土曜日, 11月 07, 2015

『弁証法的理性批判』サルトル

『弁証法的理性批判』サルトル 1960
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/blog-post_66.html (本頁)
『存在と無 』サルトル(L'Être et le néant,Jean-Paul Sartre) 1943
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/letre-et-le-neantjean-paul-sartre.html
サルトル(1905-1980)とドゥルーズ(1925-1995):メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/blog-post_77.html
サルトル『倫理学ノート』:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/blog-post_11.html
サルトル 「いま 希望とは」Sartre L'espoir maintenant : 朝日ジャーナル 1980
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/1980041804250502.html 

「歴史が私の手をまぬがれてしまうのは、私が歴史をつくらないからではない、他人もまた歴史をつくるからである。」(邦訳『方法の問題』三、100頁)

この言葉はサルトルが章の冒頭で引用した「人間はみずから歴史をつくるがしかもそれは人間を条件づけている環境のなかでのことである」(同98頁)というエンゲルスのマルクス宛書簡の中の言葉に対してのものである。

サルトルのドゥルーズやデリダへの影響は想像以上に大きいことがわかる。ハイデガーの問題系の紹介者としてだけでも大きい。ただ、ゲゼルやプルードン(『文学とは何か』で言及あり)を知らないで、ヘーゲルとマルクスを発展させるだけでは吉本隆明とかわらない。

サルトル全集. 第25巻
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1695321
目次 
総序/5 
 方法の問題 
一 マルクス主義と実存主義/13 
二 媒体と補助的諸学の問題/48 
三 前進的―遡行的方法/98 ☆
結論/177 
解題/193

Question de méthode
Contenu
   • I. Marxisme et existentialisme
   • II. Le problème des médiations et des disciplines auxiliaires
   • III. La méthode progressive-régressive
   • Conclusion
https://fr.wikipedia.org/wiki/Questions_de_m%C3%A9thode
サルトル全集. 第26巻 
目次 
訳者序/3 
序論/7 
A 独断的弁証法と批判的弁証法/7 
B 批判的経験の批判/40 

第一部 個人的実践から実践的=惰性態へ/85 
A 全体化作用としての個人的実践について/87 
B 物質性のさまざまな分域間の媒体としての人間関係について/106
C 全体化された全体性としての物質についておよび、必然性の最初の経験について/141 
  一 稀少性と生産様式/141 ☆
  二 個人的および集団的実践の疎外された客観化としての加工された物質/180 
  三 弁証法的経験の新らしい構造としての必然性について/263 
  四 物質性としての社会的存在、特に階級的存在について/272 
D 集合態的存在/301 
解説/409

 1
Critique de la raison dialectique
Introduction
A. Dialectique dogmatique et dialectique critique
B. Critique de l'expérience critique

 Tome I
Livre I De la « praxis » individuelle au pratico-inerte
A - De la « praxis » individuelle comme totalisation
B. Des relations humaines comme médiation entre les différents secteurs de la matérialité, p. 180
C. De la matière comme totalité totalisée et d'une première expérience de la nécessité
 1 - Rareté et mode de production, p. 201 ☆

 2 - La matière ouvrée comme objectivation aliénée de la « praxis » individuelle et collective, pp. 226-227
 3 - De la nécessité comme structure nouvelle de l'expérience dialectique, p. 279
 4 - De l'être social comme matérialité et, particulièrement de l'être de classe, p. 286
D. Les collectifs, p. 306

サルトル全集. 第27巻
目次 
訳者序/3 
第二部 集団から歴史へ(上)/7 
集団について。必然性としての自由と自由としての必然性との等価性。現実主義的弁証法全体の限界と射程/9 
解説/257 

Livre II Du groupe à l'histoire
A. Du groupe. L'équivalence de la liberté comme nécessité et de la nécessité comme liberté. Limites et portée de toute dialectique réaliste, p. 381
サルトル全集. 第28巻 
目次 
訳者序/3 
第二部 集団から歴史へ(下)/7 
B 集団の一体存在etre―unは他者たちによって外からそれに到来する。そしてこの最初の形の下ではその一体=存在は他者として存在する。/9 
C 集団の内面においては、媒介された相互性の運動が、実践的共同体の一体=存在を、全体化運動によって生みだされた不断の非全体化として構成する。/22 
D 全体化としての弁証法的経験について。具体的なるものの水準、歴史の場。/122 
解説/295

 a. L'être-un du groupe lui vient du dehors par les autres. Et sous cette première forme l'être-un existe comme autre, p. 553
 b. Dans l'intériorité du groupe, le mouvement de la réciprocité médiée constitue l'être-un de la communauté pratique comme une détotalisation perpétuelle engendrée par le mouvement totalisant, p. 562
 c. De l'expérience dialectique comme totalisation : le niveau du concret, le lieu de l'histoire, p. 632
上記3は日仏に番号不一致がある。
 
以下(遺稿『弁証法的理性批判』第2巻 副題,歴史の可知性)未邦訳。
 Tome II
Livre III  L'intelligibilité de l'histoire
A. La lutte est-elle intelligible ?
B. La totalisation d'enveloppement dans une société directoriale : rapports de la dialectique et de l'antidialectique
C. Singularité de la praxis : éclatement du cycle organique et avènement de l'Histoire
Annexe
LE PROGRÈS
Science et Progrès, p. 427
Principales notions
https://sites.google.com/site/epistesthique/notes/ph/rd2
http://www.gallimard.fr/searchinternet/advanced?all_title=Critique+de+la+raison+dialectique.+&SearchAction=1&SearchAction=ok

第II巻第III冊歴史の了解 
A.闘争は理解可能か? 
B.経営社会における包囲の全体化:弁証法と反弁証法のレポート 
C.実践の特異点:有機サイクルの破裂と歴史の出現 
付録 
進歩
科学と進歩
主な概念

(google翻訳)
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参照:
国立国会図書館デジタルコレクション - 検索結果
サルトル全集

https://sites.google.com/site/epistesthique/notes/ph/rd
Critique de la raison dialectique I
(précédé de Question de méthode)
Tome I
Théorie des ensembles pratiques
Jean-Paul Sartre
NRF Librairie Gallimard, 1960


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☆☆
稀少性(Rareté)を巡る考察でマルクス、エンゲルス、デューリングが言及される(邦訳1:172頁)。
『倫理学ノート』にその詳細なメモ?及び展開がある。

稀少性が欲求を増殖させる生産諸関係の暴力性をデューリングは直接的暴力ととらえてしまっているという(CRD「稀少性...」)。ただし、デューリングを批判するエンゲルスも同様の見解を述べていて、実は両者は大差ないのである。(「倫理学ノート」参照)

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http://www2.lib.hokudai.ac.jp/gakui/2002/6043_mizuno.pdf
『弁証法的理性批判』第二巻 ( 1 9 8 5 ) は 、実践的惰性態や抑圧や疎外が可能であるのは 、社会経済装置が欲求によって支えられ条件づけているからであるという。欲求こそが 「 生の永続化というつねに同一の乗り越えられない目標 」である 。人間の実践がこのような欲求に根ざすかぎり、人間は抑圧や堕落や実践的惰性態の支配に完全に屈服することはない 。
サルトル読本 « 法政大学出版局 2015
http://www.h-up.com/bd/isbn978-4-588-15069-2.html
サルトルの「応答」──『弁証法的理性批判』における「集団」と「第三者」(竹本研史)
エピステモロジーとしてのサルトル哲学──『弁証法的理性批判』に潜むもうひとつの次元(生方淳子)


弁証法的理性批判(べんしょうほうてきりせいひはん)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E5%BC%81%E8%A8%BC%E6%B3%95%E7%9A%84%E7%

弁証法的理性批判
べんしょうほうてきりせいひはん
Critique de la Raison Dialectique

サルトルの著作。1960年刊。『存在と無』(1943)に続く第二の大作である。基本的にマルクス主義の正当性を肯定しながらも、その硬直した教条主義を批判し、人間の自由を肯定する実存主義をそのなかへ織り込むことによって、マルクス主義に若き活力を取り戻そうとするものであった。弁証法的理性とは、歴史を客観的事象として外から眺める分析的理性と違って、実践的に歴史のうちに参入することによってその意味を了解しようとするものである。またそれは、「歴史的、構造的な人間学」を構成しようとする試みともされている。この著書には長文の「方法の問題」という論文が巻頭に置かれているが、本論は第一巻のみで未完に終わっている。[西村嘉彦]









『平井啓之訳『方法の問題』(1962・人文書院) ▽竹内芳郎・矢内原伊作・平井啓之・森本和夫・足立和浩訳『弁証法的理性批判』全三巻(1962~73・人文書院)』
 サルトルの代表的な著作、例えば『弁証法的理性批判』、『自由への道』、『家の馬鹿息子』が未完であることは、よく知られている。
  これらは、サルトルの人生がもっと長かったならば刊行されたであろう著作群である。実際、『弁証法的理性批判(第2巻)』(1985)は死後5年たって公刊されている。浩瀚なフローベール論は、晩年のアンガージュマンを少しだけひかえて執筆に時間を割けば、生前に全4巻を世に問うことができた。サルトルは『家の馬鹿息子』だけは何とか完成させたかったようだ(西永良成『サルトルの晩年』中公新書、1988、91-92頁)。



竹内芳郎『サルトルとマルクス主義―『弁証法的理性批判』をめぐって』
(1965年)の要約:
http://ameblo.jp/nrg26058/entry-10894408491.html
 【『弁証法的理性批判』の構成】
 『批判』第一巻は、形式的には<構成する弁証法>-<反弁証法>-<構成された弁証法>という、いわ ゆる弁証法的トリアーデを形成している。第一の<構成する弁証法>とは、歴史の弁証法を可能にする創造的原点としての<個人的実践>のことであり、第二の <反弁証法>とは、このような実践の疎外態としての<実践的=惰性態>のことであり、最後の<構成された弁証法>とは、この疎外態を突き破って人間が己れ の自由を恢復するために必然的に形成せねばならぬ諸々の<集団的実践>のことである。

 【歴史の原動力としての階級闘争】
 最後に、史的唯物論が歴史の原動力として指定した<階級闘争>の弁証法的可知性の問題を解明しよう。階級闘争とは、「稀少性の根本的な枠のなかで社会的実在が具体的にとらざるを得ぬ基礎的な実践形態」であった。したがって、その可知性は、「構成された実践として、純粋に主体的な<実践>と純粋に客観的な<過程>とのあの弁証法的循環性のなかで」与えられるであろう。それは、デューリングのように主体的な<抑圧>を性急に語るのでもなく、エンゲルスのように一切を経済的な<過程>に還元するのでもなく、実践的=惰性態としての惰性や受動性を一杯につめ込みながらも、その<反=弁証法>をのりこえようとする<構成された弁証法>として、人間たちの主体的な集団的実践として、理解されるのである。「人間の歴史において、生産様式こそが一切の社会の下部構造だとしても、それはただ、人間労働こそが通時的全体化の意味でも、共時的全体化の意味でも、実践的=惰性態としての生産様式の下部構造だからにほかならない」のであり、そうした人間的・歴史的弁証法の循環性のなかではじめて、つまり、抑圧の実践と搾取の過程との弁証法的循環性のなかではじめて、階級闘争も可知的となるのである。問題は、搾取のごとき客観的過程において、人間の主体的実践がどのように客体化され、疎外され、集列化されているかを知ることであって、そのための概念装置をぼくらはすでに手に入れているのだ。「階級闘争のごとき複雑な社会的実践の具体性をあきらかにするためには、<実践>と言ってもさまざまな水準での実践――個人的実践、共同的実践、過程=実践などを区別し、さらにそれらの<実践>と実践的=惰性態としての<過程>とを区別し、それらのもののあいだの弁証法的循環性のなかにその闘争を置き直さねばならぬわけだ」が、「そうして、各水準で用いられる可知性の型をあらかじめ定義づけておくだけの用心をしさえすれば、どんな複雑な社会的実践といえども完全に可知的となるのである。そのことは、けっきょく、分析的理性と経済的法則とを<構成された弁証法>のなかに溶解せしめることを意味し、かくして人間歴史の一切を、人間的実践から出発する実践的な弁証法的理性によって全的に解明しようと決意することを意味するのである。」そして、「このように弁証法的理性の立場に立とうと決意することそのことが、実は今日ではそれ自身一つの階級闘争となっている」のだ。と言うのも、抑圧階級は、己れの抑圧的実践を何か自然的過程のごときものに偽装しようとして分析的理性に固執するのであるが、その不可避の結果として、被抑圧階級の側に、弁証法的理性が<闘争への招待>として喚びおこされることになるからだ。しかしながら、階級闘争の可知性については、それが諸階級の闘争という多次元的な時間化の可能性であることから、まだ二つの問題が残されているだろう。第一に、「弁証法とは鳥瞰的な全体化ではなく、あくまで闘争のなかをみずから生きる者の状況づけられた実践の全体化だとするならば、相闘争する階級の一方の側に加担して生きていえうその闘争当事者にとって、他方の階級の側の行動の可知性をも当然ふくむはずの総体としての階級闘争そのものの可知性が、たとい弁証法的にせよいかにして獲得できるのであろうか。」そして第二に、たとい闘争が闘争の当事者たちにとって可知的だとしても、それでは闘争に参加していない第三者の(例えば後世の歴史家)にとって、その闘争は可知的になるのだろうか。第一の問題にたいしては、そのような可知性は、実はおよそ闘争なるものを成立せしめる不可欠な要因として、闘士たちの実践そのもののなかにすでに含まれている、と答えることができるだろう。「私は私をつうじて敵を了解し、私は敵をつうじて私を了解する」ものだからだ。では、第二の問題はどうか。闘争のように、各実践がたがいに他者の実践を破壊しようとめざし、その二重の否定の結果がゼロとなることもあるような場合に、はたしてそこでの相互性の客観的・超越的統一は可能になるのだろうか。「この問題の解決は、もともと共時的・社会学的全体化の地平にのみ留まるほかはなかった遡行的経験にとっては、とうてい手の届かないところである。どうしても弁証法的批判的経験を通時的・歴史的全体化の地平にまでおし進めることによって、この<全体化する者なき全体化>の問題、一つの<歴史の真理>という問題を解決しなければならない。そのとき、またそのときにのみ、史的唯物論の原理は全幅の真理性をもってたち現れてくるだろう。これが遡行的経験につづく<前進的経験>、つまり、未刊の『弁証法的理性批判』第二巻の課題なのである。」


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 http://ch.nicovideo.jp/great/blomaga/ar883209



















著作紹介『弁証法的理性批判』サルトル

2015-09-30 18:50



法的理性批判

法的理性批判とはJ・P・サルトルによって書かれた実存義的マルクス主義を確立する論文である。

この論文はマルクス義と実存義の融合。すなわち、マルクス義のヒューマニズムの再獲得を目指し、ソ連の硬直したマルクス義からの脱却を目的とする

当時のソ連は『経済や物質が歴史を決めるので、人間が歴史の中で出来ることはない』という教義をにしていた。サルトルは『弁法的理性批判』を著すことで、ソ連の理論を批判し、反対に「歴史を決定するのは自由な個人の体性、理性である」とした。

タイトルにある『批判』という単は一般的に使われるネガティブな意味とは違い、「正しく評価する」(独哲学者のカントに由来する)という意味である。つまり、批判とはいってもサルトルが弁法的理性を批難した訳でなく、逆にマルクス義がヒューマニズムを再獲得するためには弁法的理性が必要であるとサルトルは考えていた。

『弁法的理性批判』の執筆のきっかけになったのは1957年サルトルのポーランド訪問である。当時のポーランドでは労働党のゴムルカによるが進み、硬直したソ連マルクス義とは違うが模索されていた。サルトルはポーランドでのマルクス義者との議論を踏まえ、ポーランドの雑誌に『マルクス義と実存義』という論文を発表し、その後三年間『弁法的理性批判』執筆に没頭する。サルトルのその熱狂的仕事ぶりは驚異的であり、本書は覚せい剤を大量に用しながら書かれてという。
内容
法的理性批判も例によって難解な著作である。サルトルの使う専門用の定義をしっかり把握した上で、「社会の状態と人間の自由意思がどういう関係にあるか?」ということを踏まえて読み進めよう

サルトルはまず、近代科学などに特徴的な、『全体』を『個』の寄せ集めに還元してしまう思考を「ブルジョワ的思考」として批判した。この考え方に基づけば、社会とは個人が単に集まっただけであり、歴史とは個々の出来事を積み木のように重ね合わせただけの存在になる。サルトルはそのようなブルジョワ的思考を分析的理性と呼んで批判し、マルクス義的な弁法的理性によって立つことで、に開放的な人間についての理解をめようとした。

サルトルは、弁法を『個』が『全体』に向かって自分自身を乗り越えよう(止揚しよう)と発展する運動として捉え、それを全体化と呼んだ。個々ではなく、それぞれの関係性に着する思考法はマルクス哲学の特徴の一つである。

ブルジョワ的思考法(分析的理性):個A+個B+個C+……=社会
サルトルの思考法(弁法的理性):個A⇄全体+個B⇄全体+個C⇄全体+……=社会 (⇄は止揚)

サルトルは、ブルジョワ的思考を越えた、革命的な人間を理解するためには、人間を体とした法的理性による思考が不可欠であると考えていた。しかし、マルクス義から生まれたの弁法的理性が、当の正当マルクス義(ソビエト)では失われてしまっている。その原因の一つがマルクスの第一の後継者であるエンゲルスにある。エンゲルスは、弁法を人間と乖離した自然の法則「自然法」として、弁法から人間を排除してしまった。それは19世紀のブルジョワ的科学義の影を受けた、非マルクス義的な考え方だとサルトルは考える。

エンゲルスの科学義にめられた弁法は、スターリン義において、マルクス義の「公式ドグマ(教義)」として扱われる。ここでは、個人の行為をそれぞれの歴史という環境の中で理解するマルクス義は、物質が個人の行為を決定するという誤った決定論に堕落してしまう。このスターリン義的マルクス思想では、全ての人間は意志を持たない歴史歯車になってしまう。このよう思想を基にしてスターリン義は、国家の名の下に個人を殺する全体義へと成り果てた。確かにマルクス義は、スターリンするように「歴史(時代)が個人を作る」という思想を強調したが、サルトルは「個人もまた歴史(時代)を作る」と述べ、ソ連マルクス義が失ってしまった『人間』という要素を、マルクス義に実存義を取り入れることによって取り戻そうとしたのである。

サルトルは全体から独立した個人の行動を認めない。人間の行動は歴史(時代)に影を受けざるを得ないことはサルトルも認めるところである。しかし一方で、歴史(時代)を理解するためには個人の行動を捉えることから始めなければいけないことも確かである。サルトルは、個人の行動を個人的実践と呼び、個人的実践は歴史を構成すると考えた。サルトルは個人的実践によって構成された歴史構成する弁と呼んだ。個人は実践によって歴史(物質)を乗り越える(止揚する)。そして一方で歴史(物質)もまた人間を乗り越える。このような関係性を法的循環性と呼ぶ。

人間の活動(個人的実践)⇄歴史=構成する弁
左辺の関係を弁法的循環性と呼ぶ。

人間の体性を重視するサルトルにとって、人が最も避けるべき状況は疎外であった。弁法的理性批判の中でサルトルは、疎外とは『人間が、自分自身にとって他者になってしまうことによって、自分自身に敵対する状況』と捉えた。疎外状態の人間の実践は体性を失い、人間は物質に堕し、その行動は惰性的になる。人間の実践が惰性的性格を帯びる状況をサルトルは実践的-惰性態(反弁法)と呼んだ。サルトルは「人間関係の根本はお互いを人間と認め合う関係であるが、稀少性という環境の中では疎外を生み出してしまう」と考えた。稀少性とは、人間にとって有用なものが有限であるということである。少ない物質が人間同士を対立させ、お互いをモノにしてしまうという疎外が起きるのだ。

世の中の物は数が限られている(稀少性がある)ので、人々は争い、お互いをモノにする(疎外)。
これにより個人的実践は惰性的になる。これを実践的-惰性態(反弁法)と呼ぶ。

サルトルは個人的実践が生み出した構成する弁法が、実践的-惰性態によって止揚され、それをさらに人間が乗り越えると述べる。個人的実践を乗り越えた実践的-惰性態を更に乗り越えるのは、個人的実践によって構成された集団的実践である。個人的実践により構成された歴史を『構成"する"弁法』と先に述べたが、集団的実践によって生まれる歴史を『構成"される"弁法』とサルトルは呼んだ。しかし、疎外から逃れる為に発生した集団的実践は(ソ連のように)いつしかそれ自体も人間を疎外するようになる。サルトルはその論理を追うとともに、に人間解放ができる集団について膨大な記述を持って考察を進めた。

個人的実践による歴史=構成する弁法 ➡ やがて惰性的になる。
それを乗り越える為に個人が集まった集団で歴史を作る。
集団的実践による歴史=構成される弁法。 ➡ しかし、こちらもやがて疎外が起きる。

サルトルはまず、人間が『他人』や『モノ』に支配された実践的-惰性態における人間の集合を描く。サルトルはそうした集合集列、または集合と呼んだ。これを説明するためにサルトルが例にあげたのはバスを待つ人々の行列である。バスを待って列を作っている人はバスに乗るという共通の的を持っているものの、お互いには関係性を持たないバラバラの存在である。バスを待つ行為は実践ではなく単なる習慣(これをヘクシスと呼ぶ)である。彼らの的は数に限りのあるバスの席に座ることである。席の稀少性が彼らをバラバラにしてしまうのである。彼らに体性はなくモノによって結びつけられた集合である。サルトルは『世論』や『差別意識』といった一見的を持った集合も、所詮は他者に流された集列に過ぎないと述べた。

この集列の状態を乗り越える集団的実践の最初の契機を、サルトルは溶融集団と呼んだ。サルトルは、今度はフランス革命バスティーユ襲撃事件を例にあげる。バスティーユを襲ったパリ市民は、年齢職業性別思想信条はバラバラであるが、革命の状況下で襲撃という的の下に、一つに解け合った。集列の場合と違って、彼らを結びつけているのは惰性的なモノではなく実践である。彼らは国家暴力に対抗するために暴力を形成するが、メンバー同士は暴力ではなく友愛によって結びつけられる。この時、彼らはお互いに「他人」ではなく「私」になる。集列においてはお互いを他人と見なすのに対して、溶融集団ではお互いが「私」になるのである。しかも単なる「私」の集まりである単一者ではなく、お互いが同等者として形成される。溶融集団では構成員が第三者によって関係させられるのではなく、お互いが第三者となり体的に関係し合うのである。

バスを待つ人は「バスに乗りたい」という共通の的を持っているがお互いには他人=集列、集合
フランス革命で決起した人達は「襲撃」という共通の的を持ち、なおかつ一つの集団として解け合う=溶融集団
バスを待つ人は惰性的に行動しているだけであるが、革命に立った人々は実践的な行動をしている。

しかし、このような集団の溶融状態は長くは続かない。緊迫した状況が過ぎ去った後は、集団は存在理由を失い、解体され、再び集列に戻ってしまいかねない。もしその集団を存続させるならば、そこには誓約が必要である。誓約において構成員は「私は他者に堕落しない」と誓わされるが、これは当然自由意志の侵であり、集団が惰性態となるのは避けられない。この様に誓約によって生まれた惰性を人工的惰性態と呼ぶ。また誓約集団では誓約を破った者に対して罰が与えられる。それがテロル(恐怖政治)である。そこから更に集団の存続を維持するためには『組織』『制度』が現れてくるので、集団はますます実践的-惰性態へと近づかざるを得ない。つまり、集団とは元々は人間を実践的-惰性態(反弁法)から解放する『構成された弁法』として生まれたはずが、集団を維持するために自ら実践的-惰性態へと戻ってしまう傾向があるとサルトルは摘する。実際に、ソ連をはじめとした革命集団がテロや官僚義に陥ることは歴史の中で多く見られた。サルトルはこのような革命集団の硬直を強く問題視した。

何もしなければ溶融状態はやがて集列に戻ってしまいので誓約を使って溶解状態を継続させる→しかし誓約があっても結局は惰性態に陥る=人工的惰性態
誓約集団では人間を誓約によって抑圧するのでますます実践的-惰性態へと近づく。例えばソ連とか。
サルトルのしたのはソ連の非人間的マルクス義からの脱却である。それはサルトルだけでなく、サルトル以前から続く西欧マルクス義全体の潮流である、疎外論を中心とした人間的マルクス義であった。このヒューマニズムマルキシズムは世界中の運動の間で流行することになるが、1960年代に入り、このサルトルの実存義を論敵としたレヴィストロースとやマルクスのヒューマニズムを批判したアルチュセールを代表とする構造義の登場によってまたマルクス主義の歴史は揺り動かされていく。


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『プルードン研究』(岩波書店)でも引用されていましたが、サルトルのプルードンへの言及をあらためて引用したいと思います。
ドゥルーズが晩年、サルトルを再評価していたのもうなづけます。
以下引用です。

「マルキシスムもまた競争相手の理論を吸収し、消化して、開かれたままでいなければならなかったにちがいない。ところが人も知るように実際につくり出されたのは、百の理論の代りに二つの革命的イデオロジーにすぎなかった。ブルードン主 義者は、一八七〇年以前の労働者インターナショナルでは多数を占めていたが、パリ・コンミューンの失敗によっておしつぶされた。マルキシスムは敵対者に打 勝ったが、その勝利は、マルキシスムがのり越えながらそのなかに含んでいたヘーゲル的否定の力によるものではなく、純粋に単純に二律背反の一方の項を押え た外力によるものであった。その光栄のない勝利がマルキシスムにとってどういう代価を意味したかは、何度いってもいい過ぎない。すなわち矛盾する相手が欠 けたときに、マルキシスムは生命を失った。もしマルキシスムが最もよい状態にあり、絶えず戦い、征服するために自己を変革し、敵の武器を奪って己れのもの にしていたとすれば、それは精神そのものとなっていたであろう。しかし、作家貴族がマルキシスムから千里もはなれたところで抽象的な精神性の番人になって いる間に、マルキシスムは教会になったのである。」

サルトル『文学とは何か』(1947)第三章「誰のために書くか」(『シチュアシオン2』人文書院p141.加藤周一訳)より

  • シチュアシオン』 Situations(1947–65年)
    • 『文学とは何か』 Qu' est-ce que la littérature?(1948年)

上記の問題意識は『弁証法的理性批判 』(1960)の組織論、集団論につながる。
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『弁証法的理性批判 』(1960)におけるサルトルの集団論:

     図解雑学サルトル より

         実践的総体 Ensembles pratiques or集団的実践>
集列、集合態  溶解集団

「階級とは一つの実践的な連帯性ではなくて、かえって逆に連帯性の欠如による諸運命の絶対的統一である」『弁証法的理性批判 Ⅰ 』人文書院 370

「集団はいかなるものであれ、群集の惰性的存在の中に再転落する理由を自らのうちに含んでいる『弁証法的理性批判 Ⅱ 』人文書院  13

例えばフットボールチームという一種の組織集団において、各人のプレーというのはすでに定められた職務によって規定されているのであるが、各人は共同の目標(試合で勝利を得ること)を目指して自らの果たさねばならない職務を自由に引き受け、それを実現する」のである。サルトルによれば、ここでは「必然性としての自由と、自由としての必然性との等価性が成立する
(『弁証法的理性批判 Ⅱ 』人文書院   9頁)

しかしながら、規模の大きな組織集団になってくると、フットボールチームのように絶えず全員で共通の目標を確認していくということはできなくなる。…
大 規模な集団の統合力をさらに強化するために制度というものが形成されると、そのことによって制度集団が成立する。ここにおいて組織(職務の分担等)は制度 として固定され、成員間の分化・差異化は位階制(ヒエラルヒー)へと転じる。この位階制というのは単に個々の成員の間に形成される差異化・序列だけでな く、複数の集団の間に形成される(上位集団・下位集団という)階層化という形で実現されるのである。
そして、このような制度集団において、「“共同的個人”はそれ自身が“制度的個人”に変貌する」
(『弁証法的理性批判 Ⅲ 』人文書院  39頁)
制度集団の一種である主権集団(=国家)および官僚制についてみておこう。
国家とははっきりした主権を備えた制度集団である。国家においては主宰権(主権)というものが中央の国家機関に集中させられ、その中心をなす少数者(さらには一個人)が公権力を独占的に握るようになる。
そして、この国家権力(公権力を握った少数者)は、集合態(集列体)としての大衆に働きかけ、その操作・操縦を行うようになる。サルトルの言うように、国家権力とは「惰性的集列体の操作を要求する集団なのである。
(『弁証法的理性批判 Ⅲ 』人文書院  94頁)

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『弁証法的理性批判』 Critique de la raison dialectique(1960年) wikiより

『批判』においてサルトルが行おうとしたことは、実践弁証法によって史的唯物論を再構成し、「発見学」<euristique>としての本来のマルクス主義を基礎づけなおすことだったのである。
『弁証法的理性批判』は、
  1. 構成する弁証法(個人的実践)
  2. 反弁証法(実践的惰性態)
  3. 構成された弁証法(集団的実践)
の3つの段階を進んでいく。その内容を大まかに見ると次のようになる。
人間の主体的実践が疎外され客体化・固定化することによって実践的惰性態<pratico- inerte>「=生産物、生産様式、諸制度、政治機構など、人間によってつくられた“存在”」が形成される。それは、人間によって形成されたもの であるが、「すでに形成されたもの」として諸個人を規定・支配する社会的・歴史的現実である。それらの分野に埋没し、受動的に支配される人間は、真の活動 性を持たない集合態<collectif>にすぎないが、共通の目標を目指す集団<groupe>を形成し「共同の実践」をつくりだすことによって、実践的惰性態をのりこえ、真の活動性をとりもどす。
実 践的惰性態(=生産物、生産様式、政治制度等)は、いわば歴史の「受動的原動力」であり、社会・歴史の客観的構造や運動法則というのはこの分野において成 立する。それに対して集団的実践(特に階級闘争)は歴史をつくる人間の主体的活動であり、歴史の「能動的原動力」というべきものである。
このような『弁証法的理性批判』における理論形成の意図をサルトルは『方法の問題』の中で繰り返し述べている。
例 えば『方法の問題』の第2章、「媒体と補助諸科学の問題」でサルトルは「生産関係及び社会的政治的構造の水準では、個々の人間はその人間関係によって条件 づけられている(76頁)」として、生産関係(経済的土台)と個人との間に家族、居住集団、生産集団など現実に数多くの「媒体」が存在すること、「発見学」としてのマルクス主義はそれをも含めて解明していくことが必要であると主張した。
そして、個人の意識の縦の方向に関わるものとして精神分析学の成果を、また、社会的な横の総合に関わるものとしてアメリカ社会学の成果を、マルクス主義の中に「方法」として取り入れることを主張したのである。
以上のように、実践的惰性態<pratico-inerte>、集合態<collectif>、集団<groupe>等の概念を駆使して史的唯物論の再構成を目指した『弁証法的理性批判』の意図は、マルクス主義の中に精神分析学やアメリカ社会学の成果を包摂し、20世紀の知の集大成を行うことで「構造的、歴史的人間学」を基礎づけることであった。