木曜日, 5月 17, 2018

クールベとプルードン

以下は岩波新書『クールベ』(坂崎坦著)に付されたプルードン(Pierre Joseph Proudhon,1809年1月15日-1865年1月19日)によるクールベ論である。訳者によるプルードンの著書(『芸術の原理およびその社会的使命について』未邦訳)の要約なのか、プルードン自身のこうした単文があるかは原文が確認できなかった。

参考
クールベ 雄山閣、1949

上記によれば訳者の要約だろう。プルードンによる短文はイギリスでの個展用に準備されていたはずだが。


アトリエ 270号

 東京都渋谷区道玄坂
1,000
昭24、1冊
クールベとプルードン(土方定一文)
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proudhon Les Paysans de Flagey revenant de la foire Fileuse endormie Un Enterrement à Ornans  Les Baigneuses

Les Paysans de Flagey revenant de la foire  La Fileuse endormie  la Franche-Comté

後記:
原文は1863年の展覧会パンフらしい
それが1865年に発展的に一冊にまとまった
https://raforum.info/dissertations/spip.php?article142

付録・クールベ覚え書




ギュスターヴ・クールベ (Gustave Courbet, 1819年6月10日 - 1877年12月31日)

      1 芸術の原理およびその社会的使命について

 美を評価できるのは人間だけで、人間は人間および事物の美醜を認識し、この認識をば新享楽手段、洗練された快楽となすところの、審美眼ないし能力を持っている。これが人間の持つ詩的感性である。ここに美しいもの、怖ろしいもの、崇高なもの、下劣なものに対する敏感な「感覚(サンチマン)」が認められる。そこに人間は「自己評価」ないし「自尊心」の衝動を受ける。対象を再現する「模倣」の能力は、かかる感覚から生ずるのである。以上が、三つの芸術的基礎工作である。これになおつけ加うべきは、実の概念は純粋な精神的内容ではなく、客観的現実を持つものであり、この本質的に客観的な芸術も、非常に個性的、動的、自由なものであり、美の印象は束の間の(瞬間的な)ものであり、したがって美の影像(イマージュ)は、これを観念(理想)の裏切りに対し防衛せねばならない。芸術家の持つ審美的感情は、哲学的精神と反比例する筈である。これらの付言からつぎのことが生ずる。すなわち芸術の発展は、外部(環境)の成長に支配され、純粋に想像的芸術は膠着停滞の外ないであろう。

 これが芸術の根本原理である。芸術の目的は、観念(理想)である。写実主義と理想主義(観念主義)は、ほとんど相容れぬ言葉となった。しかし現実と理想(芸術家にあって)とは分離できない。理想は、概念に相応するもの、これに関連するものである。概念は、心があるものから作る繁殖力ある、特殊的、典型的観念である、物質的なものの抽象である。したがって理想は普遍を意味し、現実を意味するものではない。観察する個人に対立するものであり、よって現実(レエル)の対立を意味する。さらに概念は純粋完全な典型、完全、絶対である。ゆえに理想はわれわれの前に全的対象として現われるところの完全な形式(フォルム)である。しかしこの理想は存在しないから、これをそのまま表現し描写することは不可能である。しからばこの理想は芸術において如何なる役割を果すであろうか?

 自然というものは、その中の諸理想ないし諸典型に基づき特殊な具体化をやっている。芸術家のやることも、ちょうどこの自然の作用と同じである。すなわち芸術家は、われわれに伝えようと欲するところの、自己のある概念(イデ)に基づく影像(イマージュ)を作り上げつつ、自然そのものを継続するのである。かくして芸術は、本質には具体的、特殊的、決定的であること、自然と同じである。芸術はこの特殊的、具体的フォルムのおかげで、美と崇高の感情、完全への愛、理想(イデアル)をばより深く注入(作品へ)することができる。したがって芸術は、「人間の精神的、肉体的完成のための、自然および人生の理想主義的(観念主義的)表現」である。諸主要芸術的表現の検討は、この理論によるこの定義の、正当なことを立証するであろう。

 芸術は、それが正義および科学へ服従させられていた間は非常に栄えた。芸術が、芸術のための芸術であろうと欲した時、芸術は一国民族の衰頼、堕落を開始した。歴史の教えるところがこれである。だからエジプトでは、その起源からして、社会的、政治的、宗教的使命を受入れたのである。而してこうした使命が、他民族による征服のために、他の文化の制覇のために消滅してしまった時、芸術の火も消えてしまった。ギリシャも同様である。芸術が宗教的でなくなった時、預廃(デカダンス)が始まったのである。ルネッサンス時代においても信仰というものが世に存在しなかったために、芸術は結局フォルムに対する偶像崇拝は到達し、したがって芸術の崩壊が来た。そこで宗教改革が起こって、新たな、超自然的な、象徴的な偶像崇拝を挫折せしめた。宗教改革はかかる偶像崇拝を廃止したのであった。かくてそこには庶民、俗人(非宗教的な)のみが残り、こうした俗人の生活の研究が芸術を再び盛んにした。すなわちレンブラントが現われた。レンブラントは絵画におけるルーテルである。フランス革命は審美的方面に関心を持つ暇が無かったゆえに、あらゆるものをひっくりかえそうとした。そして審美学のことは他日に譲ったのである。一時古代が悦ばれた。

 つぎに起こった問題は、ルネッサンス以来古代に啓示された芸術のかわりに、何故フランス芸術というものが無かったのであろうか、ということであった。浪浸主義画家と古典主義画家の争いもこの点に存した。両派はついに和解するところが無かった。これは浪浸主義画家も、古典主義画家に匹敵する誤謬を犯したからである。というのは、古典派は古代のみを崇めたと同様、浪浸派も中世紀のみを認めたので、双方とも現代生活を描くということがデカダンスに陥らないため、芸術にとって甚だ肝要であるということを顧慮しなかったからであった。この不合理を、シュナヴァール氏は年齢によってきまる美的感性の減退に帰しているが、写実主義乃至自然主義派は、こしうた不合理をまったく廃棄してしまおうと考えた。

 そして、こうした主張は如何にして実現せられたか? クールベが人間をあるがままの姿において、単なる諷刺、嘲笑の悦びからでなく、一般教化の目的として、美術的ニュース(報告)として、その人それぞれの意識の地金をそのままに現わして描いたところの、『市場帰りのフラジェーの農夫達Les Paysans de Flagey revenant de la foire 』『居ねむる糸つむぎの女Fileuse endormie』『オルナンの埋葬Un Enterrement à Ornans』『水浴の女連Les Baigneuses 』の諸傑作によって、これは示されたのである。これこそ真の近代芸術の出発点である。すなわち絵画はその時代の表現でなくてはならない、その時代の倫理的役割を果すものでなくてはならないからである。上述の諸作品は、いずれもその主題が、異論なしにこうした時代的であることを証明しているのである。これを倫理的観点から見ればどうであろうか。『市場帰りのフラジューの農夫達Les Paysans de Flagey revenant de la foire 』と『居ねむる糸つむぎの女La Fileuse endormie 』は、単純で静かで上品なフランシュ・コンテ la Franche-Comté 地方、一般にフランスの、良き農民生活を示したものである。





『オルナンの埋葬Un Enterrement à Ornans』はグロテスクだと非難された、実際グロテスクである。脂肪肥りで変な格好のブルジョア女を措いた『水浴の女達Les Baigneuses 』では、美食家で運動嫌いのこの女の愚劣と利己心は用心している。





クールベの芸術は、諷刺、攻撃、皮肉、風俗画でなく、真実を反映する鏡である、写実主義芸術である。認識し論争し叱責し判別する意味において批評主義的芸術である。理性を補助する、倫理的な、合理的な、推理的な芸術である。観察の芸術であって、単なる霊感の芸術ではない。

 この批評主義芸術理論は、クールベの新作品数点によって肯定せられた。『石割人夫Les Casseurs de pierres』の画は、貧困への奴隷を示す。賦役とか強制労働とか大衆の労働として、社会の強健分子の各々に課された貧困への奴隷を示すものである。石工たちは、福音書の寓言に値する。それは実践倫理である。『セーヌ河畔の娘達Les Demoiselles des bords de la Seine (été)』はこれに対立するもので、帝政時代のエレガントな女たちである。瞑想的で夢見がちな、それでいて倣慢で、姦通、離婚、自殺を平気でやる彼女たちは、いつまでも見ていると怖ろしくなってくる。見ているだけでも、悪事から転向させ得るであろう。


(『石割人夫』Les Casseurs de pierresは第二次世界大戦のドレスデン爆撃で焼失。)

さらにクールベは、『ヴィーナスとプシュケVenus and Psyche』によって、その教化を続ける。この画はこの時代特有の淫蕩と偽善とを現わしたものである。最後に、『僧侶連』ないし『会議の帰途Le Retour de la conférence』も、「僧侶に求める厳粛な徳をば、僧侶の中に支持するだけの、宗教的訓練の急激な没落(無力)」を証明するものである。というのは、この画は、単に酩酊しているところを描くために、表現せられたのではなかった。目的はそれよりもはるか彼方に在った。



                (『会議の帰途』の元の絵はカトリック教徒に買い取られて消失。)


 クールベの作品の物語るところは、大体以上の如きものである。もちろんそこにはいくつかの欠点がある。すなわち遠近法や均衡に欠陥がある。黒っぼい配色、それも単一な配色で面白くない。また甚だしい誇張もある。服装のだらしなさがある。ポンチ絵式のところがある。往々残忍なところもある。一体クールベは、思想家であるよりも画家である。彼は、画家の範囲を出なかった。彼の概念はきわめて簡単である。しかし甚だ倣慢であったから、自分ではそれを知ってはいない。こういう留保をやれば、後は写実主義、批評主義派は、人間的、哲学的、解剖的、総合的、デモクラティックで、進歩主義であり、事実存在の理由があるといっていいのである。しかし、写実派はまだ完全に自己意識が足りない。それは理論を欠いている。彼らは純粋の写実派というものは不可能であるということを知る必要がある。写実派は、その観念(理想)が意識に、科学に、真理に法律に従属せしめられるから、同時に観念主義(理想主義)だといえるであろう。のみならず芸術の史的発展において、写実派はほんの一時的にその一発展段階に存在するに過ぎない.新しい情勢が生じ、精神美を肉体的に結合させ、人間の実を、同時にドグマおよび宗教から独立した人間の徳を、創造するであろう。

 クールベは、この史的発展の本質的因子である。そのゆえにクールベに光栄あれ。画家の中では、彼はモリエールを模倣し、すぐれたコメディを絵画に移入させた最初の人であり、まずわれわれのあるがままの婆を描いてわれわれに報告し、われわれを懲戒し、矯正しようと真面目に企てた。つぎに彼は寓話画でわれわれを悦ばせ、絵草紙でへつらうかわりに、われわれの姿を自然のままでなく、情欲および悪徳の現われのままに、これを表現する勇気を持った。
 願わくば、画家たちのクールベを模倣せんことを。ただし彼らの時代、国土、彼らの見解に即して表現すべきである。願わくばその概念を具体化せんとする彼らが、芸術を正義と効用とに結び付けんことを。

 〔この一文は、一八六三年、プルードンがクールベの意見を参考にしつつ執筆したもので、これが公け
 になったのはプルードンが死んだ一八六五年より以後である。〕


追記:
上野の西洋美術館の研究資料センターで、以下のクールベの描いたプルードン像(『1953年のプルードン』、1965年、プチ・パレ)の資料を入手した。
Bulletin du Laboratoire du Musée du Louvre no.4 p.31 MARTINE ECALE: 'A propos du portrait de Proudhon 'より
この絵は改変する前の元のバージョン。完成形では消された夫人の姿が映っている。
(掲載論文では以下のように2つのバージョンが比較されている。↓)

娘の成長具合から見て、1856年の間違いだという指摘もある。
http://oyavinet.exblog.jp/3054127/

その後、プルードン夫人の肖像Portrait de Madame Euphrasie Proudhonは、別途描かれた。

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