置で作家たちの棋力を格付けしたようです。当時の文壇では菊池と露伴がとくに強く、露伴は時の名人の関根金次郎(十三世名人)から四段の免状を贈呈されました。

菊池寛を中心とした将棋会とは別に、主に東京の中央線沿線に住んでいた作家たちが集まったのが「阿佐ヶ谷将棋会」でした。主宰者は井伏鱒二で、尾崎一雄、滝井孝作、三好達治、中野好夫、亀井勝一郎、火野葦平、太宰治、宇野千代らが参加しました。井伏の棋力は5、6級程度でしたが、指し始めると徹夜で20局も指すほど将棋が大好きでした。なお、太宰の将棋は攻め一本槍だったそうです。

昭和30年代のころには、文藝春秋社の主催で「文壇王将戦」が定期的に開かれました。前記の井伏鱒二、尾崎一雄、滝井孝作らのほかに、永井龍男、有馬頼義、梅崎春生、豊田三郎、五味康祐、柴田錬三郎らが参加しました。

このように昭和初期から中期にかけて、多くの作家たちが将棋を愛好して「文壇将棋」が形成されました。また、作家が名人戦などの観戦記を担当することがよくあり、大岡昇平、坂口安吾、藤沢桓夫、小島政二郎、井伏鱒二、永井龍男、五味康祐らが書きました。

中でも坂口安吾の観戦記がとても面白いです。安吾は終局まで盤側にずっと座り込んで対局者の一挙一動を克明に取材したので、戦いの臨場感がよく表れていました。五味康祐は「自分の剣豪小説みたいに、盤上に血の雨を降らせる」という意気込みで臨みましたが、担当した名人戦の将棋が一方的な内容だったので、思うように書けなかったようです。

ミステリー小説と将棋は、犯人探し・犯行の手口などの謎解きをする過程が、玉を詰め上げることに似ていて共通点があります。そのためかミステリー作家にも将棋愛好家が多く、江戸川乱歩、横溝正史、松本清張らの大御所も将棋を指しました。

菊池寛は1935年(昭和10年)に「新進作家を世に送り出したい」という趣旨で芥川賞と直木賞を創設しました。それ以来、今年の第144回まで綿々と続いています。両賞の受賞者の中には将棋愛好家が数多くいます。次回は、その作家たちを紹介します。

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しつこいようですが、



坂口安吾 勝負師

http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/43166_23712.html

とてつもなく面白い
文体が気になる人は縦書きで読んでほしい(文庫版全集#7)
坂口安吾が『勝負師』後半で題材にした対局は以下、

第5譜1949年名人戦 木村義雄×塚田正夫


ニコニコでは、
気になる棋譜を見よう!その188(木村前名人 対 塚田名人)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm25034202?cp_webto=share_iosapp
(ニコニコの方が見やすい)

羽生以前にここまで的確に升田幸三を理解していたのは坂口安吾だけだ
ただし題名の勝負師とは大山康晴のこと


《 三二金[#6]、七七角、三四歩、七(8)八銀、七七角成、仝銀、二二銀、四八銀、三三銀、七八金、六二銀、六八王、六四歩、四六歩、七四歩、四七銀、
 ここまではノータイム。塚田はじめて、三分考へた。袴の中へ両手をつッこんでキチンと上体を直立させてゐる。はじめから終盤のやうに神経質である。徹夜で指しきる将棋は夜が更けて終盤近くなると、対局者は充血してマッカになり、コメカミに静脈が曲りくねつて盛りあがるものだ。木村も塚田もさうである。木村が名人位を失つた二年前の対局では、その盛りあがつて曲りくねつた二人の静脈が、今も私の目にしみてゐるのである。ところが、この対局の塚田は、盤に坐つたはじめから、すでに終盤のやうに神経質で、充血し、コメカミに静脈がもりあがつてゐたのだ。彼の心はコチコチかたまつて、なんの余裕もないやうに見えた。
 六三銀(三分)、三六歩、四二王、一六歩[#25]。
木村 、四十九分考えて 、四五金 [#58]。ノ ータイムで 、同桂 、四四歩[#60] 。ここのあたりは控室の合計五十四段が先刻予想していた通りである 。木村 、二十二分考えて 、六三金 。以下ノ ータイムで 、四五歩 。六四金 。同銀 。ここのところも 、控室の予想の通り 。
木村が猛烈な力をこめてパチリと駒を叩きつけたのは 、ちようど一時半だった 。三七角 (二十四分 )[#65]これも控室の五十四段が見ていた手である 。この次の手が 、運命の一手であった。
 二時十分であつた。運命の手の報らせが来たのは。
 塚田、五二桂(三十九分) [#66]
 棋士たちが、アッといふ声をあげた。
「エ? ナニ、ナニ?」
 大声をあげて、人をかきわけたのは升田であつた。
「五二桂? ホウ。そんな手があつたか」
 誰一人、予想しない手であつた。升田の目が、かゞやいた。妙手か悪手かわからないが、人々の意表をついたこの一手に、彼は先づ感嘆を現した。
 意表をつかれた棋士一同は、にわかに熱心に駒をうごかしはじめた。
「無筋の手や」と、升田。
「無筋ですな」と、金子。
 どういふ意味だか、私には分らない。私は金子八段にきいた。
「無筋の手ッて、どういふことですか」
「つまりですな。相手の読む筈がない手です。手を読むといふのは、要するに、筋を読んでゐるんです。こんな手は、決して相手が読む筈のない手なんですよ」
「時間ぎれを狙うてるんや」
 と、升田がズバリと云つた。その時、木村の時間は、あますところ四十四分であつた。木村の読む筈のない手を指した。木村あますところ四十四分といふ時間を相手にしての塚田の賭博なのである。全然読まない手であるから、木村は面食ふ。そして改めて考へはじめなければならない。今まで木村が考へてゐた色々の場合が、みんな当てが外れたわけで、何百何十分かがムダに費されたわけである。そして、あますところ四十四分で、このむつかしい局面を改めて考へ直さなければならないのである。あます時間が少いので、木村はその負担だけでも混乱する。そして思考がまとまらぬ。時間は容赦なく過る。木村はあせる。塚田は、そこを狙つたのだ。


五九角 (一分 )五四銀 (七分 )七四角ナル [#79]。六二飛 。三七飛 。控室の一同が 、その指手を各自の手帖に書き終ったばかりの時である 。人が一人走ってきた 。 「勝負終り 。木村が勝ちました 」アッというヒマもない 。一同がひとかたまりに道場へ走りこんだ 。二年前に勝った時もそうであったが 、負けた塚田も 、表情には何の変化もなかった 。いつも同じショボショボした眼である 。あとの指手は 、六三銀 。八三馬 (一分 )八二歩 。三八馬 。四二飛 。三六歩 (一分 )同金 。三七歩 。同銀 (一分 )同角 。四六歩 。二四歩 (二分 )[#93]まで 。時に 、四時二分 。
…》



#7
玲瓏